第12話 天封の庭園と、書き換えられる機神
常春の水都の広場で、極上の涼風を浴びながらの昼寝を満喫していたヴィデだったが、彼の『完璧な日常』への探求心は留まるところを知らなかった。
数日後、いつものようにベンチで目を覚ましたヴィデは、空中で必死に羽ばたきながら風を送る子竜サイズに縮んだ水竜――彼が『トカゲ』と呼ぶ存在――を一瞥し、忌々しそうに首を鳴らした。
「……腰が痛い」
「ヴィデ? どうしました?」
隣で海絹のドレスを揺らしていたラヴィーネ・イル・フェルマータが、小首を傾げて尋ねる。
「ベンチの木が硬すぎるんだ。それに、起きた時に喉が渇く。冷たい水ではなく、香りの良い温かい茶と、ふかふかの草地が欲しい。この街の石畳じゃあ背中が凝って仕方ない」
彼は大きな欠伸をしながら、さも当然の権利のように不満を並べ立てた。
世界を救った対価としてはあまりにもささやかだが、彼にとっては深刻な問題らしい。空中のトカゲが「我の風の温度が不満なのでしょうか!?」と涙目で念話を飛ばしてきたが、ヴィデはそれを「うるさい。少し風を弱めろ」と一蹴した。
「場所を変える。空の上なら、誰の邪魔も入らないだろう」
ヴィデは立ち上がると、ラヴィーネの腰を抱き寄せた。トカゲも慌てて彼女の肩に飛び乗る。
次の瞬間、ヴィデの右手が空間の布地を無造作に掴み、一気にたぐり寄せた。
グンッ、と。
強引な空間の短絡。三半規管が軋む感覚と共に、喧騒に満ちていた水都の風景が完全に消失した。
ラヴィーネが目を丸くして周囲を見渡すと、そこは文字通り『空の上』だった。
眼下には見渡す限りの雲海が広がり、澄み切った青空の只中に、巨大な浮遊島が存在していた。白い大理石で作られた神殿の残骸が点在し、豊かな水源が滝となって雲海へと注ぎ込んでいる。
古代の文献にのみその名を残す、神々の遺産――『天封の庭園』アルカディア。本来ならば、人間が到達することなど絶対に不可能な神域である。
「よし、空気は澄んでいるし、日当たりも最高だ。……が」
ヴィデは浮遊島に降り立つなり、深くため息をついた。
彼の視線の先には、数千年もの間放置された結果、異常なまでに繁茂し、ジャングルのように荒れ狂った『魔植物』の群れがあった。
意思を持つ太い蔦が蛇のように蠢き、毒々しい色の花が口を開閉させている。足の踏み場もないほどに生い茂ったそれは、ふかふかの草地とは程遠い、ただの魔境だった。
「なんだこの有様は。庭の手入れが全く行き届いていないじゃないか。これでは寝転がるスペースもない」
「ヴィデ、気をつけてください。この植物は……」
ラヴィーネが警告を発しようとした、その時だった。
ギィィィン……ッ! 島の中央にそびえる神殿の奥から、空気を切り裂くような無機質な金属音が響き渡った。
同時に、強烈な魔力の波動が放射状に広がり、荒れ狂っていた魔植物たちが恐れをなしたように道を空ける。
神殿の瓦礫を踏み越え、ゆっくりと空中に浮かび上がってきたのは、神々しいまでに美しい少女の姿をした『何か』だった。
透き通るような白い肌、無機質な金色の瞳。しかし、その背中には六枚の巨大な『鋼の刃の翼』が生え揃っており、両手には空間そのものを歪めるほどの魔力を凝縮した光の槍が握られている。
『――警告。神域への不法侵入者を確認。これより、天封の機神による殲滅プロトコルへ移行します』
感情の一切こもっていない、極めて平坦な機械音声。それは、この浮遊島を外敵から守るために神々が残した自律型防衛兵器だった。魔王すらも単機で屠るとされる、絶対の殺戮人形。
機神の金色の瞳がヴィデたちを捕捉し、六枚の鋼の翼が展開される。
大気中の魔力素が一気に収束し、島そのものを消し飛ばすほどの極大の光線が放たれようとしていた。ラヴィーネの肩に乗っていた水竜すら、その神代の圧力に『ヒィッ!』と情けない悲鳴を上げる。
しかし。
ヴィデの反応は、相変わらず極めてズレていた。
