第79話 昭和9年1~3月2
海軍航空本部技術部長だった山本五十六は、昨年10月、第一航空戦隊の司令官として航空本部を去っている。山本の後任の和田操大佐は山本の路線を引き継ぎ、理研とも密接な関係を続けた。
当の山本だが、陸軍の熱圧爆弾の実験結果と陸軍の動きを、理研の大河内、航空本部経由で知ることとなった。
第一航空戦隊では機種転換のために木更津航空基地で訓練を行っており、山本は飛行場の脇から九三艦戦、九三艦爆の訓練を見守りながら、考えを巡らせていた。
第一航空戦隊の旗艦赤城は、三段式飛行甲板から一段の全通甲板へと大改修工事のため佐世保海軍工廠にドック入りをしている。これは史実より1年半以上早い。同じく第一航空戦隊所属の空母加賀は昨年10月から佐世保海軍工廠でドック入りして、全通甲板化を含む大改装工事を行っている。
――これまで、航空機で爆弾を艦船に叩きつけて艦内に貫通させて内部を破壊し、魚雷で沈めることを考えていたが、考え方を変えたほうがいいのか? 艦上構造物が燃えてしまえば、艦は実質的に戦闘力を失い、ただの桶になってしまう。まさに艦桶だ。一度高温で焼かれた鋼は基本的に使い物にならない以上廃艦にするしかないだろう。わざわざ沈める必要などないわけだ。
――すでに陸軍は戦闘機と爆撃機を組み合わせた戦爆中隊を編成したと聞く。電探装備の偵察機で見つけた敵艦隊に向けて、陸上基地ないし母艦から発艦した戦爆連合で、戦闘機が敵機を排除する中で爆撃機が上空から新爆弾を敵主力艦に向けて文字通りばらまくだけで勝負がついてしまう。いいのか!?
――航空本部の技術部でも航空魚雷の開発に余念がないが、攻撃機も魚雷も不要ではないか?
――以前から戦艦など無用の長物と思っていたが、巨費を投じた戦艦が1発100円もしないような爆弾に焼かれて廃艦になるようでは、無用どころか、ただの負担ではないだろうか?
こちらは陸軍省軍務局。
関東軍から異動して歩兵第四連隊長として故郷に近い宮城県仙台市に駐屯していた石原莞爾が三宅坂に出張のおり、話がしたいという永田の招きに応じ、軍務局長室を訪ねていた。
「石原君。第四連隊の方はどうだね?」
「良くも悪くも歩兵ですからな」
「これからの歩兵は、脚で歩くようでは、戦線の拡大についていけなくなると思うんだが、君はどう思う?」
「そうでしょうな。100キロ先の敵拠点を例の新爆弾で焼き払ったとして、敵が舞い戻って再利用する前に速やかに歩兵を展開するには、自動車に乗せて進むくらいじゃないと追いつかんでしょう」
「つまり、自動車化歩兵。ちょっと語呂も悪いな。機動歩兵とするか」
「なかなか、いい名ですな。永田さんを見直しましたよ」
「石原君に褒められるとは光栄だな」
「よしてください」
「規模とすれば、大隊を一単位と考えればいいか?」
「そうですな。連隊では小回りが利きませんし、中隊となると専属に段列を付けるとなると無駄が出ますからな」
「確かに。今は機械の整備が楽になった。というか故障が減ったようだな」
「それもこれも理化学研究所のおかげですな」
「全くだ。航空主兵論はともかく重砲無用論などで参謀本部にも色々意見はあるのだろうが、君は何か聞いているかね?」
「永田さん。わたしは今は現場の人間ですよ」
「これは失礼した。とはいえ、いずれ君は参謀本部に戻ることになると思うがね」
「そうですか」
「そのときは、新しい戦術を頼むよ」
「戦術などは、陸大を出たばかりの連中に任せておけば十分でしょう」
「確かに」
「それより、満蒙のその先のことを考えませんか? 今日わたしを呼んだのはそのことだったんじゃないんですか?」
「君にはかなわないな。現場の人間が聞いて呆れる」
「しばらく関東軍にいれば誰でもそうなるでしょう」
「それで、君のいう戦略とは?」
「外蒙古と満州で、領土問題を抱えていることは永田さんもご存じでしょう?」
「ある程度はな」
「いま、関東軍ではモンゴルに対して反共組織への肩入れも行っています」
「そのようだな」
「目的はソ連を追い出しやすくすることと、追い出した後の統治のためです」
「ソ連を簡単に追い出せはしまい?」
