表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<長編版>妹に婚約者を譲れと言われたので、慰謝料をもらって旅に出ることにしました   作者: momotarou


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/54

第51話 花の香る玉座の間

 城の午後は、いつもより少しだけ静かだった。


 けれど、その静けさの中に、かすかな緊張があった。


 王宮の一角に、伯爵家の夫人たちが集まり始めている。


 人数は三十人ほど。


 大きな茶会としては多すぎない。


 けれど、ただの私的な集まりとしては、少し多い。


 夫人たちは皆、丁寧に装っていた。


 華美すぎず、しかし軽くも見えない服。


 控えめな宝石。


 落ち着いた色の扇。


 誰もが、王宮に呼ばれた意味を考えているようだった。


「王妃様からのご招待だなんて……」


「ええ。本当に、私どもでよろしかったのでしょうか」


「ご提案がある、とだけ伺いましたけれど」


「ご提案……」


 その言葉が出ると、数人が黙った。


 普通のお茶会なら、もっと柔らかな言葉が使われる。


 季節の花を楽しむため。


 近頃のご様子を伺うため。


 王妃様がご婦人方と親しく語らうため。


 けれど、届いた招待状には、ただこうあった。


 王妃より、ご提案申し上げたいことがございます。


 丁寧な文面だった。


 失礼ではない。


 むしろ、王妃から直接招かれたことは大きな名誉だった。


 それでも、夫人たちは落ち着かなかった。


 王妃からの提案。


 それが、ただの世間話であるはずがない。


 案内役の侍女たちは、夫人たちを丁重に迎えた。


 礼は深く、言葉は柔らかい。


 廊下には余計な兵も立っていない。


 夫人たちは少しずつ表情を和らげた。


「思ったより、穏やかな雰囲気ですわね」


「ええ。叱責されるような場ではなさそうですわ」


「叱責だなんて、なぜそのような」


「だって、王妃様が直々にご提案とおっしゃるのですもの。何か大きなことなのではと……」


「大きなことだからこそ、丁重に迎えてくださっているのかもしれませんわ」


 小声の会話が、絹の衣擦れに混じって流れる。


 夫人たちは互いに笑みを交わした。


 しかし、その笑みはまだ硬い。


 誰もが、隣の夫人の表情を見ていた。


 自分だけが何も知らないのではないか。


 この招待に隠された意味を、他の家はすでに知っているのではないか。


 貴族の社交とは、そういうものだった。


 知らないことは、弱みになる。


 だが、今日この場に集められた夫人たちは、どうやら皆、同じように戸惑っているらしかった。


 それが分かると、少しだけ空気が緩んだ。


 案内の侍女が、静かに進む。


「こちらでございます」


 夫人たちは、その後に続いた。


 歩くほどに、廊下の空気が変わっていく。


 装飾は華やかではなくなり、かわりに重く、厳かになった。


 壁の彫刻。


 高い天井。


 太い柱。


 王宮の奥へ進んでいるのだと、誰もが感じた。


 一人の夫人が、ふと小声で言った。


「こちらに、庭園などございましたかしら」


「いいえ……少なくとも、私は存じませんわ」


「では、どちらへ向かっているのでしょう」


 別の夫人が、扇で口元を隠しながら周囲を見回した。


「こちらは、たしか……」


 その声が、途中で止まる。


 前方に、大きな扉が見えた。


 背の高い、重厚な扉だった。


 両側には衛兵が立っている。


 ただし、剣を抜いているわけではない。


 礼装に近い姿で、静かに控えていた。


 夫人たちは足を止めた。


「ここは……どこですの?」


「まさか」


「確か、玉座の間では……」


「玉座の間?」


 小さなどよめきが起こった。


 玉座の間。


 王が立つ場所。


 重臣たちが集まり、国の行く末を話し合う場所。


 貴族の男たちが、王の前で政治を語る場所。


 夫人たちが、お茶を飲むために招かれる場所ではない。


「お茶会、ですわよね」


「そのはずですわ」


「玉座の間で、お茶会など……」


「何か、私どもが知らぬうちに大きなことがあったのでしょうか」


 夫人たちの顔から、血の気が引いていった。


 先ほどまでの安心は、すぐに消えた。


 玉座の間の前に立たされる。


 それだけで、自分たちがただの客ではないのだと分かる。


 何かを聞かされる。


 何かを選ばされる。


 あるいは、何かに巻き込まれる。


 そう感じた夫人もいた。


 しかし、今さら帰ることはできない。


 王妃に招かれて、玉座の間の前まで来たのだ。


 ここで逃げる方が、よほど恐ろしい。


 案内役の侍女が、夫人たちへ向き直った。


「皆様、どうぞ中へお進みください」


 その声を合図にしたように、内側から扉が開いた。


 重い扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。


 夫人たちは息を呑んだ。


 そこに現れたのは、荘厳な玉座の間だった。


