↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
技術立国日本  作者: 山口遊子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/84

第72話 昭和7年7~11月。幕間『あるつぶやき』


 九二式双発戦闘機の正式採用に続き、試作双発軽爆撃機が完成し、理研航空機の所沢飛行場で飛行試験が行われた。


 模擬爆弾を定数積み込んだ試作双発軽爆撃機は九二式双発戦闘機と同じく、軽快な機動を示し、それまでの爆撃機とは一線を画す性能を示した。ノルデン照準器は、爆撃時には照準器側が操縦を受け持つ形だったが、理研航空機が採用した爆撃照準器は、自動空戦フラップ同様、機速、加速度などから機械的に照準点が修正される動的照準器になっている。その照準点の真下に目標が来るよう爆撃手が操縦士に指示して機を操作し、爆撃手がタイミングを見て爆弾を投下する。水平爆撃では動的照準効果を認識できないが、降下爆撃、そして研究が始まった急降下爆撃で効果を発揮することになる。もちろんこの試作双発軽爆撃機は急降下爆撃からの引き起こしに堪える機体剛性を備えている。さらに史実での急降下爆撃機にはリリースした爆弾がプロペラや機体に接触しないよう、トラピーズと呼ばれるリリース用のアームで爆弾を放り投げていたが、そういった機構は付けず、降下途中ではなく引き起こし動作開始時に爆弾が自動リリースされるよう、爆撃照準器なども調整されている。


 シベリア鉄道の鉄橋、線路、列車に対して、アルミ粉末を混ぜた爆弾、サーモバリック弾をピンポイントで投下すれば簡単に不通にできる。相手が艦船なら沈めなくても艦上構造物が焼けてしまえばそいつはもう廃艦だ。戦艦の艦上構造物を全部焼くのは面倒だが、駆逐艦なら、50キロサーモバリック弾が10発も降り注げば、直撃がなくても艦上構造物は焼けて使い物にならなくなるだろう。もし駆逐艦が魚雷を積んでたらおそらく誘爆する。空母なら装甲空母でない限り、飛行甲板の下の骨組みまで焼けてしばらく使い物にならなくなる。将来的に徹甲爆弾が開発されれば大型艦船の撃沈も可能となるが、無力化さえできれば沈める必要などないと割り切ってしまえばそれまでだ。そのころには機載サーモバリックロケット弾の世の中になっているだろう。

 理研が考えているサーモバリック弾の弾殻はフェノール樹脂なので、弾殻さえも高温で燃えて被害を拡大するおまけ付きだ。


試作双発軽爆撃機

最高速度:時速520キロ(高度4000メートル)

巡航:時速420キロで6時間

武装:7.7ミリ機銃2挺を機首に。後方に7.7ミリの旋回機銃1挺。

爆弾:50キロ爆弾10発ないし100キロ爆弾4発。



 その日のテストは飛行試験だけで終了した。


 そして翌日。

 この日は模擬爆弾の投下試験となる。飛行場脇の空き地に直径10、20、30、50メートルの同心円が石灰で描かれており、真ん中の10メートル円だけは白く塗り潰されている。その円が投弾目標となる。


 操縦士は二宮飛行士だが、爆撃手は陸軍航空隊の曹長が務めることになっている。

 搭載した模擬爆弾は50キロのもので、定数である10発。

 初回は高度3000メートルからの水平爆撃で、上空手前で手動で開いた爆弾槽から最初の1発が投下された。


 小さな黒い点に見えた模擬爆弾がそのまま落下を続け、そして、目標の円の中に吸い込まれた。

 模擬爆弾は30メートルの白線上に突き刺さった。そこで試験官たちから歓声が上がった。


 それから3度模擬爆弾が投下され、全て50メートルの円内に吸い込まれた。


 最後の試験は残った6発の同時投下になる。


 旋回中の試験機が直線飛行を始め、爆撃コースに入り、パラパラと爆弾を投下した。


 結果は、4発が50メートル円内に吸い込まれ2発が惜しいところに逸れた。


 全10発の投弾で真ん中の白丸に命中したのは1発のみだったが、1発であれ素晴らしい成績であることは間違いない。



 そして、翌日。

 この日は緩降下爆撃の試験だった。天候は曇りだったが雲高は4000メートル以上だったため試験に支障はないと判断された。


 搭乗員は昨日と変わらず。二宮飛行士と爆撃手として陸軍航空隊の曹長の二人。


 模擬爆弾は100キロのもので定数の4発が搭載されている。


 試験は高度2000メートルから、降下角度30度で目標に接近し、高度800メートルから500メートルで投弾し、そこから機を引き起こすことになっている。引き起こし完了高度は300メートルを想定している。


