最終面接、全滅
「……残念ながら、今回はご縁がなかったということで」
面接官の言葉は途中から耳に入ってこなかった。
都心のオフィスビル、23階。大きな窓の向こうでは、夏の陽射しがビル群を白く光らせている。景色だけはいつだって一流だった。
俺、橘翔太。瑞穂芸術大学、通称・瑞芸の4年生。
本日をもちまして、就職活動の戦績は……30戦、30敗。
「本日はありがとうございました」
深々と頭を下げて、面接室を出る。
エレベーターの鏡に映った自分は、我ながらそこそこ悪くない顔をしていた。リクルートスーツも似合っている。姿勢もいい。弓を引いてきたおかげで、立ち姿だけは体育会系だと褒められる。
そう、立ち姿だけは。
「橘さんの学生時代に力を入れたことは、アーチェリー……だけ、ですか?」
最終面接で、面接官の1人がそう言った。「だけ」のところで、眼鏡がきらりと光った気がした。
だけ、とはなんだ。だけ、とは。
70メートル先の、直径12センチの円。そこに矢を通すために、俺は3年あまり、風を読み、呼吸を数え、指先の感覚を研ぎ澄ませてきたんだ。
だが、面接官の言いたいことも分かる。
アーチェリーは、金にならない。
プロリーグはない。実業団は数えるほど。芸術学部で学んだ陶芸の知識と、洋弓部で鍛えた集中力。俺の4年間を煮詰めても、履歴書の「特技」欄が一行埋まるだけだった。
……特技、アーチェリー。
……以上。
ビルを出ると、7月の熱気が、アスファルトの照り返しと一緒に顔に貼りついてきた。
昼休みの会社員たちのワイシャツが、やけに眩しい。俺も同じ白いシャツを着ているはずなのに、彼らの首には社員証がぶら下がっていて、俺の首には何もない。
スマホが震えた。洋弓部の後輩からだ。
『翔太さん、面接どうでした!?』
『全滅』
『ウケる』
『ウケるな』
既読だけつけてスマホをポケットにしまった。
そこへ、もう1通。
『内定祝い、来週やるってさ。お前も来いよ。裕子も来る』……貴光。
広岡貴光。同じ洋弓部の同期で、腕は俺と同格か、半歩上。そしてこの男は、誰もが知っている大手メーカー・飛鳥精密の内定を、とっくに取っている。
ついでに言うと、貴光の幼なじみの神塚裕子さんは、俺が3年間ひそかに憧れている人でもある。
世の中は実に不公平にできている。
既読だけつけてスマホを閉じた。2回目だ。
*
電車に揺られて、1時間。
商店街のはずれ、築30年の我が家に帰り着く頃には、日が傾き始めていた。
玄関の壁には、先月のインドネシア土産が掛かっている。目の吊り上がった、赤黒いお面だ。父さんが出張先で買ってきた。魔除けだそうだが、毎日帰宅のたびにこいつと目が合うので、むしろ俺のほうが魔に取り憑かれそうな気がしている。
「ただいまー……」
「おかえりなさい。……あら、早かったのね」
台所から顔を出した母さんが、俺の顔を見て、それから何かを察したように「そう」とだけ言った。
30回目ともなると、母親は結果を聞かない。俺も言わない。この無言のやり取りだけ、うちの親子は全国大会レベルに仕上がっている。
「父さんは?」
「編集部に泊まり込みですって。校了前だから」
「ああ、そうだった」
父さん、橘信夫は出版社の編集者だ。雑誌が休刊になるたびに部署が縮み、そのたびに仕事が増え、年がら年中家にいない。最近は特にひどい。息子の入学式にも、リーグ戦の応援にも、来たことがない。
まあ、いい。来られても困る。30連敗の息子の顔なんて、見せられたもんじゃない。
「ごはん、できてるわよ」
「……うん」
母、澄江は、それ以上何も言わなかった。
けれど、味噌汁をよそう背中が、少しだけ小さく見えた。食卓の隅に、父の会社から来た封書が重ねてあるのが目に入る。ボーナスの通知か何かだろう。母さんはそれをさりげなく新聞の下に滑らせた。
その背中に、俺は「ごめん」も「大丈夫」も言えなかった。
夕食のあと、2階の自室で天井を見上げる。
壁際には、3年間連れ添った相棒……リカーブボウが置かれてある。ハンドル、リム、サイト、スタビライザー。バイト代を注ぎ込んで、少しずつ組み上げてきた俺の弓だ。
「……お前は金にならんなあ」
弓は答えない。当たり前だ。
目を閉じると、この春のリーグ戦を思い出す。
最終エンド、逆転がかかった最後の1射。
距離70メートル。風は左から2メートル。観客席のざわめきが、すうっと遠ざかっていく。
弦を引き絞る。右手の指先が頬の定位置に触れる。サイトの向こうで、金色の的がゆっくりと呼吸を合わせてくる。
……いける。
根拠なんてない。ただ、分かるときは分かるのだ。
指が弦を離れた瞬間、もう見なくても知っていた。
矢は風に一度だけ撫でられて、70メートル先の中心に、吸い込まれるように突き立った。
テン。ど真ん中の10点。逆転勝利。
部員たちがもみくちゃにしてくる中で、俺は確かに思ったんだ。この瞬間のために生きてる、って。
……で、その3か月後に30連敗ですよ。人生って何なんですかね。
でも、と思う。
矢をつがえて、弦を引き絞って、狙いの中心に意識が溶けていく、あの瞬間。世界が静かになる、あの感覚。
あれだけはどこの会社もくれない。それだけは、断言できる。
スマホを開くと、大学からのメールが届いていた。
卒業制作関連の連絡だ。俺は陶芸専攻で、卒業制作がまだ半分も終わっていない。就活に落ち続けている間に、そっちの締め切りも着々と迫っていた。
『卒業制作用の窯の予約は、明日が最終受付日です。未予約の学生は、事務室までお越しください』
スクロールすると、本文の下に、もう1行あった。
『追伸 陶芸室に、預かりものがあります』
「……預かりもの?」
思わず声に出た。
心当たりがない。粘土の注文はしていないし、忘れ物をした覚えもない。そもそも、事務室からの一斉送信に、追伸がつくのを初めて見た。
「……明日、大学行くか」
夏休みの構内は静かだろう。誰もいない陶芸作業室で、土でもこねていれば、少しは頭も冷える。
30連敗の就活生は、布団をかぶって目を閉じた。
的のど真ん中どころか、的紙にすらかすらない俺の人生。
それでも明日は、来るらしい。




