第68話 昭和6年5~6月
ゴールデンウィーク明けに注文していた電子レンジが事務所に届いた。次に理研に届ける予定だった物品の代わりに電子レンジを理研差し向けのトラックに載せることにして、電子レンジ関係の資料についてはプリントアウトしたものを用意しておいた。
5月8日(1931/5/8-2032/5/7)。この日は快晴でけっこう暖かかった。
理研のトラックの上で鶴井と二人でトラックの支柱につかまって立っているわけだが、吹き抜ける風が気持ちよかった。
理研に到着して、大河内所長の部屋で、先に電子レンジの説明をしてから、本館の玄関前で荷物の到着を待った。
到着した荷物のうち、段ボール箱に入った電子レンジを1台、所長室まで運んで、セットアップし実演してみせた。電源は壁のコンセントからとったものだ。
レンジで温めたものは浦和駅の売店で買ったアンパンだ。所長と幸田さん用に紙袋に2つ入れたまま、レンジに入れて30秒にセットしてボタンを押した。
庫内に明かりが付いて、テーブルと一緒にアンパンが入った袋が回り始めた。30秒後にチンと音がしたところで、扉を開けて、紙袋を取り出し大河内所長と幸田さんにアンパンを取ってもらった。
「温かいでしょう?」
「本当だ!」「これは、すごいです!」
「これがきみたちの時代には市販されているわけだね?」
「たいていの家庭には置かれています」
「君たちの時代は、今の日本では考えられないほど豊かなんだな」
「そうかもしれませんが、そうなるために失ったものがあると思います」
「そうか。そうだったな」
「それはそれとして。こちらの日本の家庭に受け入れられるかは分かりませんが、富裕層とか、レストランとかでは欲しがるかもしれませんし、厨房設備に制限がある小型艦艇などでは受けるかもしれません」
「なるほど。しかし、レーダーが元になっているというところが何とも言えんな。待てよ、ということは、強力な電波を敵機に向けて放てば敵機が落ちるのではないか?」
「理論的にはそうなんでしょうが、電波は距離の2乗で減衰してしまうので敵機を焼き切るとなると莫大な電力が必要になります」
「それもそうか。そんな電力があれば他のことに使うべきだしな。なんであれ、これを使える形で再現してみようじゃないか」
「期待しています」
アンパンを食べている二人を残して俺たちは2階に上がって経理に顔を出し、今日の伝票を渡して精算してもらい、理研を後にした。この日は、日本橋三越で商品を適当に仕入れ、三越で昼食をとった後は、いつも通りで、午後からオークションへの出品準備をしてその日を終えた。
6月に入って。
トランジスターへの接点を熱圧着するための治具が出来上がったそうだ。これでトランジスターの大量生産が可能になる。軍事から民生品まで幅広い応用が利くが、大河内所長は基本原理だけの特許を出願したようだ。
その結果、トランジスターについて軍部から問い合わせが理研にあり、これに対して大河内所長は正直にトランジスターの未来を語ったようだ。その結果、軍事機密に指定されてしまった。これについては、既定路線だったはずだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
トランジスターが軍事機密に指定されたことで、大河内は今後の開発について軍とすり合わせるため、陸海の軍関係者を集めた会議を開いた。
その結果、理研では無線の小型・軽量化に取り組むことが決定された。大河内はその席では黙っていたが、すでに理研側ではトランジスターの量産を見込んで設計を終えていた。
電波探知機については陸海軍とも当初否定的だったが、電探の必要性を大河内の説明から理解したようで、電探の開発も同時に行うこととなった。また敵方が電探を使った場合に、逆探知する装置の開発も急ぐことになった。とはいえ、理研ではすでにこの方面の研究を進めていたので負担にはならない。
駆逐艦以下の小型艦にも搭載できるまで射撃盤を電子化・小型し、電探と連携した発砲を可能とすることも可能だと大河内が述べたことで、これも開発指定された。
同時に陸軍からも重砲の射撃修正の自動化を求められており、それについても対応すると大河内は答えている。
さらに大河内はその席で、今後の航空機の進むべき方向は高速化と高空化といった説明をした後、 音響追尾装置の可能性について説明した。
そこまでの大河内の説明を聞いた軍関係者の中の最上位者であった軍務局軍事課長の永田鉄山大佐。
「大河内所長。所長はここまでのことを見越してこれまでの革新的な技術開発を行っておられたのですか?」と聞いた。
「もちろんです」
「さすがです。これからもよろしくお願いします」
その言葉と一緒に会議に出席していた全ての軍関係者が頭を下げた。
その会議が終わったところで、大河内は永田を別室に誘った。
別室の重い扉が閉まり、憲兵が廊下を固める中、大河内は一枚のメモを永田に差し出した。そこには、会議で語られた華々しい電子兵器の話とは一線を画す、無機質な数字が並んでいた。
「永田さん、先ほどまでの電探や無線は、あくまで『勝つための道具』に過ぎません。しかし、これからお話しするのは『戦争を不可能にする力』です」
