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技術立国日本  作者: 山口遊子


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78/86

第78話 昭和9年1~3月


 例によって途中の意識が半分飛んだ12月30日から年が明けての1月3日までの5日間の正月休みが明けた。

 理研への仕事始めは1月5日(1934/1/5)となる。当日持っていくものの用意は昨年中に終わっている。


 そして仕事始めの1月4日(2035/1/4)。

 初日ではあるが、どこに挨拶に行く必要もないし挨拶に行く先もないわが社なので、俺は机に座って1934年のイベントを調べていた。


災害・事件

9月:室戸台風 - 近畿地方を中心に甚大な被害(死者3000人以上)。

3月:函館大火 - 函館市で発生した大火災。

 こういった災害については、以前同様傍観者に徹して距離を置くしかないだろう。そこで考えたのだが、すでにサルファ剤、ペニシリン、ストレプトマイシンで多くの人間の命が助かっている。台風のような自然災害は史実通り起こるのだろうが、火事のような一種の人災は、起こらないかもしれないし、逆に別途起こるかもしれない。不安定化しているとみていいだろう。

2月:野呂栄太郎事件 - 経済学者・野呂栄太郎が警察での拘留中に死亡。

 天皇絶対体制下における共産主義はエボラのようなものだ。きつい言い方かもしれないが排除されてしかるべき。1919年の人種差別撤廃提案廃案以降、日本は国家、民族の絶滅をかけた戦争を覚悟していた。そんな中で異物は障害でしかない。しかもそれがソ連=コミンテルンの手先となればなおのこと。


文化・社会・スポーツ

1月:東京宝塚劇場開場 - 有楽町が娯楽の中心地に。

 気になって、ラインダンスについて調べたら1927年の9月1日からやっていたそうだ。こういうのって日本人好みだったのだろうか?

4月:忠犬ハチ公像(初代)完成 - 渋谷駅前に建立。

 初代とあったので調べたら今は2代目で、初代は戦争中に資源として供出されたようだ。今度の歴史ではそんなことが起こらないから安心してくれ。

11月:ベーブ・ルースら米大リーグ選抜来日 - 全国で試合を開催。

 野球に興味ないから、パス。

12月:大日本東京野球倶楽部結成 - 読売ジャイアンツの前身。

 ? じゃあ、ベーブルースは何と戦ったんだ? 野球興味ないから調べなかった。


流行・文化 - 一般家庭婦人の間で「パーマネント(パーマ)」が普及。

 結構社会に余裕があったってことか?


政治・インフラ・経済

1月:日本製鐵株式会社発足 - 日本製鐵株式会社が発足。

3月:満州国が帝政に移行 - 溥儀が皇帝に即位。

 これはもう過去の話になっている。

12月:丹那トンネル開通 - 熱海線が全通。

11月:桜島フェリー運行開始。


世界の出来事

6月:ドナルド・ダックがデビュー:ディズニー短編映画『かしこいメンドリ』で初めて登場

 世界の出来事ではあるが、大丈夫なのか? ぐぐるさんは、バタフライ効果で、ドナルドダックの登場が世界史を大きく変えたと言いたいのか?

8月:ドイツでヒトラーが総統就任。ヒンデンブルク大統領死去に伴い、首相と大統領を兼務。

 このフューラー(Führer)という言葉はもともとリーダー程度の意味合いだったらしく、指導者と通常訳していたらしいが、重みを持たせようとわざわざ『総統』と訳したそうだ。総統などより、ヒトラーリーダー、指導者ヒトラーの方が親しみが湧いただろうに。指導者の代わりに機関車とすれば、国家をけん引するみたいで良訳だったのではなかろうか? 『機関車ヒトラー!』。幼児絵本のタイトルみたいだ。

