第59話 昭和5年8月
1930年8月8日。真夏の快晴の空の下。
理研航空機のテストパイロット、二宮誠二元陸軍准尉(注1)は理研特製の飛行服に身を固め、搭乗梯子を上ってリケン-小ユ1のコックピットに乗り込んだ。そして特殊ガラス製の風防を閉じ、整備員に手で合図した。
整備員は、搭乗梯子を取り外し、プロペラに手をかけて勢いよく回転させた。それと同時に二宮はエンジンの点火スイッチを入れ、黒い煙を吐いたエンジンが軽快な音を立て始め、すぐに排気から煙は見えなくなった。
その状態で、二宮はフラップその他の翼の操作を行い異常がないことを確かめた。
『小ユ1-1号機発進せよ』
地上要員からの無線通信は、ヘッドフォンを通じていたってクリアな音として聞き取れた。
「1号機了解。発進します」
再度二宮が整備員に手で合図したことで、整備員が小ユ1の車輪の車止めを外し大きく手を振った。
二宮がスロットルレバーをゆっくり前に倒していくとエンジン音が高まっていきオレンジ色(注2)の機体が走行を始めた。
滑走路上を加速しながら進む小ユ1の脚にはスイッチが仕込んであり、脚が伸びきった状態=離陸中か、脚が縮んだ状態=接地中かランプの点灯で判断できる。二宮は離陸を知らせる離陸ランプが灯った瞬間、スロットルを絞り、すぐに小ユ1は着地して速度を落とし、やがて停止した。そこまでで異常振動は起きていない。
小ユ1の形状だが、高翼単葉。やや丸みを帯びた箱型胴体。これらは荷物の積載と出し入れの都合である。脚は固定脚。もちろん外板は翼を含めて竹織布をバイアス積層させたものをフェノール樹脂で固め、ニトリルゴムを添加して靭性を高めた強化樹脂製で、バフ研磨機で磨き上げられ光っている。鋲やネジなどはほとんど使用されていない。風防はナイロンを間に挟んだ二重の強化ガラス製である。プロペラは3翅。これも強化フェノール樹脂製で翅の取り付け部だけはジュラルミン製である。
前方下部に大型のエアインテイクが設けられておりそれがラッパ状に絞られ、出口で入気が渦を巻くように設計されている。渦の回転とスーパーチャージャーのインペラの回転方向を同じにすることで、吸気効率を高めている。つまりラム式エアインテイクである。高度6000メートル、時速600キロ前後で巡航できれば、劇的効果が期待されるが、巡航時の飛行高度も速度域も小ユ1はそれほど高くないため、ラム式エアインテイクの効果は限定的である。
なお、小ユ1は商業運航を念頭に置いているため、プロペラピッチ(羽根の角度)は固定だが、飛行中に急激な機動を行う戦闘機などでは速度に合わせてプロペラのピッチを変える機構、すなわち可変ピッチプロペラ(Variable-Pitch Propeller)が必要になる。そしてその機構を一歩進めて、飛行中にエンジンの回転数を一定に保つよう自動でピッチを調整する定速プロペラ(Constant-Speed Propeller)が空戦では真価を発揮する。また、フラップ(注3)の自動開閉も機動性を極限まで引き出すという意味で空戦では真価を発揮する。電子制御ではなくあくまで機械式の仕組みだし、機構的にはそれほど複雑ではないので、実装は可能だろう。
理研航空機の所沢工場に隣接する飛行場でのリケン-小ユ1のテストは順調に進み、今日は8月11日。盆休みを前にした最後のテスト飛行《**》である。この日の天気も快晴。
テスト項目は、高度3000メートルでの最高速度計測だ。
所沢飛行場から飛び立った小ユ1はぐんぐん上昇していき高度3000メートルで水平飛行に移行して、それから、地上目標を頼りに10キロを最高時速で通り抜けるというものだ。地上の係員が機体の上空通過を確認したころで電話で10キロ先の計測員に知らせる。そこからストップウォッチで、機体が終点上空を通過したところで、配置された係員が旗を振り上げて、計測員がストップウォッチを止める。
