第13話 賢者の大艦隊と、払われる羽虫
大陸の中央に位置する魔術都市において、その日、史上最大規模の軍事行動が極秘裏に開始された。
大陸全土の魔術師の頂点に君臨する組織『賢者連盟』。彼らはここ数日の間、世界各地で観測された異常な魔力波長に戦慄していた。
極北の絶対防衛線の消失。幻耀の廃都における空間の完全固定。常春の水都を数百年縛っていた水脈の呪いの、瞬時かつ完全な浄化。
どれも人間の魔術師が束になっても不可能な、まさに『神の御業』と呼ぶべき事象の改竄だった。連盟の長である大賢者オズワルドは、これらの事象の中心点が、現在空高く浮かぶ神話の遺産――『天封の庭園』アルカディアに存在すると突き止めた。
「世界の理が、何者かによって強引に書き換えられようとしている。これは世界崩壊の予兆、あるいは邪神の顕現に他ならん!」
大賢者の悲痛な叫びのもと、大陸中からかき集められた数十隻の大型飛空艇が空を埋め尽くした。
各艦には連盟の精鋭魔術師たちが搭乗し、艦首には山をも消し飛ばす極大魔力砲が据え付けられている。彼らは皆、生還を諦めた決死の覚悟を胸に抱いていた。神に等しき力を持つ邪神を討ち滅ぼし、この世界をあるべき理の軌道へ戻す。それが、魔術を探求する者たちの最後の使命だった。
大艦隊は雲海を突き抜け、ついに目標である浮遊島アルカディアの空域へと到達した。
「……見よ! あれが神の庭園か!」
旗艦の甲板で、大賢者オズワルドが驚愕の声を上げた。
何千年も放置され、荒れ果てていたはずの浮遊島は、見渡す限りの美しい芝生と、完璧に手入れされた木々で覆われていた。
だが、オズワルドの目を惹きつけたのはそれだけではない。島の中央、最も日当たりの良い芝生の上で、信じられない光景が広がっていたのだ。
「な、なんだあれは……神話の蒼波の水竜が……縮んで、宙に浮いている? さらに、あれは古代の殲滅兵器である天封の機神!? なぜ、ティーセットなどを運んでいるのだ!?」
賢者たちの常識が音を立てて崩れ去っていく。
そして、その神話の存在たちが傅く中心に、二人の人影があった。
淡い水色のドレスを着た銀髪の少女が、芝生の上に座っている。そして、彼女の膝の上には、灰色の外套を無造作に被った黒髪の青年が頭を乗せ、見事に熟睡していたのである。
「……おのれ邪神め! 高潔なる公女殿下を精神支配し、さらには神話の存在すらも辱めるとは! 全艦、最大魔力充填! あの邪神を、島ごと塵一つ残さず消し去るのだ!」
オズワルドの号令と共に、数十隻の飛空艇に刻まれた幾千もの魔法陣が一斉に眩い光を放ち始めた。
大気を震わせるすさまじい魔力の駆動音。炎、雷、真空の刃が複雑に絡み合い、世界を終焉に導くほどの巨大な破壊の渦が、膝枕で眠るヴィデへと向けられた。
一方、眼下の芝生の上。ラヴィーネ・イル・フェルマータは、上空を覆い尽くした飛空艇の群れと、そこから放たれようとしている致死の魔力光を見上げ、小さくため息をついた。
十年前の彼女であれば、あるいは数日前の彼女であっても、この絶望的な戦力差を前に震え上がっていただろう。しかし今の彼女は、自分の膝の上で規則正しい寝息を立てる青年の、少し寝癖のついた黒髪を優しく撫でながら、ただただ上空の闖入者たちを憐れんでいた。
水竜が「ひぃぃっ! 主よ、起きてくだされ!」と半泣きで念話を飛ばし、機神が「マスターの睡眠を妨害する対象を排除しますか?」と無機質に尋ねてくる。
「大丈夫よ。彼、ちょうど起きる頃合いだから」
ラヴィーネが微笑んだ、その直後だった。
「……うるさいな」
ヴィデが、不機嫌の極みのような声と共に、ゆっくりと目を開けた。
彼はラヴィーネの膝から頭を上げると、大きな欠伸をしながら、上空で凄まじい光と音を放っている大艦隊を見上げた。
「全砲門、放てェェェッ!」
大賢者の絶叫と共に、数十発の極大魔術が、隕石の雨のように島へと降り注ぐ。
空間が歪み、世界そのものが悲鳴を上げるような破壊の奔流。しかし、ヴィデの瞳には、一切の恐怖も焦りも浮かんでいなかった。ただ、「目障りなものが飛んでいる」という、極めて日常的な不快感があるだけだ。
