第63話 昭和5年10月3、旬
一度食堂のテーブルに荷物をのっけて、俺は先ほど事務所に置いてきた荷物を持って部屋に戻ってきた。
「料理は二人に任せていいか?」
「それはいいけど、着替えたいんですよね」
「今の服を汚すわけにはいかないな。二人とも帰って普段着に着替えて来いよ。その間に俺も着替えておくから」
「はーい」「はい」
二人が部屋を出ていったところで俺も普段着に着替えて、それから、飲み物類を冷蔵庫にしまっていった。冷蔵庫の中がいっぱいになったので、残りは事務所に行ってそこに置いていた小型冷蔵庫の方に入れておき、事務所のテーブルの上に置いてあったマツタケが入った鶴井のレジ袋を忘れずにうちに持ち帰っておいた。
そうこうしていたら、堀口たちが普段着に着替えて戻ってきた。
「お待たせしました」
「俺の方は、飲み物を冷蔵庫に入れておいた。そこの冷蔵庫に入りきれなかったから残りは事務所の冷蔵庫に入れておいた」
「さすが先輩、気が利く」「ありがとうございます」
「俺は何を手伝えばいい?」
「先輩は、そこらに座って、ビールでも飲んでてください」
「それでいいのかよ?」
「わたしたちに任せてください」
「じゃあ任せたから」
二人はそこでおそろいのエプロンを着けて、台所に食材とかを運び、準備を始めた。と思ったら、いきなり二人ともスマホを操作し始めた。
つまり、レシピが頭に入っていなかった? ってこと? 調べて分かるならそれでもいいけど、スマホ見ながらの料理だと、圧倒的に手際は悪いような? 作ってもらっている手前何も言わないけれど。
そういえば、堀口たちのスーパーの支払いは後で精算しないとな。
俺は、さすがにビールは乾杯の後ということで、冷蔵庫から1.5リットルのコーラのボトルを取りだして食器棚から取り出したコップに注ぎ、まったりしながら料理ができるのを待っていた。
台所では二人がああでもない、こうでもない、とか言っているんだが気にしない、気にしない。
思ったようないい香りは漂ってこなかったのだが、20分ほどで、マツタケのホイル焼きと、マツタケの天ぷらが出来上がったようだ。マツタケの炊き込みご飯はまだ先だ。うちの炊飯器は3合しか炊けないが、3人ならちょうどだろう。
テーブルの上を片付けて、冷蔵庫から6個入りの缶ビールを出しておいた。マツタケだけでなくキッチンペーパーを敷いた皿の上にはほかの天ぷらが載っていた。油がべっとりしていないところを見るとオーブントースターで温めたようだ。
そのあと、小鉢に入ったツユが置かれ、そして縦に4分の1に切った緑のスダチとアルミ箔の包みが載った皿が置かれた。
二人がエプロンを取って席に着いたところで、
「二人とも、ご苦労さん。それでは缶ビールでカンパーイ」「「カンパーイ!」」
ピシュッーと炭酸が抜けて、泡がこぼれないように口を近づけてとにかく最初はごくごく飲んだ。昼もビールを飲んだが、こうやって、もう飲んでいる。いいのだろうか?
先に天ぷらに手を伸ばしたんだが、俺の向かいに座った堀口がホイル焼きのホイルを破った瞬間、マツタケの香りが広がった。忘れていたマツタケの香りだよ。
「醤油差し持ってくるの忘れてた」堀口がそう言ったら、すぐに鶴井が立ち上がって台所から醤油さしを持ってきた。
「鶴ちゃんありがとう」
マツタケの天ぷらだが、薄い衣がちょうどいい塩梅で、割りばしで摘んでツユに先っちょを浸けて食べてみた。サクサクの先にマツタケがいた!
おいしい? と聞かれれば、そこまでおいしいわけではないかもしれないが、マツタケなんだよ。紛れもない。
そういえば、会話が聞こえない。これはカニを食べているときの静けさだ。
マツタケの天ぷらを食べた俺は、ビールを一口飲んでから、アルミ箔に手を出した。
箸の先を突っ込んでアルミのガードに穴を空けそこから強引にこじ開ける。といったたいそうなことはなく、普通にアルミ箔を開いて、上から醤油を垂らし、付いていたスダチを絞った。
マツタケの香りに醤油とスダチの酸っぱい匂いが混ざってしまうのだが、それもまたよし!
