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第一章

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 第一章ノ一 現在

 

 彼女が魔法少女となって、半年が経ち、季節は夏になろうとしていた。

「やっぱりこの格好は好きになれない・・・」

 アニメに出てくるようなこのピンクのフリフリ服には今も慣れないし、戦闘をするというのに靴がハイヒールというのも全く納得がいかなかった。第一、高校一年生にもなってコスプレのような格好をしているのはどういうものか。

 変身すると髪の色はピンクとなり、髪の量はあり得ないくらい多くに増え、二つに結わえられ、物理を無視して体の後ろでバランスよく浮いた状態で変身は完了する。

 彼女は着地場所を探しながら小さく溜息を吐いた。

「やっぱりこの格好は好きになれないわ」

 そう言ってビルの屋上に着地した。

 晴れた初夏の風が流れてきた。二つに分けたピンクの髪が風でバタバタと流される。

 破壊音が聞こえた。

 彼女はビルの屋上を足掛かりに高く飛び上がり、破壊音のした場所の様子を伺った。

 敵が見えてくる。

「あそこか!」

 街で白い光線を吐いて暴れている物体が見えた。高さ三メートル程の夢食いだ。便宜上、アシュタロトの最下層の使い魔である彼らを彼女達アークセンテンティアはそう呼んでいた。 彼女は大通りに着地し、再度高く飛んだ。ピンクの髪が風になびく。敵の姿がはっきり見えてきた。

「今日の夢食いは時計がモチーフなのね」

 彼女は時計に手足を付けた不恰好な夢食いの前に着地した。

 なにこれ・・・今日はまた一段と酷い外見だわ。

「見た目がガラクタだからと言って油断は禁物よ、イリシア」

 続いて後ろに着地した青色の髪の少女が冷たい声で言った。

 いつもながら棘のある言い方・・・。

 彼女はもう一人の魔法少女だった。目つきが少しきつめで背が百三十センチくらいの女子だ。歳の頃は中学生くらいだが、正確には分からない。本名も知らなかった。知っていたことは、彼女が自分より前から魔法少女をやっていたということと、彼女の通し名がイカロスだということだけだった。

「分かってるわ」

 彼女はそう返事をした。彼女にもイリシアという通し名があった。名前の意味はよく分からなかったが、魔法少女というものはこういう名前をつけることが決まりなのだそうだ。

「あれでも、戦車より強いんだ。イリシア、気をつけて」

 ハルの声だ。自分のことを妖精だと言って、夢の国から来たのだ主張していた。自分でそう言っていた。

 夢の国というのが本当にあって、彼がそこから来たのが本当かどうか知らないが、とにかく五条さくらを魔法少女にしたのはこの妖精と称しているハルだった。

「イリシア、援護して!」

 突然、イカロスがそう叫び、彼女は大きな時計の顔を持った夢食いに向かって走り始めた。夢食いは迫り来るイカロスに気付き、白い光線を吐いた。だが、イカロスはその攻撃を巧みに避け、その距離を縮めてゆく。

「イリシア、シリーズキャノン!」

 イリシアは時計の夢食いに向かって、ピンク色の光る弾を連続して撃った。体力の消耗が少ない代わりに数多く打てる魔法攻撃だったが、相手に与えるダメージは小さい。

 だけど援護であれば、その役目は充分に果たせるわ。

 実際、時計型の夢食いはイリシアの放つ光の弾に気を取られ、イカロスに十分な注意を払えなくなっていた。イカロスは跳んで夢食いの顔の部分に勢いよく蹴りを加えた。夢食いはのけ反り、そして音を立てて倒れた。夢食いは立ち上がろうとしたものの、大きな時計に手足を付けた構造上、立ち上がることができない。倒れたまま、足をばたばたしていた。

「イカロス、イリシア、決め業を!」

 ハルの声が聞こえた。腰から長さ三十センチの棒状の魔法道具を取り出し、同時に叫んだ。

「ダブルロイヤルフラワーエフェクト!」

 青とピンクの巨大な光の花が、同時に放たれ、トルネードを起こし、夢食いに飛んでゆく。夢食いは射すくめられたように動けなくなり、抵抗することなくその光の攻撃を無防備に受けた。そしてその影は次第に薄くなり、最後には跡形もなく消えてなくなってしまった。

「やった・・・」

 イリシアはそう呟くと力が抜けたように地面に膝をついた。ロイヤルフラワーエフェクトを打つと異常に疲労する。そんなイリシアをイカロスが蔑むように見下ろした。

「だらしがない。そんなことではアシュタロトどころか、その配下の中級悪魔だって倒せないわよ」

「面目ない」

 苦笑しながら、苛立った表情をしているイカロスを見上げた。

「!」

 イカロスが反応して自分の背後に回し蹴りを喰らわせた。

「おっと」

 イカロスは構わずその声の人物に蹴りを加え続けた。

「ちょっ、ちょっと」

 少し焦った声がした。蹴りは巧み避けられている。

「なるほど、強いな。それに結構かわいい子達なんだね。青とピンク、いい色合わせだ」

 不器用な作りの白い仮面をした一人の人間が立っていた。声は若い男性のそれで、黒い学ランに似た服を着ていた。

 イリシアとイカロスは反射的に後方へ飛び、仮面の男と数メートルの距離を置いた。イリシアは言った。

「あなたは誰なの?」

 気味が悪いと思った。そしてアシュタロトの配下だと直観した。警戒しろと全身の全ての感覚が伝えてくる。それはイリシアの態度に現れてしまっていたようだ。白い仮面の男は彼女の様子に笑いながら言った。

「そう警戒しなくたっていい。僕はできれば君達とは敵にはなりたくないんだ」

「お前、オクターブ子爵!」

 イカロスの声が聞こえた。

 彼女の様子が変だと思った。拳を握り、怒りをあらわにし、体はわなわなと震え、オクターブと呼んだ白い不器用な仮面の人物を彼女は睨み付けていた。

「兄さんの仇・・・」

 そう言って、イカロスは唇を噛んだ。

「えっ?」

 イリシアは思わず驚きの声を漏らした。

「あいつが兄さんから夢を奪い、兄さんを廃人にした。半年前にあいつが連れて来た夢食いの光線を浴びて兄さんは・・・」

「廃人? ああ、たまに夢食いが魂を吸いすぎてなってしまうやつか。わざとじゃないんだ。夢食いでも能力に差があるんだよ。コントロールが上手くできない夢食いもいるんだ。どうやら君の家族には迷惑を掛けてしまったようだね。すまなかったよ」

 心がこもっているようには思えなかった。

 イカロスはかっとなって、白い仮面の男に向かって走り出した。

「お前だけは絶対に許さない!」

 右手から青い光を撃った。

「僕は君達と戦いたくはないんだがね」

 光は真っ直ぐ直線的にオクターブに向かい、直撃は避けられないように見えた。

 イリシアは突然のイカロスの攻撃を唖然と見ていたが、はっと我に帰り、イカロスの後を追った。

「援護するわ!」

 その瞬間にイカロスの青い光の攻撃が仮面の男に直撃し、高さ三メートルの薄茶色の土煙が立った。

「やった!」

 イカロスは歓喜の声を上げた。

 いや、外した・・・?