「……やかましい。機械特有の耳障りな高音だ。それに、そんな物騒な光で庭を焼いたら、焦げ臭くて寝る場所がなくなるだろうが」
ヴィデは心底面倒くさそうに頭を掻くと、光の槍を放とうとしている機神に向かって、無造作に右手を突き出した。
「お前、『庭の手入れ』という概念を知らないのか。少し結び目を整えてやる」
パチン。
ヴィデの指先が鳴った。その瞬間、機神の周囲で極限まで高まっていた魔力の奔流が、まるで電源を落とされたかのようにフッと消滅した。
『……エ、ラー。殲滅プロトコルの……シ……シ、見つかり……ませ、ん』
機神の金色の瞳が激しく明滅し、空中でバランスを崩してカクンと首を傾げた。
ヴィデが『解いた』のは、彼女に組み込まれていた『侵入者を排除する』という根本的な存在理由そのものだった。
破壊ではない。事象の結び目を解き、全く別の形へと強引に『編み直し』てしまったのだ。
「そんな物騒な機能はいらない。お前の刃は、草を刈るために使え。そして、喉が渇いたから茶を淹れろ」
ヴィデがそう言い捨てると、空中で停止していた機神の瞳が、再び静かな光を取り戻した。しかし、そこに先程までの殺意はない。
『……命令を受理。マスター。直ちに庭園の整備、およびティータイムの準備に取り掛かります』
機神は空中で優雅に一礼すると、背中の六枚の鋼の翼を凄まじい速度で回転させ始めた。それはもはや、超高性能な『自動芝刈り機』であった。
シュババババッ! という軽快な音と共に、機神は荒れ狂っていた魔植物の群れを一瞬にして均等な高さに刈り揃え、毒花を摘み取り、島の中央に見渡す限りの『極上のふかふかの芝生』を完成させてしまったのだ。
さらに、彼女は神殿の奥から年代物の美しいティーセットを運び出すと、島の清らかな湧き水と、安全な香草をブレンドし、手際よくお茶を淹れ始めた。
「……ははっ」
ラヴィーネは、あまりの光景に乾いた笑いを漏らすしかなかった。
世界を滅ぼす神の兵器が、完璧なメイド兼庭師として立ち働いている。
ヴィデは完成したばかりの柔らかな芝生にごろりと横たわり、満足げに大きく伸びをした。
「うん、ここはいい。背中が痛くない。日当たりも風も完璧だ。……おいトカゲ、風が止まってるぞ」
『は、ははぁっ! 直ちに!』
トカゲが慌てて翼を羽ばたかせ、微風を送り始める。
そこへ、機神が音もなく近づき、芝生の上に純白のテーブルクロスを敷き、二つのティーカップを置いた。
ヴィデの前には、眠気を誘うような深みのある香りの茶が。
そして、ラヴィーネの前に置かれたカップからは、ほんのりと甘く、心身の疲労を優しく解きほぐすようなカモミールに似た香りが漂っていた。
「……あっ」
ラヴィーネはカップを両手で包み込み、その温もりに目を細めた。
ヴィデは「自分が温かい茶を飲みたい」と言っていた。しかし、機神のプログラムを書き換える際、無意識のうちに『ラヴィーネの体に負担をかけない、優しいお茶』を淹れるように事象を結び直していたのだ。
彼は決して言葉にはしない。ただ、彼が作るこの理不尽なまでの『完璧な箱庭』は、彼女にとっても世界で一番居心地の良い空間になるように、密かに設計されている。
「……ありがとうございます、ヴィデ」
ラヴィーネが微笑みかけると、ヴィデは茶を一口啜り、そっぽを向いた。
「俺は自分のためにやっただけだ。お前が勝手に美味そうに飲んでいるだけだろう」
「ふふっ。はい、とっても美味しいです」
天空の庭園で、最高峰のメイドが給仕し、神話の竜が風を送る。
絶対的な力を持つ青年と、彼に寄り添う公女の、途方もなく贅沢で、そしてどこまでも穏やかなティータイムが、静かに過ぎていった。
「ここまで読んでいただき、ありがとうございます!皆様からの『イイネ』や『応援』が、本当に、本当に毎日の執筆の最大の原動力になっています。
少しでも『続きが読みたい』『面白かった』と思っていただけましたら、ぜひ応援のポチッをお願いいたします……!」




