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技術立国日本  作者: 山口遊子


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57/84

第57話 昭和5年5月2


 京都風情が全くない洋食屋を出て、いったん平安神宮前まで戻り、そこにいたタクシーに乗って清水寺前まで移動した。


 そこから緩い坂道を上っていき清水寺の中に入って、何とか大舞台の上に上がって京都の街を一望し、隠れるようにして持ってきたカメラで写真を撮ってそれから録画もした。


「これで、いちおう京都に来たって実感が湧いたな」

「そうですねー。1カ月前だったら桜がきれいだったんでしょうが、いまは新緑がきれいですね」

「薫風って感じがしません?」と鶴井。なかなかセンスがあるな。

「する」「春の風だよな」


 清水寺から坂を下っていき、土産物屋を覗きながらそのあたりを歩いていたら、どこを歩いているのか分からなくなってきた。二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)の石畳がどこだったのか分からないが、確かに石畳の上をうろうろ歩き回っていたので、二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)を通ったはずだ。


 自分たちがどこにいるのか分からなかったが、それでも何とか道行く人に道を聞いて赤煉瓦の京都博物館にやって来た。入館料は一人10銭だった。


 館内の展示は、仏像や絵巻物、雪舟の水墨画などが展示されていた。おそらくどれも国宝か国宝級の美術品なのだろうが、俺には良し悪しは分からなかった。


 京都博物館を出たら、日も傾いていたので、博物館の前に停まっていたタクシーを捉まえて京都ホテルに帰った。

 ホテルのボーイがタクシーのドアを開けてくれたのだが、荷物があったわけでもないのでチップを渡さなかった。


 今日の昼も洋食だったし、洋食は飽きてきたので、堀口たちと相談して今日の夕食は和食にすることにした。それで受付に行って和食を6時ということで頼んでおいた。


 先に風呂に入り、6時少し前にエレベーターの前で待ち合わせして食堂にいった。


 入り口で部屋番号と名前を教えて、案内された席に着いたら、山菜炊き込みご飯、鱧《はも》のお吸い物、アユの塩焼き、刺身、茶わん蒸し、エビと野菜の天ぷらがすぐに並べられた。

 刺身は鯛とヒラメ、おそらくアオリイカ。それに、おそらくサヨリ。マグロはなかった。マグロってこの時代だとメジャーじゃないからな。


「日本食もいいな」

「この時代の魚料理はどれもおいしいですよね」

「どの魚も天然ものだろうし、海の魚ならたいていは近海ものだろ? 野菜だって味が濃い気がするし」

「コスパは最高ですよね!」

「そうだな」


「先輩、それで明日はどうします?」

「予定通り、嵐山・渡月橋までタクシーで行って、桂川沿いに歩いてみるか?」

「じゃあ、保津川下りどうします?」

「遠そうだから止めておかないか。この時代じゃライフジャケットもないだろうし」

「ですね。山田さんにもしものことがあったら、わたしたち現代に帰れませんものね」

「俺にもしものことがあったら、俺にとってはすでに他人事だけどな」

「先輩、ひどーい!」

「ハハハハ」


 

 そして、京都3日目(1930/5/5)、快晴。 

 ホテルから嵐山・渡月橋までタクシーで移動。20分ほどで到着し、桂川沿いを歩いて下っていった。


「今日もいい天気ですねー」

「今の京都が一番いい季節じゃないか?」

「夏は暑いですものね」


「鯉のぼりがたくさん泳いでます。今日で見納めですね」

「そういえば、今は埼玉でさえ鯉のぼりなんて見ないものな」

「そうですよねー。というかうちの田舎でも見ないし」

「うちもそうです」

「だよなー。少子化なんだから男の子が生まれたら鯉のぼりくらい上げればいいんだけどな」

「そんな余裕がない。ってわけじゃないんでしょけど。それに男の子だけだと差別とか言い出す人っているじゃないですか」

「女の子はひな祭りだろ?」

「そう言われれば。でも、うちにはひな人形なかったなー」

「うちもそうですよ」

「世の中、変わったってことなんだろうな。そういった伝統が薄れてきたのも行き過ぎた西洋化が原因だろ?」

「でしょうね」

「つまり、もとをただせば第二次世界大戦での敗戦に行きつくだろ?」

「そうかも」

「つまり、こっちの日本はこれから先、うまくすれば、こういった伝統を残すことができるってことだよ」

「おー。うまくまとめましたね」


 そういった、たわいのない話をしながら、のんびりと川沿いの砂利道を歩き、適当に景色を写真に収めていった。


 途中桂離宮があったので見学したかったが、予約制で一般人は入れなかった。この時代、厳しい!