「その通り!」

 白い仮面の男がイカロスのすぐ隣に立っていた。

 イカロスは激しい怒りの感情に覆われた。。

「お前!」

 そう叫び、イカロスは青の光を連続して撃った。イリシアもその仮面の男に向かってピンクの光を撃ったが、それがオクターブに当たることはなかった。

「くっ」

 動きが速すぎて当たらない!

 イリシアはそう思った。

 男は言った。

「僕は君達と敵対したくないんだ」

「うるさい!」

 イカロスは完全に怒り支配されてしまっていた。彼女は右手を上げ、特大の青い光の球を手に宿した。その光の球はゆっくりと回転し徐々に大きくなってゆく。

「死ね!」

 イリシアは中学生くらいであろうイカロスから発せられた残酷な言葉に驚いた。イカロスの目つきは更に鋭くなり、憎しみの感情が面に出ていた。

「イカロス! 冷静になって!」

 自称妖精のハルが叫ぶ声がしたものの、イカロスはそれを完全に無視して怒鳴った。

「イカロス、ショックウェーブ!」

 青い光がドンという音と共にオクターブと名乗った白い仮面の男に放たれ、周りの空間を巻き込み、トルネードとなって向かっていった。

 白い仮面の男は猛スピードで空を飛び、それを青い光のトルネードが追ってゆく。そしてその先に大きな建物が見えてきた。

 病院だ!

「イカロス、まずいわ! このままいけばショックウェーブが病院に当たってしまう!」

 イリシアは叫んだ。

「早く、術式を解いて!」

「嫌よ! あたしはあいつを殺すために魔法少女になったのよ! あいつは兄さんの仇よ! 今を逃す訳にはいかない! 大丈夫、病院に当たる前にあいつを仕留める!」

 イカロスはそう言って、両手を前に出し、押し込むような仕草を行った。その瞬間に白い仮面を追う青い光の渦は一気に速度を増した。

「もうすぐで追いつくわ・・・」

 そう呟く声が聞こえた。体に相当の負荷が掛かっているのだろう、彼女の声は掠れ、弱々しいものに思えた。

 追いつく!

 イリシアはイカロスを見た。イカロスもほっとしたのだろう、イリシアに微笑み返した。だが、そう思った瞬間、白い仮面の人間が突然消失した。

「えっ?」

 そして、イカロスは脇腹に鋭い痛みを感じた。その痛みの箇所は次々に増えている。黄色い光が数本、次々に自分の体から過ぎ去ってゆくのを目にした。その瞬間、イカロスは耐えがたい激しい痛みに襲われた。

「がっ」

 イカロスの体に無数の血飛沫が立った。彼女は吐血し、彼女の服の青はみるみるうちに青から青紫に変わっていった。

「かはっ」

 彼女は大量の吐血をした。

「イカロス!」

 イリシアはイカロスの一瞬にして変わり果てた様子に動揺し、叫んだ。

 ドンという辺りに響き渡る大きな音が鳴った。イリシアはその音の方向に振り返った。イカロスがオクターブに放った青い光のトルネードが目標を失い、病院に衝突したのだ。七階建ての病院の六階上全てがその衝撃により吹き飛び、跡形もなく消えてしまっていた。

「ああ・・・」

 イカロスは体じゅうから血を流しながら、その光景に絶望を感じ、そして苦痛の表情を浮かべながら倒れた。

「イカロス!」

 イリシアは蒼白になってそう叫び、イカロスの傍に駆け寄った。イカロスはイリシアの半身を抱き上げた。出血が酷い。彼女は苦痛の表情を浮かべ呟いた。

「あはは、あたし、もう駄目みたい」

 視点が定まっていない。

「イカロス! しっかりして!」

「病院の人達にも犠牲者を出してしまったね。正義の味方だっていうのに・・・あたしがちゃんとイリシアの言うことを聞いていればこんなことにはならなかった」

「イカロス!」

「悪魔からこの世界を守らないといけないのにね・・・何やってんだか」

 咳き込み、再び大量の吐血をした。

「うそっ、ハル! なんとかならないの!」

 イリシアはヒステリックになって妖精に叫んだ。

「・・・何もできない」

 妖精はそう言うだけだった。

 なんてことなの!

 イリシアは悲鳴を上げそうなった。彼女の腕に抱かれているイカロスの具合は急速に悪化している。虫の息だ。もう絶望的な状況なのだと悟った。

 イカロスは咳き込み、再び吐血した。

「いったいどうすれば・・・」

 天を仰いだ。

 イカロスが再び吐血した。

 そして苦しそうな表情を見せたかと思うと、和らいだ表情を見せ、そのまま呼吸をすることを彼女は止めてしまった。

「イカロス? イカロス!」

 返事はもうなかった。

 イカロスが死んでしまった!

 突然、雷の落ちる音がした。大粒の雨が数滴落ち、それに続いて無数の雨粒が落ち始め、やがて大粒の雨に変わった。

「だから戦いたくないと言ったのにな」

 不意に背後から声がした。

 オクターブだ。

 背筋が凍るほどの殺気を感じた。彼女はイカロスから弾かれたように離れ、雨が降る中を高く飛んだ。

 悔しかった。

 イリシアは横たわっているイカロスを見た。

 とてもあの仮面の男と自分とでは対等に渡り合えない。

 冷や汗が出た。心臓が止まる思いがした。

 そしてあたしは逃げ出そうとしている。

 あなたを連れて帰れないまま、あたしは逃げ出そうとしている。

 強く唇を噛んだ。

 イカロス、ごめんなさい・・・

 本当に悔しかった。自分が情けないと思った。彼女は着地と同時に白い仮面を被ったオクターブに声のあらん限り叫んだ。

「イリシア、エレメントバースト!」

 ピンクの光が彼女の左手に集まり、球状の形となって白い仮面の男に向かって飛んだ。

「?」

 ピンクの光はオクターブに届くことなく手前に落ち、白い煙が上がった。

 彼女は思い切った行動に出た。煙幕に隠れ、倒れているイカロスに接近し、彼女を抱え、飛び、その場から離脱したのだ。

 生きた心地がしなかった。

 彼女は全力で飛んだ。後ろを振り向く余裕すらなかった。

 そして高台の森に着地し、初めて敵が自分達を追ってきているのかを確認することができた。後ろに白い仮面の男はいなかった。イリシアはほっと胸を撫で下ろし、イカロスを薄暗い森の中でゆっくりと地面に下ろした。

