第2話 人形師-其の弐
「っ!!」
両手で人形の顔に触れた瞬間、慧は眉を顰めて息を止める。
「神栖さん?!」
「大丈夫です。黙って見てて」
貴重な人形に触れて動かなくなった慧に三笹が声を掛けようとしたのを真琴が制止する。
そんなやり取りを、慧はまったく気付く様子は無く、その意識は人形の中に沈み込んでいった。
………………。
男の顔が見える。
年の頃は40代半ばくらいだろうか、月代を大きく剃り頭頂部の後ろ側に小さな髷を結う、いわゆる小銀杏と呼ばれる髪型をしている。
ただ、あまり手入れはされていないのか、月代は少し髪が伸び、髷の形も歪んでしまっている。
この男が人形師なのだろう。細い絵筆の先を人形に向けている。
そしてなにより、男は泣いていた。
男の背後に見える仕事場らしき場所は広く、色とりどりの布や人形作りの素材が大量に置かれていて、職人として十分に成功していることを感じさせた。
そんな男がだらしない姿で、顔を涙と鼻水でドロドロに汚しながら一心不乱に人形に顔を描き込んでいる。
伝わってくるのは圧倒的な悲しみ。そして胸を切り裂くような孤独感だ。
『お千代ぉ、助蔵ぉ』
時折そう呟きながら一心不乱に筆を入れる。
しばらくして男は筆を置き、濡れたままの目でジッと見つめてから人形を置く。そして別の人形を手に取った。
三笹が持ってきたのとは違い、もう少し若い、まだ制作途中ではっきりとはしないが、男の童と思われる、この人形より少しばかり小さな物だ。
男は先程と同じように泣きながらその人形に顔を描き入れていく。
嗚咽を漏らしつつもその筆運びは繊細で、描かれた眉や目は例えようもないほど美しい。
「お千代、助蔵、おまえたちの代わりになるはずもないが、せめて……」
男は書き終えた人形の顔を並べて置き、そう呟く。
その目に映るふたつの顔。
再びあふれ出す涙。
そこにはただただ悲しみと淋しさだけが滲んでいた。
「…………っ」
「慧、大丈夫?」
慧が人形から手を放すと、真琴が気遣わしげに声を掛けてくる。
「ん、問題無いよ」
「あの、いまのは?」
三笹がわけがわからないといった様子で訊ねた。
彼に見えたのは慧が両手で人形の顔に触れ、そして離した。ただそれだけだ。
時間にして数十秒、一分も掛かっていない。
「この人形には対になるもう一体の人形があります。多分、泣くというのはそれを呼んでいるのだと思います」
「は?」
「定岡藤治郎はこの人形と同時にもうひとつ、少し小さい男の童人形を作っていました。造形からして姉弟の像です」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうして君にそんなことがわかんだね?!」
慧の言葉を慌てて遮り、三笹が疑問を口にする。
当然のことだろう。
「慧は、彼は物に籠められた強い想いを見ることができるんです」
「は? え、は……そ、それはまさかサイコメトリーとか言うものですか?」
どこか胡散臭いものを見るような目で三笹は慧に視線を向けるが、見つめられた本人は慣れているようで小さく肩をすくめただけだ。
「お気持ちはわかりますが、そもそも人形が泣くなんてこと自体が常識外のことでしょう? 実際にそういう信じられないことが世の中にはあります。彼にはそういった能力があるということだけ認識していただければ」
真琴にそう言われ、三笠も認めざるを得なかったのだろう。
「そう、ですね。確かに人形が泣くからなんとかしてほしいとお願いしたのはこちらでした。いま考えると、何を馬鹿なことをと一笑に付されてしまうような話です」
三笹はそう言って慧に向き直り、深く頭を下げる。
「失礼な態度を取って申し訳ない」
「い、いえ、信じられないのも当然だと思いますから」
意外な柔軟さに、逆に慧の方が困ったように頬を掻く。
「それで、対の人形があるというお話ですが、それはどういった物なのでしょうか。特徴とか」
「顔と胴体の部分しか見えなかったので特徴は。まだ着物も髪も付いていませんでしたし」
「定岡藤治郎は頭師と着付師を兼ねていましたが、髪付師はまた別に居りましたからね。ですがそうすると衣装もわからないのですね」
「はい。ただ、顔立ちと耳の形はこの人形とよく似ています。それと、定岡藤治郎は人形の面相(顔を描くこと)をしながら何度も人の名前を呟いていました」
