第3話 人形師-其の参
「江戸時代末期の人形師ねぇ。う~ん、さすがに僕も資料は持ってないなぁ。歌舞伎役者や浮世絵師は随分調べたけど、職人まではわかんないよ」
民俗学の教授の言葉に慧が肩を落とす。
慧が通う大学の文学部史学科。
所属するゼミの教授である遠野伸二朗は江戸時代から明治期の民話と習俗に詳しく、それらを取りあげた芝居や浮世絵などにも造詣が深いから、何か資料でもあればと思ったのだがアテが外れてしまった。
定岡藤治郎が泣きながら作っていた人形。
その理由を幼い姉弟を失ったからではないかと考えた慧は、対になる人形を探す手がかりになるかもしれないと定岡の系譜を辿ろうと思ったのだ。
元々の依頼主である三笹から探すように言われたわけではないが、慧自身、人形の想いに触れたことでもうひとつの人形を見つけ、一緒にしてやりたいと考えている。
その人形だが、預かってから改めて丁寧に調べたものの、特に手がかりになりそうなものを見つけることはできず、すでに三笹に返却している。
真琴のほうでも実家の伝手で日本人形に詳しい人に話を聞きに行くと言っていたので、そちらも結果待ちといったところだ。
「その人形が作られた年っていつごろなんだい?」
遠野教授が興味深げに訊ねてくる。
小太りでやや頭の淋しくなってきている中年後半にさしかかった男だが、民俗学の教授らしく習俗に関わることへの好奇心は強い。
人形というのは世界のどこでも、どの時代でも人の営みに深く関わっている造形物なので関心があるのだろう。
「多分、1860年代後半から1870年代前半くらいだという話です」
聞いた話風に慧は言っているが、実際には人形の想いを通して見た定岡藤治郎の姿から年齢を予想してだいたいこのくらいだろうと考えた。
「もしその人形師やその家族が北関東か東北に住んでいたなら、もしかしたら戊辰戦争で子供を失ったかもしれないね。人形師本人は独り身でも甥や姪が居て、可愛がっていることもあるでしょ」
「あ、そうか、自分の子供じゃなくても親戚や親しい人の子供って可能性もありますね。それに、戊辰戦争か……」
1868年から1869年にかけて新政府軍と旧幕府軍による内戦が起こった。これが戊辰戦争だ。
この内戦の死者数は約8千~1万人とされているが、これは両軍の戦闘員(軍人や武士)で徴用された者や民間人は含まれていない。
民間人への虐殺などはなかったとも言われているが、砲撃に巻き込まれたり戦火に焼かれたり、農地や仕事、家などを失い行き倒れて亡くなった民間人は相当数居るだろうことは想像に難くない。
定岡藤治郎は会津出身の人形師で、工房は江戸の日本橋付近に構えていたが、家族や親類は会津やその周辺に住んでいただろう。
そして会津といえば戊辰戦争で直接戦火に塗れた激戦区だった場所だ。
城下町は砲撃によって数多くの家屋が焼け、逃げ遅れた者も少なくないだろう。
もしかしたら定岡の可愛がっていた姉弟はその時に犠牲になったのかもしれない。もっとも、それは慧の想像でしかなく、単に流行病で儚くなった可能性もある。
とはいえ、姉弟の死因は今はあまり関係ないだろう。
「僕の知り合いに日本人形を研究してる人が居るから聞いておいてあげるよ」
「ありがとうございます」
遠野教授がそう言ってくれたので慧は研究室を出た。次に向かったのは図書室だ。
慧の通っている大学は文系が強く、蔵書数はかなり多い。
とりあえず伝統工芸の書籍棚で人形師に関する本を探し、片っ端からページを開くことにした。
「だぁ~! 疲れたぁ!」
閉館時間が過ぎて図書館を追い出された慧が家、神栖古美術店に戻ってきたのは日が暮れてずいぶん経ってからだった。
店の奥の和室に入ると、カバンを放り投げて畳に転がり大きな溜め息を吐く。
『若いくせにだらしない奴じゃなぁ』
市松人形のいっちゃんが呆れたように言う。塗られた胡粉に描かれた顔はピクリとも動かないが。
「若さは関係ねぇよ。何時間も図書館に籠もって資料漁ってたんだ。課題溜め込んだとき以来だよ」
『自慢にもならんな。それで、なにかわかったのか?』
いっちゃんの問いに、慧はしかめっ面で首を左右に振った。
「これっぽっちも進展なし。晩年は会津に工房を移して生涯独身だったことがわかっただけだよ。そもそも姉弟人形の存在自体、資料に残ってなかった」
図書館の膨大な蔵書の中から関連のありそうな百冊近い資料に当たったが、そもそも人形師という職人の資料や記録自体がかなり乏しい上に、定岡藤治郎は弟子も生涯でほんの数人しか居なかった。
人付き合いもあまり得意ではなかったらしく、他の著名な人形師と比べても一次資料も二次資料も圧倒的に少なく、見つかったのは制作した人形の資料の一部だけだった。しかもその作品数自体それほど多くない。
『まぁ、人形師など偏屈な連中ばかりだったからのぅ。いちいち資料など残すような面倒なことはせんだろうな』
いっちゃんがどこか懐かしむような、それでいて呆れたような、そんな口調で笑う。
「とりあえず、真琴姉と三笹さんのほうでなにかわかると良いんだけどな」
慧はそう言いつつ、二人に調べてわかったことをメールで報告しておく。といっても文字にすればたった数行だけだ。
『それにしても、すっかり乗り気で調べておるではないか。やはり真琴に頼まれたからか?』
「そんなんじゃねぇよ」
揶揄うように訊ねるいっちゃんに、慧は鼻を鳴らしながら首を振る。
「そんなんじゃなくて、一人の人形師がさ、理由はわかんないけど幼くして亡くなった姉弟を想って魂込めて作った対の人形が離ればなれなんて悲しいじゃんか」
『ふむ。人形師の想いに応えたいか』
「そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ俺がモヤモヤするってだけ」
『素直じゃないのぅ』
「うっせぇ」
慧は不貞腐れたように言い捨てると、ゲーム機の電源を入れた。




