第73話 昭和8年1~2月
俺たちにとっての2033年、100年前の1932年、昭和7年は暮れていった。
理研でのトランジスター製造は順調で、シリコンの結晶化もあと一歩のところまでたどり着いているそうだ。このままいけば、1、2年でシリコン半導体が見えてくる。そうなれば本当の意味での大量生産が可能になる。
年末年始も例年通り過ぎていき、仕事始めの今日は夕方から新年会だ。昨年の忘年会は浦和の商業ビルに入っていた寿司屋だった。例のごとく、堀口は大トロばかり食べていた。
今年の新年会は焼き肉ということになった。店は浦和で、忘年会で使った寿司屋が入った商業ビルの同じフロアに入っている例のちょっとお高い焼き肉屋の系列店だ。料理は頼んでいないので店に行ってからになる。
「焼肉も久しぶりだな」
「そうですねー」「楽しみです」
久しぶりの焼き肉屋ではあったが、当然頼むものはいつもと一緒。最初生ビールで乾杯した後センマイを摘みながら、注文した肉がやってくるのを待った。
「先輩、昭和8年というと、特別大きなイベントってないですよね?」
「ヒトラーのナチスが政権を取ったことと、あとは山海関で関東軍と国民党軍が直接戦闘を繰り広げて、そのまま熱河省まで押し出してあっという間に占領してしまった」
「何のためにそんなことしたんですか?」
「満州を守るための緩衝地帯が欲しかったんじゃないか? ただ、今の関東軍は国民党軍に比べて圧倒的だし、あえて挑発する必要もない。それに、そもそも中国は大市場なんだから、大切に育てたほうがいいだろ? つまり、中国本土への侵攻は起きないと思う。今の日本はもう焦る必要はないし、時間が味方なんだから。国民党の中国はそれでいいが、ソ連はだめだ。共産主義と相入れる場所がない以上、緩衝地帯は必須だ」
「つまり、史実で中国に向かった力がソ連シベリアに向かう?」
「そうなるだろう。ソ連はいつかは決着をつけるべき相手だ。それがいつになるかは分からないが、中国との戦争より楽じゃないか?」
「何でです? ソ連って中国より広いじゃないですか? 第二次大戦でも勝ち組だし」
「中国は面だが、ソ連、とくにシベリアはシベリア鉄道で繋がった点の集まりなんだよ。ハブを抑えてしまえばその先は枯れ死ぬんだ。例えばイルクーツクとかチタを抑えればその先は軍事的以前に経済的に立ちいかない」
「先輩。どこかの参謀みたいですね」
「社長があの時代の偉い人だったら、日本は負けなかったかも?」
「いや、結果を知っているから、後付けで言ってるだけだから」
そういった話をしているうちに注文した肉類がやって来てコンロに火が入れられたところで肉を網の上に載せていった。
「焼肉はやっぱりカルビだな!」
「その意見には異存はありません」
「わたしはどっちかというと、まだ焼いていませんがタンかな」
「もちろんタンもいいけどな」社長としてフォローは大切だ。
「サンチュに挟むなら、カルビでしょ」
「そうかなー?」
「まあ、どっちもおいしいでいいじゃないか」社長としてフォローは大切だ。
「鶴ちゃん、それじゃあ、ミノってどう?」
「嫌いじゃないけど、大好きって程じゃないです」
「だよね。そのくせミノってけっこう割高だよね」
「それは言えてます」
「まあ、おいしく食べればいいじゃないか」
どうせ最後は俺が払うんだから、値段のことを気にしても始まらないだろ? 言わないけれど。
その日は最後に二人にも勧めてカルビクッパを食べてしまった。腹いっぱいになったおかげで、2次会もカラオケもなく、おとなしく京浜東北線の電車に乗って北浦和に帰った。俺の戦略的勝利だったようだ。
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こちらは石原莞爾と彼の副官的存在の武田毅雄少佐。二人は正月明けそうそう、万里の長城の最東端である山海関の視察に訪れていた。現在の二人は私服である。
「日露の戦役を知っていれば、要塞の意味くらい知っていそうなものだが。これは、まさに前時代の遺物だな。ソ連よりひどい」
「おっしゃる通りです」
「中華に対する緩衝地帯はあるに越したことはないし、ここを取って一気に熱河に押し出してもいいかもしれんが、せっかくの大市場である中華を刺激して、反日で一つにしてもつまらないからな」
「ということは?」
「取る気になればいつでも取れるわけだから、放っておこう」
「しかし、放っておいているうちに、近代要塞化されませんか?」
「今はそこらの要塞など、航空機によって容易に粉砕できる。戦闘機が敵より優れておれば、好きな時に爆撃できる」