「今の関東軍は守りの軍隊ですから厳しいでしょうが、先ほどの話のあった機動歩兵を基幹とした3個師団と3個戦車大隊。それに十分な戦闘機と爆撃機、あとはモンゴル軍の歩兵も機動化して3個師団。これだけあればモンゴルはもとより、イルクーツクまで取れるでしょうな」
「イルクーツクまで取ってしまうと、ソ連との本格的な戦争になるのではないかね?」
「当然そうなるでしょう。ただ、イルクーツクを拠点に例の爆弾でイルクーツクから西に向かってシベリア鉄道を叩いてしまえば、そう簡単に軍を送れるわけでもないでしょう。逆にイルクーツクを抑えていないと、極東ソ連軍が蠢動しますからな」
「つまり、覚悟を持てということだね」
「やるなら、そういうことでしょう」
「では、やらない場合はどうなる?」
「いずれソ連はわが方に押し出してくるでしょう。その時はそれなりの備えで攻めてくるでしょうから、厄介でしょう。ただ、ソ連は極東だけを見ているわけにはいきませんから、限度はあるでしょうな」
「よくわかった。そういえば、君は満州軍の軍事顧問もしてたんだろう? 満州軍はどんな塩梅なのかね?」
「わが軍の兵隊たちと比べれば、粘り強さは劣りますが、そこそこ使えますな」
「ほう。つまり、使うなら守るより攻める方がいいということかね?」
「その通りです。付け加えると、われわれが鍛えたわけですから、国民党やソ連の兵隊などよりは優秀です。それに近衛師団だけですが、戦車大隊も持っていますし、今は奉天造兵廠で例の噴進弾とトラックも作ってますから、先陣を務めさせても面白いと思いますよ。張学良将軍に先陣部隊を率いさせれば体裁も悪くない。満州軍のあとからわが軍が進めば、国際的な矛先も鈍るでしょう」
「満州軍にわが方の航空隊を貸し出すというのもあり得るわけか?」
「あからさまに貸し出すより、義勇軍という体裁で参加させるのも手でしょう。軍服を脱いだ人間が義勇軍へ参加しても誰も文句は言えませんから。モンゴルと満州国の地域戦争の体で始めて、頃合いを見てわが方が表に出て、一気にイルクーツクを落す」
「なるほど。最初はどうする?」
「まずは、モンゴルとの国境沿いのハルハ川あたりで隙を見せて、モンゴル軍を越境させるのが手っ取り早いでしょうな。連中は後ろのソ連軍を当てにしておりますから容易に突出してくれるでしょう。越境を理由に満州国がモンゴルに開戦したとしても、誰も文句は言えますまい。モンゴルの後ろ盾のソ連は今は国力を蓄えている最中ですから、満州国の後ろ盾の日本と本格的な戦争はしたくないでしょう。ソ連が開戦を決断するまで2週間は稼げるでしょうな。途中のモンゴル軍もソ連軍も航空機で焼いた後を機動歩兵で占領していくだけですから、2週間もあれば、ウランバートルまで軍を進められるでしょう。爆撃機からでは地面の上を這う軍隊がモンゴル軍なのかソ連軍なのか区別はつきませんからな。あと、ウランバートルにはそれほど価値はありませんから、もし占領に手間取るようなら、空港だけ奪取して守兵を残し、素通りしてもいい。あそこには関東軍の特務の連中もそれなりに入っているので内応者もいるでしょうから、やりようはいくらでもある」
「なるほど。石原君、大いに参考になったよ」
「永田さん、しっかりお願いしますよ」
「任せてくれて大丈夫だ」
「それじゃあ」
この話し合いの1カ月後。石原は歩兵第四連隊長の任を解かれ、参謀本部第一部第二課長(作戦課長)として参謀本部に返り咲くことになる。この人事は史実より1年半早い。
これにより、日本陸軍は軍政と軍令の両輪が揃うことになる。そして、軍部は対ソ戦の準備に邁進することになる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2月中に2034年の確定申告をバタバタと済ませ、気が付いたらもう3月半ば。
理研へ荷物を届けて思うのだが、戦前の日本は軍靴の足音で何もかも塗り潰されていたように勝手に思っていたのだが、全くそんなことはなく、道を歩いている人たちも、前を向いて堂々と歩いているし、道で遊んでいる子どもたちは元気いっぱいだ。戦前を批判するのは勝手だが、今の価値観でしか批判しない。そんなものに何の意味もないだろうに。今が正しいと誰が決めた?
大河内所長の話から類推しただけで客観的に見ることは難しいと思うが、1934年現在の日本の軍事力はすでに傑出していると言えるんじゃないだろうか?