 彼女は既に冷たい体になっていた。脈を確認したが、その作業はただイカロスの死を確認したに過ぎなかった。

 イリシアの目から涙がこぼれた。そして声を出して泣き出した。

「イカロスは死んでしまったんだね」

「ハル・・・」

 妖精の声は悲しそうだった。

「イカロスの家族になんて言えばいいの! まだ中学生くらいだっていうのにこんなところで死んでしまって、可哀想すぎる!」

「彼女には事実上家族はいないよ」

 イリシアは妖精の言葉に驚いた。

「彼女の兄は廃人病になってしまっている。今は施設に収容されているけど、イカロスの死を伝えても何も反応はしないだろうね」

「・・・」

「父親と母親は事故で早くに亡くなったんだ。そして親代わりだった彼女の兄は夢食いの光を浴びて廃人になってしまった」

「・・・」

 オクターブの言い方だと夢食いに魂を吸われ過ぎた事故となるだろうが、それで許されることじゃない。

 強い怒りを覚えた。

 ハルの声がした。

「彼女は誰にも弔われない。せめて仲間である僕達の手で送ってあげよう」

 彼女の遺体の上に青く光る魔法陣が現れ、イカロスの体が青く光り始めた。

「!」

 イリシアは驚いてイカロスの体を見た。薄暗かった森の中がイカロスからの青い光で薄っすらと明るくなってゆく。

「あっ」

 いつの間にか森の中に青い光の粒が舞い始めた。幻想的な景色だと思った。光の種類が黄色、白、橙と増えてゆく。イリシアは唖然としてその光景を見ていた。

 そしてイカロスの体が透けてゆく。

 イリシアは涙が止まらなかった。顔を手で覆い、大声で泣いた。悲しみで彼女の変身が解け、イリシアは五条さくらに戻っていた。

 イカロスの体が消えた。

 あれだけ森の中を舞っていた光の粒は、礼を言うかのようにさくらの周りを覆い、数回回った後、一斉にすっと消えてなくなってしまった。

「あああ」

 森に光は消えた。

 森の中はさくらの泣き声がいつまでも聞こえていた。



 

 第一章ノ二 半年前

 

 この世の創造物とは思えないほどきれいな女性だと思った。歳の頃は十八から二十位で、長身で足も長く、スタイルは申し分なく良い。

 トップモデルにしか見えない。

 市役所の受付嬢は、薄汚れた庁舎に似合わない目の前の美しい女性を見て、溜息を吐き、そう思った。

 しかも執事付きとは・・・お金を持っていて美人とは世の中不公平すぎるわ。

 背が高く、顔が細長い黒服の執事は市長との面会を申し入れた。執事は立原市にある同族の企業の名を告げ、市長と約束は取ってあると告げた。

「ああ」

 受付嬢は思わず声に出してしまった。

 いつものだわ。

 市長のいい噂は聞かない。大方賄賂の提供か何かだろう。

 市役所の庁舎をなんだと思っているんだか。

 女性は執事を連れて市長室に向かっていた。その後ろ姿を見ながら、受付嬢は二回目の溜息を吐いた。

 半分はうらやましさからだった。

 

 

「これは佐原物産のお嬢様、今日は何のご用でしょうか?」

 執事の持つ黒いアタッシュケースをちらちらと見ながら、小太りの市長は機嫌の良い声で彼女達を迎えた。愛想笑いを全開にして近寄ってくるその姿は、正直彼女に不快感しかを与えなかった。

 市長室のある市庁舎の八階最上階の眺めはよい。壁一面にはめ込まれた大きな窓ガラスからは、立原を囲む山々とその麓に広がる立原の市街が見えた。

 いい眺めだわ。

 それにひきかえ・・・。

「いつもながら馬鹿な人間だわ」

「え?」

 突然、女性の背後に立っていた執事は前に出て、市長の胸ぐらを掴み、応接用のソファに市長を投げつけた。

「がっ」

 市長は自分の身に何が起きているのか理解出来なかった。ソファといえども衝撃は凄まじく、彼は呼吸困難に陥った。

「いくらほしい?」

 女性はにやっと笑った。

「かっ、はっ」

 息が出来ない状態が続いたが、咳が一回出ると、何度も何回も苦しそうに咳き込んだ後、ようやく呼吸を回復することができた。

「だからいくらほしいの?」

 市長はその声に警戒しながら顔を上げ、女性を見た。だが、そこには彼女は居なかった。代わりに金髪の小学生くらいの少女が立っていた。

 彼は驚いて執事の方を見た。そして次の瞬間、恐怖で身動き一つすることが出来なくなった。

 山羊の面妖になっていたのだ。

 彼はこれまでの人生で今まで感じたことのない恐怖を感じた。

「だ、誰だ!」

 市長は声にならない声を絞り出し叫んだ。

「誰だ? その言葉は失礼ですぞ、市長。いつも多額な献金をさせて頂いている佐原物産のお嬢様ではないですか」

 山羊の執事はそう答えた。

「そんな馬鹿な・・・」

 目の前の初老の男が情けなく狼狽する様子を見て、金髪の少女はにやっと笑った。そして意地の悪い目つきでからかうように言った。

「今日は今まで供給した献金相当のお仕事をして貰おうと思ってるの」

「え?」

 市長の混乱は収まらない。

「まさか今まで何の見返りの期待もなく、私達が献金を行っていたとでも思っていたの?」

「えっ、いや・・・」

 市長は知らず知らずのうちにソファの上で後ずさりをし、情けなくソファから転げ落ちた。少女は対面のソファに座った。

「ちょっといじめすぎたようね。さあ、何もしないから立ち上がって、ソファに座りなさい」

 市長は少女の後ろに立つ山羊の顔の執事を恐る恐る見た。とても作り物とは思えないかった。

 悪魔なのか・・・いや、まさか。

 子供の頃に何かの本で見たそれにそっくりだと思った。彼は滑稽な程震えていた。彼の普段の偉そうな態度と、上から目線の言動はもうどこにもない。とても同一人物とは思えなかった。

