第86話 クロニクル3、グローリー
日本政府はアメリカ艦隊によりクェゼリン基地が奇襲攻撃を受けたことをNHKの海外向け短波放送を使って発信し、合わせてアメリカ艦隊を撃退したことを伝えた。また国内向けに緊急ラジオ放送を行った。
「番組の途中ですが、ここで政府からの緊急の発表をお伝えします。本日午前4時。現地時間午前7時に、空母二隻を基幹としたアメリカ艦隊の艦載機がわが国の委任統治領であるクェゼリンを攻撃しました。クェゼリン基地航空隊はこれらを果敢に迎撃し、クェゼリン基地への攻撃を断念させています。また、クェゼリン基地航空隊は、アメリカ艦隊に対して反撃を試み、多大な損害を与え撃退しております。これにより、わが国はアメリカ合衆国と交戦状態に入りました。繰り返します。わが国はアメリカ合衆国と交戦状態に入りました。戦果については、詳しい情報が入り次第海軍部より発表されるとのことです」
日本とクェゼリンとの時差は3時間。
在日アメリカ大使館では、午前8時30分にジョセフ・クラーク・グルー全権大使が霞が関にある外務省に赴き、外務大臣廣田弘毅に最後通牒を手交した。
文書を一瞥した廣田は、グルーに対して、
「これは、貴国からのわが国への宣戦布告ということでよろしいですな?」
「しかり」
「貴国がわが国のクェゼリン基地に対して攻撃をしたのは現地時間午前7時。日本時間だと午前4時。つまり貴国は卑怯にも宣戦布告の4時間半も前にクェゼリンを攻撃している。人種差別撤廃、七族協和を掲げる『有色人種』のわが国が目障りで見下していることは分かりますが、どちらが文明国なのですかな? この文書は受け取りますが、わが国が受け取った時刻、今は1938年9月12日、午前8時35分。この時刻をしかと記憶していただきたいものですな。そうそう、わが国のラジオではすでにわが方の反撃により貴国の艦隊が撃退されたと報じておりますよ」
「……」グルーは黙ったまま席を立ち、震災を免れたものの、つぎはぎが目立つ赤煉瓦の外務省庁舎から退散した。
そもそも、真珠湾のアメリカ戦闘艦隊への出撃命令も、在日アメリカ大使館への本国からの指示などの通信も暗号文だったが、日本側によって解読されていたわけで、クェゼリン基地が待ち構えているのは当然だし、この日の廣田弘毅もアメリカ大使を外務省内で待ち構えていた。
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グルーが日本の外務省で廣田弘毅に最後通牒を手交した2時間ほど前。
レキシントン、サラトガから発艦した戦闘機、爆撃機はアメリカ艦隊に向けて進撃中のクェゼリン航空隊の露払いを任された戦闘機隊によって文字通り蹴散らされた。
そして、クェゼリン航空隊の九三式艦上爆撃機36機、九五式双発爆撃機18機による『爆撃』によりレキシントン、サラトガは大破した。そのうちレキシントンは飛行甲板上の未発艦の艦載機の爆弾が誘爆した上、艦のタンクから漏れたガソリンに引火して爆発炎上、さらに弾薬庫まで誘爆して爆沈。大破し漂流を始めたサラトガは駆逐艦の雷撃により処分された。他にレキシントン、サラトガに随伴していた巡洋艦4隻、駆逐艦8隻が、複数の至近弾による水中衝撃波が反射・合流したことでマッハステムが生まれ、その巨大な破壊力によりキールが折られ轟沈したほか、弾薬庫、魚雷などの誘爆により爆沈している。その他に駆逐艦2隻が片舷に熱圧爆弾の至近弾を受け、爆発時に発生した急激な気圧差と、それに続くアルミニウム火炎による周囲の酸素の急激な消費(吸い込み)と海面沸騰によるマイクロバブルによって片舷が瞬時に浮力を失い横転し、そのまま転覆・沈没している。
撃墜を免れ逃げ帰った航空機も着艦先を失い、荒れた海上へ不時着したが、救助されることなく文字通り全数が海没していた。レキシントンに座乗し戦闘艦隊の指揮をとったキング中将は戦死(行方不明)している。
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クェゼリン基地がアメリカ軍による奇襲攻撃を受けたことは直ちに台湾の航空隊基地にもたらされた。
黎明下、台湾の各航空基地から飛び立った陸海軍の戦爆連合がフィリピンの航空基地および港湾を襲撃している。海軍機による港湾への襲撃により、マニラ港に停泊していた潜水艦を含むアメリカ艦船は全滅し、海軍基地に集積されていた魚雷も全滅している。なお、マニラ港およびアメリカ海軍基地に対する爆撃は通常爆弾で行なわれていたため、周囲の被害は限定的である。