10月:中国共産党が長征を開始。

 今度の歴史では、日本は有力市場である中華民国と大々的な戦争を始める必要はないし、向こうにとっても満州国に攻め入ればただでは済まないことは自明だ。日本がいずれソ連を下せば、必然的に中共は『枯れる』。その結果共産党政権は生まれず、文化大革命や、共産主義的農業での餓死者も出ないだろう。何といっても中国は日本の師であったことは確かなんだし、中国の歴史と文化を尊重している俺からすれば大万歳だ。



 堀口は株式情報を集めると称して、ネットで何やら検索している。ETFを枠いっぱい買ってしまった以上、何をどうするのか知らないが、好きにしてくれていい。



 仕事納めで事務所の中の大掃除は終わっていたのだが、鶴井は仕事始めの今日もせっせ、せっせと事務所の中の拭き掃除をしている。掃除婦を雇っているわけではないので、ありがたい、とは思うが、まだ掃除はしなくていいのでは? 言わんけど。


 1934年。昭和9年の出来事については、午前中にまとめ終えて、プリントアウトしておいた。災害については敢えて割愛している。俺が最初に理研に持ち込んだ年表と比べるとちょっとだけ詳しくなっている。


「それじゃあ、そろそろ昼にするか? 今日は新年会だから、あまり重いものはよそうな」

「じゃあ、わたしはハンバーガーかな」

「わたしも」

「どっちに行く。久しぶりに駅の向こうのマが付くハンバーガー屋にするか?」

「そうですね」「はい」


 事務所を出て、駅の向こう側に行き、マが付くハンバーガー屋でランチセットを3人とも頼んだ。


「今年は先輩のところに正月休み中に行かなかったけど、何してたんですか?」

「例年のごとくweb小説を読んでたはずなんだが、数日間の記憶がさだかじゃない」

「それってかなりまずくないですか?」

「でも俺、健康だし。前の会社の健康診断じゃ、一つか二つB判定があったはずだが、今全部A判定だもの。堀口と鶴井はどうなんだ?」

「そういわれれば。健康診断結果、いままで問題全然ないし」

「わたしもでーす」


「向こうに行きはじめて、健康になったような気がするんだよな」

「そういわれれば」「そんな気もします」

「体にいい何かでもあるのかな?」

「どうなんでしょう。昔先輩ってこれ見よがしに会社で腰をひねってたじゃないですか」

「そういえば、そうだった。でも今は全然痛くない」

「腰痛って普通は放っておいて治りませんよね」

「わたし思うんですけど、あの穴をくぐるとき、体の中の悪いものが抜け落ちてるのかもって」

「なるほど。可能性はあるな。あの穴って、俺たちというか俺にとって完全にご都合主義だから、いろんな意味でご利益があっても不思議じゃない」

「確かに、そうかもしれませんよね」

「まっ、真相は分からないけど、そう思っていても罰は当たらないものな」

「「そうですね」」


 昼食を終えて、事務所に帰り、新年会に出発する時間まで適当に流して、時間になったところで事務所を出てタクシーを拾って新年会の会場に向かった。


 今回の新年会は浦和でのニューイヤーコンサートだ。コンサートの開演時間が午後7時なのでそれまでに夕食を済ませることになる。夕食のメニューは浦和らしくウナギにした。100年前のウナギと比べて、養殖物であろう現代のウナギの方が旨い。ような気がする。


 そのコンサートなんだが、出し物は普通にクラシック。そういうのもいいんじゃないか?

 よく耳にする曲でも題名を知らないものが多いが、こういったところでプログラムを見ながら聞くと、ちょっとばかし文化人になった気がする。


 公演は午後9時過ぎには終了し、大通りまで出てタクシーで北浦和駅前まで帰って、そこで二人と別れた。



 新年会翌日の金曜日(1934/1/5-2035/1/5)。

 荷物を準備して3人で手分けして運び、理研からのトラックに荷物を載せた。

 浦和駅でトラックとは別れて俺たちは電車に乗って田端まで移動し、そこで山手線に乗り換えて駒込へ。

 駒込駅からはいつも通り歩いて理研までやって来た。


 理研の本館前には例年通り門松、しめ縄が飾られていた。

 玄関に入り、廊下で出会う理研の人に会釈しながら所長室まで歩いていった。

「失礼しまーす」「「失礼します」」


『入ってくれたまえ』


 一通り新年の挨拶を済ませ、応接セットのソファーに座った。

「今日は今年というか、われわれの歴史で1934年に起きた出来事の表を持ってきました。最初に持ってきた年表と一部重なっていると思いますが、少しだけ詳しくなっています」