1934年当時の諸外国の戦闘機の最高速度を調べたところ、
ドイツ He 51(複葉機) 時速330キロメートル
ドイツ Bf 109 (試作機) 時速470キロメートル1935年初飛行
イギリス フューリー(複葉機)時速360キロメートル
イギリス ハリケーン (試作機)時速500キロメートル1935年初飛行
アメリカ P-26 ピーシューター時速377キロメートル
ソ連 I-16時速360〜450キロメートル 世界初の引込脚を持つ単葉戦闘機。1934年に運用開始
いずれの戦闘機も九三式艦上戦闘機の最高速度時速560キロメートルにも遠く及ばない。
戦闘機が空を制すれば、あらゆる戦闘で優位に立てる。
付け加えると陸軍では航空基地へのレーダー配備を積極的に進めている。敵が航空先制で航空基地を狙ってきても容易に撃退できる。海軍では艦艇への捜索用レーダーの導入は進んでいないが、その代わり機載レーダーを積んだ九三式水上偵察機を積極的に導入している。
艦艇への捜索用レーダーだが、射撃用レーダーが開発されれば海軍も導入を進めるのだろう。
「そういえば山田君。理研航空機では陸・海軍共同で重爆の設計製造を頼まれたんだよ」
「ほう」
「電探装備の陸上偵察機は採用されなかったが、あれを拡大するだけのようだから、それほど難しいわけではないらしい。例によって要求性能がおおざっぱすぎて4発にするか双発にするか現場で迷っているんだが、君ならどう思う?」
「その爆撃機が何を目指しているのかによると思います。大規模な工場や都市といった戦略目標に対する爆撃なら4発が欲しいところです。そうではなく、中程度の戦術目標、例えば戦艦とか砲兵陣地、飛行場とかなら、双発でしょうか。開発を急いでいるなら既存のエンジンを使う必要がありますが、そんなに急いでいないようなら、爆撃機専用の大型高出力エンジンを開発してもいいかもしれません」
「なるほど。それも手だな。軍部の意向を聞いてみるよ」
結局のところ、軍部でもどういった要求を出せばいいのかが今一分からず、理研側に丸投げになっているのだろう。逆にそういったほうが自由な発想で飛行機を作ることができるから、いい環境のような気がする。
そして一週間後。
「軍部に確認したところ、航続距離9000キロ超の爆撃機、それも1万メートルを巡航する爆撃機が欲しいそうだ」
「9000キロというと、どこか具体的な場所を狙っているんでしょうか?」
「そこまでは聞かなかったが、爆弾と9000キロを飛行する分の燃料を考えれば双発ではなく4発ということになるんだろう」
「それは頼もしいですね」
「これが完成したら、以前君が持ってきてくれた樹脂模型にあった『連山』と名付けようじゃないか」
これは胸熱展開だ。連山が完成すれば次は行動半径1万キロ、6発重爆『富嶽』の登場だ!
その日の理研からの帰り道。
駒込駅前のカフェーで一休みした。
「先輩。きょう大河内所長と話しているとき、何でニヤニヤしてたんですか?」と堀口に聞かれた。
「ニヤニヤしてた?」
「してました」
鶴井の顔を見たら、頷かれてしまった。
「今日爆撃機の名前が出たろ?」
「たしかプラモデルの名前で『連山』?」
「そう。それって、俺みたいなマニアからすればうれしい名前なんだよ。幻の重爆その2って感じで。実際は何機かは試験飛行まで漕ぎつけたようだけど」
「ふーん。その2ってことは、その1があるんですよね?」
「もちろんだよ。その1は『富嶽』っていうんだ。富嶽三十六景の富嶽な」
「へー。それって、昔のスパコンの名前ですよね」
「そういえばそうだな。スパコンの名前が爆撃機の名前にちなんだかどうかは知らないけれど、とにかく『富嶽』は完成していればそれこそゲームチェンジャーだったんだよ。逆に言えば、ゲームチェンジャーほど欲張った機体だったから幻に終わった、とも言える」
「そうなんだ。でも今のこの日本だと、その『富嶽』だって夢じゃないんでしょ?」
「おそらく作れる。そして、今の理研なら史実で目指した『富嶽』以上のものが作れると思う!」
『先輩、声が大きいですよ』
「すまん。つい興奮してしまった」
1万2000メートルの高空から侵入して爆弾を落として悠々と旋回して戻っていく。これぞ
ロマンだ。まさに、超空の要塞だ。
いや待てよ。空を飛んでるのに要所を塞げるのか? 無理なんじゃないか? となると、飛行戦艦『富嶽』。これだ!
