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技術立国日本  作者: 山口遊子


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76/84

第76話 昭和8年4~7月


 新年度が始まる前に、例年通り、ノートパソコン、プリンター、関数電卓、プログラム電卓などを理研に輸出した。ノートパソコン以外それほど高価なものではないのだが、非常に喜ばれる。


 理研では論理回路をゲルマニウムトランジスターで作り上げ、それを拡張していき、演算回路を作り上げた。まだ昭和8年、1933年なんですけど。史実では1950年代半ばから後半にかけてなんだが、とうとう20年以上も先に進んでしまった。シリコントランジスターという山を越えて小型化が進んでいけばIC、そしてCPUの世界だ。小型化がなくとも、大型コンピューターはもう目と鼻の先だ。これでいいのだろうか? ブーストし過ぎたか?


 演算回路は演算回路として進化させながら、現行の演算回路は弾道計算機として実用化された。そして現在は暗号解読機の製作に取り組んでいる。

 目標は俺が資料として集めたアメリカの「M-94」などの暗号解読。1930年代後半に完成したアメリカのSIGABAはまだ登場していないので解読はできないが、手法が確立されていれば登場しても瞬殺のはずだ。

 解読方法は総当たりになるわけだが、大戦中アメリカやイギリスが使っていた真空管やリレー(電磁スイッチ)式の解読機に比べ、トランジスターはスイッチング速度が桁違いに速いため、暗号を組む暗号機を構成する複雑なローターの組み合わせも、数分から数時間ですべてのパターンを網羅できる。

 さらに 傍受した電文の統計的特徴をトランジスター演算機で解析すれば、実物の暗号機が手元になくても、その内部回路を数学的に復元することすら可能になる。そうなれば、いつでも暗号が解読できる。


 具体的な手法は、

1.傍受した暗号文を穿孔テープにし、上からテープに光を当てて穴を抜けた光を光電管を通して電気信号に変換する。

2.内部でシミュレートした歯車の全組み合わせと、読み込んだ暗号文を次々に照合し、「不自然な偏り」がないかを探す。

3. 「統計的な偏り」の検知

 暗号文をそのまま見てもランダムな文字列だが、特定の論理演算(Δ演算:連続する文字の差分をとる手法など)を施すと、正しい「鍵」に当たったときだけ、文字の出現頻度にわずかな統計的偏りが生じる。その「わずかな偏り」の回数をカウントし、閾値を超えた場合に「これが正解の鍵である可能性が高い」と判定する。ということらしい。そこらは数学者の領域で、自慢ではないが俺には一切理解できない。


 暗号解読装置が出来上がれば、敵の動きは筒抜けだ。ただ、今の日本の実力から言って、レーダーもあれば、偵察機も優秀なので、あまりありがたみはないかもしれない。



 いろんな面で進んでいるものの、シリコン半導体の製造は難航しているようだ。そういうのを聞くと逆にほっとしてしまう。困ったものだ。


 理研食品では、乾燥ワカメ、レトルト食品、バランス栄養食の他、すでに各種の袋麺、カップ麺を販売している。史実での百福さんの努力には負けるかもしれないが、袋麺とカップ麺の開発には血の滲むような努力があったそうだ。詳細は聞いていない。

 最初のラーメンの麺は生麺風だったが、現在のラーメンの主力は油で揚げた麺だそうだ。油で揚げた麺の食感が目新しかったのだろう、との大河内所長の話だった。とにかく売れている以上おいしいのだろう。残念ながら、俺たちはまだ食べてはいない。そういえば、カップそばとカップうどんのためにカツオ風味の化学調味料を開発し、別途単体で売り出したそうだ。もちろん特許をとっている。あの会社は悔しいだろうなー。あっちの会社はまだないからモーマンタイ。


