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《完結》事象を解く者は、ただ静かに眠りたい ~絶対零度の公女と歩む、箱庭スローライフ~  作者: ひより那
眠りの美女

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第8話 白銀の騎士と、解呪される忠誠

 幻耀げんようの廃都に、静かで穏やかな午後が訪れていた。

 心地よい微風が結晶化した木々を揺らし、涼やかな風鈴のような音色を奏でている。ヴィデは神殿跡の最も日当たりの良い場所に寝転がり、灰色の外套を毛布代わりにして深い微睡みの中にいた。

 その傍らで、ラヴィーネ・イル・フェルマータは、ヴィデが毒を抜いてくれた泉の水を使い、手近な布の汚れを落としていた。

 十年間、国を守るための人柱として、己の命を擦り減らすことしか知らなかった彼女にとって、こうして誰かのために手を動かし、日々の些細な営みを行うことは、何よりも得難い幸福だった。


 ――しかし、その透き通るような静寂は、無骨な金属音と馬の嘶きによって唐突に破られた。


 神殿跡の入り口へと続く結晶の敷石を、数十の蹄が乱暴に踏み砕く音が響く。

 ラヴィーネは手を止め、音のする方へと視線を向けた。

 そこに現れたのは、宵の玻璃国(ヴィルカテーナ)の王都から派遣されたであろう、白銀の重鎧に身を包んだ精鋭たち――『王属特務騎士団』の姿だった。先頭を走る馬には、案内役として引き立てられたであろう黒曜の砦の守備隊長の姿もある。

 彼らの顔には一様に、国を背負う者特有の悲壮な覚悟と、得体の知れない存在に対する強い警戒心が刻み込まれていた。


「……見つけました。ラヴィーネ様です!」


 守備隊長が声を上げると、騎士団の先頭にいた白銀の甲冑の男――騎士団長が、馬から飛び降り、剣の柄に手をかけたまま鋭い足取りで中庭へと踏み込んできた。

 彼の鋭い視線が、泉の傍らに立つラヴィーネと、その奥で呑気に寝転がっているヴィデを捉える。


「おお……ご無事でしたか、凍霞とうかの公女殿下! こんな魔境の奥深くにまで連れ去られるとは……。ですが、もうご安心ください。我々王属特務騎士団が、貴女様を惑わす悪魔を討ち果たし、必ずや王都へとお連れいたします!」


 騎士団長は高らかに宣言し、背後の騎士たちも一斉に剣を抜き放った。

 彼らにとって、この状況は明確だった。国家の至宝であり、絶対防衛線の要である公女が、得体の知れない男に洗脳され、魔境に拉致されたのだ。国家の存亡を懸け、何としてでも彼女を奪還し、再びあの『絶凍の塔』の術式へ繋ぎ止めなければならない。