「……随分とデカい羽虫だ。しかも光ってて鬱陶しい。俺の庭でブンブンと飛び回るな」
ヴィデは座ったまま、右手を無造作に上空へと向けた。まるで、顔の周りを飛ぶ蚊を追い払うかのような、そんな気の抜けた仕草。
「糸が太すぎる。鬱陶しいから全部解けろ」
パチン。
ヴィデの指先が鳴った。次の瞬間、上空の景色が『停止』した。
島に直撃する寸前だった極大魔術の奔流が、ピタリと空中で静止したのだ。
そして、パラパラと、砂が崩れるような微かな音と共に、何千もの魔術の結び目が、文字通り『一瞬にして』解け去った。
炎はただの温かい空気に、雷は静電気に、真空の刃は心地よい微風へと変換され、島を撫でるように通り過ぎていく。
破壊のエネルギーなど最初から存在しなかったかのように、全ての事象が無害なものへと編み直されてしまったのである。
「な、なっ……!? 馬鹿な、我らの大魔術が……ただの風に……!?」
大賢者オズワルドが甲板にへたり込み、絶望の声を上げた。だが、ヴィデの『虫払い』はそれだけでは終わらなかった。
「飛んでる音もうるさい。大人しく地面に下りろ」
ヴィデが空中で軽く手を下ろす。すると、数十隻の飛空艇を空中に留めていた『浮遊の魔術陣』が、一斉に解かれた。
墜落ではない。ヴィデは「地面に下りろ」と事象を書き換えたのだ。
飛空艇の群れは、まるで目に見えない巨大な手に優しく掴まれたかのように、重力を無視してゆっくりと降下し、島の外縁部の芝生の上に、音もなく『軟着陸』させられた。推進力も、魔力炉の稼働も完全に停止し、飛空艇はただの巨大な木の箱と化した。
「あ、あ……」
艦から投げ出されることもなく、無傷で芝生の上に降ろされた魔術師たちは、完全に言葉を失っていた。
自分たちが命と魂を懸けて放った一撃が、文字通り「蚊を払う」程度の労力で無に帰し、自慢の艦隊は玩具のように地面に並べられてしまったのだ。
格が違う。次元が違う。これは魔術などという矮小な枠組みで測れる存在ではない。
賢者たちは、自分たちが挑んだものの『絶対的な理不尽さ』を前に、戦意という名の糸すらも完全に断ち切られてしまった。
「よし、静かになった。……だが、芝生が少し荒れたな」
ヴィデは立ち上がると、芝生の上に座り込んでガタガタと震えている大賢者と魔術師たちを一瞥した。
「おい、そこの羽虫ども」
ヴィデの静かな声に、何百人という大陸最高峰の魔術師たちが、一斉にビクッと肩を跳ねさせて平伏した。
「俺は今から二度寝に入る。だが、お前たちのその鉄の箱が邪魔で景色が悪い。大人しくしているなら端の方にいてもいいが、暇ならそこら辺の雑草でも抜いておけ。少しでも大きな音を立てたら、お前たちの存在ごと解くぞ」
「は、ははぁーーーッ!!」
大賢者オズワルドをはじめとする誇り高き魔術師たちは、涙と鼻水を流しながら、凄まじい勢いで芝生の端へと移動し、素手で雑草を抜き始めた。
彼らの頭脳は、完全に一つの真理を悟っていた。この絶対者の前では、逆らうことなど宇宙の法則に反逆するに等しい。ただ命じられたままに草をむしることが、彼らに残された唯一の生存戦略なのだと。
「……ふむ、悪くない。庭師が増えたな。おいトカゲ、風だ。メイド、枕を直せ」
『は、はいッ!』
『御意、マスター』
ヴィデは満足げに頷くと、再びラヴィーネの膝の上に頭を乗せた。
ラヴィーネは、遠くで大陸の最高権力者たちが無言で草むしりをしているという、あまりにもシュールで平和な光景を見つめながら、クスリと笑った。
神の兵器が茶を淹れ、神話の竜が風を送り、大賢者たちが雑草を抜く。
この上なく理不尽で、世界の常識を全て置き去りにした青年が作り上げた『箱庭』。しかし、膝から伝わってくる彼の規則正しい寝息と温もりは、ラヴィーネにとって、世界のどんな奇跡よりも愛おしく、何よりも確かなものだった。
「おやすみなさい、ヴィデ」
彼女はそっと彼の黒髪を撫でながら、初夏の陽光が降り注ぐ天空の庭園で、最高に穏やかな午後のひとときを噛み締めていた。
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