これを計5回行って平均を取ったところ、10キロの飛行に要した時間は、 1分40秒=時速360キロだった。当時の戦闘機の最高速度が、アメリカ:ボーイング P-12(1929年運用開始)の時速 310Kmだったので、無負荷状態といっても、貨物運搬用の機体設計での速度だったわけなので満足のいく数字だった。
盆休みが明けたら、所沢飛行場から、北海道の千歳空港に移動し、そこでスタッフによる整備を受けた後、福岡県にある陸軍の大刀洗飛行場まで無着陸飛行を行う計画である。その距離、約1420キロメートル。巡航速度時速270キロメートルでの飛行を考えており、飛行時間は5時間30分前後となる予定だ。
どちらの飛行場にもハイオクガソリンは用意されていないので、理研航空機の開発関係者と整備スタッフがハイオクガソリンとともに先行することになる。
この試験には、陸軍、海軍の航空関係者のほか、中島飛行機を始めとした航空機製造会社の面々も見学に招待されている。
見学場所は、長距離飛行の目的地である陸軍の大刀洗飛行場。理研航空機の自信の表れである。
後に連合艦隊司令長官に親補される海軍の山本五十六は、次席随員としてロンドン軍縮会議に派遣されていたが、帰国後、出国前と同じく海軍省軍務局に籍を置いていた。彼が海軍航空本部技術部長に就任するのは、史実ではこの年の12月初めのことである。
これとは別に理研精密では、富士山の頂上にターボチャージャー搭載のエンジンを分解して運び込み、稼働テストを行った。排気制限を行いながら、排気タービンを回転させたところ、排気タービンは有効に働き、エンジン出力は計算値通りに上昇した。ターボチャージャーの一応の完成を見たものの、高純度アルミナ製のタービンブレードを偏芯なく製造することが特別難しい。理研工作部の力技で今回のタービンブレードは回ってくれたが、量産のためには、やはり別途の素材、すなわち耐熱超合金を本家であるインコ(INCO:インターナショナル・ニッケル・カンパニー)に先駆けて製造することが必須であろうとの結論に至っている。
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理研への資材運搬では、余裕があるときは消耗財を補充というより積み増している。特に内製化が難しいプリンター関係の消耗財、電卓などはかなり積み上がっている。そのおかげでYHT貿易は順調に業績というか、利益を積み上げていった。
理研からの給料を使ったアルバイトも好調なので堀口と鶴井は二人ともニコニコだ。もちろん俺もニコニコだ。
理研航空機の航空機開発は順調のようで、盆休み明けには1400キロメートルの無着陸飛行をするという。
それが成功すれば、最終試験として、荷物に見立てて500キログラムの重しを載せ同じく1400キロメートルの無着陸飛行を行う予定だ。最終試験で問題が起きなければ、おそらく単発機として1930年での世界最高水準の小型貨物飛行機となるだろう。
窒化チタン蒸着とかニトリルゴムや竹織布を編み込んだフェノール樹脂といった、本当の意味でのイノベーションはものすごく地味だが、飛行機の記録とかはものすごく目立って宣伝効果が高い。もちろん、事故が起きれば目も当てられないが、それはどういった事業にもついて回るリスクなので、最善を尽くす以外にどうしようもない。
理研の所長室で、大河内所長と理研航空機について話をしている。
「飛行機の記録は宣伝効果が抜群ですから、記録を狙うのも手ですね」
「確かに、理研の技術力を内外に示せる」
俺はメモを見ながら、
「史実ですと、東京〜ロンドンまで、約1万5357キロメートルを、1937年(昭和12年)4月、朝日新聞社が所有する「神風号」が、東京からロンドンまでの94時間17分56秒(実飛行時間51時間19分23秒)という驚異的な時間で飛びました。これは、陸軍の九七式司令部偵察機という機体を民間用に改修したものです」
「ほう」
「この記録で、日本の航空機とエンジンがともに世界に認められたようです」
「なるほどな」
「中島飛行機のエンジンは安定しているようですが、長距離となると単発では心もとないので、やはり双発がいいんじゃないでしょうか?」
