第7話 大正15年2月、7。大正15年3月、1
ロレックスの時計が高額で売れたことと、クレジットカードをゴールドに切り替えたことで、かなり大きな買い物ができるようになった。
明日は理研への出勤日だ。
その前に、とにかくポータブル電源装置と折りたたみ式ソーラーパネルを注文しておくことにした。それでよくよく調べてみたら、多少の電圧のばらつきがあっても充電できて安定した電力を供給できるポータブル電源が見つかった。これなら、ソーラーパネルも要らないし、無停電装置も不要だ。ただ、重さが30キロあった。さすがに人力では理研まで運べない。
そこで、2輪キャリーカートを注文しておいた。60キロまで運べるそうだが、1台運べば十分だろう。ということで、お試しに目当てのポータブル電源を注文しておいた。来週の出勤日までには届くだろう。
そして、翌日。(2027/2/27)
関数電卓で膨らんだスポーツバッグとデパートの紙袋を持って部屋を出た。
1時間半ほどで理研に到着して、そのまま自室に向かった。
そこで脱いだコートをコートスタンドに懸け、大きな机の向こうの椅子に座ってみた。
見た目は立派な椅子だったが、残念なことにあまり座り心地はよくなかった。
上着のポケットから、机の鍵を取り出して、引き出しの鍵を開けたところ、当たり前だが空だった。
それから、何をやっていいのか分からなかったので、とにかく電卓の入ったスポーツバッグとデパートの紙袋を持って、大河内所長に荷物を届けてくることにした。
「所長。山田です」
『入ってくれたまえ』
所長室に入り、勧められるままソファーに座った。
「残りの90個の電卓を持ってきました」
「いやー、ほんとうにありがとう。これで電卓が研究員全員にいきわたる上に、多少の予備が持てる」
「それはよかったです」
そう言いながら、電卓をテーブルの上に移していき、空になった紙袋はたたんでスポーツバッグの中に入れておいた。
「それで、この前いただいた時計なんですが、すごく高く売れました。これでかなりのものが購入できます。いまとりあえず注文している物なんですが、電源装置になります。失礼ですが、この研究所でも電圧が不安定だと思って用意しようと思いました。その電源装置をこの建物の電源につなげると、一種の蓄電池の働きをしたうえで常に安定した電圧を供給できるようになります」
「蓄電池ということは直流だけかね?」
「直流も供給できますが、50ヘルツでも60ヘルツでも交流を供給できます。三相電流は無理だったはずです」
「大掛かりな実験装置を動かすだけで、電圧が簡単に下がり、他の実験に支障も出てたんだよ。君は実に気が利くな」
「ただ、一つで3600ワットなので、それほど容量がないものですから、大きな実験装置には使えません」
「3600ワットもあれば、それなりの実験は可能だよ」
「ただ、わたしが運ぶことが前提のため小型なものを選びました。容量は交流で3600ワット、直流だと4000ワットですが、数を揃えればそれだけ使える容量は増えていくことになります。それで、それ一つが30キロちょっとあるので、来週の土曜の8時ごろ、浦和にある官立浦和高等学校の正門前まで車で迎えに来ていただけませんでしょうか?」
「お安い御用だ。あとで幸田君に言っておくよ」
「よろしくお願いします。その電源装置を試験的に使ってみていただいて、調子がいいようなら数を揃えていきます」
「そうだな」
「それで、研究の方はどういった様子ですか?」
「所内で話し合ったところ、何事も、金属材料ということになったんだよ」
「なるほど。そうですよね」
「金属材料データブックに載っていた合金を作るためには、時間と温度の管理が大切ということで、今、電気炉を設計中だ。その電気炉で出来上がった金属で物性試験を行って、ハンドブックと同じものが出来上がれば、今度は工業化だ。とはいっても簡単なものから一歩一歩だがね」
「それでも夢が膨らみますね」
「山田君のおかげだよ」
「わたしは単純に物を運んでいるだけですから」
「謙遜しなくていいんだよ。そういえば、プログラマブル電卓。プログラムというのはまるで魔法だな。いままで難しい計算を繰り返していたものが、数値を入れ替えるだけで簡単に答えが出る。そのおかげでグラフも簡単に描けるようになった。いろんな意味で研究速度が上がってきたよ」
「プログラムに興味がおありのようですから、半導体がらみのハンドブックにもある程度載っているかもしれませんが、そのあたりの詳しい資料を次回持ってきましょう」
「助かる」
「プログラムに慣れてきたのなら、もう少し先かなと思っていたんですが、もっと複雑なことができる機械を用意しましょう。次にやってくるときは電源になりますから、それを持ってくるのはその次の週になります」
日本の英知なら、ノートパソコンくらい簡単に使えるようになるだろう。
オフィス統合ソフトと、開発環境。それにオフラインのウィキペディアを入れておけばいい線できるだろう。オフィス統合ソフトなんかは数字を入れれば簡単にグラフも作れる。便利だよな。
あとは、旧字体へ変換か。これは手作業になるか? 調べてみるしかないか。
「ほう。それにも期待しているよ」
そういった話をして、所長室を後にして、自室に戻ってハーフコートを着てその日は終業した。とはいってもうちに帰ってから仕込めるものは仕込んでいくので結構忙しい。