「ありがとう。こちらでは主体的にはほとんど変わっていないんだが、爆薬にアルミ粉を混ぜた爆弾、つまり熱圧爆弾だな。これの威力試験を満州のハルピン郊外で近日行うことになっている。九三式噴進弾の威力が思った以上だったために、陸軍で開発したんだが、弾殻はただのフェノール樹脂だ。たかだか50キロの爆弾だが、アルミ粉込みで45キロ以上の炸薬が込められているそうだ。九三式噴進弾の爆薬は10キロほどだったから、単純に考えただけでも4倍の威力があることになる」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 1934年1月。ハルピンから南東に100キロほど離れた背陰河(せいいんが)飛行場を飛び立った九二式双発爆撃機が、ハルピンから北西100キロほど離れた安達(あんたつ)実験場上空に到達した。


 九二式双発爆撃機の機内には10発の50キロ熱圧爆弾が搭載されている。

 この熱圧爆弾は理研合成の協力のもと、東京工廠で製造され、先日、背陰河(せいいんが)飛行場に運び込まれたものだ。これからその50キロ熱圧爆弾の面制圧実験が行われる。


 高度1000メートルで爆撃コースに入った九二式双発爆撃機の爆弾槽が開き、そこからパラパラと10発の爆弾が爆撃機の進行方向に沿う形で適当に広がりながら落下していく。爆弾を投下し終わった爆撃機は爆弾槽を閉じて機首を巡らせて南東方向に飛び去って行った。

 10発の爆弾は順に地面に衝突して爆発し、真っ白な閃光を伴う高温と音速を超える爆風が重なり合って辺りを薙ぎ払っていった。


 たった一機の軽爆撃機による破壊の凄まじさに見学者たちは言葉を失った。そして、このことで、陸軍内では重砲不要論が発生するに至った。15センチ重砲の炸薬量はたかだか7キロ程度。先ほどバラまかれた10発の50キロ爆弾には合計で450キロを超える炸薬が詰められている。もし、軽爆中隊12機が一斉投弾すればその炸薬量は5.4トンとなり、単純に考えても15センチ重砲770発分の威力を持つことになる。数秒にも満たない時間の中で発揮される破壊はだらだらと続く砲撃の比ではない。砲で撃たれれば逃げる、隠れるといった選択肢があるが、熱圧爆弾の『散布』ではそんなものは無意味だ。


 つまり、戦闘機で邪魔な敵の戦闘機を排除して、爆撃機を自由にさせれば簡単に敵の地上戦力を『消し去る』ことができる。戦闘機による制空戦闘の負担軽減のために、敵航空基地に対して、先制攻撃をかけることも重要となる。航空先制主義(ドクトリン)だ。なんであれ、航空主兵であることには変わりない。陸軍の侵攻ドクトリンである、歩兵の浸透戦術の大幅修正が必要な時期に来ていた。満州で石油が湧いた歴史上では必然ともいえる。


 陸軍は熱圧爆弾について、ネ式爆弾と命名した。また熱圧弾頭を搭載したロケット弾を改めてネ式噴進弾と命名した。


 陸軍の熱圧爆弾の試験が海軍に比べて遅れた理由は、海軍には下瀬火薬の経験からすでに弾殻の内側に漆を塗布する製造ラインが確立されていたが、陸軍には新たに理研で開発したエポキシ系塗料を塗布し熱風乾燥させる製造ラインを立ち上げる必要があったためである。