「なるほど。そこであの理研の戦闘機ですね」
「そういうことだ。そういえば、爆撃機の方もすごかったそうだぞ」
「それは、九二式双発軽爆のことですね?」
「それだ」
「詳しくは知らないんですが、とにかく凄いということだけは聞いています」
「60度の角度で逆落としに急降下して爆弾を食らわせるんだそうだ。命中率がすごいらしい」
「なんと! 敵の真ん中に落せるということですか」
「もちろんそうなんだが、鉄道や橋を狙って確実に破壊できる。コンクリートの陣地も一緒だ。しかも、双発爆撃機のくせにそこらの戦闘機より速くて、機動も優れているそうだ。そのうえ例の戦闘機のように機首に2挺の7.7ミリを備えているという」
「理研製なんだから当然金色の銃腔の7.7ミリですよね?」
「その通り。おまけに後ろには旋回機銃が付いている。つまり、そこらの戦闘機よりも強い爆撃機だ」
「時代が変わったということですね」
「全くだ」
「ここを攻める時は何とでもなるのでしょうが、向こうから満州に攻め寄せてくることはないでしょうか?」
「あり得んだろう。いまさら主人面をして豊かになりつつある満州にやってきたところで、満州の人間は誰も連中を相手にしやしないよ。連中とてそのくらいは認識しているだろう。満州軍の一個連隊を置いておけば十分だろう。今の満州軍なら、国民党軍の1万や2万は鎧袖一触で蹴散らせる。そのために鍛えているわけだからな」
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こちらは関東軍のハイラル航空基地。基地には理研航空機から受領した6機の九二式偵察機が先行配備されている。
その中の一機が満州とソ連との国境の都市オトポール方面に飛び立っていった。ハイラルとオトポールとの距離はおよそ180キロである。九二式偵察機にとっては目と鼻の先である。
また、ハイラルとウランバートルの距離はおおよそ980キロ。九二式偵察機にとって余裕で往復できる距離である。
翌日。九二式偵察機がウランバートル方面に飛び立っていった。
その翌日。九二式偵察機は、560キロほど離れたチタに向かって飛び立っていった。
さらにその翌日。九二式偵察機は1150キロ離れたイルクーツクに向かって飛び立っていった。
ソ連側は上空を我が物顔で航過していくハイラル方面からの航空機、おそらく日本軍の偵察機に対してなす術なく見上げるだけだった。何度か戦闘機を上げたものの、ようやく6000メートルまで上がったころには日本の航空機は機位を上げて、そのはるか上を悠然と飛び去っていく。現場からはモスクワに高空性能の高い戦闘機を求めたが、ない袖が振れるわけもなく、今では戦闘機を上げることすらなくなっている。
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昭和8年2月。朝鮮(北朝鮮)と満州(中国吉林省)の国境を流れる鴨緑江に建設中だった最初のダムが完成し、第1水豊ダムと命名された。同時に発電が開始されている。そして理研による重水炉の建設が始まった。このプロジェクトの技術責任者の仁科芳雄も大河内理研所長ともども重水炉の起工式に参加している。なお、重水工場は、一足先に日本窒素が朝鮮に持つ興南工場に隣接して建設している。
これとは別に理研合成では竹織布をバイアス方向(45度傾け)で2重にし、さらに「引っ張って」ストレスをかけ、脱気状態でニトリルゴムを添加したフェノール樹脂を浸潤させたうえで固め、内側にニトリルゴムを塗布したタンクを作り上げていた。長細い形状のタンクのため両端面近くでは竹織布が4重になっている箇所もある。また、タンクの胴体には同じく強化フェノール樹脂製のベルトが数カ所巻かれている。このタンクは200気圧の内圧に耐えることができる。要するに魚雷の空気室を想定したタンクである。
このタンクを空気室とすれば、魚雷が高価である原因の一つである、ニッケル合金の削り出しタンクを使用しなくてもよくなるため、魚雷単価をかなり抑えることができる。ちなみに従来のタンクは魚雷の単価の4割程度を占めていたようだ。強度をこのタンクより抑えることで単価を下げた強化フェノール樹脂で魚雷本体(雷体)の製造も可能だ。そうなれば、パフ研磨だけで鏡面仕上げできる。
同じころ、理研航空機の所沢飛行場では、理研本体で開発したPPIスコープ式電波探知機の試験が行われていた。上空を舞う完成機と交信しながら、精度のチェックを行っている。もちろん完成機にはテスト用にアルミ箔を貼っている。