 そこからもう少し歩き、そろそろ休憩しようということで、途中で見つけたカフェーに入った。

 暑いような陽気だったこともあり、各人、冷たいものを注文した。

「このあたりで、料亭ってあるかな?」と飲み物を持ってきた女給さんに訪ねたら、「そうどすなぁー。店を出て右手、道をまっすぐいくと、10分くらいで料亭が何軒か並んでます」

「ありがとう」


「昼は料亭に行ってみるか?」

「料亭ってすごく高いんじゃないですか?」と堀口。

「それなりに金は持ってきているから何とかなるんじゃないか?」

「ちょっと楽しみですね」と鶴井。

「そうだな」


 飲み物を飲み終えて、釣りは要らないと言って、70銭の代金のところを1円札で支払った。


 店を出て、右に折れてしばらく歩いていったら、瓦葺の大きな建物が何軒か並んでいた。

 その建物の前まで行ったが看板はかかっていなかった。その代わり門扉が開いていて、打ち水をされた鉄平石の真っ黒な石畳の先の玄関口に暖簾がかかっていた。ちゃんとした料亭のようだ。

「ちょっと早いけど、ここでいいか?」

「ですね」


 石畳を歩いていき、玄関の中に一歩入って、中に向かって「ごめんくださーい」と声をかけたら奥の方から和服を着た女性が小走りにやって来た。

「おこしやす。はて、どちら様でございまひょ?」

「ここって、料亭ですよね? 昼食をお願いしたいんですが」

「申し訳おへんどす。うちは一見はんはお断りしてますさかい、帰っとぉくれやす」

「はあ」

 確かに、一見さんお断り文化って聞いたことがある。老舗の料亭だとなおさらだ。


「分かりました」

 ということですごすご撤退し門の外まで出た。


「うーん。この調子だと、料亭は全滅だな」

「じゃあ、今日も昼は洋食ですね」

「仕方ないな。夕食は今日も和食を頼もう」

「ですね」


「それじゃあ、洋食屋かカフェーを探しながら歩くか」


 そういうことで、その先で見つけたカフェーに入って3人ともライスカレーを頼んだ。

 ジャガイモとニンジンとざっくり切った玉ねぎ。それに、コロコロではなく薄切りの牛肉が入ったライスカレーを食べながら、

「このライスカレー。家庭の味ですね」と堀口。

「確かに、うちのカレーもこんな味だった」

「うちもそうです」

「午後からどうしようか? 作戦では大典記念京都植物園(現京都府立植物園)に行くことになっているけど、タクシーじゃないと無理だろ?」

「そうですよね。スマホが使えないからここがどこかも分からないし、道も分からないし」

「流しのタクシーってあまり見ませんでしたよね」

「大きな通りを適当に歩いてればそのうちタクシー拾えるだろ。市内なら1円だからどこにいても同じだし」

「そうですね。どこを歩いてるのか全然分かりませんが、京都の街並みを楽しみましょう」


 京都にきて、うちカレーを食べてどうするんだ!? という疑問をぐっと抑えて完食した。


 代金を払って、カフェーを出て、適当に広い道を歩いていたら、うまい具合にタクシーが通りかかったので、呼び止めて乗り込んだ。


「大典記念京都植物園までお願いします」


 20分ほどタクシーに揺られて植物園前に到着した。


 入り口で大人10銭、3人で30銭の入場料を払った。温室に入らなければ一人5銭だったようだ。園内は芝生保護のため、靴での入園はできず、草履に履き替えさせられた。面倒だったので靴下は履いたままだ。

 脱いだ靴は係のおじさんが預かってくれて、蓋つきの靴箱に入れてくれ、木札を返してくれた。


 洋服に草履というのは何とも珍妙ではあるが、規則では仕方がない。


 そうやって植物園の中に入っていったんだが、ものすごく広い。その中の小径をゆっくりと歩いて行ったのだが、靴下で草履は履きにくかったので、途中で靴下を脱いで裸足で草履を履いたら実に気持ちよかった。