「しかし、双発であっても、片側が止まれば、落ちるんじゃないかね?」
「いえ、単発でも引っ張ることができるエンジンは必須ですが、片側が止まった場合、片側だけのエンジンですと、モーメントがかかって機は偏向してしまいます。それを抑えるために舵で調整するにしても限度があります。それでモーメントを極力抑えるように、プロペラ径が許す範囲でエンジンを胴体に近づけます」
その完成系が、ドイツのドルニエが生んだ串刺し戦闘機(注4)だが、ここではややこしくなるので黙っておいた。
「なるほど」
「将来、機速が増すと脚の抵抗が増すので、航空機の脚は固定式から引き込み式になると思います。そうなると、脚の引き込み位置と主翼に取り付けたエンジンの位置が干渉するので、そのあたりは工夫する必要がありますが、図面を引いて、操縦士の視界なども考慮して試行錯誤していけば、何とかなるでしょう。なにせCADがありますから」
「確かにな。以前だったら何週間もかかるような完成図面の修正がほんの数分で出来上がる。恐ろしいような話だ」
「そのために、何十年もかかって発達してきた『技術』の結晶がCADですから」
「そうだな」
この8月。理研から蛍光灯の周辺特許が出願されている。理研では引き続き世界特許申請のための作業を進め、準備が整い次第、ロンドン、ベルリン、ワシントンの各特許庁に特許を出願することになる。これでGEの蛍光灯事業は詰みだ。
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張学良と彼の側近たちは、2年に及ぶ留学《**》を終えて、奉天に帰還した。彼と彼の側近たちは表向きは完全な親日派になっていた。蒋介石の国民党や、ソ連の共産党と比べれば日本の方がはるかに利用価値がある。自分たちは日本に利用されるだろう。しかし、自分たちも日本を利用すればいい。満州には石油があるのだ。
張学良が帰国の挨拶に父張作霖の下に訪れたところだ。
「学良、日本に行って勉強になったか?」
「大いに勉強になりました」
「ほう。どう勉強になった?」
「まず、武力で日本に太刀打ちできないことが分かりました」
「国民党とわれらが共同しても日本には勝てないか?」
「勝てないと思います」
「そうか。それで、お前は、何をする? 日本がこの満州で広がっていくのを手をこまねいてみているのか?」
「日本が広がっていくことは決して悪いことではないでしょう。現にこの満州は、中華の外かもしれませんが、すでに中華をしのぐ重工業が興っています」
「そうだな。しかしそれは、われわれの物でなく、日本人の物ではないか?」
「いえ。日本の工場といっても、多くの満蒙人が、ちゃんとした賃金をもらって働いています。そこに日本の工員たちとの差はありません。また、日本国内の工員たちとの差もありません。日本人の工員たちは、実に勤勉に働いているのも確かです。勤勉さからいえば、満蒙の工員たちの賃金は割高かもしれません」
「ほう。それでは、われわれはどうすべきと思う?」
「満蒙を豊かにすることで、日本とともに栄える。今はそれしかないのではありませんか? 日本に対して武力で抗したところで誰も喜びません。いえ、喜ぶのは国民党とソ連だけです」
「学良。お前は見事に日本の思惑にはまったようだが、お前の考え方が間違っているともわたしも思えない。お前の考えに従っていこうではないか」
「父上。われわれの代では無理かもしれませんが、いずれこの地は世界もうらやむ国になるでしょう。その時父上の名は歴史に刻まれているでしょう」
「そうなればいいな」
「はっ! そうなるように励みます」
「よく言った。お前を日本にやったことは成功だった。実は関東軍から内々で、廃帝された清国皇帝を満州に迎え、国を興さないかと話があった」
「国ですか?」
「たしかやって来たのは板垣とかいう関東軍の参謀で通訳を介してはいたが妙に弁の立つ男だった。われらも、一度は北京に上ったが、今では元の地方軍閥だ。皇帝を立てて国を興すのも悪くないのではないか?」