 それが、彼らの信じる正義であり、国家への絶対的な忠誠だった。


「……剣を収めなさい、騎士団長」


 静かだが、凛とした声が響いた。

 ラヴィーネの言葉に、騎士団長は一瞬だけ歩みを止めた。

 かつての彼女であれば、王都の使者の前で身を縮め、己の存在価値を証明するために、自ら進んで彼らの用意した鎖に首を差し出していただろう。


 しかし、今の彼女は違った。彼女は堂々と胸を張り、数十の刃を前にしても一歩も引かず、むしろヴィデを庇うように彼の前に立ち塞がったのだ。


「私は誰に洗脳されたわけでも、連れ去られたわけでもありません。私自身の意志で、彼と共にこの場所に来たのです」

「なっ……何を仰るのですか、殿下! 貴女様は我が国の守護者! 貴女様が『宵の防壁』を維持しなければ、我が国は瘴気に呑まれ滅びてしまうのですよ!」

「国が滅びるかもしれないという恐怖は、痛いほど理解しています。……ですが」


 ラヴィーネは、背後で微かな寝息を立てている青年の横顔を、愛おしそうに振り返った。


「私はもう、あの冷たい塔には戻りません。命を削り、誰の温もりも知らずに死んでいくのは……もう、やめにします。私は、この方と共に生きます」


 それは、国家に対する明確な反逆の意志だった。

 公女という立場を捨て、一人の少女としての生を掴み取るという、血を吐くような決断の証明。騎士団長は驚愕に目を剥き、やがてその顔を激しい怒りに歪ませた。


「……もはや、まともな判断能力すら奪われているというのか。おのれ、貴様ァッ!!」


 騎士団長の怒りの矛先が、完全にヴィデへと向いた。

 国を思うが故の、純粋で狂気的なまでの使命感。彼ら騎士団の全員から、ヴィデを八つ裂きにせんとする凄まじい殺気が立ち上り、廃都の空気をビリビリと震わせた。


「かかれッ! 悪魔を細切れにして、公女殿下をお救いしろ!」


 団長の号令と共に、数十名の騎士が一斉に地面を蹴り、ヴィデに向かって殺到しようとした。

 物理的な刃だけではない。彼らの背後では、支援の魔術師たちが高度な攻撃魔術の詠唱を完了させ、灼熱の炎や真空の刃が解き放たれようとしていた。


「だめっ……ヴィデ!」


 ラヴィーネが叫びを上げたと同時。


 ふあぁ、と。場違いなほど間の抜けた欠伸の音が、騎士たちの怒声と魔術の駆動音を完全に塗り潰して響き渡った。


「……うるさいな、本当に」


 ヴィデが、面倒くさそうに体を起こした。

 彼は目を擦りながら、殺到してくる騎士団の姿をぼんやりと見つめた。

 死の危険が迫っているというのに、彼の瞳には一切の緊張感がない。ただ「日向ぼっこを邪魔された」という、極めて日常的な不満だけが浮かんでいた。


「なんで人間というのは、こうもすぐ徒党を組んで、大声を出して突っ込んでくるんだ。もう少し静かに歩けないのか」

「黙れ悪魔ァッ!」


 騎士団長が大きく跳躍し、ヴィデの脳天めがけて大剣を振り下ろす。だが、その刃がヴィデに届くことはなかった。


「君たちもだ。見えない糸をガチガチに絡ませて、息苦しくないのか」


 ヴィデは座ったまま、右手の指先をほんの少しだけ動かした。

 空間に向かって、絡まった毛糸玉をほぐすような、そんな何気ない仕草。


 パチン、と。廃都の静寂の中に、極めて小さな音が弾けた。


 その瞬間、世界が裏返った。


「……え?」


 騎士団長が間抜けな声を漏らした。

 振り下ろそうとしていた彼の大剣が、空中で砂のように崩れ落ちたのだ。それだけではない。彼が身につけていた白銀の重鎧も、後続の騎士たちが構えていた槍も、魔術師たちが練り上げていた魔法陣も。全てが、音もなく細かい魔力素の粒子となって空中に霧散した。


「な、なんだこれは……ッ!?」


 しかし、本当に恐ろしいのは物理的な武装の解除ではなかった。

 騎士団長は着地すると同時に、膝から崩れ落ちて地面に手をついた。彼の背後にいた騎士たちも、次々と武器を失った手をだらりと下げ、その場にへたり込んでいく。

 彼らの顔から、先程までの凄まじい怒りや、悲壮な覚悟、国を背負うという狂気的な使命感が、綺麗さっぱり消え失せていたのだ。


「あれ……? 俺たち、何でこんなに怒ってたんだっけ……?」

「さあ……。公女殿下を連れ戻さないと国が滅びるって、必死になってたはずだけど……なんだか、どうでもよくなってきたな」

「あー、肩が軽い。重鎧なんて着てるから肩が凝るんだよな……」


 彼らの口から漏れたのは、毒気を抜かれたような、拍子抜けするほど間延びした言葉だった。

 ヴィデが『解いた』のは、武具や魔術という物理的な事象だけではない。

 彼らの魂に深く絡みつき、彼らを縛り付けていた『国家への過剰な忠誠心』や『強迫観念』という名の結び目すらも、根こそぎ解きほぐしてしまったのだ。

 洗脳ではない。狂気を孕んだ緊張状態を強制的に解除され、極端にリラックスした素の状態に戻されただけである。しかし、戦意を保つための『芯』を失った彼らは、もはや一人の戦士としては機能しなくなっていた。


「……」


 ラヴィーネは、武装を失い、ぽかんとした顔で座り込んでいる騎士たちを見て、言葉を失った。

 王都の精鋭部隊が、一滴の血も流さず、恐怖すら与えられず、ただ「憑き物が落ちたように」無力化されてしまった。


「よし、これで静かになった」


 ヴィデは満足げに頷くと、再び結晶苔の上に横たわり、外套を被った。


「おい、そこの連中。そこら辺に生えている紫の果実は毒を抜いてあるから、適当に食って休んだら帰れ。俺はもう少し寝る」


 そう言い残すと、彼は数秒も経たないうちに規則正しい寝息を立て始めた。

 殺意に満ちていた空間が、一瞬にして平和なピクニックの会場のような緩い空気に支配されていく。

 ラヴィーネは、そのあまりにも理不尽で、しかし誰よりも優しい青年の寝顔を見つめながら、静かに、本当に静かに微笑んだ。

 もう、彼女を縛るものは何もない。この絶対的な平穏の隣こそが、彼女が自ら選び取った居場所なのだと、改めて確信したのだった。


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