 今回の試験は引き起こしを伴う投弾のため、一度に4発の100キロ爆弾を投下する。


 緩降下といっても30度となれば結構な急角度だ。一般的な航空機の着陸時の進入角度(グライドパス)は約3度、機首の上げ角(ピッチ)を含めても10度程度に収まることを考えれば、逆落としに近い。


 検査官や関係者が見守る中、試験機が目標に対して降下を始め、そして投弾。しばらく試験機は降下を続けたがそのうち引き起こされて、急角度で上昇していった。


 肝心の命中率だが、4発全て50メートル円に着弾し、1発は真ん中の円に着弾していた。

 数字的には10メートル圏に1発、20メートル圏に1発、30メートル圏に1発、50メートル圏に1発だった。


 午後からは急降下爆撃試験となる。試験といっても急降下爆撃は陸軍航空隊にとっても研究中の段階で実際は未知の領域のため、試験結果については採用のための参考にはするが、結果がどうあれ不採用にしないと陸軍側は考えている。


 高度3000メートルで水平飛行に移った試験機は爆撃コースに入り、60度の角度で降下というより落下しはじめ、高度600メートルで4発の100キロ爆弾を叩きつけるように投下し、高度150メートルで降下をおえて引き起こされた機はプロペラの風切り音とエンジンの爆音を轟かせて上昇に転じた。


「急降下というのは心臓に悪いですね」

「しかし見てください、全弾30メートルの円内です。お互いの干渉を考えれば奇跡のような命中率でしょう。爆弾が1発だったら真ん中に命中してますよ」

「そうですね。文句なしの採用でしょうな」



 ということで、試作爆撃機も早々に正式採用が決定され、九二式双発軽爆撃機と名付けられた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 4月11日(1932/4/11)反乱の火種がくすぶっていた外モンゴルの北端であるフブスグル県から反乱の火の手が上がり、周囲に飛び火していった。


 土肥原は事の成り行きをハルピンで見守っていたが、モンゴル政府軍はソ連軍の航空機や装甲車を含む軍事支援を受け反乱軍の鎮圧を始めた。土肥原の予想通りであったが、むごいものである。

 7月には、反乱は見事に鎮圧され、結果としてモンゴル国内ではさらなる政治的抑圧が強まり、反乱に関与したとされる人々や知識層、僧侶などが逮捕され、処刑されていった。

 土肥原は可能な限り彼らを国外に亡命させてやったが、もちろん、人道的な配慮というわけではなく、日本によるモンゴル解放後を見据えてのことである。とはいえ、助け出された者たちは日本政府に感謝している。


 土肥原のハルピン特務によるモンゴルに対する分断工作は大成功だったと言えよう。関東軍と満州軍の準備が整ったあとに、モンゴル軍を何らかの形で挑発してやれば、簡単に『釣れる』と土肥原はほくそ笑んでいた。さしずめ共産主義政権打倒とモンゴル人民の解放を謳って、亡命させた要人たちを何らかの形で使って進撃すれば、間違いなくモンゴル人たちにもろ手を挙げて歓迎される。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 新京の寛城子(かんじょうし)飛行場から関東軍の軍用定期便に搭乗した石原莞爾大佐と彼の副官的存在である関東軍司令部付武田毅雄少佐が、 ハルビン、 チチハルを経由してマンチュリの陸軍飛行場に到着した。なお、史実では石原は帰国して大佐に昇進し、陸軍兵器本廠附として国際連盟が主催したジュネーヴ一般軍縮会議に随行している。この歴史での石原は8月8日、関東軍参謀として大佐に進級している。


 石原と武田は満州里(マンチュリ)守備隊が用意した最新式の六輪乗用車(翌年正式採用されて九三式六輪乗用車と呼ばれる。現在は試験運用中)に乗り、視察に出かけた。ウーズレー・スミダ式装甲自動車二台が護衛として後続している。

 行先はソ連との国境沿いにある第18号マイルストーン(国境碑)。そこからソ連側の拠点であるオトポール(現在のザバイカリスク)の動向を双眼鏡で確認する。


 第18号マイルストーン付近の小高い丘に登った六輪乗用車から降り立った石原は、首から下げた双眼鏡を構えて、国境の向こうの鉄道拠点であるオトポール駅から ソ連国境警備隊(GPU/NKVD)の監視所、オトポールの野戦陣地、そしてオトポール飛行場などを観察した。

「中佐、どうです?」

「かわらんな。先に飛行場を爆撃して、ここに新式の75ミリ野砲を20門も並べておけば、殲滅できる」

「しかし、ソ連と全面戦争が始まりませんか?」

「その覚悟がなくてどうする? ここの連中は最初からそこを見込んで軟らかい脇腹をさらしておるのだよ。いずれ外蒙古を取りに行けば自動的にソ連と全面戦争だ。軟らかいうちに始末したほうが安上がりだろ?」