「父上、国民党の風下に立つとなると、日本との関係は取り返しがつかなくなります。国民党に与しないと決めたのなら、それでいいのではありませんか?」
「分かった。この話を進めようではないか」
「そうなった場合、父上はどのような官職を得られるのですか?」
「関東軍では、『満州国』元帥とか言っておった。奉天の官僚たちもそのまま横滑りで『満州国』の官僚だそうだ」
「ほう。そこに日本の官僚が入ってくることは?」
「ある程度はあるのだろうが、それは仕方ないだろう。国となれば外交は必要だろうし、そのあたりは日本には一日の長があるのは確かだ」
「確かにそうですね。それで奉天軍はどうなります?」
「もちろん、われらの軍はそのまま『満州国』の国軍となる。そして今まで通り、日本軍の軍事顧問によって訓練を受ける」
「なるほど。悪くはないのでは」
「あとは、諸外国から国として認めてもらわないと、国として関税が取れないらしい」
「それは気づきませんでした。それでどうします?」
「清国の皇帝が出自である満州に戻り建国するという建前と、現に満州に石油が湧いている以上、問題なく各国は承認するだろうと関東軍では言っておった」
「蒋介石の国民党を中国のただ一つの窓口とみなしたところで、諸外国に石油が降ってくるわけではありませんから一理あります。石油の利権についてはどうなります?」
「具体的な数字はなかったが、何割かの利益を税として納めるようなことを言っておった」
「満鉄の利権については?」
「それは今まで通りだ」
「やはり無理ですか」
「それは仕方なかろう。あれは日本が血を流して切り取ったものだ。あれをとやかく言うと角が立つ。ただ、満鉄は、満鉄の金で満州を整備していくという」
「ほう」
「税を納めない代わりに、ある程度負担するわけですな。役人から見れば面白くはないかもしれませんが、満鉄の経営が役人などよりよほど優れていることは事実です」
「大きな事業以外なら、好きにさせてもよかろうよ」
「わたしもそう思います」
注1:准尉
史実では、
1894年〜1917年:この期間は「特務曹長」という名称が使われていました。
1917年〜1931年:名称が「准尉」に変更されました(1930年はこの期間内です)。
1931年度末(昭和6年度):再び名称が「特務曹長」に戻されました。
1937年(昭和12年):最終的にまた「准尉」に統一されました。
注2:オレンジ色
フェノール樹脂の地の色はオレンジ色です。また、添加されたニトリルゴムは乳白色から淡黄色です。後日登場するこれ系の武器の地の色はオレンジということになります。オレンジ色は目立つため、将来戦闘機や爆撃機、爆弾に対しては敵からは『オレンジ色の悪魔』といわれるかもしれません。味方からは親しみを込めて『オレンジ色のニクイ奴』と呼ばれるでしょう。日の丸は別途、長方形の白地に赤丸を描くことになると思います。
注3:フラップ
主翼後縁の付け根側にある可動翼。この開閉で揚力を調整することで離着陸がスムーズに行われるが、空戦時、これをタイミングを見ながら開閉することで、小回りの利く機動が実現できる。主翼後縁の先端側にある可変翼はエルロンと呼ばれ、上下動を左右逆にすることで機が旋回する。
注4:ドルニエが生んだ串刺し戦闘機
ドルニエDo335プファイル。エンジンがタンデム式に機体の前後に配置され、それぞれのエンジンにプロペラが直結している。前後のプロペラの回転方向は逆方向で、回転モーメントを打ち消すようになっている。もちろん前方プロペラはけん引式で後方プロペラは推進式である。後方エンジン吸気だけでなく冷却もかねて機体後方下部に大型のエアインテイクを設けている。また後方プロペラが離着陸時に地面に接触しないよう垂直尾翼が上下対称ので水平尾翼と合わせて「十字型」になっており、下側の垂直尾翼がバンパーの役割も果たしている。
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