第71話 昭和6年12月~昭和7年7月
昨年(昭和5年)の7月から始まった北鮮でのウラン鉱山の開発は順調に進み、排滓ダム、ウラン溶出処理を含む選鉱場、作業員の居住施設、その他周辺インフラも整い、昭和6年12月から鉱石の採掘作業に入っている。掘り出された鉱石はクラッシャーで適当な大きさまで砕かれた上でボールミルで文字通り粉砕され、粉末化した鉱石から硫酸でウランを溶出してウラン精鉱であるイエローケーキを作る。採掘される鉱石の品位がそれほど高くないため、かなり苦労することになるが、時間はたっぷりある。目標はイエローケーキ1200トン。鉱石にして100万トンだ。1日1000トンの鉱石を処理すれば、1000日で達成する。
当初は1日1000トンの処理などとても無理だが、5年もあれば余裕で達成可能だ。
水豊ダムが完成してそこからの電力の供給が始まれば、日本窒素の朝鮮工場での肥料用の水素製造の片手間で重水の収集が始まる。その先は重水炉によるプルトニウム生成となる。肥料の製造工程で硫酸も製造できるので、ウランの溶出液にも困らない。並行して、爆縮レンズを理研の工作部で製造すれば原爆が完成する。幸い、精密加工については理研工作部には国内随一の実績と能力がある。
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2032年、向こうは1931年の12月に入った。理研への資材運搬は順調だが、消耗品が主体になっている関係で、金額的には細っている。必然的に、トレード用商品の価格帯を下げざるを得なくなった。利益率は上がってはいるが、収益は落ちている。それでも、理研用の資材購入資金プールは増え続けているので特に問題はない。理研からの給与を元手にした俺たちの個人ベースでのトレードは価格帯が高いこともありかなり稼げている。100年トレードはそういう意味では順調と言っていいだろう。
オークション出品準備が一段落して、鶴井が淹れてくれたお茶で、堀口が買ってきてくれたきんつばを食べながら。
「12月になったけど、今年の年末のイベントはどうする?」
「ここまで来たからには、クリスマスはサのつくファミレスでいいんじゃないですか?」
「わたしもそれでいいです」
「じゃあ、そういうことで。二次会は適当に繰り出して適当にどこかの店に入ればいいだろう」
「それでいいです」「わたしも」
そういうことで、今年も同じように暮れていき、次の年も同じように明けた。
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ソ連の影響下にあったモンゴル人民共和国では、1930年頃から家畜の没収や強制的集団化、反宗教運動(寺院の破壊や僧侶の還俗)といった極左路線が推し進められていた。その結果、国内の遊牧民や仏教僧侶などは共産主義政権と背後のソ連に対して激しい敵意を抱くようになっていた。
そこに現れたのが、昭和7年1月(1932/1)に、関東軍のハルビン特務機関長に就任した土肥原賢二大佐である。彼はまず、当時中国領だった内モンゴルの有力者である徳王(デムチュクドンロブ:チンギス・ハーンの30代目の孫)にモンゴル人による国家建設をエサに接触し、彼の協力を取り付け、内モンゴルの僧侶などを使い、モンゴル人民共和国(外モンゴル)の反政府組織に対する接触を開始した。同時に、モンゴル政府要人らと接触している。目的はモンゴル国内の分断で、将来的には反満州、反日本を煽って暴発させることも視野に入っている。もちろんそういった工作は一朝一夕では不可能なので、じっくり時間をかける腹積もりである。ただ反政府側への浸透は驚くほど簡単だった。また、政府要人の篭絡も手慣れた土肥原にとってはたやすいものだった。
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理研航空機の高空試験機の成功を受けて、陸軍航空本部は正式に理研航空機に対して『長距離偵察機』の製作を『依頼』した。陸軍航空本部技術部も理研の技術力の底が見えず、具体的な性能要求書を作ることができなかったため、命令ではなく前例のない依頼となっている。
理研航空機側は、大まかな仕様として、先の高空試験機同様の推進式双発機とし、操縦員と偵察員の複座とする。翼については高空試験機と異なり低翼で直線翼を採用。脚は固定脚ではなく引き込み脚とする。
常用高度を6000メートルとし、翼内の空間も追加の燃料タンクとして使用することで航続距離を延ばす。最大速度は高度6000メートルで時速580キロメートル。航続距離は高度6000メートルを時速480キロメートルで6時間。もちろん主要素材は強化フェノール樹脂である。
