第61話 昭和5年10月
理化学興業でのダイオードの生産は順調で、日産1万個まで増加した。これは低倍率ではあるがそれでも顕微鏡を見ながらの手作業、力技なので将来性はない。それで、理研ではそれとは別に、大量生産技術の開発を進めていた。
現在のゲルマニウムだが、ダイオード用のゲルマニウム棒と同じくNPNPNP……、と層が並んだ直径15ミリ、長さ30センチほどの棒だ。ダイオードの時はN層P層の厚さはどちらも0.5ミリだったし出来上がりのダイスは1ミリ角だったが、NPN型のトランジスターを作るためP層は50ミクロンと極端に薄い。
その棒を厚さ0.5ミリでスライスして板を作り、さらにその板を厚さ0.5ミリで縦にスライスして0.5×0.5ミリ、長さ30センチの棒を作る。その棒をNPNになるように切断する。
出来上がったダイスは、ダイオードの時と同じように、腐食剤で表面を溶かして結晶面を露出させる。
ダイスを整列させる装置は、すでにダイオードの製造時1ミリ角の物を製造しているので、0.5ミリ角に微細化した装置を製造している。
現在はきれいに並んだダイスに対して一気に接点を融着する装置を開発しているところだ。道はまだ遠いが、先は見えてきた。
真空管のアノードへの窒化チタン蒸着の技術の完成を見た理化学興業では、東北大の岡部金治郎博士を理研の嘱託として招聘したうえ、彼の発明したマグネトロンのアノードにも窒化チタン蒸着を試みた。その結果、予想通り、高電圧化と二次電子放出比の低減がはかれた。これによってマグネトロンの高出力化と小型化、そして長寿命化が実現した。
「今のところニーズがあまりないのでしょうが、電波探知機の開発のための基礎技術がそろったわけですね」
「軍も、最新の情報を集めているのだろうが、未来の情報までは手が回らないからな。はっはっはっは。TR管(注1)のアノードにも窒化チタン蒸着を施したうえで動作確認しているので、あとは組み立てて、試験をするだけだよ」
Aスコープと、PPIスコープの画像を大河内所長に見せて、
「あとは、表示装置。ブラウン管ですね」
「そうだな。とはいえ、ブラウン管の製造は問題ないので、アンテナを回転させて、角度情報を電圧に変えるだけだろうからそれほど難しくはあるまい」
「そう思います。理研なら問題は何もないでしょう」
すでに理研では、新真空管とダイオードを使ったオシロスコープを自作していたが、「一瞬のパルス」を止めて見ることができないため、40万円ほどの帯域幅200MHz、4チャンネルのデジタル・ストレージ・オシロスコープ (DSO)を2台購入して理研に持ち込んだ。これにより、レーダーの送信パルスや、真空管の高速なスイッチング波形をフリーズ(静止)させて細部まで拡大解析でき、アンテナの回転同期信号と受信エコーのズレをナノ秒単位で測定できるようになる。
事務所に帰って、この日仕入れた商品をオークションに出品するための作業をしながら、
『地上基地の場合、アンテナはいくら大きくても力技で何とでもなるが、機上のレーダーとなると大きくないほうがありがたい。いい手はないのだろうか?』などと考えていたら、
「先輩、何かありましたか?」と堀口に聞かれた。
「理研ではレーダーの基礎技術がそろってきたから、レーダーを何時でも作れるんだが、飛行機に載せるとなると、アンテナは小さい方がいいだろ?」
「それはそうですよ」
「だろ? なにかいい手はないかな? とか思ってたんだ」
「レーダーに使えるかは分かりませんが、今のラジオってアンテナついてないですよね? あれってどうなってるんですか?」
「あれは確か、内部に小さなアンテナが入ってるんだ」
「そのアンテナじゃダメなんですか?」
「ダメかどうかは分からないけど、相手は電波なんだから、少し工夫すれば何とでもなりそうだよな。この作業が終わったら調べてみる」
購入した商品を包装から丁寧に取り出し、布手袋をした手で撮影用に用意したテーブルの上に置いて写真を撮っていく。
出来上がった写真を、パソコンに落してオークションハウスの申し込みフォームに貼り付けていき、一連の作業が終了した。
作業が一段落したところで鶴井が用意してくれたお茶を飲み、堀口が買ってきてくれた『おはぎ』をフォークに突き刺して口に運び一休み。
「おはぎ、たまに食べるとおいしいな。堀口ありがとうな」
「おいしく食べてもらえてよかったです」
「堀口さん、わたしもおいしく食べてますから」
アンテナについて調べていったところ、バーアンテナなるものがラジオの中に入ってるのだそうだ。酸化鉄や酸化亜鉛などをナノレベルまで細かく混ぜ合わせて焼成したフェライト(注2)のうち、永久磁石として使用するハードフェライトではなく、磁界に触れると磁化し離すと戻るソフトフェライトを棒状にしたものか、極細の鉄粉を絶縁体(樹脂やワックス)でコーティングし、高圧で棒状に固めた圧粉磁芯、どちらかの周りに、リッツ線と呼ばれる細い絶縁エナメル線を複数本撚り合わせた高周波用導体を巻き付けるようだ。能力的には透磁率の関係でソフトフェライトの方が高いらしい。ここでは、エナメルではなくナイロン一択だがな。さらに出来上がったバーアンテナをナイロンで固めてしまえば、機械的にも最強だ。
製造の難易度は俺にとっては不明なので、そこは理研側に丸投げだ。この関係の資料をプリントアウトしておいてから、防災用ラジオを5つ注文しておいた。4つは理研用、そのうちの一つはこの事務所の備品だ。