「さあ、そこに座りなさい」

 金髪の少女に促され、市長は借りてきた猫のように周りの様子を伺いながら、大人しくソファの端で身を小さくして座った。

「さて」

 少女は市長を眺め見て言った。

「この市の半分を私に割譲して貰おうかしら」

「!」

 市長は驚きの表情で目の前の少女を見た。

「悪魔とは悲しい性かな。まずは契約が前提なの。勝手に侵略はできないから」

 少女はそう言ってわざとらしく悲しげに首を横に振った。

「悪魔・・・契約・・・」

「この市を割譲しなさい。でないとあなたは今ここで命を失うことになりますよ」

「お前は誰なんだ・・・」

 声を振り絞って聞いた。

「魔界のアシュタロト公爵よ」

 その声は氷のように冷たい声だった。

「アシュタロト・・・」

 山羊の執事は長い腕を伸ばし、市長の胸ぐらを掴み、軽々とその中年太りした男を宙に上げた。

「魔界・・・公爵・・・」

 泡を吹きながら、宙に浮いた足をバタバタとさせる市長の様子を見て、アシュタロトは愉快な気分になった。

「さあ、早く決断しろ」

「私にはそんな権利はないです。お願いです、許して下さい!」

 許しを懇願する哀れな声だった。

「なら死ね。お前の次の市長にお願いするだけの話だ。だがそうだな、死ぬのはお前一人では寂しいだろう。なんなら家族を連れて行けばいい」

 市長の顔が一瞬にして青くなった。

「孫を入れれば六人家族だったか?」

「止めてくれ!」

 悲鳴にも似た声が市長室に響き渡った。

「孫は二人いて、三歳と二歳の女の子だったな」

「分かった・・・分かったから、もう何も言わないでくれ!」

 その言葉を聞いて公爵と名乗る金髪の少女は、執事に市長を地面に降ろすように命じた。執事はゆっくりと市長をソファの上に降ろした。市長は散々咳き込んだ後、アシュタロトに言った。

「但し、条件がある。割譲するのは凛の民の多く住む地域にしてくれ。あいつらは我々と別の民族だ、あいつらだったら全く問題はない!」

 アシュタロトはその言葉に呆気に取られたが、すぐにその美しい顔に笑みが浮かんだ。

「君はなかなかいい魂を持っているな。自分達、日本人は助かり、凛の民を犠牲として差し出すとは。まあ我々の希望も凛の民なのだがね」

 彼女は言った。

「契約書を」

 その言葉と同時に執事は羊皮紙を市長の前に出した。文章がびっしり書いてあったが、何語かすらも分からなかない。戸惑う市長の様子を悟ってアシュタロトは言った。

「ああ、雰囲気を出そうと思ってね。我々の言語だよ。内容は簡単なことさ。君は我々にこの市の二分の一を私に割譲する。その見返りとして君には年一億の年金を支給する」

「条件は・・・凛の民の多く済む西側地域という条件を付けてくれ。私には市民を守る義務がある」

 市長は必死になって訴えた。

「ふん、凛の民は君にとって市民ではないのか。差別をなくそうとか選挙のときは散々連呼していたのにな?」

「それは・・・」

 アシュタロトの問いに市長は戸惑いを見せ、落ち着きをなくしていた。その様子に少女はふっと笑った。

「よかろう」

 公爵がそう言った瞬間、テーブルの上の羊皮紙に追加された文言の文章が浮かび上がった。市長は震える手でペンを持ち、羊皮紙にサインを書き始めた。

 そしてその壁は突然現れた。

 

 

 割譲の壁が空間を割り込んで出現し、半径数十キロの地域をあっという間に取り囲んだ。

 そして壁に囲まれた彼らの生活は一転した。

 壁は厚さ六メートル、高さ二十メートル程の赤いレンガで作られていた。一見普通の壁だったが、異質なのは空間を割り込んで出現したことだった。場所によっては一軒屋が半分、もしくはまるごと壁に取り込まれ、牛や豚などの家畜、犬や猫、そして人間も出現前の壁のエリアにいたもの全てが、生きながら壁に取り込まれた。

 運が良い者は助けられ、運が悪い者は壁の中で窒息し、息絶えた。当時高校二年生だった彩子の父親もその一人だった。

「お父さん! お父さん!」

 彩子は力のあらん限り叫んだ。壁が突然家の空間に割り込んできたのだ。その日、休みだった彩子の父親は居間にいたという理由だけで壁に取り込まれてしまった。コーヒーを入れ、父親にそれを渡そうとした瞬間の出来事だった。 

 彼の左手の指先だけが壁から出ていた。彩子はその光景に愕然とし、コーヒーカップを床に落とし、パニックになり、取り乱し、近くにあったハサミで壁を突き始めた。だが、レンガは僅かに削られるだけで、彼女がどうにかできることはなかった。

「お父さん!」

 彼女はハサミで何度もレンガを打ち続けた。涙が止まらない。涙が流れ続けた。何度も何度も打つうちにハサミは曲がり始め、僅かなレンガさえも削ることができなくなってしまった。

 時間がないのは分かっていた。彼女の父親の指先はさっきまでもがくように動いていたが、今はもうその動きを見ることはできない。

 振りかざし、レンガをハサミに勢いよく当てた瞬間、ハサミは大きく曲がった。

「あああ!」

 彩子は崩れ去り、床を拳で何度も何度も叩き、泣いた。

 父は死んでしまった! 自分は何も出来なかったのだ!

 彼女は自分を責め続けた。何も力のない自分を呪った。何も出来なかった自分を許すことは出来なかった。

 レンガで造られた壁を削り、父親がそれから解き放たれたのは二日も経ってのことだった。警察や消防、ボランティアが集まり、壁に組み込まれていた父親を工事で使う掘削機で取り出したのだった。

 息はなく、体は氷のように冷たかった。彩子は変わり果てた父親を直視できなかった。それからのことはあまり覚えていない。泣き通し、涙が枯れた記憶だけが残っていた。

 厚さ十メートル、高さ二十メートルの赤いレンガの壁が半径数十キロの地域を取り囲んだあの日から、この立原の街から自由は失われ、彼らの生活は一転したのだ。

 彩子は街中に響き渡るその声を聞いた。

 悪魔の声だ。

 直感的にそう彼女は悟った。

 その声の主はアシュタロトと名乗り、支配者であり、支配される自分達がこの壁の中で管理され、生きてゆくことを知ったのだ。

「そんなことを許す訳にはいかない・・・」

 悪魔の声と思ったその声は威圧的で、身も凍る何人も逆らえない畏怖を覚えさせる声だった。強制的に自由が奪われてゆく理不尽さを感じさせられた。

 壁は主要な道路に門を用意し、そこでは自由な人の往来を許していたが、それも夜の十二時までの話だった。夜十二時以降、壁の外にいた人間は例外なく憲兵に捕まり、処刑され、違反者が家に戻ってくることはなかった。その処刑の様子は不定期的に空に現れる巨大な白い半透明の画面によって、見せしめとして公開されていた。

 それを見てぞっとしない人間はいなかった。恐怖を感じない者はいなかった。

「彩子」

 はっとした。

 彼女は呼ばれて振り向き、声の主を認めると静かに礼をした。

 公爵は市長との契約を結び、凛の民が多く住むこの地域を割譲の地とした。

 この地方は元々大陸から渡ってきた凛の民という民族が多く住む場所だった。四世紀までは王がいて、村々を統治する政庁も大和朝廷に滅ぼされるまで存在していた。民族意識はこの現代でも強く、そのためか彼らは他を寄せつけず、閉鎖的だ。故に日本側との関係はどの時代でも良いときは全くなかった。