 このころ永田鉄山は第1師団隷下の歩兵第1旅団(東京)の旅団長を務めていた。もちろん三宅坂にもしょっちゅう顔を出していたし、理研の大河内とも連絡を取り合っていた。その中で、満州で行なわれた熱圧爆弾実験の詳細を知ることになった。そして、実験を直接見た見学者たちと同じ感想を持った。すなわち、航空主兵による重砲不要論である。さらに永田は熱圧爆弾の威力を高めれば、大河内のいう『新爆弾』に匹敵する威力を持つのではないかと考えるようになっていた。威力については、大型化も考えられるが、50キロのような小型爆弾でも大量に『撒け』ば重量比で大型爆弾以上の効果があるとも考えていた。


 3月。永田鉄山は歩兵第1旅団長の任を解かれ、陸軍省軍務局長として三宅坂に帰ることになる。陸軍の予算を握る永田は軍務局長の裏の(**)権限で参謀本部の大幅な人事刷新を断行していくことになる。



 軍務局長に永田を迎えた陸軍は、さっそく航空主兵を実践するため、航空兵の養成機関のさらなる拡大を進めることになった。そして、新たな航空戦術単位として、九二式双発爆撃機6機と九二式双発戦闘機3機からなる、戦爆中隊を編成し、4戦爆中隊を1戦爆大隊とした。さらに、九二式双発戦闘機9機からなる独立戦闘機中隊を編成した。独立戦闘機中隊の任務は敵飛行場まで侵入して敵戦闘機の積極排除にあたり、彼ら独立戦闘機中隊が露払いをした後、間を置かず戦爆中隊が飛行場施設を熱圧爆弾で焼き払うという段取りである。


 もちろん戦爆中隊は敵陸上戦力に対しても熱圧爆弾攻撃を行うが、敵が大規模部隊なら、戦爆大隊として全力出撃し、文字通り熱圧爆弾の雨を降らせる。戦爆大隊が規定数の50キロ熱圧爆弾を投下すれば、24機×10発で240発の50キロ熱圧爆弾が投下されることになる。

 戦艦の主砲弾である四一式36センチ砲弾の砲弾炸薬量は11〜30キログラム。670キログラムの砲弾に対してわずかしかない。戦爆大隊の1回の爆撃は戦艦1隻の24斉射をはるかに超える破壊力を持つことになる。



 戦爆大隊が戦艦の上空から熱圧爆弾を一斉投弾したら、爆発は海面を戦艦を中心に覆い尽くすことになる。

 沈んでくれていればそれまでだが、浮いているから始末が悪い。漂流する戦艦の表面が冷めるのを待って何とか乗り込み生存者を探さなければならないし、戦場に放置もままならないので、最終的には戦死者ごと自軍で砲撃ないし雷撃処分することになる。(注1)


 敵軍に与える損害は、音響追尾魚雷などといった高価な兵器などより、よほど大きい上に、経済的である。


 陸軍では、正面戦力だけでなく、整備兵の養成を行うため陸軍航空整備学校、航空技術学校、自動車学校の拡充を行い、史実より数年早く輜重兵学校が新設されることになる。特筆すべきは、整備兵学校に、民間の自動車修理工や機械工の熟練者を徴募し、特例で教官に据えた。現場を知り尽くした彼らの知見は、新型機の稼働率維持と故障対応において、既存の軍内教官を凌駕する教育効果を発揮することとなる。


 フランスは1930年からマジノ線といった要塞地帯をこちらの歴史でも本格構築しているが、熱圧爆弾の雨の中では何の意味もなさないだろう。つまり『要塞不要』ということになる。史実ではドイツ軍は8カ月かけてセバストポリ要塞を巨大列車砲や巨大臼砲で陥落させた。その功によりマンシュタインは元帥に叙されたが、要塞があんまりあっけなく陥落したら、元帥になれなかったかもしれない。