「裸足になったら、気持ちいいぞ」

 そう言ったら堀口も鶴井もその場で靴下を脱いで裸足になった。二人とも俺と同じで足下が不快だったようだ。脱いだ靴下はポケットに入れておいた。


 バラが植えられた一帯には見事なバラが咲き乱れていたし、池のほとりでは、ここでも紫の花が咲いていた。近くまで行かなかったので、名札は読めなかった。


 園内をぐるりと回り、温室にも入った。温室の中には池がありオオオニバスが浮かんでいた。生まれて初めて見た。その他に、パピルスと睡蓮が池の周りを彩っていた。緑色の線香花火をひっくり返したような水辺の草がパピルスとは判るわけはないのだが、ちゃんと札が付いていたから判っただけだ。

 バナナやパイナップル。ゴムノキやヤシもあった。これらは札がなくても判った。ほかにはソテツやフェニックス、キミガヨランといったちょっとメジャーな植物もあった。ちなみにキミガヨランには白い花が鈴なりに咲いていた。ただ、感動するような花ではない。


 1時間半ほどそうやって園内を巡って入り口まで戻り、木札と交換で靴を受け取って靴下を履いてから靴を履いた。


 植物園を出たらタクシーがちょうどいたのでそれに乗ってホテルに戻った。



 あとで知ったが、ホテルを通して料亭を予約しておけば一見《いちげん》とはみなされなかったようだ。知らんがな。

 この日も受付で夕食は和食を頼んでおいた。その時、明日の出発時刻を聞かれたので9時と伝えておいた。


 部屋に戻って風呂に入ったのだが、5月の日差しだったのに鏡の中の顔は結構赤くなっていた。

 風呂から上がって夕食まで時間を潰し、時間になってから堀口たちと食堂に向かった。堀口たちも風呂に入ったのか顔が赤く焼けていた。


 この日の和食は、昨日とメニューは同じだったか、魚の種類などは変わっていた。



 翌日。朝食を摂り、部屋に戻って少し寛いでから、荷物をまとめて1階に下りて精算しようと思っていたら、ドアがノックされた。

 ドアを開けたらボーイが立っていて伝票を持ってきたので、そこで精算してもらった。

 おつりをボーイが持ってきたところでチップを渡し、荷物を下まで運んでもらった。堀口たちも荷物を運んでもらったようで、俺と揃ってエレベーターで1階に下りたら待っていたボーイに送迎車まで案内された。荷物は車に積み込まれているようで、俺たちが送迎車に乗ったらすぐに車は発進した。


 京都駅に着いた送迎車から荷物を下ろしてもらったところで、運転手にチップを渡した。

 それで、送迎車は帰っていったが、今度は赤帽がやって来たので、9時40分の富士と伝えたらホームまで荷物を運んでくれた。もちろんチップを渡しておいた。


 一等車の停車場所で立っていたら、9時38分ごろ汽車がやってきて停車した。列車の中からボーイが現れて俺たちの荷物を運んで席に案内してくれた。ここでもチップを渡しておいた。


 食堂車での昼食は予定通り魚料理を頼んだのだが、この日の魚料理はヒラメとエビのクリーム煮だった。おいしかった。堀口たちは肉料理にしたようだが、それもおいしそうに見えた。何でもおいしそうに見えちゃまずいかも?


 列車は定刻の18時50分に東京駅に到着した。終着駅なのでボーイが客の荷物を順番にホームに下ろしていき、その荷物を赤帽たちが運んでいく。


 俺たちの荷物もボーイに運び出されたところでボーイにチップを渡し、赤帽に山手線のホームまで運んでもらってそこでもチップを渡した。


 山手線から先はいつもの移動で午後8時半前に何とか浦和にたどり着いた。

 浦和駅からはタクシーで浦和高等学校まで帰ってきて、穴をくぐって21世紀の日本に戻った。堀口たちとはそこで別れて、俺はうちに帰って一息ついた。



今の京都美術館にはロダンの考える人がありますが、この時代にはなかったようです。筆者は中学時代実物を見たことあるんですが、結構小さい像でした。正面に回り込んで見たらモノはついていませんでした。

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― 新着の感想 ―
日本にチップ文化が根付かなくて良かった。
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