 壁が出来てから数ヶ月が経ち、この街は少しずつ変わり始めていた。いや、おかしくなってきたと言うべきかもしれない。凛の民は民族の独立運動を活発化させていた。アシュタロトの支配からの開放を目指し、同時に民族としての自立を訴え始めたのだ。

 市長が凛の民を売ったという情報は彼らを激怒させ、その状況と傾向に拍車を掛けたが、それでも反乱にまで至ることはなかった。

 アシュタロトに魂を削られていたからだった。

 それが壁の中のシステムそのものだったのだ。

「行くぞ」

 その声の主は彩子にそう言うと歩き出した。白い不器用な面を被ったオクターブの声だった。彩子は頷き、その後を追った。

 必ず私は父さんの仇を打つ・・・。

 彼女は体に叩きこむように強く拳を握り、唇を噛み、そう誓った。

 

 


 第一章ノ三 半年後


「市長はどこだ!」

「どこに隠れている!」

 市庁舎の中で凛の民の怒号が飛び交った。

 その日は朝から寒い日だった。空は厚い雲に覆われ、凍り付くような冷たい風が吹く中、細かい雪がちらつき、より一層の寒さを感じさせた。

 吐く息が真っ白に広がってゆく。

 公爵が死に壁が崩れてから半年が経っていた。あの日の雲の合間から光が射し、暖かで希望に満ちた光景は今や幻影だ。凛の民のデモは頻繁に繰り返され、日本側の警察の機動隊との衝突も今やめずらしいものではなくなってきている。衝突のたび、お互いに怪我人を出し、両者の感情は悪化し、交わることもなく、憎しみだけが増していた。

「どこにもいない!」

「見つからないぞ!」

 きっかけは機動隊から凛の民のデモへの発砲だった。三十人以上の凛の民が亡くなり、凛の民の日本側への不信感は一気に爆発した。彼らは数万の単位となって一斉に蜂起し、あっという間に警察署や市庁舎など立原の主要箇所を占拠した。

「班長、集まれ!」

 その声に応じて市役所の窓口が並ぶ一階に複数の凛の民が集まった。

 市の職員の多くは自分の席で固まったように下を向いて座っている。まるで凛の民の数を恐れ、目立たないように息を殺し、自分の存在を消そうとしているようだった。

 これまで凛の民に接していた態度とは正反対のものだった。

「いたか?」

「いや、いない」

「いったい何処にいるんだ」

 苛立った声が聞こえた。

「もう逃げていないんじゃないのか?」

「まだここにいるのは間違いないのか?」

「地下駐車場に市長の車はあった。逃げられる前に市庁舎は取り囲んだのは間違いない。まだこの中にいるはずだ」

「だが見つからないぞ」

「くそっ」

 彼らは苛立っていた。

「凛の民ごときが・・・」

「あっ?」

 一人の凛の民が一瞬にして切れ、大声で怒鳴った。

「聞こえたぞ。誰が言った!」

 その若い男はそう呟くとカウンターを飛び越え、大声を張り上げた。

「おい、お前ら、全員顔を上げろ!」

 恐る恐る顔を上げる者はいるにはいたが、大半の人間は恐怖に身動きを縛られ、一ミリたりとも顔を上げることが出来なかった。

「おら、顔を上げろって言ってるんだよ!」

 近くの女性職員の髪を引っ張り、無理やり顔を上げさせた。

「おら、お前もだ!」

 隣の若い男の職員の髪を鷲掴みし、力づくで顔を上げようとした。だが、その職員はそれを断固拒否した。

「おら、顔を上げろ!」

「凛の民ごときが・・・」

 髪を鷲掴みされ、我慢が出来なくなったであろう、その若い男性職員はそう呟いた。

「お前かあ」

 彼はその声の主を席から凄まじい勢いで引きずり降ろし、その腹部を強烈に蹴り上げた。その職員は突然のことで何も応戦することができず、何度も蹴りを受け、一方的に痛めつけられた。

「がはっ」

 若い職員は血を吐いた。

「俺達がなんだって? ほら、もう一度言ってみろ!」

 その男性職員は言葉を返す余裕などもうどこにもない。目が虚ろになり、泡を吹き始めた。

「差別対象の凛の民ごときが生意気だっていうのか!」

 その相手は蹴られても殴られても何も反応しなくなっていた。そして終いには全く動かないただの固体となってしまった。

 死んだのかもしれない。

 市の職員はその様子を見て震え上がった。

 改めて凛の民の凶暴性を認識させられた。

 閉鎖的で他を認めず、すぐ暴力に訴える。学もなく、大学を卒業する人間は稀で、収入も低い家庭が大半だ。ガラが悪く、壁が出来る前の立原市の犯罪の大半が凛の民によるものだった。彼らは日本人を敵対民族とみなし、暴力沙汰をよく起こしていた。

 市の職員は恐怖で身動き一つ取れなくなってしまった。

 庁舎を歩く凛の民の手にはバットや鉄の棒、竹刀、木刀が握られ、目を付けられた市の職員はことごとく彼らの武器によって打ちのめされていた。普段の市庁舎の平穏はもはや何処にも存在しなかった。

「見つかったか?」

「いや、いない!」

「くそっ」

 次第に彼らは焦りを見せ始めた。

 もう見つからないのではないかと思い始めていた。

 諦めかけていた。

 庁舎の中を走り抜ける若者がいた。

 その凛の民は庁舎から走り出た。

「秘書が見つかったらしいぞ!」

 そして市庁舎の前に設けた凛の民の仮本部に入ると、息を切らせながらそのことを報告した。運動会などで使うテントを複数張り、長机を並べた簡易的な本部だったが、全ての情報はそこに集められ、そこで決断が下されていた。

 細かい目の雪が本格的に降ってきた。

 奥にいた車椅子の少年が口を開いた。

「本当か?」

「今ここに連れてきているところです」

 魔界の公爵であるアシュタロトに凛の民を売った市長を捕まえ、その罪を断罪することが、彼らの念願であり正義だった。秘書が見つかったとなれば、市長の居場所が明らかとなり、その宿願がすぐにでも叶うかもしれない。

 期待は膨らんだ。

 雪が舞う中、自然と仮本部のテントの周りに大勢の凛の民が集まってきた。

 

 