 高い天井。


 磨かれた大理石の床。


 太く白い柱。


 奥へまっすぐ続く赤い絨毯。


 その先にある、王の座。


 誰もが知っている。


 誰もが遠くから畏れていた場所。


 けれど、今日の玉座の間は、いつもと違っていた。


 花の香りがした。


 白と淡い紫の花が、柱の間に控えめに飾られている。


 華やかではあるが、甘すぎない。


 王の間の威厳を壊さないように、けれど確かにそこを柔らかく変えていた。


 壁際には、立食用の小さな卓が置かれている。


 銀の皿には、軽食が美しく並んでいた。


 小さな焼き菓子。


 薄く切られた果実。


 香草を添えた肉の一口料理。


 透き通るようなゼリー。


 軽食とはいえ、どれも手の込んだものだった。


 茶器も並んでいた。


 ただ可愛らしいだけではない。


 品のある白磁に、細い金の縁取り。


 王宮の茶会にふさわしい品格があった。


 夫人たちは、しばらく動けなかった。


 玉座の間。


 けれど、花がある。


 茶器がある。


 軽食がある。


 王の政治の場が、王妃の茶会の場に変わっている。


 その意味を、全員がすぐには理解できなかった。


「本当に……ここで?」


「玉座の間ですわ」


「でも、お茶会の用意が……」


「どういうことでしょう」


 小声が揺れる。


 不安と驚き。


 好奇心。


 そして、少しの高揚。


 普段なら決して足を踏み入れない場所に、自分たちは招かれた。


 夫はここに入ったことがあるかもしれない。


 父や兄は、ここで王の言葉を聞いたことがあるかもしれない。


 けれど、自分たちは違う。


 女だから。


 夫人だから。


 政治の場から遠い者だから。


 その自分たちが、今日、ここへ招かれている。


 案内役の侍女たちは、夫人たちを丁重に中へ導いた。


「どうぞ、こちらへ」


「お席は自由でございます。王妃様のお言葉の前に、お茶を召し上がってお待ちくださいませ」


 その言葉に、夫人たちはさらに戸惑った。


 玉座の間で、自由に歩いてよい。


 玉座の間で、茶を飲んでよい。


 それは、貴族の夫人たちにとって不思議な感覚だった。


 許されているのに、足がすくむ。


 歓迎されているのに、緊張する。


 何人かの夫人が、そっと茶器へ近づいた。


 別の夫人は、花を見上げた。


 また別の夫人は、奥の玉座を見て、すぐに目を伏せた。


 その時だった。


 玉座の側で、侍女たちが静かに動いた。


 夫人たちのざわめきが、少しずつ収まっていく。


 誰かが気づいた。


 奥の方。


 玉座のすぐ側。


 赤い絨毯の先に、人影が見えた。


 夫人たちは、一斉に姿勢を正した。


 王座に座っている者はいない。


 けれど、その側から、ゆっくりと一人の女性が現れた。


 王妃エレノアだった。


 白に近い淡い銀色のドレス。


 過度な装飾はない。


 けれど、胸元と袖口に細く入った刺繍が、光を受けて静かに輝いている。


 頭上には、王妃の冠。


 大きすぎない。


 しかし、誰が見ても王妃のものだと分かる冠だった。


 エレノアは玉座に座らなかった。


 玉座を背にすることもなかった。


 ただ、その側から現れ、夫人たちの方へ歩いてきた。


 王の座を奪うのではない。


 けれど、王家の意志を背負っている。


 そう見えた。


 夫人たちは、深く礼をした。


 衣擦れの音だけが、玉座の間に広がる。


 エレノアは、夫人たちを見渡した。


 若い。


 そう思った夫人もいた。


 けれど、誰も口にはしなかった。


 若い王妃は、逃げるようには見えなかった。


 その顔には緊張があった。


 けれど、怯えではない。


 苦手な場所へ、自分の足で出てきた者の顔だった。


 エレノアは、静かに口を開いた。


「皆様、本日はお越しくださり、ありがとうございます」


 声は大きすぎなかった。


 しかし、玉座の間によく通った。


「驚かれたことでしょう。王妃のお茶会と聞いて、この場所へ案内されるとは、お思いにならなかったはずです」


 夫人たちは、誰も答えなかった。


 けれど、その沈黙が答えだった。


 エレノアは、わずかに微笑んだ。


「今日は、ただ季節の花を楽しむためだけに、皆様をお招きしたのではありません」


 その一言で、空気がまた張り詰めた。


 夫人たちの手が、扇の上で止まる。


 エレノアは続けた。


「私は、皆様にご提案したいことがございます」


 玉座の間に、花の香りが満ちていた。


 けれど、そこはもう、ただの茶会の場ではなかった。


 男たちが国を語ってきた場所で。


 今、女たちが、国の未来について聞こうとしていた。


不定期更新ですが少しづつ書いていきます。

個人的には歴史小説の方が書きやすいので「ファラオ クレオパトラ」を新たに書き始めました。

クレオパトラの人生は、私が思っていた以上に荒波のような人生でした。よければお読みください。

https://ncode.syosetu.com/n5680mk/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