大河内は、北鮮の興南で密かに進めている重水回収と、同じく北鮮でのウラン鉱床の開発計画図を広げた。
「プルトニウムという物質があります。天然には存在しません。我々が作る重水炉という特殊な炉の中で、ウランを火に掛けることで産まれる『新元素』です」
永田はその冷徹な眼差しで、大河内が指し示す「数キログラムで一都市を灰にする」という計算式を凝視した。永田は、これが単なる夢物語ではないことを、大河内のこれまでの実績から直感した。
「……所長。これは、いつ手にできるのですか?」
「北鮮でのウランの採掘と肥料工場の残滓から重水を取り出す工程は、昨年(1930年)から密かに進めています。資料に基づいた重水炉の設計はまだですが目途はたっています。永田さんの力で、ウランの採掘場と周辺の工場地帯一帯を誰の目にも触れない『特別禁止区域』に指定し、電力を最優先で回していただければ、5年以内に最初の『火』を灯せます」
永田は沈黙した。この男は、すでに5年前からこの瞬間のために布石を打っていたのか。トランジスターも、電探も、すべてはこの「原爆」という終局兵器を確実に、そして高高度から投下するための「付け足し」に過ぎなかったのだ。
「……承知しました。海軍には、あちらが好む『大艦巨砲の電子化』を餌に黙らせておきましょう。北鮮のウラン鉱山の位置は今日この瞬間から、地図から消します」
永田鉄山は、大河内が差し出した手を握り返した。それは、軍が科学を利用するのではなく、科学が軍を飲み込み、国家の形を変えていく運命の握手だった。
「あともう一点あるんです」
「なんでしょうか?」
「この研究所の協力者が3名いるんですが、この3名には決して手を出さないでいただきたい。彼らはこのわたしなどよりよほど貴重な人材ですから。彼らがいなければ、今日お話ししたような技術的進歩はありませんでしたし、結核の特効薬、ストレプトミシンも作れていませんでした」
「なんと! しかし、手を出さないとはどういう意味でしょうか?」
永田からのその問いに対して、大河内は山田太郎が理研に最初に持ち込んだ電卓をポケットから取り出し、向かいに座る永田に手渡した。
「??? これは?」
「これは、計算機なんです。Cと書かれたボタンを押した後に、1、2、3と数字が書かれたボタンを押してみてください」
永田が言われた通りボタンを押した。
「黒い数字らしきものが表れました!」
「次は掛け算の×印が書かれたボタンを押して続いて1、2と押し、最後に=印が書かれたボタンを押してみてください」
永田が言われた通りボタンを押し「ややや! 1476と出ました! わたしでは暗算できませんが、合っているのでしょう?」
「合っているのではないですか。同じように、割り算、足し算、引き算もできます」
「平方根のマークがありますが?」
「一度ACと書かれたボタンを押すと、ご破算になるので、そのあと2を押してその等号ボタンを押してみてください」
「おっ! ひとよひとよにひとみごろ、もっと続いています!」
「そいうものなんです」
「これを理研が開発されたのですか!」
「残念ながらそうではなく、先ほどの3人がこの理研にもたらしたものです。その時はまだ男性一人だったんですが、その口上いわく、『自分は100年先の日本から来た』と」
「なんと! しかし、こんなものを見せられれば信じないわけにはいかない」
「そういうことです。そして彼、彼らはそれ以来いろんなものをこの研究所にもたらしています。ここの天井の明かりですが、実は電灯じゃないんです。特殊な半導体に電圧をかけると発光する現象を応用したものです。これだけ明るくて、確か8ワットだか10ワットです」
「なんと! これもその彼らが持ち込んだ?」
「そういうことです」
「つまり、彼らが持ち込んだ未来技術を理研で実用化しているという話ですか?」
「そういうことになります」
「つまり彼らは、イソップ寓話に出てくる金の玉子を産む鶏ということですな。理解できました。わが陸軍が彼らの安全と自由を完全に保証いたしましょう」
「ご理解いただけて幸いです」
そこで大河内はかねてから用意してた3人を隠し撮りした『カラー写真』を永田に見せた。写真の裏には名前が書かれている。
「天然色の写真ですか!」
「これも彼らが持ち込んだカメラで写したものです。これは写真ですが、映画のような動画も撮ることができます」
「なんと」
「100年後の日本ですから」
「確かに。その100年後の日本はどういった国になっているのですか?」
その問いに対して、大河内は山田がもたらした年表の内容をかいつまんで話した。
「2発の原子爆弾で焼かれ、欧米に降伏ですか。なんとも」
「そうならないために、彼らは我々に協力してくれているようです」
「待ってください。彼らは100年後の日本からやって来た。その彼らの過去は原子爆弾で焼かれて欧米に降伏している。この事実は変えようがないのでは?」
「彼らの歴史ではこの時代ではストレプトミシンはまだ開発されていないんですよ。そして満州では石油が見つかっていません。そうそう、満州で石油が見つかったのも彼らから『満州から石油が出る』と聞いていたからです」
「つまり、彼らの歴史と、われわれの歴史は異なっている?」
