第56話 昭和5年5月
日本旅行社の窓口で京都旅行の予約をして3日後。再度東京駅を訪れて切符などを手にした。その時、担当のおじさんから、京都の見所というか、見学コースが手書きされた紙を渡された。
礼を言って紙を受け取っておいた。
中身を見たら、
5月の京都は新緑が美しく、最も過ごしやすい季節です。
2日目、午前、平安神宮神殿を参拝。1895年に創建されたばかり(当時35年)です。
昼食 岡崎界隈の老舗料亭 庭園を眺めながら、最高級の京料理を堪能。
午後 清水寺 から 二寧坂 (二年坂)、産寧坂(三年坂)の石畳を歩き、当時の趣を残す土産物店を冷やかします。清水寺 から京都博物館に足を延ばすのもよいでしょう。
3日目 嵐山の景勝と近代庭園
午前 嵐山・渡月橋 専用の人力車を仕立てて桂川沿いを散策。保津川下りでスリルと絶景を楽しみます。
午後 大典記念京都植物園 1924年開園の植物園。美しいバラ園や洋風庭園を散策。
などと書かれていた。そこらの観光案内だと、見どころ満載で逆にわけわかめだが、こういった要所だけの方がよほどありがたい。
その日はそれから日本橋三越に行き、工芸品を中心に商品を仕入れ、事務所に帰ってオークションへの出品準備をした。
そして、当日(1930/5/3)
東京発9時00分の列車に間に合うように、ちょっと早いが7時に公園前に荷物を持って集合し、穴をくぐって浦和駅まで歩いていった。浦和駅から汽車に乗って上野まで。上野で山手線に乗り換えて東京駅に着いたら、8時40分だった。富士のホームまで歩いていき、もうホームに入っていた富士の一等車がある後方に急いだ。
前回熱海に行った時と同じように一等車の前には入り口にボーイが立っていて、俺たちの荷物を運んで席に案内してくれた。ボーイが荷物を座席の上の荷物棚に置いてくれたところで前日用意していたチップをボーイに手渡した。今回はちゃんと紙の小袋に入れている。小袋の中身は50銭だ。
「チップを用意してたんですね」
「前回のこともあるし、京都のホテルでもチップが必要だから、50銭と1円札をそれぞれ紙の小袋に入れて用意してたんだよ」
「さすがは社長。気配りですね!」
「まだ慣れてないけどな」
「今回は朝から、東京駅までの移動でハードでしたね」
「荷物があったからな。だけど、今日は日本晴れのいい天気だから、京都も快晴じゃないか?」
「それだといいですよね」
そんな話をしていたら、客はそれほど増えなかったが、ホームのベルが鳴り始め、鳴り止んだところで、列車はガタゴトンと前方から音が連なってきて、ゆっくりと動き出した。
「駅弁を買えなかったけど、大丈夫かな?」と堀口が言うので、
「食堂車が付いてるから大丈夫。食堂車で食べるのも楽しそうだろ?」
「それもそうですね」
京都までの停車駅は横浜(9:32発)、国府津(御殿場越えの準備のため補助機関車の連結、10:45)、沼津(補助機関車の切り離し、12:05)、静岡(13:02)、浜松(14:26)、名古屋(16:10)。の6駅。京都着(18:31)。特急ではあるが、停車駅がちょっと多いような気もする。
汽車に揺られながら、前日用意していた缶ビールを開け、つまみを食べ、旅行会社でもらった観光の日程表を検討したりした。一等車の客は、自前で飲み物やつまみを用意するようなことはせず、ボーイに頼んで持ってきてもらうのだそうだが、俺たちは『田舎者』というていで、気にしないことにした。
列車が沼津に到着し、補助機関車の切り離しをしている間に席を立って、食堂車に行った。
入り口から覗いた食堂車のテーブルは4人掛けで真っ白なクロスがかかって、真ん中に一輪挿しの赤いバラが生けてあった。完全なレストランだった。
すぐにボーイがやってきて席に案内してくれたので、メニューを見たところ食堂車の運営は精養軒だった。
今日のランチの魚料理は海老のクリーム煮で肉料理はローストビーフだったので、俺は肉料理、堀口と鶴井は魚料理で今日のランチを注文した。飲み物はビールにしておいた。主食は3人ともライスにしておいた。だって日本人だもの。
