第48話 王妃の責任
私は、暗い闇の中でレオンハルト様を探し続けていた。
声を出そうとしても、声が出ない。
王宮の中。
執務室。
秘密基地。
森。
どこを探しても、レオンハルト様が見つからない。
どこにもいない。
「レオンハルト様!」
そう叫んで、私は飛び起きた。
冷や汗が流れていた。
夢だったのか。
私は荒い息をしながら、周囲を見回した。
いつの間にか、二人の愛の巣のベッドに寝かされていた。
寝間着姿だった。
誰かが着替えさせてくれたのだろう。
そうだ。
レオンハルト様が。
そう思った瞬間、胸が跳ねた。
けれど、そばにいたのは侍女だった。
私は叫んだ。
「レオンハルト様は!」
侍女は驚いたように顔を上げ、すぐに深く頭を下げた。
「陛下は回復されております。ご安心ください」
回復した。
回復した。
安心していい。
その言葉が、ようやく胸の奥に届いた。
体から、急に力が抜けそうになった。
それでも私は、必死に息を整えて尋ねた。
「陛下の容態は」
「もう大丈夫とのことです。ただ、意識がまだ朦朧としておられるようです。毒は体から抜けておりますので、数日で回復されるとのことでした」
数日で回復する。
その言葉に、私は目を閉じた。
生きている。
レオンハルト様は、生きている。
すぐに行きたいと思った。
今すぐそばに行って、手を握って、声を聞きたかった。
けれど、私を見れば、レオンハルト様は無理に元気なふりをするかもしれない。
私を安心させようとして、笑うかもしれない。
あの人なら、きっとそうする。
少しだけ。
隙間から見るだけなら、いいだろうか。
でも、見たら絶対にそばへ行きたくなる。
私の悪い癖だ。
こんな時にまで、余計なことを考えてしまう。
侍女が言いにくそうに口を開いた。
「王妃様。とても言い難いことなのですが……エーレンフェルト公爵が、王妃様に会わせろと宮殿に来ております。どういたしましょうか」
少しずつ、昨日のことが思い出されてきた。
イザベラ上王妃の住まいへ押し入ったこと。
兵を連れて行ったこと。
指を折ると言ったこと。
顔の皮を剥ぐと言ったこと。
解毒薬を奪うようにして持ち帰らせたこと。
私は、くすりと笑ってしまった。
侍女が驚いた顔をした。
レオンハルト様は生きている。
それだけで、私の心は満たされていた。
昨日の私は、本当にどうかしていた。
上王妃様が犯人だったからよかった。
けれど、もし犯人でなければ。
そう思うと、今さら体が震えた。
レオンハルト様が言うように、人は大切なものを失いかけると、理性だけでは抑えられない。
今になって、七人の国心卿で国を動かすというレオンハルト様の考えが、少し分かった気がした。
一人の心が壊れた時、国まで一緒に壊れてはいけないのだ。
私は、やはり王妃には向いていないのかもしれない。
このまま王妃でいても、レオンハルト様の迷惑になる。
そう思った。
私は息を整えた。
「分かりました。会いましょう。しばらく待つように言ってください」
侍女が目を見開いた。
「私が会うことは、陛下に言ってはだめです。エーレンフェルト公爵が来ていることも、陛下の耳に入れるのは厳禁としておいてください」
「かしこまりました」
私は立ち上がった。
侍女たちが湯浴みと着替えのために動き出す。
体は重かった。
目も腫れている。
喉も痛い。
胸の奥も、まだ震えている。
それでも、会わなければならない。
私が部屋を出ると、扉の前にガイが仁王立ちしていた。
寝ていないのだろう。
目の下に影があり、大きな肩にも疲労が見えた。
「ガイ、昨日はありがとう」
私が声をかけると、ガイは驚いたように背筋を伸ばした。
「王妃様。私は職務をまっとうしただけです」
ガイは本当に賢い。
自分の立場と、相手の立場を考えて話せる。
そして、もう言葉も滑らかだった。
「王妃の命令です。休みなさい」
ガイは嫌そうな顔をした。
「しかし」
「休みなさい」
もう一度言うと、ガイは少しだけ視線を落とした。
「分かりました」
素直に礼をして、大きな肩をふらつかせながら歩いていく。
不器用で、真面目な青年だ。
そう改めて感じた。
その先に、ロイドさんも立っていた。
ロイドさんも寝ていないのだろう。
目が赤い。
「王妃様。エーレンフェルト公爵と会うのはおやめください」
開口一番、そう言われた。