陸軍機はフィリピン各地に点在するアメリカ陸軍の航空基地への襲撃を行い、当日16時までには、全ての航空基地は保有機を含めて壊滅している。
また、アメリカ軍のグァム島守備隊は日本海軍の降伏勧告に従い、同日降伏している。
さらに同日。満州帝国とモンゴル国がアメリカ合衆国に対して宣戦布告を行っている。両国はアメリカ国内に公館を置いていなかったため、ラジオによる宣戦布告である。
満州国の大連に進出していたスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア:SoCal(現シェブロン)の製油所について敵性資産として関東軍が接収している。アメリカ国籍の従業員たちは収容され、後日、在日のアメリカ政府の外交官たちと一緒に、第3国経由で本国に送り返されることになる。
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同日午後。クェゼリン基地から飛び立った連山36機が真珠湾を夜間爆撃を敢行。
太平洋艦隊にはペンシルベニア(艦隊旗艦)、アリゾナ、ニューメキシコ、ミシシッピ、アイダホ、テネシー、カリフォルニア、コロラド、メリーランド、ウェストバージニアの10隻の戦艦が属していたが、この日真珠湾に停泊していなかった、テネシー、カリフォルニアを除く8艦は大破炎上し、ペンシルベニアは火薬庫に誘爆して爆沈している。残りの7艦も複数の熱圧爆弾の爆風の相乗効果で艦上構造物がほとんど吹き飛んだうえ、艦体までも高温で焼かれた結果、修理不能と後日判断され解体されることになる。もちろん戦艦以外の艦船、港湾設備も例外ではない。この時点で日本側は認識してはいなかったが、海面上での熱圧爆弾の爆発により、有毒かつ腐食性の塩酸その他の塩素化合物のミストが大量に発生している。
この攻撃により、アメリカ太平洋艦隊は実質的に消滅した。
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時間は少し遡る。ここはワシントンD.C.。
海軍省内のプロット・ルーム(作戦室)の壁一面に巨大な世界地図(戦況板)が掲げられているが、その手前に、今回の作戦のため特設の戦況板が設けられ、電信室からのメモを見ながら担当士官たちが長い棒で磁石の付いた青色の模型を動かして戦況を示している。
合衆国艦隊司令長官リーブス大将はその戦況板をじっと眺めている。
9月11日午後1時。戦闘艦隊からクェゼリン基地に向かって第1波の空襲部隊が飛び立った。との報告が入り、士官が地図上のクェゼリンに向けて航空機模型を移動させた。
午後2時。第1波の空襲部隊が何の成果もあげず、ほぼ全滅したとの報告が入り、特設戦況板から航空機模型が取り除かれた。
そして、午後3時までの間に戦闘艦隊の構成艦の大破、爆沈、雷撃処分などの報が続き、自力航行可能な艦は駆逐艦3隻のみとなった時点で戦闘艦隊は全滅と判断された。
さらに追い打ちをかけるように、日本軍機によってフィリピンに在泊中の潜水艦を含む艦船が全滅し、海軍基地も壊滅したとの報告がプロット・ルーム(作戦室)にもたらされた。すでに陸軍の在比飛行場も壊滅しているが、陸軍関係の情報はこの時点でプロット・ルーム(作戦室)には入っていない。
暗い面持ちで、リーブス大将はホワイトハウスに向かい、大統領執務室のルーズベルト大統領に真珠湾から出撃した戦闘艦隊全滅とフィリピンの海軍基地が在泊艦船もろとも壊滅したとの報告を行った。
「リーブス大将、今全滅(annihilated)と聞こえたような気がしたんだが、もう一度言ってくれるかね?」
「真珠湾から出撃し、日本軍の前進基地であるクェゼリン基地を襲撃したわが方の戦闘艦隊は空母二隻を含み、ほぼ全滅しました。戦果は確認されていません」
「一方的な敗北(totally defeated)ということかね?」
「その通りです」
「フー。間違いないのかね?」
「間違いありません(No doubt)」
そして翌日早朝。真珠湾において港湾設備を含めて太平洋艦隊そのものが大型爆撃機の空襲に遭い、壊滅したとの報告をルーズベルトはリーブスから受け取ることになる。
『現在、各地のドッグで建造中の超大型戦艦は使えるのか?』
大統領執務室の隣の私的執務室で、ルーズベルトはそう自問したが、答えは明らかである。日本に対しては使えない。すでに日本に対して宣戦布告をしている以上引き返すこともできない。
