表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《完結》事象を解く者は、ただ静かに眠りたい ~絶対零度の公女と歩む、箱庭スローライフ~  作者: ひより那
眠りの美女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/26

第4話 黒曜の砦と、解れる刃

 黒曜の砦。それは、宵の玻璃国(ヴィルカテーナ)の北方を守護する最大の軍事拠点であり、『宵の防壁』を突破した外敵を物理的に迎え撃つための最後の砦であった。

 常時数百名の精鋭が駐屯し、巨大な魔力砲と重装歩兵の厚い壁が、黒光りする城壁の向こうに控えている。ここは、常に死の臭いと張り詰めた緊張感が漂う場所だ。


 その堅牢な正門の前に、唐突に現れた一組の男女。

 門衛として立っていた二人の重装歩兵は、最初は目を疑った。転移魔術の光も、接近を知らせる警報魔導具の反応も一切なかった。文字通り、何もない空間から『歩み出てきた』ように見えたのだ。


「な、何者だッ!?」


 一人の兵士が鋭く叫び、身の丈ほどもあるハルバードを構えた。もう一人も慌てて抜刀し、警戒の態勢をとる。無理もない。ここは最前線であり、何の前触れもなく現れた者は、魔族の尖兵か敵国の刺客と相場が決まっている。


「止まれ! それ以上近づけば斬る! 所属と目的を明かせ!」


 兵士の怒声が砦の周囲に響き渡り、城壁の上からも弓兵たちが次々と矢をつがえ始めた。

 一触即発の空気。しかし、その殺意の矛先を向けられた青年――ヴィデは、ハルバードの切っ先を鼻先に突きつけられても、全く意に介する様子がなかった。


「……随分と物騒な出迎えだな」


 ヴィデは腕の中にいるラヴィーネを見下ろした。


「ここが食堂だと言ったのは君だろう。まさか、飯を食う前に刃物を向けられるのがこの国の作法なのか?」

「ち、違います……っ!」


 ラヴィーネは慌ててヴィデの腕の中で身じろぎした。

 彼女の顔は蒼白だった。このままでは、兵士たちがヴィデに斬りかかり、逆に彼の手によって全滅させられてしまうかもしれない。

 彼女は『凍霞の公女』だ。国を守るために命を捧げるはずだった自分が、自国の兵士を巻き添えにして死なせるわけにはいかなかった。


「待って! 武器を収めなさい!」


 ラヴィーネは、十年間使っていなかったはずの、しかし骨の髄まで染み込んでいた『上に立つ者』としての威厳を振り絞り、凛とした声を張り上げた。

 その声は、虚弱な体から発せられたとは思えないほどよく響いた。

 兵士たちの動きがピタリと止まる。彼らは、煤けた外套を着た見知らぬ青年の腕に抱かれている少女の顔を、初めてまじまじと見た。

 透き通るような銀糸の髪。氷晶のように冷たく、しかし意思の強い青い瞳。そして、王族の流れを汲む者だけが持つ、特有の魔力の波長。


「……まさか」


 ハルバードを構えていた兵士の顔から、さぁっと血の気が引いていくのがわかった。

 黒曜の砦に配属された者であれば、誰もが知っている顔だ。いや、直接見たことはなくとも、その肖像画は砦の司令室に飾られている。

 国家防衛の要であり、決してあの『絶凍の塔』から出ることのないはずの、生きた人柱。


「ら、ラヴィーネ様……? 凍霞の公女殿下、でいらっしゃいますか……!?」


 兵士の声は震えていた。

 信じられない、というより、信じたくないという響きだった。

 公女が塔から出たということは、結界が破られたことを意味する。それは即ち、国家の滅亡の始まりに他ならないからだ。


「そうです。急ぎ、守備隊長へ報告を。結界は――」


 ラヴィーネが事態を説明しようとした、その時だった。

 砦の奥から、けたたましい足音とともに、重装甲の騎士が数名、慌ただしく駆けつけてきた。先頭を走るのは、砦の守備隊長である壮年の男だ。


「何事だ! 公女殿下とお呼びしたか!?」


 隊長は息を切らしながら門前に現れ、ヴィデの腕の中にいるラヴィーネを見て絶句した。


「おお……なんと。本当に、ラヴィーネ様……。しかし、なぜこのような場所に……いや、それよりも!」


 隊長の鋭い視線が、ラヴィーネを抱き抱えているヴィデへと向けられた。彼の目には、警戒と、明らかな敵意が宿っていた。


「貴様、何者だ。公女殿下を攫った魔の者か? それとも、結界を破った賊か! 殿下から手を離せ!」


 隊長が剣を抜き放つと同時に、周囲の兵士たちも再び殺気を立ち上らせた。

 公女が塔を出たという異常事態。そして、見ず知らずの不審な男が彼女を抱えているという状況。軍人として、彼を敵と見なすのは当然の判断だった。


「やめて! 彼は敵ではありません!」


 ラヴィーネは叫んだが、極度の緊張状態にある兵士たちには届かなかった。

 隊長が剣を上段に構え、ヴィデに向かって踏み込もうとする。


「問答無用! 公女殿下をお救いしろ!」

「……はぁ」


 ヴィデは、大仰なため息をついた。

 彼にとっては、兵士たちの殺気も、国家の危機も、ただの騒音でしかない。

 隊長の剣が振り下ろされる直前。ヴィデは、ラヴィーネを抱いていない方の手――右手を、無造作に前方へ差し出した。


「飯の前に、埃を立てるな」


 彼が指先を軽く弾いた。


 パチン。


 乾いた音が、一つだけ響いた。

 次の瞬間、隊長が振り下ろそうとしていた鋼の長剣が、まるで砂で作られていたかのように、音もなく崩れ落ちた。

 刃だけではない。柄も、鍔も、全てが細かな鉄の粒子となって、風に舞って消えていく。


「な、に……!?」


 隊長は、何も握っていない自らの右手を呆然と見つめた。

 驚愕はそれだけでは終わらなかった。

 ヴィデを囲んでいた兵士たちの武器――ハルバードの刃、弓の弦、腰の短剣――その全てが、全く同じように崩壊し、ただの金属の粉と化してしまったのだ。

 魔力による破壊ではない。熱で溶かしたわけでもない。それは、物質の結合という『結び目』を解かれただけだった。


「……っ!」


 砦の前に、完全な静寂が落ちた。

 数百人の兵士が武装を解除され、誰一人として指一本動かすことができない。

 圧倒的な力。いや、力の行使ですらない。次元が違いすぎるのだ。


「これで静かになった」


 ヴィデは満足げに頷くと、再びラヴィーネを見下ろした。


「で、食堂はどこだ? 早く案内してくれ。俺はもう、本当に腹が減っているんだ」

「あ……えっと……」


 ラヴィーネは、完全に言葉を失っていた。

 先程まで自分に向けられていた無数の刃が、一瞬にして消え去った光景。

 この男は、本当に規格外だ。しかし、同時に彼女は気づいていた。

 彼は誰も傷つけていない。ただ、自分に向けられた敵意の『原因』だけを取り除いたのだ。


「……案内、します」


 ラヴィーネは小さく深呼吸をし、隊長に向かって毅然と言い放った。


「隊長。状況は後で説明します。まずは……彼に、食事を。ここは、そういう場所でしょう?」

「は、ははっ……!」


 隊長は、恐怖と混乱に引き攣った顔で、ただ深く頭を下げることしかできなかった。

 黒曜の砦という堅牢な要塞が、ただ一人の青年の『空腹』の前に、完全に屈服した瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