行きと同じく1時間半ちょっとかけて北浦和まで戻ってきた。この日は駅前のバが付くハンバーガーショップでハンバーガーセットを持ち帰って部屋に戻って昼食とした。
少し落ち着いてから、今日所長室で考えていたことをパソコンで調べたところ、漢字変換については対応しているIMEが見つかった。けっこうメジャーなIMEだったので、それがインストールされたノートパソコンを買ってみることにした。あとはプリンターだ。30キロ以内でレーザープリンターが欲しいが、メンテが大変そうだ。とはいえ、プリンターのメンテといっても用紙とトナーの補給くらいだし、故障といっても紙詰まりが主だ。理研の技術者なら説明書があれば普通にメンテできるだろう。
目当てのIME入りのノートパソコンを1台とレーザープリンター1台を注文しておいた。その傍らで、オフライン用ウィキペディアをダウンロードしておいた。ノートパソコンが届いたらフリーのオフィス統合ソフトも忘れずにオフラインヘルプをつけてインストールするつもりなので結構忙しくなる。プログラム関連の本だけでなくフリーのオフィス統合ソフトの教本も必要だと思って注文しておいた。
月が替わって翌週の土曜日。2輪キャリーカートとポータブル電源が届いた。ポータブル電源は予想以上にどっしりと重たかった。キャリーカートに載せて試しに部屋の中で動かしてみたが、それでも重かった。
理研から浦和高校前まで車を寄越してもらうように頼んで正解だった。まさに重役出勤だが、重い荷物なんだから仕方がない。おそらく、これからの精密な実験には必須だろうから理研に行くたびに追加していくことになるだろう。
その次の日にはノートパソコンと注文していた図書、それにプリンター、用紙と予備トナーが届いた。ノートパソコンについてはオフラインウィキ導入を除いてセットアップその他の作業を済ませた。
ウィキを外した理由は、天才たちの発想を縛る可能性を考慮したことと、天才たちの『自伝』が載っていることを危惧したためだ。将来自分がなすことと、自分の寿命を知るってことはかなりまずいだろ? また、自信がある天才がウィキに載っていなかったらそれも士気を確実に下げるからな。
今週は電源装置を持っていくだけで精いっぱいなので持参するのは次の週だ。
1927年2月に日本初の戦車である試製一号戦車が陸軍造兵廠大阪工廠で完成している。
主要諸元
重量:約18トン(当初の計画16トンを上回る)
全長:6.03 m
全幅:2.40 m
全高:2.78 m
乗員:5名
装甲厚:6〜17 mm:圧延ニッケルクロム鋼板
最高速度:20 Km/h
エンジン:水冷V型8気筒ガソリンエンジン(140馬力)
武装
主砲:五十七粍(57mm)戦車砲 (短砲身)×1門
中央の主砲塔に搭載。
副武装:機関銃 ×2挺
車体前部と後部のそれぞれ独立した副砲塔を持ち1挺ずつ機関銃を配置
最終戦争論で現代でも一部の戦史マニア内で有名な石原莞爾は、大正8年(1918年)に陸軍大学校を次席で卒業した後、大正9年(1920年)4月に陸軍大学校附となり、翌大正10年(1921年)7月に教官に就任している。そして大正11年(1922年)にドイツ留学へ出発した。陸大を卒業後、間を置かず陸大教官は異例の人事であったが、陸軍上層部が彼の異才を認めていた証左だろう。
3年間のドイツ留学を終えた彼は大正14年(1925年)から青山の陸軍大学で教官を務めていた。現在の彼の階級は歩兵少佐。
陸大での石原の講義内容は、石原がドイツ留学時代に構築した「持久」と「決戦」を組み合わせた全く新しい戦略論。そして「次の戦争は空中戦と大破壊兵器で決まる。つまりは科学力と技術力が決め手だ」「日本は資源の宝庫である満州を拠点に持久戦に備えるべきだ」と、黒板一杯に図解を書きなぐっていた。講義を聴講する生徒たちは石原とそれほど年の差がない大尉たちが中心だったが、自信にあふれた石原の言葉に心酔していった。石原教の信者である。
その石原が大阪に出張し、この試製一号戦車の試験を視察している。
いわく「エンジンの馬力不足のせいで機動性が低いのは欠点だ。馬力を上げたとしても履帯がもたなければ意味はない。機械というものはあちらを立てればこちらが立たず、厄介なものだ。しかも、資源を馬鹿食いする。とはいえ、こういった開発は一朝一夕でなるものではない以上、面倒ではあるが続けていくことは必要だ。そのあたりをまとめて報告書を作ればいいか」
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今日は土曜の出勤日。(2027/3/6)
2輪キャリーカートにポータブル電源を載せてしっかり紐やガムテープで固定して部屋を出た。
北浦和公園の前まで行き、何とか2輪キャリーカートを両手で引き上げて例の穴の中に入っていった。
迎えの車は黒塗りのフォードで、俺を見つけた運転手さんが「山田さんですか?」と聞いてきたので「はい。山田です。お世話になります」と答えた。
それで、運転手さんが2輪キャリーカートを抱えて後部座席の前に置いてくれ、俺はその隣に座った。
癖でシートベルトを探したが、そんなものはなかった。
「発車します」
自動車に揺られながら考えたのだが、理研のコンセントって、今のプラグが使えただろうか?