大きめのマツタケを裂くようにして口に運んでもぐもぐ。おいしい? と聞かれてれば天ぷらと一緒で「そこまでおいしい」とは言えないかもしれないが、シメジとマツタケなら「味はシメジだ。匂いだけは嗅がせてやる」。そう言って俺はマツタケをとる。世の中そういうものだ。
マツタケ以外の天ぷらも結構うまい。
「先輩、日本酒にしませんか?」と堀口が言ううものだから、今日買ったものではない100とか1000とかいう中で一番大きな数字が付いた酒を冷蔵庫から取り出してテーブルの上に置いた。
「先輩。いつもこんな高いお酒飲んでるんですか?」
「いつもじゃない。たまに飲む程度だ」
「先輩が何飲んでもどうでもいいですけどね」
それじゃあ、聞くなよ!
「ぐい呑みってありましたっけ?」
「食器棚の上の段の右?のあたりにあるはずだ」
席を立った堀口が食器棚からぐい呑みを3つ持ってきて各人の前に置いたので、俺が一升瓶の栓を抜いて二人のぐい呑みに注いでやった。
堀口が酒瓶を持って俺のぐい呑みに注ごうとするので、
「堀口。ありがたいけど、まだ重いから、俺が自分で注ぐよ」
「お任せします」
自分のぐい呑みに酒を注ぎ、一升瓶に栓をして、表面張力で膨らんだところを一舐め。
一舐めでは味が分からなかったので、グイっと飲んでしまった。ちょっともったいなかったか? ぐい呑みなんだから仕方ない。視線を感じて前を向いたら、向かいに座った堀口のぐい呑みも空だった。
一升瓶の栓を抜いて、堀口のぐい呑みに酒を注いでやり、ついでに半分くらいになっていた鶴井のぐい呑みもいっぱいにしておいた。
そろそろ、二人とも落ち着いたところだろうから、会話でもするか。
「こうやって、家飲みもいいもんだな?」
「そうですね」
「俺は、一人になってから、家でマツタケを食べたのは今日が初めてだ。さらに言えばマツタケの天ぷらを食べたのは生まれて初めてだ」
「わたしもです」「わたしも」
「高いし、独身だと、面倒だから買わないものな」
「ですよね」「そうですね」
「それもこれも、100年前の日本と行き来できるからだけどな」
「野菜なんかを買うのもいいかも?」
「ただ、あの時代の野菜は寄生虫が付いてる可能性があるから、生で食べるならよく洗ったほうがいいぞ」
「生食止めます」
「化学肥料とか、農薬を毛嫌いしている人がそれなりにいるけれど、現代の野菜で寄生虫の話を聞かないのは、化学肥料による下肥の駆逐のおかげなんだけどな」
「社長、そろそろその辺で」
「おっと済まない」
「炊き込みご飯が出来上がったんじゃないか? さっき炊飯器から音が鳴ったようだぞ。そういえばうちには茶碗が一つしかないから、何によそうかな?」
「お皿でいいでしょう。五目ちらしなんかはお皿で食べてるし」
「それもそうだな。食器棚に深めの皿が入ってるはずだ」
堀口と鶴井が立ち上がって、作業を始めたので、俺は冷蔵庫の中を探して小袋に小分けされた味付け海苔を取り出してテーブルの上に置いておいた。中身は何時の物かは分からないが冷蔵庫に入れてたから問題はないだろう。
すぐに炊き込みご飯が盛られた皿がテーブルの上に並べられたので「味付け海苔で食べるなら、使ってくれ」と言っておいた。
マツタケの香りと一緒に湯気が立ち昇る。
それではさっそく、実食。
薄くスライスしたマツタケを使って出汁の味の付いたご飯を丸めて口に入れた。
マツタケは相変わらず、主役ではないのだが、うまい!