「そうですね」

「ウランバートルまで押し出した勢いでイルクーツクまで取ってしまえば、シベリアの半分はエサのない袋の中のネズミにすぎん」

「おっしゃる通りです」

「とはいえ、今の関東軍と満州軍ではまだ無理だがな」

「2年もあれば行けるのでは」

「そのつもりで、三宅坂も考えてるんじゃないか? 戦車を先頭とした突破戦力と後続として10個師団、それに航空支援があれば、イルクーツクは取れる。そういえば、武田、貴様も聞いておるかもしれんが、理研ですごい偵察機ができたそうだ。もうハイラルに数機配備されているんじゃないか?」

「それは聞いております。名前は九二式偵察機とか」

「その話には続きがあってな、あまりに高性能だったから、戦闘機型と爆撃機型を作らせたそうだ」

「ほう」

「それが、あっという間に出来上がって先日飛行試験をしたそうだ」

「それで、どうだったんですか?」

「試験を見た者が伝えてくれたんだが『化け物』だそうだ。速すぎて既存の戦闘機では追えない。しかもどこまでも高く上っていくからさらに追いつけない。1万2000まで上がれるそうだ。今度はそいつが逆落としで突っ込んでくる」

「まさに化け物ですね」

「そいつは双発なんだが機首に7.7ミリを4挺載せてるんだそうだ」

「まさかその機銃は銃腔が金色の?」

「それなんだよ」

「うわー」

「なっ、分かるだろ? しかも、戦闘機のくせにマンチュリからウランバートルまで飛んでいって戦闘をこなして余裕で戻ってこられるそうだ」

「隔世の感がありますね。今までの戦闘機が一度に旧式になったってことですよね」

「その通りだ。海軍さんの言葉を借りれば、一晩でそれまでの戦艦を旧式にしてしまったドレッドノート級とでもいえるだろう。そういえば、わたしが陸大で教官を務めておった時、理研に行って大河内所長に話をうかがったことがあるんだよ。その時所長がおっしゃっていたのは、電波兵器について話されておった。すでに無線機は大幅に性能が上がっているうえに小さくなっているだろ?」

「そうですよね」

「あとは、電波を出して、その反射を拾って敵が来るのをいち早く見つけるんだそうだ」

「そんなことができるんですか?」

「理研がそういうなら、そうなんじゃないか?」

「電波を出せば、こちらがそこにいることが判って不利では?」

「例えば、どこかの基地なら、そもそも位置が分かっておるだろ?」

「確かに」

「爆撃機が到着する10分前に分かっておれば戦闘機で向かい討てるだろう。もし、わが方にそういった仕組みがなく、相手方にあれば、これはもう相手にならんだろ?」

「おっしゃる通りです」

「つまり、これからの戦は、歩兵の突撃とか大砲の撃ち合いだけではないということだ」

「……」

「あと面白いのは、その電波を発する仕組みを砲弾に詰めるんだそうだ。そして電波の反射の強さを見て起爆させる」

「どういった用途なんでしょうか?」

「飛んでる飛行機を撃ち落とす砲弾だよ」

「つまり、直撃しなくても敵機に損害を与える」

「その通りだ」

「なんだか、恐ろしいですね」

「それがこれからの戦の形なのだろうな。そういうことなので、われわれもそれに合わせた用兵を考えねばならん」

「おっしゃる通りです」



 一通り視察を終えた石原たちは来た時の道をたどってマンチュリに帰り、そこで一泊して新京に帰っていった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 この年、7月30日から8月14日にかけて第10回オリンピック・ロサンゼルス大会が開催された。成績は金メダル7、銀メダル7、銅メダル4の合計18個のメダルを獲得し、当時の日本オリンピック史上最高成績を記録。競泳では 実に全6種目中5種目で金メダルを獲得している。大賞典障害飛越で西竹一(バロン・西)が愛馬ウラヌス号とともに金メダルを獲得した。これは日本馬術史上唯一の金メダルである。前畑秀子選手は、200m平泳ぎで惜しくも0.1秒差で銀メダルに終わっている。史実では1936年の第11回ベルリン大会において地元ドイツのゲネンゲル選手とデッドヒートのすえに破り金メダルに輝いている。そしてあの有名な「前畑頑張れ!」の実況が生まれた。


 米大統領選挙で民主党ルーズベルトが現職フーヴァーを破り当選している。このあたりの歴史は変わっていないようだ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 10月に入って、7気筒×2列エンジンが理研の工作部で完成した。名称は特に付けておらず理研14気筒エンジンなどと呼称していた。

