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《完結》事象を解く者は、ただ静かに眠りたい ~絶対零度の公女と歩む、箱庭スローライフ~  作者: ひより那
白紙の創世

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第22話 白紙の理と、刻まれる絶対法則

 天空の庭園アルカディアの回廊に並ぶ、三つの石の扉。

 その向こう側に広がる白紙の虚無は、ヴィデの指先とラヴィーネ・イル・フェルマータの魔力によって、少しずつ、しかし確実に色彩を帯びた新しい世界へと生まれ変わりつつあった。

 一つ目の扉の向こうには、透き通る波の音と星海月たちが跳ね回る海が。二つ目の扉の向こうには、ふかふかの苔と純白の鹿が微睡む、木漏れ日の森が広がっている。

 庭園の時間は止まったままだが、扉の向こうの新世界には確かな生命の息吹が満ち、彼らはヴィデを父、ラヴィーネを母と慕うように、穏やかな生態系を築き始めていた。


「……見事なものだ」


 庭園の隅で、生い茂っていた雑草をあらかた引き抜き終えた大賢者オズワルドが、泥だらけの手を拭いながら感嘆の溜息を漏らした。

 かつて大陸最高峰の知を誇った彼は、自分たちの足元で起きているこの事象が、いかに途方もない奇跡であるかを誰よりも正しく理解していた。

 旧世界は滅び、全てが虚無に帰した。だが、あの気まぐれな青年と、彼を愛した公女の存在によって、文字通り『新しい神話』が幕を開けたのだ。しかし、オズワルドの卓越した頭脳は、感動と同時に一つの懸念を抱いてもいた。

 彼は意を決し、芝生の上でいつものようにラヴィーネの膝を枕にして微睡んでいるヴィデへと、恐る恐る歩み寄った。


「……偉大なる主よ。少しばかり、よろしいでしょうか」


 オズワルドが地面に這いつくばるようにして声をかけると、ヴィデは眉間を寄せ、片目だけをうっすらと開けた。


「……なんだ。雑草ならもう粗方抜いただろう。俺の視界に入って眠りを妨げるな」

「ヒィッ! も、申し訳ございません! しかし、どうしても申し上げておかなければならない懸念が……ッ!」


 オズワルドは震える声で、必死に言葉を紡いだ。


「主よ、貴方様が創り上げた海と森には、今や数多の無垢なる生命が溢れております。しかし、彼らは純粋すぎるが故に、世界を統べるための『方向性』を持っておりません。このまま数が増え、あるいは知性を持つようになれば、いずれ生存圏を巡って争いや混乱が生じるやもしれませぬ。……新世界には、絶対的な『理』、すなわち神話の体系が必要なのではないでしょうか」


 それは、世界を管理する立場からすれば極めて真っ当な進言だった。

 生命が増えれば摩擦が起きる。それを防ぐためのルールがなければ、世界は再び混沌へと逆戻りしてしまう。しかし、当の創造主であるヴィデの反応は、極めて冷淡なものだった。


「……面倒くさい」


 ヴィデは忌々しそうに鼻を鳴らし、再び目を閉じようとした。


「俺は海や森を編んだが、あいつらに干渉する気はない。勝手に生まれて、勝手に生きて、勝手に土に還ればいい。わざわざ俺がそんな細かい糸まで結んで管理してやる義理はない」

「そ、そんな……! それでは、いずれあの美しい世界に争いの火種が……」


 オズワルドが絶望的な声を上げた、その時だった。


「ヴィデ。……大賢者様の仰ること、一理あるかもしれません」


 ヴィデの頭を優しく撫でていたラヴィーネが、静かな声で口を開いた。


「あの子たちは、まだ何も知らない赤子のようなものです。もし、自分の牙や毒で誰かを傷つけてしまったら……きっと、悲しい思いをするのはあの子たち自身です。ほんの少しだけ、あの子たちが迷わないように……道標を作ってあげることは、できませんか?」


 彼女の言葉には、海や森で生まれた生命たちへ向けられた、深い母性が込められていた。彼女にとって、あの星海月も純白の鹿も、自分とヴィデの魔力が交わって生まれた愛おしい子供たちに他ならない。彼らが争い、血を流すような未来は、彼女の心を確かに曇らせていた。


「……」


 ヴィデは目を開け、ラヴィーネの少しだけ不安そうな顔を見上げた。

 世界がどうなろうと知ったことではない。だが、彼女のその表情だけは、ヴィデの胸の奥の結び目をチクチクと刺激し、安眠を致命的に妨害する最大のエラーだった。


「……はぁ。本当に、世話の焼ける連中だ」


 ヴィデは大きくため息をつくと、のろのろと体を起こした。


「わかった。お前がそんな顔をしていると、俺の枕が揺れて寝心地が悪い。……大層な神話なんてものは作らないが、最低限のルールだけは事象の根底に編み込んでやる」


 ヴィデの言葉に、ラヴィーネの顔がパッと明るくなり、オズワルドは「おお……!」と感涙に咽んで平伏した。

 ヴィデは立ち上がると、回廊にある海と森へ繋がる二つの扉の前に立った。そして、両手を広げ、世界の境界線そのものに向かって、見えないピアノを弾くように十本の指を構えた。