「これはうまいな」
「使った炊き込みご飯の素はそれなりだけど、こうなると高級炊き込みご飯ですよね」
「おいしいです」
「汁物があったほうが良かったな」
「お酒で済ませればいいですよ」
おつゆ代わりに酒を飲むとか、一応高級酒なんだから、少しは考えてくれよ。
それでもなんだか催促されてるみたいだったので、堀口のぐい呑みに酒を注いでやった。
「どっかに緑茶があったはずだから、見てみるよ」
俺が立ち上がって、食器棚の開き戸を開け、緑茶のティーバックを見つけた。これもいつのものだか分からないが、お茶だし、かなり厳重な小袋に入ってるからノープロブレム。湯沸かしポットに水を入れてスイッチを入れ、湯呑を各自の前に置いて、席に戻った。
お茶の用意をしている間に、堀口はもう一皿食べたようで、立ち上がって『おいしいのが悪い』とかぶつぶつ言いながら、自分で皿に炊き込みご飯をよそっていた。
お湯が沸いたところで、しばらく待ってから、湯沸かしポットをテーブルの上に置き、
「もう少し冷めてからお湯を注いだ方がいいからな」
「何でですか?」
「堀口、お前、まさか緑茶に熱湯注いでるのか?」
「まさかって? それってやっちゃいけないんですか?」
「やって悪くはないが、それじゃあ緑茶の味がしないだろ?」
「うーん。そういわれれば、よそで飲むお茶とか、ペットボトルのお茶に比べて薄いような。でも鶴ちゃんもいつも一緒だよね」
「え、ええ。わたしも熱湯で淹れてました」
「淹れ方くらいティーバッグの袋のどこかに書いてあるから、読んだ方がいいぞ」
「へーい」「はーい」
二人ともどうやって生活しているのか少し心配になってきた。
俺は、炊き込みご飯は一皿で済ませて、天ぷらで酒を飲んでいたのだが、一升瓶が空になってしまった。
「日本酒がなくなってしまった」
「これでお終いだったんですか?」
「日本酒はそれしかなかったんだよ」
「じゃあ、ハイボール行きましょうか?」
「そうだな。だけどあまり混ぜないほうがいいと思うが、堀口大丈夫か?」
「大丈夫じゃなくても、ここからうちまで近いから大丈夫ですよ」
大丈夫じゃなくても大丈夫とはこれ如何に? 鶴井もいるから大丈夫か。
「今日買った酒類は冷蔵庫の中だから、好きなものを飲めばいいし、何か食べたいものが入っていたら勝手に食べてくれていいからな」
「へーい」
堀口は立ち上がって冷蔵庫の前まで行って、扉を開けて、ごそごそやっていたがそのうち戻ってきた。ハイボール缶とツナピコの袋が堀口の手にあった。そのツナピコ、封は開けてないけど、いつ買ったかなー? 全然覚えていない。どこかに書いてあると思うけど『観察』しなければ事実は事実として確定しない。
「先輩、いいもの持ってるじゃないですか」
「気にせず、食べてくれ」
「はーい」
俺も立ち上がって、冷蔵庫の前まで行き、扉を開けて中から梅酒サワー缶を取り出した。
「鶴井は何飲む?」
「済みません。わたしはグレープフルーツサワーがあればそれで」
「了解」
グレープフルーツサワー缶と梅酒サワー缶を持ってテーブルに戻り、鶴井にグレープフルーツサワー缶を渡した。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
それから小一時間ほどでお開きになり、余った天ぷらは皿の上にラップして冷蔵庫に入れておいた。使った食器類は堀口と鶴井で洗ってくれた。
「それじゃあな。気をつけて帰れよー」
「はーい」「はい」
二人が帰っていったところで、俺は風呂に用意を始め、用意ができたところで風呂に入った。酔った勢いのまま風呂に入ってしまうと体に悪いと聞くが、特に何ともなかった。もう10年もしたら、そうでもなくなるのかもしれない。そのころには向こうの日本はずいぶん変わっているんじゃないだろうか?