 6月に入って、7気筒×2列エンジンが理研の工作部で完成した。名称は特に付けておらず理研14気筒エンジンなどと呼称していた。

 形式:空冷複列星型14気筒

 重量:571キログラム

 馬力:1300馬力

 一段二速機械式過給機+排気式過給機


 理研航空機では中島飛行機に設計図、計算書、実物を引き渡し製造依頼している。




 音響追尾魚雷についても動きがあり、九〇式魚雷に音響追尾装置を組み込んだ模擬魚雷を使っての試験が呉海軍工廠水雷実験部の主催で、工廠に隣接する阿賀(あが)試射場で行われ、計算値通りの性能を発揮した。そのあと、駆逐艦を使っての試験も行われ、これも良好な試験結果だった。この試験結果が、この年一応の完成を見て、正式採用まで漕ぎつけたものの実戦配備には程遠い酸素魚雷(九三式魚雷)の完熟を促すことになる。

 7月には、潜水艦を使い、音響追尾装置を組み込んだ八九式魚雷での試験が行われ、これも良好な成績を収めた。

 結局、九〇式魚雷に音響追尾装置を組み込んだ魚雷は61センチ九三式魚雷、八九式魚雷に音響追尾装置を組み込んだ魚雷は53センチ九三式魚雷として正式採用された。

 理研側では魚雷の外殻に塗装なしの強化フェノール樹脂を提案していたのだが、艦政本部は色が派手過ぎるという理由で却下した。これに対して、理研側は青色塗料を添加して濃緑色に仕上げた強化フェノール樹脂を提案。雷速も3~5ノット上昇するに及び、61センチ九三式魚雷乙、53センチ九三式魚雷乙として正式採用された。また現在改良中の九一式酸素魚雷の外殻にも強化フェノール樹脂が採用されることになった。


 以前から提案していた、音響追尾ロケットだが、発射後の速度が亜音速となる関係で、風切り音と敵機の音を聞き分けることが難しく、思った以上に使えないそうだ。さらに現在採用されている双発戦闘機への機首に集中装備している7.7ミリ機銃の威力と直進性が高すぎて、ニーズ自体もないようだった。



 そういった兵器とは別に、商社を通じて蛍光灯の国外販売が始まった。GEからクロスライセンスの打診があり理研側はそれを受けている。ただ、GEのライセンスの老い先は短いので、ライセンスが切れたあとは、GEは理研側に特許料を支払うことになる。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 延び延びになっていた日本橋高島屋に7月になって初めて訪れることになった。


「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」


 全館冷暖房完備の日本橋高島屋の宣伝文句が踊っていたようだ。


 理研で魚雷の話を聞いてからの帰りに東京駅まで電車でやって来て、八重洲口から駅を出て、勘を頼りに歩いて行ったら、それっぽい大きなビルが見えてきた。


 正面玄関の二重ドアを通って建物の中に入ると涼しい風が後ろから吹いてきた。これこそデパートだよ。案内係の後ろの各階の案内板(注1)を見たところ、書籍はないようだった。


8階:屋上庭園・遊戯場

7階:大食堂・催事場

6階:家庭用品・美術工芸品

5階:紳士服・呉服

4階:子供服・玩具、特設食堂

3階:婦人服・洋品

2階:高級婦人服・装身具

1階:総合案内・化粧品・雑貨

地下1階:食料品


 特に購入したいものがあったわけではないので、3人で各階を見て回り、最終的に大食堂の前に立った。

 昨年から日本橋三越でもそうなったのだが、今のデパートの食堂と同じで入り口にメニューのサンプルが並んだショーケースが置かれ、その先に食券を販売する窓口があった。


 窓口で注文したメニューは俺は海老フライとライス、堀口はカツレツとライス、鶴井はライスカレーとポテトサラダを頼んだ。飲み物は瓶ビール。それに食後のアイスクリーム。

 案内された席に着いたらウェイトレスが食券を半分にちぎって持っていった。


 最初に運ばれてきたビールは、ウェイトレスが3人分のカットグラスに注いでくれた。ビール券を持っていった。

 それほど待つことなく料理が運ばれてきた。

 海老フライにはタルタルソースではなくて、デミグラスソースがかかっていた。これは想定内。堀口はテーブルに置いてあったウスターソースをかけていた。鶴井のライスカレーだが、カレーのルーはアラジンの魔法のランプ型の銀の入れ物に入っていた。これも想定内。