「将来的に敵国が電探を装備したとして、アルミ箔を貼らなければぼんやりとしか電探に映らないわが方の航空機を捉えた時には手遅れになるんじゃないですか?」
「それは言えるな。その心配より、帰投時には管制に連絡すると同時に、電探の電波を受けたら、受信した電波と同じ波長の電波を、同等の強度で送り返してやればいいだろう。そうすれば電探に正確に映る」
「それは必要ですね。その時電波を点滅させてやれば、電探上で味方ってことが判りませんか?」
「味方の近くを敵機が飛んでたら、区別がつかないものな」
「さっそく作ってみましょう」
「本格的な機載電探を作りますか? 出力は高く飛ぶ分抑えてもいいはずですし。ところで、今の電探は空を向いてますよね?」
「それはそうだろう」
「機載電探ってどこを向くんですか?」
「それは、……、地面方向か?」
「ですよね。そうなると、敵機は点で見えるんでしょうが、地面はどう映るんでしょう?」
「地面にはいろんなものがあるから、それなりに映るんじゃないか?」
「反射率の違いから少なくとも陸と海は区別できるんじゃないですか?」
「そうだろうな」
「じゃあ、海の上の船は?」
「それはそれ相応に映るだろう」
「それって、役立ちませんか? 船に積んだ電探だとよくて30キロ先の船しか見つけられませんよ」
「空母から発艦して周囲を探れば早い段階で敵を発見できる。艦載機の足に余裕があれば先制攻撃も可能になる! これは上に上げてちゃんとした計画として進めたほうがいいだろう。高空試験機を大型化した高空電探機と艦載電探機だ」
「水上機に積んでもいいんじゃないでしょうか? 両翼下に浮舟を付けて、機体の真下に電探を積む」
「それもありだな」
「それはそうと、電探の性能に問題はないようですね」
「これなら、すぐにでも使えそうだが、問題は電力だな」
「ジーゼル発電機が電探専用に欲しいですよね」
「航空機なら自前の電力があるからいいが、満州の基地だとおいそれと電気を使えないだろうし、使えたとしても安定してないだろうから、そのあたりからしっかりしないと宝の持ち腐れになってしまうだろうな」
「この際、ジーゼル発電機を積んだ大型トラックに電探を積んだらどうでしょう? 前進基地なんかには役立たないでしょうか?」
「そうとう役立ちそうだな。均土車で素早く飛行場を作って、電探トラックで警戒する。いいんじゃないか。それも上に諮ってみようじゃないか」
後日、高空での電探哨戒機、艦載電探偵察機、水上電探偵察機、電波警戒トラックの開発が理研内で承認された。大河内を通して、基地用の電探が完成したことと、これらの開発に取り掛かったことを陸軍の永田鉄山と海軍の山本五十六にその旨伝えている。
永田鉄山との会話。
「基地用の電探はとりあえず、陸軍科学研究所から技師をこちらに伺わせますから、実物を見せてやってください」
「了解です。どうせですから、その時海軍さんにも声をかけてもよろしいですか?」
「今更ですから」
「はははは」
「それで大河内さん、新しい取り組みですが、そこまで欲張って大丈夫なんですか?」
「資金的には問題ありません」
「資金が足りないようなら、陸軍が出しますが、研究開発する人員は足りるんですか? 人が足りずにあぶはち取らずでは困りますから」
「それについては問題ありません。優秀な人材が揃っていますから」
「それなら大丈夫ですな。陸軍とすれば高空での電探哨戒機と電波警戒トラック、特に電波警戒トラックがあればありがたいです」
「了解です」
山本五十六との会話。
「今度、その電波探知機を陸軍さんにお見せすることになったので、海軍さんもいらっしゃいませんか」
「是非」
「追って、予定などはお知らせします」
「よろしくお願いします。それで新しい試みについては大いに期待しています。試験等で船を出すなら仰ってください。いつでも都合を付けますから」
「了解です。艦載機については現在支障なく開発しているものを流用出来ますが、水上機についてはこれまで扱ったことがないので、少し時間がかかるかもしれません」
「大河内さんの言う、少し時間がかかるは、われわれからすればあっという間ですから」
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史実では2月24日に国際連盟総会で満州に関するリットン調査団報告書に基づく日本への勧告案が賛成多数で採択され、日本の国際連盟脱退を決定づけるが、この世界線では調査団そのものが派遣されていないので、満洲に関連して日本が国際連盟を脱退する可能性はない。
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