クェゼリン基地航空隊は、ハワイ真珠湾を壊滅させたあと、クェゼリンから空襲可能圏内のウェーク島などのアメリカ軍基地を空襲したほか、カムチャッカ基地に進出した連山爆撃連隊はアラスカ各地のアメリカ軍基地を爆撃している。
それ以外さしたる戦闘が発生することはなかったが、アメリカ政府は敵性外国人として国内の日系アメリカ人を逮捕して資産を没収した上、強制収容所に連行している。
12月(1938/12)を迎え、日本国内各地で錬成を終えた富嶽爆撃連隊(24機+補用3機)が多数の機材とともにカムチャッカ航空基地に進出を果たした。
富嶽爆撃連隊は直ちに、サンディエゴ海軍基地を全力出撃で爆撃、多数の艦船とともに港湾施設を破壊。1日整備に費やして、翌々日より連日1個爆撃大隊12機でアメリカ西海岸、五大湖周辺各都市の工場を空爆し破壊して回った。ニューヨーク海軍工廠などで建造中の超大型戦艦もドックごと破壊された。
こちらは第1爆撃連隊第1大隊3番機の連山から富嶽に機種転換を果たし、富嶽爆撃連隊第1大隊の三番機の機長となった岡田飛行兵大尉以下7人と新たな搭乗員5人。岡田以外の連山組6人もそれぞれ1階級昇進している。
今日の爆撃任務はロサンゼルス港。第1大隊12機のみによる作戦である。
「連山もよかったが、富嶽はホテルだな」と機長の岡田大尉が副操縦士の中村准尉に話しかけた。
「自動操縦がまた楽ですものねー。戦闘機に乗ってる連中は『空の上は一人がいいんだよ』などと強がってますが、本心は羨ましいんじゃないですか?」と中村准尉が返した。
「そりゃ羨ましいだろう。この富嶽には最新式の電子加熱器まで積んでるんだから」
「あれ、どういう仕組みかわかりませんが、便利ですよね」
「市販され始めたが、結構高いんだよな。かあちゃんに買ってやろうかと思ったんだが手が出なかった」
「大尉殿の俸給で?」
「そうなんだよ。もう、2、3年もすれば安くなるんじゃないかって電気屋のおっさんが言ってたけどな。今度休暇で日本に帰ったら、かあちゃんに買ってやってもいいか」
「大尉殿は奥さん孝行ですね」
「海外勤務が長くて不便をかけてるからな」
「大尉殿、電子加熱器もそうですが、今話題の自動電気釜はどうです?」
「あれも評判がいいらしいな。米を研いで釜に入れておけば自動で炊けるとなると、かあちゃんは大助かりだ」
「あれも今は高いみたいですが、すぐに安くなりますよ」
「そうだな。そういう意味だと、飲む量を少しばかり減らしたほうがいいかもな」
「大尉殿はわれわれに払わせませんから」
「それは仕方ないだろ。そのための空中勤務手当、戦地勤務手当じゃないのか?」
「そうかもしれませんが、われわれも手当は貰っているんで、大尉殿は気になさらんでいいんですよ」
「そうはいかないだろ。それこそ、お前たちが気にすることじゃあない」
「そうですか。それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
「そうしてくれ」
……。
「長機が高度を上げ始めた。そろそろ、爆撃準備したほうがいいだろう。『各員戦闘準備』」
『高度1万。長機、定針』電探士から機内通話を通して搭乗員に伝えられた。
「長機、爆弾槽を開いた」今度は副操縦士の中村准尉。
『爆弾槽開きます』
「長機、爆撃開始」
『爆撃開始!』
爆弾が順に投下されていくことで機が浮き上がるところを、各機の機長が操縦桿を微妙に操作して抑え込む。投弾が終了し、翼を翻した長機に追従して各機が旋回を始め、カムチャッカ基地への帰投の途に就いた。
この日、富嶽が投下したネ式2号50キロ爆弾は各機100発。12機の富嶽による1200発の熱圧爆弾の絨毯爆撃によりロサンゼルス港に停泊していた船舶のほとんどが大破し、港湾設備も破壊され、ロサンゼルス港は港の機能を完全喪失した。
高射砲弾が発射されたのは爆撃終了後、日本軍機が悠然と翼を翻した後だった。
昭和14年2月(1939/2)。日本政府はアメリカ政府に対して、パナマ運河の権益譲渡、アラスカを含むアラスカ以西における全領土、全権益の放棄を条件に休戦提案を行った。アメリカ政府はこれを拒否。爆撃の被害が大きいカリフォルニアや5大湖周辺の各地で暴動が発生した。
日本政府にとってこの段階での休戦提案がアメリカ側に拒否されることは折り込み済みで、1個富嶽爆撃連隊(24機+3機)がカムチャッカ航空基地に増派された。これにより、爆撃対象は中小都市にまで及び、アメリカ全土で対日戦を始めた政府に対する批判が広がっていった。