 髪の長い黒いスーツ姿の若い女性が市庁舎の外に設けているテントに連れられ、白い円柱状のストーブの前に置かれたパイプ椅子に座らされた。

 車椅子・・・。

 ストーブを挟んだ正面に高校生くらいの男の子が彼女の様子を伺っていた。その男子は紺色のPコートを着て車椅子に座り、膝にベージュの毛布を掛けていた。

「コーヒーをどうぞ」

 にっこり笑ってそう声を掛けると、黒いコートを着た初老の男がすっと現れ、コーヒーの入った紙コップを女性秘書に差し出した。

 彼女はコーヒーを受け取り、再び正面の男子を見た。

 そしてすぐに違和感を持った。目の前の車椅子の男子が、この場の主導権を握っているように思えたのだ。いや、支配しているように見えたのだ。

「あなたが市長の秘書をしている大森祥子さんか」

 そう言って目の前の男子はじっと彼女の目を見つめていた。その目を見ては駄目だと思ったが、結局は目を逸らすことは出来なかった。次第に支配されるような異質な感覚が彼女を覆っていった。

「市長は何処に隠れている?」

 答えることを命令し、強制する口調だった。

「・・・」

 恐怖を覚えた。

「義理立てする程、彼は立派な人間ではないはずだ。凛の民を売った代金として年一億の年金をアシュタロトから受け取る約束をしていたような男なんだぞ。姑息で、保身で自分のことばかりを考える人間だ。欲に従順で良いところは何もない。そんな奴を庇う必要は何処にもないだろ?」

「あなたは・・・誰なんです?」

「余計なことは聞くな」

 黒いコートを着た年配の男は咎めるようにそう言った。高校生は年配の男を嗜めた。

「いいんだよ。ラクキス」

「はっ」

 高校生は頷き、女性秘書に再び向き直った。

「僕は東原といいます」

「東原・・・」

「まあ本当の名前ではないのだけど」

 その男子は楽しそうに言った。

「・・・」

「そうだな・・・僕は凛の民を束ねる者、凛の君と呼ばれる存在だよ」

「!」

 女性秘書は驚きを隠せなかった。確かにその存在は噂で聞いたことがあった。それはこの立原の地には凛の民を統治する凛の君と呼ばれる君主が存在しているという話だった。

「僕が第五十代凛の君だ」

「嘘・・・」

「嘘? 何故?」

「噂では凛の君は私と同じくらいの歳の女の子はずよ・・・」

「それは僕の姉だよ。先代の凛の君だ」

 彼は暗い表情を見せた。

「姉は馬鹿な人間だった。壁が出来てから、アシュタロトの誘いに乗り、彼女に協力し、自分の民を売り、自分の身の安全を確保した裏切り者だ」

「・・・」 

 細かい雪が降り続いている。ストーブを置いているとは言え、ここはただのテントの下にすぎない。全てが凍るのではないかと思うほどの寒さを感じる。

「僕は僕の民を売った奴は許せない。それが自分の姉であって凛の君であっても、この地の市長であってもね」

 壁がこの地域に出現し、多くの凛の民の命が奪われ、壁に囲まれた凛の民は悪魔が管理する牧場の家畜として扱われた。東原はそれを思い出し、唇を強く噛んだ。

「大森さん、市長の居場所はどこなんです?」

「・・・」

 女性秘書は東原から視線を逸らそうとしたが、それができないでいた。

「大森さん、あなた方日本の人間から見れば、我々、凛の民は学もなく、閉鎖的で凶暴な民族にしか見えないかもしれない。そのあなたのイメージ通りに我々は今、行動することが出来るのだぞ?」

 冷酷でぞっとする言い方だった。

 凛の君は更に言葉を続けた。

「爪を抜いたり、皮を剥いだりといった残酷なこともね」

 大森はその冷たく抑揚のない声を聞いて気を失いそうになった。もう市長を庇う余裕など何処にもない。彼女は決心し、震えた声で言った。

「市長は地下駐車場の公用車にいます」

 その言葉をテント外で聞いていた男が反応し、言った。

「そんな馬鹿な・・・その公用車には誰もいなかった。念のためトランクも調べたけど誰もいなかったぞ」

「だそうだが?」

 東原は女性秘書に言った。

「いえ、いるはずです。公用車のトランクと後部座席の間には隠し空間があります。そこに市長は隠れています」

「行って確認してくれないか?」

「分かりました、凛の君。すぐ確認してきます」

 男は腰の銃を確認し、複数の凛の民と共に走って庁舎に向かった。

「ありがとう、大森さん。あなたの勇気ある告白をありがたく思うよ」

 東原はそう言って笑いながら女性秘書の顔を見た。彼女は震えながら小さく頷いた。

 吹き込む雪が東原のPコートや膝の毛布に積もっては消えてゆく。細かいカーテンのような雪が降り続いていた。

 東原はそれ以上何も言わずに凛の民が市長を確保しに入った庁舎を見つめていた。

 

 

 地下駐車場に向かう凛の民は焦る気持ちを抑えることができなかった。あの市長を確保し、罪を償わせることができるかと思うと、冷静さを装っても興奮を抑えることはできなかった。

 旧式のいかにも重そうなエレベータが地下に着き、鉄のドアが開いた。

「暗いな」

 エレベータの明かりだけが唯一の明かりだった。

 凛の民は前に進んだ。後ろでエレベータのドアがゆっくり音を立てて閉まってゆく。

 真っ暗の世界が広がった。場内の明かりのスイッチは守衛所にあるはずだ。一人の凛の民が携帯を取り出し、懐中電灯の代わりに辺りを照らすと、暗闇に同じような明かりがポツンポツンと点在し始めた。だが暗さが勝り、視界は一メートル程度しか確保できていなかった。

「誰か守衛所に行って電気を点けてくれ」

 その言葉に反応して七人いる凛の民の内、数人が守衛所の方向に向かった。

 スマホの光の先に守衛所の鉄の扉が見えてきた。それに続いて、守衛所から駐車場全体を見るために設置された三枚の大きな窓ガラスが見えた。

「?」

 何か変だと思った。守衛室の鉄扉を開く音が暗闇に広がった。

 違和感を覚えた。その凛の民は守衛所に付けられた窓ガラスから中の様子を伺おうと、スマホの光を中に当てた。

 白い煙が漂っている。

「!」

 粉塵爆発のトラップだ!

 直感的にそう思った。

「待て!」

 電気を点けるスイッチの音が鳴った。

 ドン!

 赤い炎と爆風によって三つの窓は瞬間的に破壊され、それと同時に何人もの凛の民がそれに吹き飛ばされ、床や壁に叩きつけられ、火傷を負い、ガラスの破片に傷つけられた。無事な凛の民は三人にまで減っていた。

 守衛所は炎に覆われ、その炎は皮肉にも照明の代わりとなり、暗い地下駐車場を照らしていた。火災報知器が反応し、天井のスプリンクラーから放水が開始された。

 バン!