「私があとから陛下に叱られます」
「陛下に、公爵が来たことは伝えていませんね」
「ご心配なく。それは誰にも伝えるなと言っております」
「なら、問題ありません。会いに行きます」
「お考え直しください。昨日の王妃様は、さすがにやりすぎです」
「分かっています」
「それを口実に、無理難題を王妃様に言うかもしれません」
私は少し考えた。
「たぶん、それはないでしょう。私が真実を言わないか、確認に来たのだと思います」
ロイドさんの眉が動いた。
「エーレンフェルト公爵は、かなり厄介な人です。何か別のことで責めるかもしれません」
厄介。
その言葉で、私はくすりと笑ってしまった。
レオンハルト様以外にも、厄介な人がいるのだ。
偉い人は、みんな厄介になるのだろうか。
「会わないと分からないので、私は会います」
ロイドさんは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「分かりました。私も同席します」
「ありがとう」
私はロイドさんを見た。
「いつかは、失礼なことを言ってすみませんでした。本当に陛下を思ってくださるのですね」
ロイドさんは、一瞬だけ目を瞬かせた。
「私は陛下を尊敬しています。大好きです」
本当に面白い人だ。
レオンハルト様も、ロイドさんといると何でも相談できるのだろう。
私は少しだけ、心が軽くなった。
部屋に入ると、エーレンフェルト公爵と、数人の貴族が控えていた。
エーレンフェルト公爵は無表情だった。
昨日、玉座の間で見た時と同じように、背筋を伸ばし、冷たい顔をしている。
「エーレンフェルト公爵殿。私に会いたいとは、何用でしょうか」
公爵はゆっくりと口を開いた。
「王妃陛下は、昨日の騒動をお忘れですか」
「いいえ。覚えています」
私は静かに答えた。
「間違ったことをしたと反省しています」
エーレンフェルト公爵の顔が、わずかに緩んだ。
私が簡単に折れると思ったのだろうか。
「上王妃の住まいに押し入り、指を折る、顔の皮を剥ぐなどと暴言を吐かれたのは本当ですか」
「本当です」
ロイドさんが何か言いたそうにした。
私は手ぶりで止めた。
「私のような者が、無礼を働いたと反省しています」
公爵の目が細かく動いた。
この人は、何をしに来たのだろう。
私は大きな間違いを犯した。
けれど、陛下を殺そうとした罪に比べれば軽い。
イザベラ上王妃は、この方の妹だった。
妹に泣きつかれて来たのだろうか。
それとも、ついでに私の力量を探りに来たのだろうか。
それだけ?
レオンハルト様の厄介さには、とても及ばない。
そう思うと、私はまた、くすりと笑ってしまった。
公爵の眉が動いた。
「何がおかしいのですか」
「失礼しました。陛下が回復されて良かったと思っただけです」
「陛下はご病気だったのですか」
「はい。無事に回復されて、私も安心しました」
この方は、毒の件を上王妃から聞いていないのかな。
あの騒動だ。さすがに何も知らないとは思えない。
なるほど。
私は思い出した。
私は、イザベラ上王妃に言った。
毒の件はなかったことにします。
私を自由に裁きなさい、と。
まあ、いいか。
「私に、どうしろと言われるのですか」
「王妃陛下に対して、私が何か指図することはできません」
公爵は淡々と言った。
「ですが、上王妃に無礼を働いた者を、厳罰に処すことをお約束いただきたい」
なるほど。
私の仲間が標的なのか。
でも、そうなると少し違う。
「上王妃様には、私を自由に裁きなさいと言いました。ですが、その者たちは私の指図で動いただけです。責任があるのは私です」
「ならば、責任はどう取られるのですか」
私は一瞬、黙った。
王妃など、やはり私には無理だと思った。
けれど、私がいなくなれば、レオンハルト様が暴君になるかもしれない。
王妃は、辞められない。
「私は王妃ですが、陛下の家臣でもあります。私の一存では決められません」
公爵の目がわずかに鋭くなった。
「では、陛下から厳正に罰を受ける、ということでよろしいでしょうか」
なるほど。
少し厄介な人だ。
「はい。そのつもりです」
私はまっすぐに答えた。
そして、少しだけ話を変えた。
「エーレンフェルト公爵家は、ルーベル王国建国の時に、最も貢献された家だと聞いています」
「それが何か」
「武に優れた家だとも聞いています。多くの敵を倒したのでしょう」