どう見ても銀食器が並べられていき、ナプキンを膝に置いたら、輝くばかりのカットグラスとビール瓶が届けられ、各自のグラスにビールが注がれた。
間を置かず、スープ皿が各自の前に並べられ、白いシェフ帽をかぶったおじさんがワゴンを押してやってきて、ワゴンに載った鍋からいったん手にしたスープ皿にスープが注がれ、スープ皿の受け皿に戻された。
スープを飲み終わったら、メインとライスがテーブルの上に並べられた。
俺はローストビーフだったが、堀口と鶴井が頼んだ海老のクリーム煮がすごくおいしそうに見えた。京都からの帰りの列車にも海老のクリーム煮がメニューにあったら、そっちにしよう。
最後にコーヒー付きで、メロンや苺などが銀のフルーツ皿に盛られて出てきた。
ごちそうさまでした。値段は一人2円。全部で6円だったので6円50銭置いておいた。
席に戻って、ゆったり寛いでいたのだが、たばこの臭いが漂ってきてきついので、少しばかり窓を開けて煙が近づかないようにしておいた。ただ、トンネルには気を付けないといけない。東海道線でのトンネルは長いものは丹奈トンネルと新・逢坂山トンネルと牧ノ原トンネルくらいだが、丹奈トンネルの完成は1934年で、1930年の現在は建設中のはずだ。
あとで知ったのだが、窓開けといった雑務もボーイの仕事だったようだ。だいぶチップ文化に慣れた気でいたがまだまだだった。なんというか、一等車って貴族文化だわ。
列車は午後6時半の定刻に京都駅に到着した。そこでボーイが荷物をホームまで下ろしてくれたので、チップを渡しておいた。
ホームでは赤い帽子をかぶったボーイがやって来た。
「どちらまでお運びしましょうか?」
と聞かれたのだが、どっちに行っていいのか分からない。
「京都ホテルから迎えの車が来るはずなんだけど」と言ったら、ボーイは「かしこまりました」と言って3人分の荷物を器用に持って、階段を上り下りして、改札まで俺たちを連れていってくれた。そこでも当然チップを渡した。
改札を出たら、京都ホテルと書かれた腕章をつけ『山田幸太郎様ご一行』と書いた厚紙を持ったおじさんがいたので、おじさんのところに行った。
「山田です」
「お待ちしておりました。京都ホテルの者です」
そう言って送迎車の運転手らしきおじさんは、俺たち3人の荷物を持ち上げて駅の外まで運んでいき、そこで停車していた送迎車の中のトランクに入れた。
「どうぞ」
開けてもらったドアから車の中に入った。俺は助手席で、堀口たちは後部席だ。
自動車は10分ほどでホテルの車寄せに到着した。
自動車から眺めた街並みの民家にはところどころ鯉のぼりが揺らめいていた。
荷物はホテルのボーイによっててきぱきと車から台車に載せかえられた。送迎車を降りたところで運転手にチップを渡し、ホテルのボーイに案内されて、受付に行った。
受付で手続きをしたら、荷物はいつの間にかどこかに行ってしまい、俺たちは別のボーイに連れられてエレベーターに乗って部屋に案内された。おっさんが運転するエレベーターの床には絨毯が敷かれていて、壁はマホガニーだった。とにかく重厚。現代日本の機能美が悪いとは言わないが、この重厚さがあまり見られなくなったことは少し残念だ。いや、単に俺が現代日本ではチープな生活しかしていないせいかもしれない。おそらく現代日本にも、あるところにはあるのだろう。
部屋に入ったらちゃんと荷物が届いていた。誰がどの荷物だったのか、ボーイに言った覚えはないのだが、部屋に置いてあったのはちゃんと俺の荷物だった。俺が窓口で手続きしている間に堀口か鶴井が伝えたのだろう。
部屋にはタイル張りのバス・トイレが付いていた。それにシングルの割に狭いわけでもなく、確かに豪華だった。
ただ、現代だとどこにでもあるテレビがついていない代わり、ここでは大きなラジオが置かれていた。
夕食は午後7時半にしているので、その前にひと風呂浴びようと風呂の用意をしてたら、ドアがノックされた。
『先輩、いますか?』
堀口だった。
ドアを開けたら鶴井もいた。
「どうした?」
「先輩、これから風呂ですか?」
「夕食まで時間があるから、入っておこうと思ってな」
「じゃあ、7時25分に迎えに来ますね」