「今度は何の資料をプリントアウトしたんですか?」と堀口に聞かれた。
「さっき話してたアンテナの資料だ。ちょっと調べただけだけど、そこまでハードルは高くないようだ。アンテナの性能は今日持っていったデジタル・ストレージ・オシロスコープ (DSO)で一目でわかるようだから、試作品のテストは簡単だ」
「それって、あの時代に今のラジオを作るってことにもなりますよね?」
「まだトランジスターができていないけれど、そうなるだろうな。そういえば、あの時代のラジオのアンテナって、何メートルもある裸線を家の外の木とかに張ってたんだそうだ。だから、落雷事故もあったそうだな。今ある真空管ラジオに使ってもいいし、ラジオ自体の普及も進むと思う」
「すごい進歩ですよね」
「俺が発明したわけじゃないけどな」
「世の中、やった者勝ちですから」
「それはそうだ」
「社長、以前の話にあった、チタン酸バリウムだったかな? あれはもうマイクとかスピーカーに使われているんですよね」
「そうなんじゃないか」
「スピーカーって、たくさんあると、立体的に聞こえるじゃないですか。ステレオとか5.1チャンネルとか」
「俺も詳しくはないけど、そういうのあったな」
「チタン酸バリウムの本来の目的は潜水艦を見つけるためでしたよね。ソナーで」
「そう」
「で、思ったんですけど、たった一つだけのソナー?じゃなくって『面』で音を聞いたらいいんじゃないかなって」
「確かにそれはあるな。例えば半球状にたくさん並べておけば、どっちから音が聞こえてきたかすぐわかるし、魚雷だったら頭に半円状に並べておけば、マイクの首を振らずに済むものな」
俺の言葉を聞いて、鶴井が嬉しそうな顔をしてるんだが?
しかし、鶴井がソナーとか頭の中で考えていたわけか。そこらの女子がレーダーとかソナーを頭の中で考えてるってあまりないだろう。
そういえば、初期の音響追尾魚雷って反転して自分のところに戻ってきたっていうし、実戦化するにはそれなりのノウハウが必要だろう。
「先輩。わたしも鶴ちゃんに負けずに考えたんです!」堀口が元気に手を挙げた。
「おっ! 何かいい案があった?」
「音響追尾魚雷って、発射したはいいけど、自分の音を拾って、戻ってきちゃったって話があったじゃないですか?」
「あったなー」
「それで考えたんですけど、あれって、海で発射するから戻ってくるんですよ」
「そりゃ魚雷だから海で発射するだろ?」
「チッチッチッチ! 違うんだなー」
「何がだよ?」
「先輩、航空魚雷って知ってます?」
「おっ! 堀口、すごいこと考えたじゃないか!」
「でしょう。戦艦に向かって適当に空から落とせば、相手の音を拾って命中間違いなし。絶対空まで帰ってこないし、味方の船はそんなところにいないから、同士討ちもない! でしょう」
今の堀口の『でしょう』は語尾が上がってた上に鼻の穴が開いてた! いいけど。
「問題は、航空魚雷の場合、高速で魚雷が水面に突っ込むからそれなりの衝撃が発生して、真空管とかの内部の電子部品が破損する可能性があるってとこか」
「チッチッチッチ! それについてはわれに秘策あり!」
「その秘策を教えてくれ」
「先輩、VT信管って知ってますよね?」
「そりゃ、知ってるさ」
「あれって、まだトランジスターがない時代に実用化されたわけだけど、結局砲弾の発射に耐えるように真空管回路を樹脂で固めちゃったんですよね」
「確かそうだった。ほう。そういうことか!」
「そういうことなんです」
「それなら、魚雷が水面に当たる程度の衝撃くらいじゃ、どうこうなるわけないものな」
「でしょう」
今回もさっきと同じ『でしょう』だった。
「堀口やるな」
「女子三日会わざれば刮目して見よ(注3)」
「分かりました。その案いただきだ。次回、理研に行ったとき提案しよう。これからは堀口を見る時はできるだけ目を見開かないとな」
「それは絶対止めてください」
「へい」
確かにいい案だ。回路全体を保護するため樹脂で固めた場合、ピエゾ素子の首振り機構は使えないので、3個か5個のピエゾ素子を縦横二方向に扇状に並べて、一番強い音を拾ったピエゾ素子方向に舵を切れば音のしている何かに向かって魚雷は進んでいく。将来的には赤外線センサーがあれば、対空ミサイルも視野に入る。赤外線センサーも欲しいところだが、そこまで開発できるころには日本はすでに世界最強の技術国家だろう。
注1:TR管
TR管(Transmit-Receive tube)は、レーダーの送受切替に使用されるガス封入式の放電管。送信時には高電圧で放電してアンテナ回路を短絡し、送信機から受信機への高出力パルス流入(受信機破壊)を防ぐ。送信終了直後に放電が止まり、微弱な受信信号を受信機へ通す自動スイッチの役割を果たす。これにより、送信と受信でアンテナを分ける必要がなくなり、アンテナが1本で済むようになる。
注2:フェライト
酸化鉄を主成分とするセラミックス磁性材料の総称
注3:
実際は「士、別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし」、「刮目相待」という四文字熟語なので「目を見開いて待て」なんですが、ここでは「見よ」としています。わたし自身は「相待ちて刮目すべし」と書き下したほうがいいかな? とか思っています。
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