「!」

 一人の凛の民が心臓を撃ち抜かれ、どさっと倒れた。続けてまた一人の凛の民が胸を撃たれ、倒れ、その体が動くことは二度となかった。

 駐車場から撃ってきている!

 残された一人は慌てて物陰に隠れた。

「敵は何者だ・・・」

 バン、バン!

 コンクリートの破片が頬に飛んできた。

 今度は俺を狙ってきているの!

 あの二人のように殺されるのかと思うと言いようのない恐怖を感じた。柱に隠れ、銃を手にしながら駐車場奥の暗闇に人の気配を探った。

 二人は正確に心臓に撃たれている。それにさっきの爆発は小麦か何かの粉塵爆発だ。

 相手はプロだ・・・。

 とすると日本側の人間によるものか。

 そう思うと動悸が激しくなってきた。

 人の気配を感じた。とっさに反応して銃を撃った。

 バン!

 銃声が地下駐車場の中で反射した。

「うわっ」

 中年の男の声だ。

「なんとかしろ、撃ってきたぞ!」

 聞き覚えのある声だった。

 市長だ!

 そして考えが繋がった。

 日本側は市長を凛の民から守るために粉塵爆発のトラップを仕掛けていたのだ。そして暗い駐車場の奥から狙撃を行い、トラップに巻き込まれなかった凛の民を撃ち殺しているのだろう。市長は日本側に守られながら、あの駐車場の奥にいるに違いない。

 声のした方向に銃を撃った。

「!」

 突然、目の前に人影が現れ、腹部と側頭部に衝撃を感じ、その凛の民は倒れた。

 ナイフを振り下ろす光景が目に入った。彼は体を横に回しそれを回避し、握ったままだった銃で敵の脇腹を勢いよく叩いた。

「がっ」

 敵は倒れ、凛の民は立ち上がり、床に転がっている敵に銃弾を放った。だが素人故に手は震え、弾はどこにも当たらなかった。

 バン!

 一瞬、その凛の民は何が起こったのか分からなかった。

 衝撃のあった胸に強烈な痛みを感じる。ゆっくり自分の胸に視線を降ろすと血が溢れ出ているのが見えた。

 駐車場奥からの銃弾だ。

 そりゃそうか・・・仲間がいるよな・・・。

 そして彼はコンクリートの床に倒れ、意識を失い、二度と意識が戻ることはなかった。

 


 市役所の地下駐車場から白いミニバンが出てきた。警備担当の凛の民は高さ一メートル程のバリケードの手前でその車を止めた。十人程度の凛の民が見える。

 運転席の窓が開いた。

 運転していた男は明らかに焦っている様子だった。男は言った。

「怪我人を病院に搬送するんだ。通らせて貰えないか!」

 男は腕に通した凛宗の紋章が入った数珠を警備の凛の民に見せて言った。助手席に座っている男も同じように数珠を見せた。

 警備担当の凛の民は車の後部座席を覗いた。

 後部座席と最後部の座席に計五人の血を流した、もしくは火傷を負った男が乗っているのが見える。全員気を失っているようだった。

「酷いな・・・さっき爆発音と銃声のような音が聞こえたが、地下でいったい何が起こっているんだ?」

 地下駐車場の出口を守っている警備の凛の民は聞いた。

「地下駐車場で爆発が起きたみたいなんだ」

「爆発?」

「よくは分からないが、市長を探していたこの五人が巻き込まれたようだ。市長を巡って護衛の警察と交戦して、車のガソリンに引火したのかもしれない」

「市長は見つかったのか?」

「いや、見つかっていない。だが逆にこの建物にまだいることが証明されたとは思う」

「そうか・・・」

「すまない、後ろの怪我人を今すぐ立原総合病院に運びたいんだ。通して貰えないか?」

 運転席の男は切羽詰まった様子でそう言った。

 警備の男は後部座席を見た。火傷を負った男の顔は焼けただれ、今すぐにでも治療をしなければならないのは一目で分かる。頭から血を流している男もいた。

「分かった。我々の同胞の命を頼む」

 彼はそう言って、配下の人間にバリケードを外すように指示した。


 

 いい感じだ。

 スマホに届いた幾つもの報告メールを読み、その小年はそう思った。

 金髪で青い目を持ち、歳の頃は小学生の高学年に見えたが、表情に幼さはどこにもなく、むしろ落ち着いた大人のような印象さえ感じさせる。細かい雪が降る中、傘を差しながら橋の上の欄干に寄り掛かり、スマホを見ていたが、やがて川の流れに視線を移した。幅数百メートルはある大きな川だ。水は黒く、底は全く見えない。

 その色は雪を降らす厚い雲の色と同じだった。

「ふん」

 元々閉鎖的で民族意識の高い凛の民は、アシュタロトが死んでから日本からの独立を主張し、デモを繰り返していた。 それが機動隊による発砲により、大きく流れは変わった。

 彼らは蜂起し、警察、市庁舎などを占拠するだけでなく、少数派である日本人に対する暴行や日本資本のスーパーなどでの略奪を起こした。日本人の中には立原から逃げ始める人間も出始めているようだ。先祖の代からこの地で生きてきたにも関わらず、凛の民を恐れ、財産を捨て、着の身、着のままで逃げざるを得ない状況が立原地方全域に広がっていた。

 少年は呟いた。

「まあ、いいんだけどね」

 これから独立と称した内乱が始まり、それは長きに渡る戦いになるだろう。軍が介入し、市民が殺されてゆく。憎しみが憎しみを生み、独立運動は激しさを増し、終わりが見えなくなるのだ。

 少年は笑みを浮かべた。

 それこそ自分が思い描いている未来だ。思い通りにいっている。

 細かい雪が降り続いていた。少し積もってきているようだ。川べりの土手が薄っすら白くなってきている。

 二人の背広姿の男がその少年に駆け寄り、一礼をして言った。

「三佐、ご命令の件、完了致しました」

「そうか、ご苦労様。奴は今どうしている?」

「変装姿のまま、車に乗っています」

 少佐と呼ばれた小学生姿の男子は少し離れて停まっている白いミニバンに目をやった。なるほど運転手の後ろにスキンヘッドで小太りの男が座っている。その男は頭から血を流し、血まみれの茶色のジャンパーを着て、その様子はまさに今回の蜂起で重症を負った凛の民に見えた。

 少年は思わず笑みを漏らした。

「髪を全部剃ったのか?」

「特殊メイクで顔を変えて、念のためスキンヘッドにしておきました。例の爆破の怪我人に混ぜて市庁舎を出ましたが、警備の凛の民は誰も気付きませんでしたよ。凛宗の数珠もしていましたし、ぱっと見では分からなかったのでしょう」

