1-3
…
無重力空間。
そう表現するのが一番適している。
息は吸える。
冷たい空気と生暖かい空気が混ざっている。
どこかに向かって落ちているのは分かる。
周囲は真っ暗だが、自分の身体だけははっきり見える。
下の方には丸い光が見える。
物凄いスピードでその光に向かっているのに、身体はゆっくりと落ちている感覚。
…どうなるんだろう。
死ぬなら一瞬にしてほしい。
苦しむのは嫌だ。
ー…
眩しい
ーーーーー…
光に包まれて目を瞑ると、一瞬身体がふわっと一回転するような感覚。
何がどうなったのか分からないまま、気づくと身体の側面に重心がかかり、硬い何かの上にいるのが分かった。瞼の裏にある光は落ち着いた。
ゆっくり目を開けると、目の前は建物の壁。
桜はオシャレな石畳の上に横たわっていることに気づくと、手を地に着いて身体を起こした。
その時、右手が少しヒリッとした。鍵が開いた瞬間に感じた痛みと似ている。
手の平を見てみると、少し赤くなっていた。
…まあいいか、と周囲を見回すと、四方が数件の壁に囲まれている。おそらく、建物の裏側だろう。しかし、建物の裏側とは思えないほど綺麗で、ベンチまで置いてある。
どこかのショッピングモールなのか、ヨーロッパ風でおしゃれな建物だ。
表に出れそうな道があった為、学校のバッグと誕生日プレゼントが入った袋はひとまずベンチの上に置いて、そこに向かって歩いてみる。
おそらく壁の先は人混みだろう、多くの人の話し声が聞こえる。
壁と壁の間を抜けると、光が差し込んで急に眩しくなる。
…ここは、どこだろう。
全ての建物が中世ヨーロッパ風でおしゃれだ。道端でフクロウを腕に乗せ芸をしている人、ピエロの格好をして手品をしている人、屋台で風船を販売している人、色んな人がいる。自転車や車は通っていない。街は歩行者でいっぱいだ。
歩いている人は、日本人とは少し違う顔立ち。いろんな国が混ざったような、だけどどこか日本とは違う。髪の色も目の色も人それぞれで、日本より金髪の人の割合は少し多く見える。そもそも本当に人なのかも分からないが。
…言語は。…聞き取れる。日本語だ。余計、意味が分からない。
だけどひとまず、宇宙に行ってしまって宇宙人に誘拐されたとか、人間がいない世界に来て解剖されるとか、恐ろしいことにはならない気がしてきた。想像していた世界が恐ろしすぎたからか、意味の分からないこの状況でも少しホっとした。
異世界なのか、海外なのか、日本のどこかなのかすら分からないが、混ざり合った香水の匂いが海外にいるかのように感じさせる。
とにかく状況を把握するために人混みに紛れて歩いてみると、他の人と服装や見た目が違うせいか、時間の流れが他人と違う気がした。学校の制服を着ている人なんて他に見当たらない。そのせいで人目が気になった。見られてるような気もしないでもない。
…でも大丈夫。街は笑顔で溢れている。
きっとみんな、同じ人間。
自分にそう言い聞かせ、少し落ち着いてきた時、ふわっと風が吹いた。
「…あれ…?」
…この匂い、知っている。
生暖かい、ほわっとするような風に乗ってくる少し甘い匂い。ほんの僅かに海からくる風が混ざっているような。
気温も少し温かくて丁度良い。
…ここ、来た事がある。
小さい頃の記憶に残っている。
思い出せそうで、思い出せない。
でも、確かに来たことがある。
…懐かしい。懐かしい。
内臓がざわざわする。
子供のころの何かを思い出す。
桜は周りの人、建物を不思議そうに眺めていると、突然男の人の叫び声が聞こえた。
「やめろおぉぉ!!!!」
びくっとして声がした方を見ると、スキンヘッドで頭に刺青が入った筋肉質で大柄な男に、片手で頭を壁に押さえつけられている少しヤンチャそうな若者。男同士の喧嘩だろうか。…にしても、片手で頭を持つって。意味が分からないことだらけで意味が分からない。
スキンヘッドの仲間は2人いる。捕まっている若者を笑いながら3人で取り囲んでいる。
「俺が誰だか分かってるよな?死ぬ前に頭に叩き込んでおけ、俺の名はギルだ。これから俺に逆らった罰を与える。」
「ごめんなさいごめんなさい!」
…やばい状況なのは見てわかる。こんな人混みなのに誰も助けないのだろうか。
周囲の人の動きを見ると、立ち止まって遠くから見ている人と、逃げた人で半分半分だった。
「ギル様、さっさとやっちまった方が良いっすよ!」
「そうっすよ、こんな失礼な奴!」
取り囲んでいた仲間たちはそう言う。ギルに媚びを売っているのが見え見えだ。きっと、ギルより情けなくて弱い奴らに違いない。
ギルはニッと笑って片手で掴んでいた頭を壁側に強く押し付けた。すると壁にはミキミキッとひびが入り、若者はすぐに意識を失った。
…人の力で壁にひびが入った。そもそも、壁にひびが入る程力を入れたら人の頭が先に潰れるんじゃ?