設計そのものは2週間で終わり、所沢工場で機体の製造が始まった。理研精密ですでに改造を施された寿エンジンが運び込まれており、出来上がった機体にマウントされ、図面検査、実物大木型審査などすっ飛ばして驚くべき速さで試作偵察機が完成してしまった。なお、機内固定航空カメラは陸軍から提供されたものだ。
3月に入り、陸軍の関係者の前で、試作偵察機が披露された。試しに操縦席に座った陸軍の飛行士は「操縦席からの見晴らしが素晴らしい」と絶賛していた。偵察員席に座った偵察員も「固定カメラの操作が簡単である」と合格判定を下した。推進式のプロペラについては特に意見はなかったが、引き込み脚については不安の声があった。
そして、翌日。二宮飛行士が操縦席に着き、偵察員席には60キロの錘を載せて試作偵察機は飛行場をタキシングしたあと、再度機器の確認を整備員が行った後、飛行試験に移り、試作偵察機は高空試験機同様250メートルほどの滑走の後、急角度で上昇していった。そしてゆっくりと主脚が畳まれ主翼に収納された。
招待されていた陸軍関係者は、半分口を開けて上昇を続ける試作偵察機を見守っていた。
当日、所定の試験を終えて、試作偵察機はゆっくりと主脚を出して飛行場に着陸した。もちろん主脚に異常はない。
翌日。今度は偵察員席に陸軍の偵察員を搭乗させて高度6000メートルでの飛行と航空写真撮影を行った。もちろん問題なく航空写真は撮れていた。
それから1週間ほど試験が続いたが、試作偵察機はトラブルなく飛行を続けた。
その結果、試作偵察機は九二式偵察機として採用されることが決まった。
陸軍航空関係者から理研航空機の担当者に対しての質問。
「素晴らしい偵察機である。この機体に機関銃を載せれば立派な戦闘機になるのではないか?」
「機関銃を載せた場合、剛性等を強化する必要がありますが、それほど速度低下することなく戦闘機化は可能と考えます」
「旋回性能は単発機には劣るようだが、そのあたり改善の余地はありそうか?」
「旋回状況に合わせてフラップを開閉する機構を考案中です。実機テストはまだ行っていないので効果は確認されてはいませんが、ある程度の旋回性能を持たせることは可能と考えています」
「期待している」
「この機体は1万2000メートルまで余裕で上れますから格闘戦というより、逆落としで敵機に肉薄してとどめを刺す戦法が有効かもしれません」
「用兵についてはわれわれが考える」
「失礼しました」
「いや、開発者の忌憚ない意見は参考になる。先ほどの言葉は気にしないでいただきたい」と先ほど発言した人物の上位者が声をかけた。
「ありがとうございます」
後日、理研航空機は総数120機の九二式偵察機を受注することになった。アルミをほとんど使わないことで、九二式偵察機の価格は同型の航空機をジュラルミン製とした場合に比べ3分の2程度と見積もられている。
同時に、陸軍航空本部より、戦闘機型、軽爆撃機型の試作を『依頼』された。
戦闘機型については銃身に窒化チタン蒸着を施した7.7ミリ機銃を機首に4挺集中させ、単座とすることが決定された。銃身に窒化チタン蒸着を施したことと、機銃の発射機構にプロペラ同期機構を組み込む必要がないため、射撃速度を上げることが可能だ。また、山田幸太郎の知識をもとに、射撃には3点射を可能とした。同時に4挺の7.7ミリ機銃が火を噴き、合計12発が敵機を縫えば、一撃で致命傷を与えると考えられた。
さらに双発機の弱点である旋回性能を上げるために史実では紫電改で実用化された自動空戦フラップを採用している。自動空戦フラップとは機速(ピトー管圧)と加速度(バネの伸び)から、旋回に最適なフラップ角を水銀の液面移動やカム機構といったアナログ機構で割り出して、フラップ(主翼の機体寄りの補助翼)を展開する仕組みである。なお、主翼の翼端寄りの補助翼をエルロンという。
機銃弾は、NBR変性(ニトリルゴム添加)フェノール樹脂を半硬化状態でプレス成形した胴部と、軟鉄製の薬莢底を結合したハイブリッド構造を採用。
これをリケン66(ナイロン66)製の崩壊式弾帯に装填する。発射と同時に弾帯はリンクごとに分離・飛散し、空薬莢とともに速やかに機外へ排出される。これにより、連続射撃時の機内重量軽減と排莢トラブルの防止を両立している。NBR変性(ニトリルゴム添加)フェノール樹脂製の薬莢は発砲時わずかに膨張し燃焼ガスの漏れを防ぎ、発砲後は元の大きさに戻るため排莢はスムーズである上、発砲時の熱で内部が炭化することで、薬室内に熱が伝わることを防いでいる。