堀口と鶴井がそろって俺の顔を見ているような? はて?
飲み物を飲み終わって代金とチップをテーブルの上に置いて店を出て、その日はまっすぐ浦和まで戻り、洋食屋でライスカレーを食べた。この時代のライスカレーって家庭の味なんだよ。辛さ指定がないうえに、そんなに辛くないから胃にも優しいんだよ。そういえば、カレーライスは海軍で、ライスカレーが陸軍だったそうで、戦前はライスカレーが『猛威』を振るっていたそうで、戦後はそれが逆転したそうだ。
昼食を終えていつものように浦和高等学校まで歩いて帰り、穴を抜けて事務所に戻った。今日は仕入れがなかった関係で、理研への持ち込み資材の注文をしたら、俺の業務自体は終了してしまった。こんなのでいいのだろうか? いいんだろうな。YHT貿易の収益は横ばいだが現に今回の事業年度も順調だし。
「堀口、ちょっといいか?」パソコンの画面を見ていた堀口に顔をかけた。
「なんです?」
「株の投資はどうなってる?」
「順調ですよ。といってもそれほど儲かってるってわけでもないですけどね」
「その言い方だと、儲かってるってことだろ?」
「まあ、いちおう」
3000万円がゼロにならなければいいと思っていただけに、堀口を見直したぞ。ただETFとかいうものを買っただけだったはずだから、全滅することはあり得なかったか。
「それで、いくら儲かったんだ」
「今現在、現金とETFの評価額ベースで5000万円超えてるから、2000万円くらい」
「えっ! それってすごくないか?」
この半年で平均株価はほとんど変化なかったんだが。
「堀口。これ、どうやって儲けたんだ?」
「下がりそうな時に売って、下がったら買っての繰り返し?」
そこで疑問形で答えるなよ。
「じゃあ聞くけど、下がりそうな時って、どうやって判断したんだ?」
「朝から雨が降ってた。とか、化粧のノリが悪かった。とか?」
思った通り、それ系の答えだった。
「買うタイミングは?」
「何かいいことがあった。とか?」
「いいことって、個人的に?」
「それ以外にないでしょう?」
やっぱり。しかし、それで3000万円が5000万円になっているのも事実。霊感に比べればまだましな投資判断なのか? 世界情勢とか、世界経済とか、日本経済が全く関係ないところが逆に清々しい。ってわけはない!
「社長、そろそろお茶にしませんか?」と鶴井が言ってくれたので、この件はそれまでとなった。
鶴井が用意してくれたお茶を飲み、堀口が買ってきてくれた洋菓子を食べてまったりして、その日の午後4時過ぎには終業してしまった。二人を先に送り出し、戸締り火の元を確認してから事務所の隣のわが家に戻って、そのまま風呂の用意をした。風呂の用意ができるまで、部屋の掃除や片づけをして、風呂が沸いたらすぐにザブンと浸かった。このところ、いつもこんな感じだ。
ふー、癒される。
肩まで浸かって浴室の天井を何となく眺めていたら、大河内所長が言っていた9000キロの航続距離がある爆撃機のことを思い出した。9000キロの航続距離ということは、4000キロから4500キロ圏内に目標があるということだ。問題はどこから4500キロというところか。父島では大型機の飛行場は作れないし? 中国、東南アジアをにらんで台湾なのか?
ソ連を対象とすればハイラルからか? ウラジオストクを狙うなら、4500キロも不要だし、牡丹江からならその10分の1でおつりがくるんじゃないだろうか? 海上を封鎖して空母の艦載機で空襲してもいいし、戦艦から砲撃すればそれまでだし。はて、どこを攻撃するつもりなんだ?
この月、理研では、昨年8月から開発を進めていたパルスジェットによる飛行爆弾の発射実験を行った。もちろん弾頭はダミーである。燃料は着火性が優れる低オクタンガソリンを使用する。弾頭重量は600キロで史実でのV1飛行爆弾の850キロよりも2割方小さくなっている。最高速度はV1と同じ600キロだが敵戦闘機が接近して容易に撃墜できるよう時速500キロ程度まで落として運用する。速度を落とす理由は、迎撃による熱圧爆発により、迎撃機を道連れにするためと、航続距離の伸張のためである。結果として航続距離はV1飛行爆弾の250キロに対して350キロ。この飛行爆弾はネ式特種飛翔体と命名された。現状、火力投射は爆撃機で事足りているという理由で、量産命令は出されなかった。