「彼らが言うには、彼が、彼から見て100年前の日本にやって来た最初の瞬間に世界がこの日本と、彼の日本がたどった2つに分かれたのではないかと」
「信じがたい話ではありますが、それくらいしか説明が付けられませんからな」
「実際のところ、こちらからある絵画を向こうの世界に持っていったところ、その絵画がすでにとある美術館に飾ってあったそうです。それで、彼はその絵画をここに寄贈してくれました。わたしの背中の壁にかかっている絵がそれです」
「そうなると、その世界が二つになったという説を信じないわけにはいきませんな」
「はい」
「それで、よろしければその金の玉子を産む鶏たちに護衛につけますが?」
「そこまでは必要ありませんが、逆に事情を知らない憲兵とか警官が彼らに絡まないよう気を付けていただければありがたい。彼らは浦和から毎週金曜の午前中ここに現れます。今週の金曜にでも彼らの姿かたちを確認してください。よろしくお願いします」
「憲兵とか警官が彼らに絡まないよう気を付けるということは一種の護衛になりますが、よろしいですか?」
「そう言われればそうですな。軍服を着た憲兵が付き従っているとなると目立ちますし、本人たちも窮屈でしょうから、できれば私服でお願いします。とにかく、彼らには窮屈な思いをさせないようお願いします」
「了解です」
「そういえば、先日。上野の動物園でダチョウの卵なるものを見たんですよ」
「はあ」
「それがですね。20センチもあるんです」
「ほう」
「彼らは金の玉子を生むダチョウ。とその時わたしは思ったんです」
「なるほど。先生もうまいことをおっしゃる。ハハハハ」
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大河内所長から、軍事機密に指定されたトランジスターの利用について軍と協議した話を聞いた。
そのあと、到着したトラックから物品を下ろして、伝票を持って2階の経理の窓口で精算し、理研から駒込駅に向かって歩いていって、いつものカフェーで一休みした。
コーヒーを飲みながら。
「大河内さんにとって、トランジスターが軍事機密になることは予想通りだったはずだものな」
「敵に対して圧倒的に有利になりますものね」
「真空管とトランジスタじゃ勝負にならない。兵器が一世代以上先に進むわけだからな」
「それもそうですけど、トランジスターの開発、量産って10年から15年を見越してたじゃないですか? それがたったの5年でしょ? 怖いぐらい」
「運よく周辺技術として必須なものが早期に実現したしな。ニトリルゴムとか、超硬ビットとか。これから先は、トランジスターの小型化を進めて、同時にコンピューターに進んでいくんじゃないか」
「その前に、今のトランジスターで出来ることをやっていくんじゃないですか? 軍で使っている真空管の装置を全面的にトランジスターに置き換えて、小型、高性能にしていくとか、レーダーとかそういったものも、どんどん高性能化していくんじゃないですか?」
「さっきの大河内所長の話だと、理研ではもう対応を始めてるみたいだったろ? とはいえ、こういったものは出来ました。はいこれでお終い。とはいかなくて、必ず改良は必要だものな」
「そうですよね」
「そういう意味では、それそろ俺たちの出番もお終いかもな」
「言えてますね。これからは、基本的に消耗品の補充ですね」
「だな。そうすると、こっちのお金が足りなくなってくるけれど、それは仕方がないか。ボチボチやっていてもそれなりに儲けはあるし」
「ですね」
「これから先はコンピューターの時代になるだろうから、とりあえず、次回はコンピューターの基礎的な本を見繕って持ってくるか」
「それでいいんじゃないですか」
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理研建機で1月から開発を進めていた自走油圧円匙の試作機が完成した。
試作機を使い各種の試験を行った結果、初期不良は出たものの改善可能なものばかりで、おおむね良好な試験結果を残した。
初期不良を改善した試作機により試験を行ったところ、問題は出ず、量産化が決定された。
車台は小型均土車と同じものを採用しており、パワーショベルとすれば小型なので、理研建機では引き続き、大型車台をベースとしたパワーショベルの開発にとりかかっている。
また、ダンプトラックとダンプトラックに土砂を積み込むホイールローダーの開発も開始した。
タフな現場での使用が想定されるホイールローダーやダンプトラック用の大型タイヤについては理研合成で研究開発を行っている。
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陸軍は八九式軽戦車乙改を装備した戦車中隊(15両編成)を3個中隊=1個戦車大隊相当を編成した。そのうち2個中隊が旅順の関東軍に送られている。
同じく陸軍では、中島飛行機が製作した戦闘機を九一式戦闘機として正式採用している。これは史実より6カ月早い。もちろん史実の九一式戦闘機と比べ性能は格段に上がっている。
その中島飛行機では、理研からの強化フェノール樹脂外板の提供を受けることになり、新型機の製造方針を決定し、さらにその新型機のために新たなエンジンの製作に取り掛かった。