軽爆撃機型については、複座で、機首に2挺の7.7ミリ機銃、後方に7.7ミリの旋回機銃を1挺備え、搭載爆弾の総重量を500キロ、50キロ爆弾10発、ないし100キロ爆弾を4発を機内収納とすることが決まった。
設計そのものは各々2週間で完了している。偵察機のときと同様、図面審査と木型審査は免除され、理研航空機では実機製作に取り掛かった。
史実では、5月15日に「五・一五事件」が起きたが、この日本では予想通りそういった事件は起きなかったようだ。予想通りというのは、農村部の疲弊が軽微であったことと、一般兵への待遇が劇的に改善されたことから考えた結果だ。それもこれも満州で油田が見つかったことで日本経済が世界恐慌の影があるにもかかわらず上向いたおかげだ。そして言い方を変えれば、コミンテルンの影響力を日本の国力が削いだともいえる。北満州油田が見つかった時期は、ある意味絶好のタイミングだったのかもしれない。
6月に入り、戦闘機型の試作機が完成した。今のところ機銃の照準調整は行われていないが、7.7ミリ機銃弾は弾道低伸性に優れているため、調整は容易である。
初夏の日差しのもと、陸軍の審査員たちの前で直ちに実機の飛行試験が行われた。今回の試験には、海軍航空本部の技術部長である山本五十六も陸軍に頭を下げて見学に訪れている。
格納庫から引き出された試作戦闘機に二宮飛行士が搭乗し、タキシングして様子を見たあと、所沢飛行場の端に移動し。一旦停止した試験機はそこから加速していき200メートルほどで離陸し、急角度で上昇して行った。
上空に上った試作戦闘機は双発機では考えられないような見事な機動を見せ、試験官たちがあっけにとられている中、速度試験などもこなしていった。
最高速度:時速620キロ(高度6000メートル)
巡航:時速480キロで6時間
武装:7.7ミリ機銃4挺を機首に集合。
3日間にわたる試験を経て、試作戦闘機は陸軍で正式採用が決まった。名称は九二式双発戦闘機。
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この年の一月に史実通り上海事変(第一次)が勃発し、海軍からは空母「加賀」、「鳳翔」が実戦投入され、海軍航空隊は史上初の艦載機による撃墜記録を打ち立て、空母運用のドクトリンが固まりつつあった。しかし、艦上戦闘機、艦上爆撃機はあまりに足が短かった。そのため、空母が陸からの攻撃圏に侵入せざるを得ず、座礁の危険も相まって一時危険な状況も発生したが、現場の対応で事なきを得ている。
そういった経験から、海軍航空本部技術部長であった山本五十六は、航続距離の伸張、および基地航空隊の積極活用を意識し始めていた。
理研の双発戦闘機(九二式双発戦闘機)の試験を見学した山本五十六は、この4月に設立されたばかりの海軍航空廠に赴いて、工廠長である枝原百合一少将(注1)以下の工廠幹部を集めて会議を開いた。
「先日、陸軍が理研航空機に作らせた双発戦闘機の試験を陸軍に無理を言って見学させてもらった」
「双発機では、小回りが利かず、巴戦で容易に後ろを取られるのではありませんか?」
「そうでもないんだよ。自動空戦フラップというのが付いていて、操縦手が操作しなくても勝手にフラップが開閉して失速せずに旋回するんだ」
「それは本当ですか?」
「ここでうそをついてどうする」
「失礼しました」
「そもそも、たとえ後ろを取られたとしても、その戦闘機の最大速度はあえて公表はしないようだが620キロだそうだ。これまでのどの戦闘機も追いつけない。去年採用した九〇式艦上戦闘機の二倍だぞ」
「……」
「ただ、双発機では空母での運用は難しいから、多少性能が落ちてもいいので、空母用の単発機の製造依頼を理研航空機に出してもらいたい」
「了解です」
「それで、ここも積極的に理研の技術を学んでもらいたい」
「はい」
「双発の爆撃機も理研で作っているそうで、今頃陸軍の審査を受けているはずだ。できれば、艦爆も理研に作らせてみてくれ」
「了解です」
「そういえば、陸軍さんは、要求性能をあえてつけなかったそうだ」
「なんと」
「理由を聞いたら、どれだけ理研の懐が深いか計りかねてのことだったそうだ。われわれもそれにあやかって、艦載機として必要な最低限の要求だけ付けて理研に依頼を出せばいいと思う。そうだなー、もし空母が小さすぎて無理だというなら、空母の飛行甲板を大きくしようじゃないか。今の加賀は特に不評だしな。単発機では馬力不足というなら、基地航空隊用に陸軍さんの採用した戦闘機と爆撃機をうちでも採用してもいいがな」
「技術部長、それはいくら何でも」
「君たちの気持ちは分かるが、これから先、海軍が、陸軍が、とか言っていては戦争で不利になるからな」