「店内は三越以上に豪華だし、涼しいからいいところだけど、目新しいものはなかったな」

「わたしたちから見て目新しいっていうのもちょっと変だけど、確かに『うちの商品』という意味なら今一でしたね」

「でも、100年後の高島屋と同じですよね?」

「戦災に遭ってないわけはないんだろうが、耐えたんだろうな。日本橋三越もそうだけど作りが頑丈そうだし」


 とはいっても、理研が開発した、アルミ粉入りの焼夷弾だと、熱と爆風でいくら頑丈な建物でも吹き飛びそうだ。そういう意味だと、アルミ粉入りの焼夷弾をニューヨークに落したら、ものすごいことになる。このまま、進んでいけば『富嶽』も夢じゃない。やられたらやり返す、倍返しだ! ってことはこの世界線ではおそらくないが、心情的にはな。



 メインを食べて、最後に出てきたアイスクリームを食べて店を出た。

 蛇腹格子式ドアのエレベーターに乗って1階まで下りて、二重ドアを抜けたらそこは真夏の東京だった。確かに涼しいところから暑いところに出たので「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」を実感してしまった。


 とはいえ、21世紀の現代人にとって、暑いと言ってもそれほど暑くもない真夏の日差しを浴びて東京駅まで歩いて帰り、そこから東北・京浜線の電車に乗ってそのまま浦和まで帰った。窓を開けても電車なので煤煙が入ってこない。夏は電車に限る。



 この日は入荷がなかった関係で、理研に持っていく物品注文したらほとんど仕事がなくなってしまった。ということで事務所内では雑談の花が咲く。そんなのでいいのか!? と聞かれれば、ちょっとまずいかもしれないが、会社の業績は安定しているので問題なし。とはっきり言える。


「昭和8年といえば、戦前というほどまだ戦前ではないかもしれないけど、全く暗い感じしないよな」

「そうですよね。史実だと共産党員が次々逮捕されて、投獄されていますものね」

「思うんだけど、彼らは結局コミンテルンの走狗だったわけだろ?」

「そういわれれば」

「何度も言っているが、世の中経済的合理性がなければ誰も動かないぞ。彼らは経済的支援をソ連から受けていたと考えるのが妥当だろ?」

「歴史の教科書だと弾圧される知識人や労働者という悲劇的な文脈で語られているけど、実際はビジネスだった? そして金を貰ってリスクをとった以上、応分の覚悟があった?」

「彼らの覚悟の多寡は分からないが、自業自得じゃないか? そもそも、赤化の阻止は天皇の主権国家じゃ義務だろ? 赤化なんて言い方を変えれば国家=天皇に対する完全な反逆だ」

「確かにそう言えるような」

「堀口がそう思えるのは、おそらく、あの日本の空気を身をもって吸ってるからじゃないか? あの時代を肌で感じてないと、今の時代の価値観で全否定するのが落ちだからな」

「それはあるかも。暗い時代どころか、誰もが前を向いてますものね」

「それはわたしも感じてました。みんなが明日のために頑張ってる。って感じ」と鶴井。

 二人とも、人を見る目をちゃんと持っていたようだ。だからこそ俺を信用してついてきてくれている? これは自惚れ過ぎか?


 二人と話しているうちに気づいたんだが、共産主義というのは感染症と一緒で、体が弱っているところに忍び寄って来て、いつの間にか感染して死に至る。ここでいう体って経済だ。国民が窮乏すれば、病気になりやすくなる。そういう意味だ。この対策として、国を豊かにすることが一番であることは当たり前なんだが、感染源の撲滅も必要だ。当時の各国政府だってその認識だったはずだが、すでに政府内部が汚染されていた結果、いいようにあしらわれたのではないだろうか? 特に当時の日本は。いや、当時の日本に限らないか。