合わないとしても、電気工作の初歩なので、それくらい自作できるだろ? 出来るよな?
浦和から駒込までどこにも信号機がなかったが、砂利道の上を行く馬車や荷車が邪魔だし、さすがに警官の立っている交差点では徐行するので、結局2時間近くかかって理研の本館前に車が到着した。そしてフォードのサスペンションは硬かった。
運転手さんが自動車から荷物を下ろしてくれたので、礼を言ってから2輪キャリーカートを引っ張って本館の中に入っていったら、ちょうど幸田さんがやってきた。
「おはようございます」
「おはようございます。その2輪車? 便利そうですね」
「ものが箱なのでこういったものを用意しました」
「所長がお待ちです。わたしが引いていきましょう」
「大丈夫ですから」
幸田さんが開けてくれた扉から所長室に入っていった。
紐とガムテープを外して、2輪キャリーカートから電源装置の入った箱を降ろし、箱の梱包を解いて中から緩衝材を取り出し、最後に本体を引き出した。
箱の中には本体の他には取扱説明書、保証書、コードなどが入っていたので、それも出しておいた。
「これが、電源装置。見た感じ、実にモダーンだね」
「この電線をコンセント、えーと、プラグ用の穴に差し込むんですが、形は大丈夫ですかね?」
「新しいプラグだね。そのプラグが使える場所はまだ限られているけれど、工作部に頼めば問題なく使えるようになるよ」
「それなら大丈夫ですね。使い方はこの説明書に書いてあります。特徴としては、元の電源の電圧が変動したり、切れたりしようとも、ここから供給される電気については一瞬も停電しません。直流なら一定電圧。交流ならきれいな正弦波を描きます」
「なるほど。あらゆる実験に重宝する」
「とにかく使ってみてください。それで、今後こちらに持ち込もうと思っている機器なんですが、どれも敏感なものなので、この電源装置を前提に考えています」
「そうだろうな。ところで、未来の日本でも電圧はしょっちゅう変動するのかね?」
「基本的には変動しませんが、近くに雷が落ちたりすると、停電することもあります」
「なるほど。この電源装置は落雷にはどうなんだね?」
「落雷が直撃すればもちろん壊れますが、電線を伝わっての雷なら自動で遮断するので問題ありません。そんな時も出力は安定しています」
「あり得ないほどすごいのだな」
「わたしが作ったわけじゃないんですが、雷とか電圧変動で苦しんだ大勢の人の悲願が実ったってところでしょう」
「それをわれわれが使えるようになるわけだ」
「そういうことです。電源の使い勝手を見てからと思っていたので、来週はプログラマブル電卓よりも高い機能の機械とそれ用の小型印刷機械をお持ちします。そのとき、プログラム関係の本も一緒にお持ちします」
「それも期待しておくよ。しかし印刷機械といえば重いんじゃないのかね?」
「一応、自分で運べる大きさのものを選んでいますから大丈夫です。それで、来週の土曜日も自動車を午前9時に浦和高校の正門前にお願いします」
「幸田君、そのように頼む」
「はい」
どうせ、電源装置は好評のはずなので、その日、翌週の日曜(2027/3/14)の午前中配達指定で10台の電源装置を注文しておいた。浦和高等学校前に小型トラックを用意してもらって一度に運んでしまおう。
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半導体の材料となるゲルマニウムを収集するため、理研本部の資材課では国内各地の精錬会社と交渉して、煙灰の中から鉛、金、銀、銅、ヒ素などを回収したあとの『残滓』の購入を打診した。最終的には運賃理研持ちで1キログラム当たり10銭平均で買い取ることができた。精錬会社でも扱いに困っていたようで、1カ月間で数トンの残滓が理研に集まり、理研では専用の倉庫を新設した。
これらに並行して、非鉄研究室では『貴金属・レアメタルのリサイクル技術集成』を参考にゲルマニウムの回収法の確立を急いでいた。
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