3月(1939/3)。ドイツはポーランドに対し、国際連盟管理下の「ダンチヒ自由市」とポーランド回廊の返還(ドイツ側から見た回復)を要求。ポーランド側はダンチヒの併合を主権の侵害とみなし、さらにイギリスとフランスから軍事援助の保証を取り付けたことでこれを拒否。
4月1日(1939/4)。スペイン内戦が共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられた独裁政権が樹立された。スペインは内戦時の日本への負債の清算の一部に充てるため、イギリスが所有するジブラルタル周辺の土地を日本に譲渡した。これ以降、日本による北西アフリカの欧州利権の切り崩しが本格化していく。
同じく4月1日。理化学興業傘下で電機製品製造販売会社、理研電気設立。
4月5日(1939/4)。史実より3カ月早く空母飛龍竣工。
4月15日(1939/4)。重巡高雄により、原爆投下用の改修を完了した富嶽3機が待つカムチャッカ基地に性能強化型原子爆弾2発が届けられる。改造富嶽3機のうち1機は予備である。
4月27日(1939/4)。日本政府はNHKの海外向け短波放送を使い、ニューヨークに対して、『新型爆弾』の使用を示唆し、民間人の退去勧告を行う。史実ではアインシュタインとシラードがルーズベルト大統領へ送った手紙(1939年8月2日付)がきっかけでアメリカ政府は新型爆弾、原爆の開発に乗り出している。1938年末にドイツの科学者が核分裂を発見したことで兵器転用の可能性を物理学者たちは認識はしていたようだが、この時点でアメリカ政府は日本で新型爆弾の開発をしている情報は掴んでいたものの、核分裂と結び付けることはなく、その具体的内容、特に威力など何も把握していなかった。そのかわり、日本政府による退去勧告の意味を理解していたニューヨーク市民はこの避難勧告にパニックを起こし、交通事故や群衆の将棋倒しなどが多発し、退去がほとんど進まないまま、5月1日、土曜日の朝を迎えた。
各地のアメリカ軍基地から関係各所に日本軍機の侵入が伝えられたが、戦闘機が届かない1万メートルの上空を大型爆撃機が悠々と飛び去っていく。いまや日本軍機のトレードカラーとなったオレンジ色の富嶽が晴天のニューヨーク、マンハッタン島の上空に単機侵入して、上空1万メートルから性能強化型原子爆弾を投下した。
原子爆弾は尾部に取り付けられた減速用のプロペラを回転させながら落下した。速度が一定に保たれたことで、先端の音響センサーは正確なパルス音を放ち始めた。ビル群に反射して戻る音波の遅延から現在の高度と周囲の『壁』との距離をトランジスター回路で測定。同時に操舵翼へと電気信号を送り、マンハッタンのビル風に流されそうになる弾体を、ビルの谷間の真ん中へと引き戻していく。
現地時間午前8時15分。原子爆弾はどのビルにも接触することなく、エンパイアステートビルの正面、地上から200メートルで炸裂した。
エンパイアステートビルの正面部分は、熱線と衝撃波によってコンクリートや鉄骨が「砕ける」のではなく、一瞬で蒸発ないし融解した。
複雑に反射・増幅した爆風によりエンパイアステートビルの背後や横の通りにあるビルも凄まじい圧力で倒壊した。エンパイアステートビル近くにいた歩行者は火球に包まれ、影すら残すことなく爆発的に分子に還元され気化している。
爆風で粉砕された窓ガラスは高速で通りをなめ尽くし、まだ生存していた被爆者も、すでにこと切れ死体となった被爆者も分け隔てなく切り刻んだ。
エンパイアステートビルのまだ形が残っていた上部が崩壊しながらゆっくりと落下していき、最後に粉々に砕け散って強烈な放射能を帯びた粉じんを巻き上げた。
各所のビルの倒壊による粉じんもさることながら、火球が地面や建物を巻き込んだことで、同じように強烈な放射能を帯びた粉じんが大量に発生し、気圧が急激に低下した爆心地に向けての突風がそれらを上空に巻きあげた。
二十分後。粉じんで曇った空から、ぽつりぽつりと雨が降り出し、地面に黒いシミを残していった。雨はやがて本格的な雨になっていった。放射能を帯びた粉じんを含んだ黒い雨は数時間にわたってマンハッタンに降り注ぎ、生者の生存を絶望的にした。
この時点では放射能の恐ろしさが民間では周知されていないため、周辺地域から救援に駆けつけた軍人、医師、看護師、そしてボランティアの市民や学生たちは黒い雨の中で救援活動を行い、多くの二次被ばく者が発生した。
当日午後。効果確認のため富嶽が単機ニューヨーク上空に侵入し航空写真を撮ってカムチャッカ基地に帰投した。この時、アメリカ側は何の反応も示していない。