 ただ、俺の力でスパイを暴けるわけではないというか何もできないのは確かなので、注意人物のリスト(注2)だけは作って大河内所長に渡しておこう。そのあとのことは丸投げだ。


 日本はいいようにやられていたわけだが、日本のスパイはソ連、アメリカに対してそれなりに活動してたんだろうか? どこかの国の政権中枢に食い込むとか。できてないから、いいようにやられたわけか。


 翌週の金曜日。理研に荷物を届け、用意したスパイリストを大河内所長に手渡した。

「その紙に書かれている人物たちが、本当にこれからスパイ活動をするかは分かりませんが、注意したほうがいいと思います」

「ありがとう。しかるべきところに報告しておくよ」

 顔の広い大河内所長のことだから、それっぽいところに報告するのだろうが、どういった経緯で人物名が分かったのかと聞かれたら、少し苦しいだろう。それでも、何とかするのが大河内所長。そう思っていよう。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 7月19日土佐沖。

 海軍では60キロ(六番)熱圧爆弾の対艦攻撃試験を行った。試験内容は一三式艦上攻撃機6機を用い、緩降下で各4発、合計24発の60キロ熱圧爆弾を実艦的(じっかんてき)に向けて投下するというものだ。的となった艦は旧防護巡洋艦「千歳(ちとせ)」(排水量4760トン)。


 高度1500メートルから緩降下で千歳に接近した6機は、観測機などが見守る中、高度1000メートルで次々に60キロ爆弾を投下した。千歳周辺で次々と閃光が走り、閃光が消えた時には千歳の艦体は大きく変形し、艦上構造物がほとんどなくなっており、30秒後には横転し、そのまま海没してしまった。


 関係者は60キロ熱圧爆弾のあまりの威力に言葉を失った。


 撮影された写真から、千歳に命中した60キロ爆弾はわずかに2発に過ぎなかった。

 また、現像された記録フィルムには、着弾の瞬間、千歳の周囲の海水が爆圧によってボウル状に押し下げられ、その直後に沸騰したような白濁した水柱が艦体を包み込む様子が映っていた。理研側では、水中至近弾による水撃作用が樹脂弾殻の完全燃焼によって増幅され、千歳の水線下を一気に破壊したと推測した。




注1:

屋上庭園は後に象の「タカちゃん(高子)」がやってくる場所です。なお、成長に伴い体重が約1.8トンまで増え、屋上での飼育が困難になったため、1954年に上野動物園へ移されました。この際、クレーンを使わず自力で百貨店の階段を降りて地上へ向かったという逸話が残っています。by Google

地下1階の食料品売り場は、いわゆる「デパ地下」の走りでした。また当時も地下2階まであり、冷暖房用の機械室や倉庫として使用していたようです。


注2:注意人物のリスト

リヒャルト・ゾルゲ (Richard Sorge)

 ドイツ人ジャーナリストを装い来日した、ソ連赤軍第四本部所属のスパイ。日本やドイツの動向を調査し、スターリンに報告していた。諜報活動を行っていた期間は、1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)までの約8年間

尾崎秀実 (おざき ほつみ)

 朝日新聞社記者、近衛文麿政権の嘱託(ブレーン)。政界・言論界のトップ層に食い込み、日中戦争や太平洋戦争の開戦方針に影響を与えた。

マックス・クラウゼン (Max Clausen)

 ゾルゲの無線技師。暗号電報の送信を担当。

ブランコ・ヴーケリッチ (Branko Vukelić)

 ユーゴスラビア人ジャーナリスト。情報収集を担当。

宮城与徳 (みやぎ よとく)

 画家。米軍情報などを収集し、ゾルゲ組織の協力者として活動した。

北林トモ (きたばやし トモ)

 ゾルゲ組織の資金連絡などに

これらの人物は1941年(昭和16年)9月から1942年(昭和17年)4月にかけて逮捕され、尾崎、ゾルゲは1943年に死刑判決を受け、ゾルゲと尾崎は1944年(昭和19年)11月7日に死刑が執行されている。なお、11月7日はソ連の「ロシア革命記念日」にあたる。



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