「本人は気に入っていないようですが」

 別の男がにやにやしながら、そう言葉を付け加えた。

 傘を差したまま少年は歩き、白いミニバンに近づいた。運転席に座っていた男が車から降り、少年に向かって敬礼した。少年はそれに敬礼で返し、変装姿の市長が座る後部座席の前に立った。電動ウィンドウがジーと音を立てながら開いてゆく。

「・・・子供? なんで子供が? 君が責任者なのか? いったいどういうことなんだ?」

 戸惑う市長に三佐と呼ばれた少年は敬礼して言った。

「三等陸佐のルーフルと申します」

「えっ、三等陸佐・・・いや、ルーフル? 金髪? 外国人なのか? それより何なんだね、これは! まるで私が凛の民のようじゃないか!」

「申し訳ございません。私共としては一番良い脱出方法が凛の民になりすますことだと考えましたので」

「許せん! よりによって私が一番嫌いな存在の凛の民に変装させるとは! お前は外人部隊か何かの所属なのか? このこと、問題にしてやるぞ!」

 それが日本人と凛の民の融和を唱えて市長に当選した人間の言う言葉か。

 少年は目の前の男に呆れた。

 尚も市長の不満の呟きは続いていた。

「ちっ」

 少年の舌打ちが聞こえた。そして傘を差したまま腰から拳銃を突然取り出し、市長に向けて言った。

「勘違いするな。お前を助けたのはお前の命が惜しいと思っての事ではないのだぞ。凛の民に日本人の市長を殺されるという失態を避けたかっただけだ。立原地方から出てからの生死の保障は別にいらないんだよ!」

「な・・・」

 市長の顔に驚愕と動揺の表情が現れた。少年に得体の知れない恐怖を感じたのだ。

「なんならここで死んで貰って、立原から脱出後に死んだことにしたっていいんだぞ?」

 彼は後部座席のドアを強引に開け、片手で車から引きずり下ろし、市長の顎に銃を押し付けた。市長は恐怖でもう身動きさえ取れなかった。

 そこにはガタガタ震えている情けない男がいるだけだった。

「ちっ」

 少年は苛立ちを隠さず、拳銃で市長の後頭部を殴った。

 市長は失神し、車の後部座席に沈んだ。



「被害の程度は?」

「地下駐車場の爆発による炎は消火が完了しました。銃殺されたのが三人、重傷が五人。重傷者は立原総合病院に搬送中とのことです。命に別状あるか否かの報告はまだありません」

 初老の男は東原にそう答えた。

 細かい雪が振り続けている。寒さは一層増していた。

「日本側による市長の救出が目的か?」

「おそらくは」

「敵の消息は?」

「分かりません。ですがまだ市庁舎にいるものと考えます。残念ながら手分けして探してはいますが、まだ見つけられていません」

「そうだろうか?」

 東原は白い円筒形の形をしたストーブの炎を見つめながらそう呟いた。

「と申しますと?」

「ここから地下駐車場に向かったのは架の班だったな? 何人だ? ラクキス」

「確か・・・!」

 初老の男は自分の詰めの甘さを悟った。

「七人です」

「そうだ。地下駐車場の敵と遭遇したのは七人でなければ辻褄は合わない。だが今の数字の合計は八人だ。じゃあ一人は誰だということになる。それに怪我人を病院に連れてゆくと言っていた二人の凛の民は誰なんだ? 本当に凛の民なのか?」

 車椅子に座る東原は視線をテントの外に移した。

 雪の勢いは弱まってきている。

「市長を救出に来た日本側の人間は、凛の民に囲まれた市庁舎から市長を連れ出すのは無理だと思った。爆発のトラップを用意して重症の怪我人を作り、用なしの軽症の者は射殺した。そして怪我人を病院に運ぶと称して、市長と一緒に車に乗せて市庁舎を出たんだ」

「それでは市長は・・・」

「悔しいがもう市庁舎にはいないだろう。一応立原総合病院に電話をして確認しておいてくれないか。多分そんな怪我人は搬送されていないと言うだけだろうが」

 ラクキスは配下の人間に電話を指示した。結果はすぐに返ってきた。

「搬送はされていないそうです」

「やはりそうか」

「くっ・・・」

 君主に周りに控えていた凛の民は思わず言葉を漏らした。

 あの壁が突然現れ、壁に取り込まれ、命を落とした者が大勢出た。残った人間はアシュタロトの手先によって定期的に魂を削り取られ、生きる希望のない生活を送っていた。中には廃人となってしまった人間もいる。その原因を作ったのは、立原市の市長なのだ。

 取り逃がしたことは屈辱であり、相当の悔しさがあった。

「道路閉鎖の状況は?」

「大方完了しています」

「立原から流出している日本人はどうしているんだ?」

「身元確認の上通行を許しています。ただ人数は多いのでザルかもしれませんが」

「・・・」

 東原は立原の山々を見た。

 薄っすら白くなっていた。細かい雪の中にときおり雨が混ざってきているようだ。

「撤収だ。ここには統治部と管理部の人間を残して文化会館に戻るぞ。これからやらなければならないことは山積みだ」

 凛の君である東原はそう命令を下した。



 金髪の少年は傘を差しながら橋の欄干を背にスマホを見ていた。

「ルーフル三佐」

 見上げると一人の黒服の男が立っていた。

「ああ」

 少年はそう返事をするとスマホを持っていた手を降ろした。

「市長はどこまで辿り着いた?」

「県境を通過したところだと思います。今度は意識不明の重病人という設定にしておきました。三佐に殴られ、気を失っていましたが、念のため睡眠薬を打っておきました。特殊メイクもしていますし大丈夫でしょう」

 ルーフルの部下はそう答えた。

「ふん、最初の任務は成功だな。次はアークイリシアの確保か」

「なかなか難しいでしょうね」

 黒服の男は苦笑しながら言った。その言葉に金髪の少年は頷いた。

「だが、今イリシアは凛の君と仲違いしている。アシュタロトを半年前に倒して以来ずっとな。彼女は人が争うということに嫌って、日本からの独立を考えている凛の君とは決別しているんだ。この機会を逃さない手はない」

「ですが、日本と凛の民が戦争になったとしたら・・・」

「半年前と同様、また凛の君と組まれると厄介だ。日本政府と凛の民の主張は相容れない。なにしろ奴らは悲願だと言って独立しか目に入っていないからな。会話にもならない。だからこそ政府は凛の民の希望である彼女の早急な確保を要望しているのだ」

 川辺りを見た。

「まあ最悪は殺していいことになっているけどな」

 薄っすらと積もっていた雪がいつのまにか消えてしまっている。細かい雪は冷たい雨に変わっていた。

「まあ話してみるか。お前達は後続の部隊と合流して文化会館を落としてくれ」

「はっ、了解しました」

 男は敬礼してその場を立ち去った。

 そしてルーフルは傘を差しながら再びスマホに視線を戻した。


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