「理なんてものは、単純な方が解れにくい。……三つの太い結び目を、あの空間の根本的な物理法則として直接縫い付ける」


 パチンッ! 一つ目の、強烈な破裂音が響いた。それは音というよりも、世界を根底から揺るがす強大な衝撃波だった。扉の向こうの海と森が、一瞬だけ黄金色の光に包まれる。


「一つ。この世界の生命は全て、ラヴィーネの魔力から生まれた。だから、あいつを絶対の母として敬い、その存在を脅かすことを事象レベルで禁ずる。逆らおうとした瞬間、その個体の結び目は自動的に解ける」


 それは、重力と同じくらい絶対的な『法則』だった。

 海に漂う星海月も、森を歩く純白の鹿も、これから先何万年経って生まれ来る新たな生命でさえも、この法則からは絶対に逃れられない。ラヴィーネを害しようという意志を持った時点で、世界そのものがそれを許さず、無害化してしまうのだ。


「二つ」


 パチンッ! 二つ目の音が鳴り、新世界の空に巨大な光の波紋が広がった。


「あいつは、お前たちが血を流すのを見たくないらしい。だから、無意味な殺し合いや、悪意を持った争いを禁ずる。どうしても決着をつけたいなら、俺の視界に入らないところで、見えない糸が絡まない程度に勝手にやれ。あいつを悲しませたら、その空間ごと解く」


 生存競争そのものを否定はしない。しかし、悪意による争いや、ラヴィーネの心を痛めるような残虐な行為は、世界の法則として『成立しない』ように編み直された。

 これにより、この新世界は、旧世界の歴史を血で汚してきた凄惨な戦争とは無縁の、極めて平和で穏やかな楽園となることが決定づけられた。


 オズワルドは、ただ震えながらその神の御業を見上げていた。

 たった二つの法則で、世界は完全な平和と調和を約束されたのだ。これぞまさに、究極の神話の体系。そして、ヴィデは最後に、最も大きく、最も重い破裂音を鳴らした。


 バァァァンッ!!


「三つ。これが一番重要だ」


 ヴィデは扉の向こう側の世界全体に響き渡るような、低く、絶対的な声で言い放った。


「俺は、寝る。俺がこの庭園、あるいはお前たちの世界で昼寝をしている時、少しでも大きな音を立てたり、日差しを遮ったりして、俺の安眠を邪魔した奴は……」


 ヴィデの漆黒の瞳が、恐るべき冷酷さを帯びて細められた。


「……種族ごと、存在の結び目を根こそぎ解いてやる」


 ……シーーーン。


 天空の庭園だけでなく、扉の向こうの海と森からも、一切の音が消え失せた。星海月たちは砂浜の端でぷるぷると震え上がり、純白の鹿は森の奥で息を潜めて平伏した。蒼波の水竜に至っては、空中で気絶しかけて落下しそうになりながら、必死に無音の羽ばたきを続けている。

 神の慈悲などではない。これは、究極の自己中心的な暴君による、絶対の恐怖支配。


「よし、これで完璧だ」


 ヴィデは満足げに手を払い、再び芝生の上へと戻ってきた。

 彼は何事もなかったかのようにラヴィーネの膝の上に頭を乗せ、大きく欠伸をした。


「ルールは編み込んだ。これで、もうお前が悲しそうな顔をすることもないだろう。……あいつらも、俺の昼寝の邪魔になるような真似は絶対にしないはずだ」

「……はい」


 ラヴィーネは、少し引き攣った笑いを浮かべながら、ヴィデの黒髪を撫でた。

 確かに、これで新世界に争いが起こることはなくなった。しかし、最も恐ろしい『理』として刻み込まれたのが「彼のお昼寝の邪魔をしないこと」であるという事実に、彼女は呆れを通り越して愛おしさすら感じていた。

 世界を創り、絶対法則を編み上げても、彼の芯は全くブレていない。


「……本当に、あなたという人は」

「なんだ」

「ううん、何でもありません。……おやすみなさい、ヴィデ」


 ラヴィーネの優しい声に、ヴィデは小さく鼻を鳴らし、目を閉じた。

 オズワルドは芝生の端で、「神話の真実とは、かくも恐ろしく、そして理不尽なものなのか……」と一人呟きながら、未来永劫この事実を口外すまいと心に誓っていた。

 白紙のカンバスに描かれた新しい世界は、極めて身勝手で、しかしどこまでも平和な三つの絶対法則のもと、静かに、そして豊かにその歴史を刻み始めたのだった。


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