 形式:空冷複列星型14気筒

 重量:571キログラム

 馬力:1300馬力

 一段二速機械式過給機+排気式過給機


 理研航空機では中島飛行機に設計図、計算書、実物を引き渡し製造依頼している。


 理研航空機では、海軍からの依頼のあった艦載機の設計はすでに終わっていたので、これを機に模型の製造に取り掛かり、所沢工場で風洞実験を繰り返し、機体の形状を煮詰めることになる。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 あるつぶやき


 1920年代のドイツ経済の回復は、アメリカからの大規模な融資(ドーズ案)に依存していた。

 このドーズ案(1924年)の教科書的説明では、第一次世界大戦後のドイツの過大な賠償金支払いを緩和し、経済を復興させるためにアメリカが主導した計画で、アメリカの投資をドイツに流して、フランス軍のルール占領によるドイツの経済危機を回避し、ドイツが英仏に賠償金を支払い、英仏がアメリカに戦債を返済するという仕組みとなっている。しかし、ドーズ案の実態は、ドイツの国家資産(鉄道や関税など)を担保に取り、アメリカ資本がドイツの経済主権を握るための装置である。また、この資金循環の中に英仏を含めることで、英仏が独自に復興する道を閉ざし、すべての決済が「ドル」と「アメリカの融資」に依存する構造を固定化するためのものでもあった。

 1932年11月。総選挙でナチスが第1党に躍り出た。アメリカ資本をバックにした資本家たちによって資金援助を受けたナチスが選挙を有利に進めた結果である。深掘りすればナチスの掲げるユダヤ人排斥をアメリカは容認ではなく推奨していた。なぜなら、ユダヤ排斥はドイツという国家にとってマイナスにしかならないことをナチスが行うには、ナチスにとってそれ相応の経済的合理性が必要だ。アメリカの資本家、つまりアメリカに使嗾された。と考えるのが妥当だろう。ではなぜアメリカがそういったことを推奨したか? それはドイツをヒールに仕立て上げることと、アメリカ国内のユダヤ社会を『反ドイツ』に糾合することだろう。目的は、ドイツを使嗾して次の大戦をヨーロッパで起こし、大英帝国を今度こそ解体すること。第一次世界大戦での成功体験がアメリカをそう決断させた。

 あと10年あれば大英帝国は第一次世界大戦で負ったアメリカへの負債のくびきから抜け出せるのだからと、チャンバレンはドイツとの融和策を選択した。だが、そこまでお膳立てをしていたアメリカがそれを許すはずはなく、政治的に孤立していたチャーチルに接触して彼を次の首相に据えた。第一次世界大戦での屈辱(注1)を胸に秘めたこの男は、植民地相時代にアメリカにとって目の上のこぶだった日英同盟を廃棄へと導き、蔵相時代に断行した金解禁で大英帝国の経済の背骨をへし折り、そして、しなくてもいいドイツとの戦争に勝利するためという名目で、祖国をアメリカに切り売りした。


 そして日本が降伏したわずか数日後、アメリカはイギリスへの「武器貸与法(レンドリース)」を一方的に、即座に打ち切った。なお、このレンドリースには食料や農産品は約13%を占めていた。

 戦争で生産能力を失っていたイギリスは、食料や燃料すら買えなくなり、国家破産に直面した。これこそが、チャーチルが国を売ってまで手に入れた「勝利」の直後にアメリカが用意していた、「借金による逆植民地化」の幕開けだ。

 イギリスは破産を避けるため、アメリカから巨大な融資を受けざるを得なかったわけだが、アメリカはこの融資の条件として、「ポンドの自由交換性」を強要した。1947年にこれを実行した瞬間、世界中のポンドがドルに替えられ、ポンドは暴落。イギリスの金・外貨準備は底をついた。これで「スターリング・ブロック(英連邦経済圏)」は事実上崩壊し、ポンドの国際通貨としての命脈は絶たれ、大英帝国は見事に消滅した。


 1953年にチャーチルは、ご褒美として欺瞞と自己弁護の集大成「第二次世界大戦回顧録」によりノーベル文学賞を受賞した。




注1:第一次世界大戦での屈辱

1915年のガリポリ上陸作戦(ダーダネルス作戦)は、当時海軍大臣だったチャーチルが強力に推進したものだったが、オスマン帝国軍の激しい抵抗と作戦の不手際により、連合軍側に約25万人もの死傷者を出す大惨敗に終わった。チャーチルは 作戦失敗の全責任を問われる形で海軍大臣を解任され、政界の表舞台から事実上追放された。 当時は「ガリポリの虐殺者」とまで揶揄され、彼の政治家としてのキャリアは終わったと見なされていた。




[あとがき]

https://www.youtube.com/watch?v=njQzSf5mDBo 「前畑頑張れ!」


宣伝:茹だった熱帯魚と、冷えたビール。私は水槽の中の釜茹で地獄を消費する

その他『熱帯魚:食す』(全1話、1000字)https://ncode.syosetu.com/n5440mv/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。