「人の名前、ですか?」
「ええ。お千代と助蔵という名です。ひどく悲しんでいたようで、もしかしたら亡くなった子供を悼んで人形を作ったのかもしれないです」
慧の言葉に三笹が首を捻る。
「たしか定岡は生涯独り身で、子供は居なかったはずですが。あ、いや、少し調べてみます。それと、定岡作、あるいはその作風が似ている人形で男の童人形を探してみましょう」
「あと、この人形を少しだけお預かりしてもよろしいですか? もう少し調べてみたいので」
慧の申し出に、三笹は少し考えてから頷いた。
「美術品の受託者賠償保険に加入して居られるのを前提に、委託契約書を交わしていただけるのであれば、私の権限で数日お預けしましょう」
「保険は問題ありません。契約書も」
慧はそう言って奥の棚から契約書類を取り出し、品目と制作者と状態から算出した評価額を記入し三笹に確認してもらう。
古美術商という仕事柄、美術品の修復やオークション出品の依頼を受けるためにあらかじめフォーマットは用意されているのだ。
評価額は三笹の要望で訂正されたものの内容の問題はなく、状態を証明するために十数枚写真を撮って双方で保管する。
全ての手続きを終え、三笹は3日後にまた来ると言い残して帰って行った。
「はぁ~!」
三笹の車が見えなくなるまで見送り、店の扉を閉めると慧は大きな溜め息をついた。そして、奥に行こうと足を踏み出した瞬間、膝がカクッと抜けてふらついたのをすかさず真琴が支える。
「慧、大丈夫?」
「ああ、うん。久しぶりだったからちょっと疲れただけ」
慧の身体を抱えたまま心配そうに顔を覗き込む真琴に、苦笑しつつ首を振る。
「ごめんね、無理させて」
「良いって。真琴姉のことだから人形が泣いてるって聞いて放っておけなかったんだろ?」
実家の神社が人形供養をしているからか、真琴は幼い頃から人形に思い入れが深い。
捨てられた人形を拾って帰ることはしょっちゅうだったし、小学生だった頃、友達が持っていた人形を同級生男子に壊されてしまったときなど、取っ組み合いの喧嘩までしたくらいだ。
人形にはいろいろな人が様々な想いを寄せる。
時にそれが怪異を引き寄せることがあるが、多くは幼い子供を慰め、遊び相手になり、大切に受け継がれていく。
そして様々な事情により別れなければならなくなったとき、丁寧に供養される。
今回も、人形が誰かを呼ぶように、あるいは縋るように泣くと聞き、怪異と呼ぶにはあまりに悲しい事象をなんとかしたくて慧を頼ったのだろう。
ただ、そのための代償は真琴ではなく慧が払う。それが申し訳なさそうに彼を見つめる理由だ。
『おう、客は帰ったようじゃの。っと、邪魔してしまったか』
奥から市松人形のいっちゃんがひょっこり顔を覗かせ、慧と真琴を見てそんなことを言った。
足元がおぼつかなかった慧を支えるために正面から背中に手を回した真琴は、いっちゃんの位置からは抱き合っているようにも見える。
「ち、違うから!」
「き、急に出てくんな!」
一瞬でしんみりした空気は霧散してしまった。
『ふむ。確かにかなりの念が籠もっておるのぉ』
「いっちゃんも感じるよな。ただ、対の人形っていってもなぁ。手がかりがあれば良いんだけど」
「滅失してしまってたら探しようがないわよね」
ふたりが落ち着くのをどこか悪戯っぽく(そんな気配がした)待ってからいっちゃんも鑑定台に置かれた人形の前に立った。
いっちゃんにも慧が見たものと同じものが見え、いや、感じられるようだ。
『無くなってはおらんぞ。今も薄くではあるがもうひとつの人形と繋がっておる。だからこそ呼んでいるのじゃ。難儀なことよ。儂のように動ければ自ら探し回ることもできように』
「人形が夜な夜な徘徊してたら怖いわ! それより、いっちゃんなら繋がりを辿れる?」
『難しいのぉ。近づけばわかるとは思うが』
散逸した美術品を探すのは難しい。
美術館に収蔵されていたり、大学などに保管されていれば目録もあるが、個人が収集したものは知りようがない。
盗難のリスクを避けるため、コレクターは基本的に親しい人以外には自分の収蔵品を見せたりしないからだ。
「とりあえず、慧が聞いた子供の名前から何かわかるかもしれないし、三笹さんが調べるのを待ちましょう」
「俺も大学の教授に聞いてみるよ」
慧と真琴はそう言って小さく息を吐いた。