 敵の飛行場があらかた片付いた後は、九三式司令部偵察機で敵の集結をいち早く察知して戦爆大隊が焼き払う。これの繰り返しで、敵の航空戦力と地上部隊は殲滅だ。そのあとを、自動車に乗った歩兵が占領していく。『砲兵が耕し、歩兵が占領する』という従来の方式から『航空機で更地にした後を、自動車でやって来た歩兵が占領する』という方式だ。


 敵の海上戦力に対しては空母の艦載機で同じことをすればいい。攻撃力の要である空母を駆逐艦が『潜水艦』から守れば十分だ。なぜなら、敵の空母を含む水上艦艇は先に自軍の艦載機で排除されているからだ。巡洋艦すら不要ということになる。逆に言えば、海軍にとって正面戦力は空母と駆逐艦と潜水艦で十分ということになる。


 まとめると、これからの戦争では、戦闘機と爆撃機と熱圧爆弾によって巨費が必要な『戦艦・巡洋艦』、『要塞』、『重砲』が無用の長物と化す。いや、無用の長物どころか、 敵に戦果を与えるだけの代物に成り下がる。陸軍でいえば「戦車には徹甲弾」「歩兵には榴弾」「陣地には重砲弾」と使い分けていたが、それすら不要だし、熱圧爆弾は砲弾などよりよほど安価だ。まさに軍事におけるパラダイムシフトである。


 山田幸太郎の半導体で情報的優位に立てば戦争も優位に進められるといった考えとは裏腹に、日本の陸・海軍はそういった小手先が吹き飛ぶほどの圧倒的な戦力を得ようとしていた。


 現代では、精密誘導、ピンポイントといった高性能化というギミックを用いて兵器の価格をも吊り上げているが、1919年の人種差別撤廃提案の廃案という事実以降、欧米諸国との民族の存亡をかけた決戦を不可避と考えていた当時の日本にとって、そういった余裕はなかったともいえる。



 満州での熱圧爆弾の実験は、コミンテルンの工作員によって、クレムリンに報告されたが、『内容があまりに荒唐無稽なので上に報告できない』という独裁国家における官僚の鑑のような理由で担当者がその報告を握り潰してしまった。




注1:熱圧爆弾による対艦攻撃

熱圧爆弾はアルミ粉を添加したピクリン酸を主成分としているため、多数の爆弾が同時に炸裂すると、ピクリン酸の爆轟による強烈な衝撃波が周囲に伝播してマッハステムと呼ばれる合成を引き起こし破壊力が数倍まで跳ね上がる。

それに遅延してアルミ粉が海面から巻き上げられた水蒸気と激しく結合する。この反応が起きると、アルミ粉は高熱を発生させつつ水分子から酸素を奪い、この過程で生成された遊離水素が2次爆発を起こす。同時に、海水の塩分は反応熱によって分解され、毒性と強い腐食性を併せ持つ「塩素化合物ミスト」へと変貌を遂げる。これが艦内の気密区画に侵入し、構造物を腐食させ、生存者の呼吸器を焼き切る。極めつけは、この熱圧弾頭が生み出す不規則かつ強大な衝撃波である。艦体側面の海面で炸裂した際、発生する巨大な気泡の膨張・収縮(バブルパルセーション)が船底へ直接的な応力を与え、戦艦の鋼鉄キールをも物理的に引き裂く。水素の二次爆発による船体損傷と相まって、船体は自重を支える力を喪失。鋼鉄の要塞は、化学反応の連鎖によって「崩壊する金属の檻」へと化す。もはや戦艦の装甲厚は、この崩壊の前では何の意味もなさない。

もちろん、熱圧爆弾による衝撃波と熱と塩素系化合物ミストは港湾施設に対して致命のダメージを与える。



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― 新着の感想 ―
>00年前のウナギと比べて、養殖物であろう現代のウナギの方が旨い。ような気がする。 そういえば肉なんかは昔の物はかなり味が落ちるんだろうな
航空機が飛べない悪天候の日にはどうしたらいいですか?
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