公爵の顔に、誇りが浮かんだ。
「王妃陛下は、よくご存じですね。その通りです」
「ならば」
私は静かに言った。
「住まいに押し入り、指を折る、顔の皮を剥ぐなどと言ったことは、まだかわいい脅しとは思われませんか」
部屋の空気が変わった。
ロイドさんが固まった気配がした。
公爵の顔色も変わった。
私は続けた。
「武でこの国を作り上げた祖先の方々に、笑われませんか」
「王妃陛下」
公爵の声が低くなった。
「愛する人が死にそうな時に、どれだけ冷静でいられる人がいるのでしょうか」
私は公爵を見つめた。
「私は過ちを犯しました。約束は守ります。陛下から罰を受けるつもりです」
そこで、一度だけ息を吸った。
「でも、被害は、扉が壊れて、かわいい脅しで、陛下の命が助かったのです」
エーレンフェルト公爵の顔色が、明らかに変わった。
「そのような詭弁でごまかすのですか」
「私は事実を言っているだけです」
「王妃陛下」
「私は、陛下に正しく裁いてもらうと言っているだけです」
その時だった。
拍手の音がした。
乾いた音が、部屋に響いた。
痩せ細った人が、ゆっくりと入って来る。
エーレンフェルト公爵の顔が驚きに変わった。
「上王陛下。なぜこのような場所に。お体に差し障りはないのですか」
私は息を呑んだ。
この方が、上王陛下。
そして、そばで支えている女性が、レオンハルト様のお母様なのだろう。
挨拶をしようとした。
けれど、上王陛下は手でそれを制した。
「挨拶はよい。私の話だけ聞け」
その声は弱かった。
けれど、誰も逆らえない力があった。
上王陛下は、エーレンフェルト公爵を見た。
「エーレンよ。息子が死にかかったのだ。お前が来ていると聞いて、来た」
エーレンフェルト公爵の顔から、血の気が引いた。
「上王陛下、私は」
「お前は、妹のこととなると分別がなくなる」
上王陛下は、静かに言った。
「王妃が、なかったことにすると言っているものを、蒸し返すとは」
公爵の口が閉じた。
「私は、イザベラのやったことを知っている」
「あれは何も考えていない。感情だけで動く」
「イザベラは、自分のしでかした重大さが分かっておらぬ」
その言葉で、部屋の空気が凍った。
「上王陛下」
エーレンフェルト公爵から、笑みが消えた。
指先が、わずかに震えている。
「妹と家を取り潰されたくなければ、私の前から消えろ」
部屋の中が静まり返った。
エーレンフェルト公爵は、何かを言おうとして口を開いた。
けれど、上王陛下の視線を受けて、言葉を飲み込んだ。
「上王陛下。私は妹に騙されていたようです。この件は、すべて忘れます」
上王陛下は、もう何も言わなかった。
ただ、手を振った。
それだけで、十分だった。
エーレンフェルト公爵たちは、逃げるように去っていった。
部屋に静けさが戻る。
上王陛下は、今度は私を見た。
鋭い眼光だった。
たぶん、立っているだけでもつらいのだろう。
話すことさえ、体に障るのかもしれない。
それでも、上王陛下はここへ来た。
「エレノア」
初めて、名を呼ばれた。
「大したものだ。今のやり取りは聞いておった」
私は何も言えなかった。
褒められているのか、叱られているのか、分からなかった。
上王陛下は、ゆっくりと息を吐いた。
「レオンハルトのことを頼む」
それだけだった。
それだけ言うと、上王陛下は支えている女性に向かって言った。
「疲れた。帰ろう」
女性は、私に深く礼をした。
「息子を助けていただき、王妃様には感謝の言葉もありません」
穏やかな声だった。
けれど、その目は少し赤かった。
この方も、ずっと心配していたのだ。
そう思うと、胸が痛くなった。
二人は、ゆっくりと歩き出した。
本当に、仲が良さそうだった。
私は、かける言葉が分からなかった。
だから、深くお辞儀をした。
そういえば、ロイドさんがいた。
振り返ると、ロイドさんは固まっていた。
私は、やはりレオンハルト様に会いに行こうと思った。
不定期更新ですが少しづつ書いていきます。
個人的には歴史小説の方が書きやすいので「ファラオ クレオパトラ」を新たに書き始めました。
クレオパトラの人生は、私が思っていた以上に荒波のような人生でした。よければお読みください。
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