もしかして、みんなやっぱり人間じゃない?ていうかこの人、生きてるの?
ギルは意識を失った若者の頭を掴んだまま、更に地面に頭を叩きつけた。
石畳が割れ、若者の頭から血が飛び散った。
……
…こんな光景を見るのは初めてではない。
人間離れした力、飛び散る大量の血。
遠い昔、忘れようとした記憶が一瞬にして蘇る。
消して。
頭から消えて。
早く。
頭を真っ白にして。
違うことを考えて。
そうやって繰り返して消しきた記憶。
これまで通り、消して。
「バカが。」
ギルはそう呟き周りにいる人たちの方を見ると、一斉に全員走って逃げだした。
「逃げろ!!」
「殺される!!」
「キャアアアァア!!」
桜はごちゃごちゃした頭の中をなんとかしようと止まっている間に、一瞬にして1人取り残された。
…え、逃げなきゃ。
そう思った頃に、ギルと目が合った。
「あぁ? 逃げないのか?いい度胸してんな。……なんだ、可愛い顔してんじゃねーか。殺すには惜しいな。…まあ、俺には関係ねーけどな。」
後ろを向いたら終わりだ。そんな気がする。ギルの方に身体を向けたままゆっくり後ずさりする。
「逃がさねぇよ。」
ギルはそう言いニッとすると、いつ移動したのかすら分からないほど一瞬の速度で桜の背後まで移動してきた。15mぐらいは離れていたのに。
ギルは後ろから桜の首に左腕を回し軽く締め、右手に持ったナイフをこめかみに突きつけた。
…え、死ぬのかな。
あの若者と同じように。
死ぬのかな。
抵抗など全く意味がないと思わせる対格差。
ここから抜けようと力を入れる気にもなれない。
…死ぬってどんな感じなんだろう、なんてこれまで何度も考えた。
生きるのに疲れた時、何度も考えた。
いざ、自分で選択できない状況に陥って何か新しい考えが生まれないだろうか。
「お前、死ぬのが怖くないだろ。」
「…どうしてそう思うの?」
「ははっおもしれーな。今から死ぬって恐怖で怯えてるやつがそんな冷静に質問を返せるかよ。」
…確かに、それもそうだ。
痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。
でも、こんな、この世界にいないような人間、いなくなったところで誰が悲しむのだろうか。
隠し事をするために嘘で囲った自分、いなくなったところで元々ないようなものだろう。
「いいか、よく見てろ。死ぬ前にせめて絶望させてやる。この世界の現実を。」
そして今度は、逃げている周りの人々に向けて大きな声で言う。
「力なき愚か者たち、この若い娘を助けたければ俺を倒してみろ!俺は懸賞金1500万セッドのギルだ!戦えないなら金で許してやる!しかし金を払わなければその時点でこの娘も名乗り出た奴も殺す!」
…あぁ、殺される。
この人が言ってることは嘘だ。
例え誰か名乗り出ようと生かす気はない。
人の嘘を見抜くのは得意だ。
…だけど、助かる方法はきっとある。
2つめの魔法。
生きたい?死にたい?
「1500万セッド!?おいどーすんだよ、このままじゃあの子殺されるぞ!」
「そんなこと言ったって助けようがないんだからしょうがないじゃない!」
「俺その懸賞金のチラシ見たことある! 本物だぞ!」
ギルは鼻で笑い、桜を捕えていた腕に力を入れた。
…苦しい。息がし辛い。もしもがいたらもっとエネルギーを消費する。きっと、大人しくしていた方が苦しくない。
「やっぱり誰もいねぇか、冷たい奴らだな。あと5秒以内に誰も現れなければこの女を殺す。俺は男も女も関係なしに殺す、よくその眼に焼き付けておけ。10、9、8、7、6、…」