「承知しています」
「ということだから、しっかりやってくれたまえ。枝原さん、そういうことでよろしくお願いします」
「心得ました」
それから約1週間後。海軍航空廠から理研航空機に対して艦上戦闘機、並びに艦上爆撃機の試作依頼が出された。要件は艦載機であるため着艦フックを尾部に取り付け、離陸距離は無風状態で120メートル以下。着艦時に十分な剛性を持つこと。不時着水した場合、一定時間浮力を持つことの4点のみだった。
これに対して、理研航空機の設計陣が大まかな仕様を決めるため会議を開いた。
「今の寿エンジン一つでは、馬力不足で性能という面でかなり妥協しなければならんでしょうな」
「ですねー。エンジンをもう少し改造してみますか?」
「さすがにそこまでしてしまうと、エンジンだけで1年近くかかりますよ」
「そうでもないんじゃないか? 今の9気筒を7気筒に減らしてそれを2列にする。設計そのものはそれほど難しくはないし、理研の工作部に製造依頼すれば3カ月もあれば1基くらい製造できるだろ?」
「出来ると思いますが、うちではエンジンの改造しかできないから、最初からの量産は無理ですよ」
「この際だから、中島さんに頭を下げて、中島さんにそのエンジンを作ってもらえばどうでしょう? そうすれば今後『いろいろ』やりやすくなるのでは?」
「それはあるか。設計図と計算書、それと実物を付けて渡せば何とかなるだろう。」
「9気筒から14気筒になるということで、今までの馬力の1.5倍強。1000馬力というところで考えて設計に入ります。それで、大まかな形状はどうします?」
「艦載機で推進式プロペラは着艦に不安があるから、機首にけん引式プロペラ。翼は低翼で水平直線翼。艦載機なんだから翼は折りたためたほうがいいだろう」
「脚は引き込み式ですよね」
「今どき脚をつけて飛んでいる飛行機を見たくないからな」
「言えてますね」
「武装はどうします?」
「機首に12.7ミリプロペラ同期機銃2挺。左右の主翼に7.7ミリ機銃を1挺ずつ。弾数は九二式と同じ。これくらいでいいんじゃないか? 余裕があれば増やしてもいいし」
「了解です。燃料は機体内部と翼内タンクの2系統?」
「航続はあったほうがいいだろうからな」
「それなら、外吊りの燃料タンクを付けませんか? 戦闘空域まで外吊りの燃料タンクのガソリンで飛んでいって、そこで中身の量に無関係で落としてしまって、そのあとは機内のタンクのガソリンを使う。そうすればかなり遠くまで飛んでいって空戦できますよ」
「それはいい案だな。強化フェノール樹脂製で内側にニトリルゴムを塗る程度のタンクなら捨てても惜しくないしな」
「ですね」
「爆撃機はどうします?」
「複座で、武装は機首に7.7ミリプロペラ同期機銃2挺。後方に7.7ミリ旋回銃1挺」
「爆弾は機内格納で500キロ爆弾1発ないし、250キロ爆弾1発、ないし60キロ爆弾8発ってところか。あとは戦闘機と同じでいいだろう。急降下爆撃するから翼の折り畳みは止めておくか?」
「特に問題ないでしょう。折り畳み部分はニッケルクロームモリブデン鋼のヒンジを同じニッケルクロームモリブデン鋼のテーパー・ピンで留めれば十分な強度を持ちますから」
「九二式双軽の場合、そこまで気にしなかったが、急降下中に機速が出過ぎた場合、どうする?」
「制動機構がなにがしか必要ですよね。いっそのこと、フラップを2重にして、根元にヒンジをかませて、油圧で口が開くようにしますか? 急降下中の速度に合わせて自動で開くようなかんじで」
「自動空戦フラップの仕組みと競合しないよう、そこはうまくやってくれたまえ」
「了解です」
「あと何かあるかな?」
「先ほどの急降下時のブレーキの話ですが、急降下時、機速が出過ぎるようならプロペラのピッチを大きくとってしまいませんか? そうすれば『プロペラ』の回転が機速に追いつかずに抵抗になります」
「ほう。いろいろいい案が出るものだな」
「これが飛んだら、今度は陸軍さんから試作依頼が来るんじゃないですか?」
「それは十分あり得るな。他に何かあるかな? ……、特にないようだな」
注1:枝原百合一少将
史実では山本五十六(32期): 1934年(昭和9年)11月15日 中将昇進
枝原百合一(33期): 1932年(昭和7年)12月1日 中将昇進。枝原は海軍兵学校33期を恩賜(2位)で卒業した超エリートで、山本は32期を11位で卒業。その結果の逆転が起きるわけですが、枝原は工廠長であり、山本は海軍航空行政の中の技術関係を取り仕切る立場なので、階級がたとえ逆転しても、立場は山本の方が上になります。