「そうしてくれ」
「鶴ちゃん、わたしたちもお風呂に入ろうか?」
「二人で入るには狭いですから、一人ずつ後にしませんか?」
「一緒に入ろうよ。狭いところで一緒がいいんじゃない。い・つ・も・の・よ・う・に」
「……」鶴井が黙って顔を赤らめた。
「堀口。そういう話はここじゃなくって、自分たちの部屋でやってくれ」
「先輩にサービスしたつもりだったのに?」
「だ・か・ら、もういいから、7時25分になったらやって来てくれ」
「へーい」「失礼しました」
堀口たちが何しにやって来たのかは分からなかったが、とにかく帰っていった。
湯舟の湯がいっぱいになったところで蛇口を閉めて裸になり、湯船に浸かった。洋式の風呂には洗い場がないのが欠点だが、それは仕方がない。
風呂から上がって下着を新しいものに替え、ネクタイは結んだものの少しラフな格好をしていたら、ドアがノックされたので、部屋を出てから鍵をかけ、3人で食堂に向かった。
予想通り、ホテルの食堂は本格的なレストランで、本格的なフレンチが供された。飲み物はビールにしておいた。食事代は旅行代金に入っているので問題ないのだが、飲み物別だし、もちろんチップも必要だ。チップ怖い。
でも、おいしかったです。
食事を終えて、テーブルにチップを置き、部屋に帰って下着になり、早々にベッドに入った。慣れない枕で寝られないこともなく、すぐに寝付いてしまった。俺って健康だよな。そういえば、人間ドックに入るのすっかり忘れてた。堀口たちも人間ドックに入ったほうがいいから、明日忘れずに二人に言っておこう。ついでに鶴井に頼んで、帰ったら人間ドックを予約してもらおう。
そんなこんなで、京都での初日が終わり、翌日(1930/5/4)。
この日の京都も快晴だった。これなら、旅行中天気が崩れそうもない。まるで日本のために日夜身を粉にして働いている俺たちの行いのご褒美のようだ。とか、言ってると明日は雨になるかも?
ホテルの朝食のメニューはフレッシュオレンジジュース、コーンフレーク。卵料理はハムエッグ、ベーコンエッグ、または好みのスタイル(オムレツなど)。 焼きたてのトースト、ロールパン。ジャムとバター。それにコーヒーまたは紅茶。
ちょっと物足りなかったので、パンをたくさん食べてしまった。
その日は予定通り、タクシーを使って平安神宮に行ってみた。円タクのいいところはチップ不要なところだ。応天門の手前の広場にタクシーを止めた。
応天門から外拝殿まで歩いていき、その前で二礼二拍手一礼しておいた。きっとご利益がある。賽銭箱を探したが見当たらなかったので、外拝殿の左右に見えた庭園を見学することにした。応天門の受付で一人当たり20銭の入園料を払って庭園の中に入っていった。
札がついていないので草木の名前は全く分からないのだが、周りが苔むした池の周りに実に見事な紫の花が5月の新緑の中で咲いていた。
「きれいですねー」
「そうだな。5月に来てよかったな」
「この時代だから、人はそれほどいませんものね」
「そうだなー」
「そういえば明日は5月5日だから、端午の節句だけど、こっちでも休日なのかな?」
「いや、こっちの5月5日は確かに端午の節句だけど平日だ」
「平日なら混まないか」
「日曜の今日ですら、これくらいなら、明日もっと空いてるんじゃないか? というか、これくらいでも、こっちでは混んでる、って言うかもな」
「確かにそれはありそうですよね。わたしたちの時代の混んでるって身動きできないほど混むことがありますものね」
「あれは異常だよな。インバウンドもいいが、それで儲かっている企業からはもう少し税金とってもいいんじゃないか?」
「それはそうだと思うけど、税金の取り方が難しいですよね。所得税以外だと」
「それもそうか」
庭園を一回りしただけで30分以上かかってしまった。
応天門から外の広場に出て、
「次はどうする。ゆっくり歩いて適当な店に入って昼食にするか?」
「そうですね。ゆっくり歩いて、南禅寺の疎水を見に行ってみませんか? 街並みを見るだけでも楽しいですし」
「おっ! 堀口はなんだか、すごいの知ってるな? ソスイって何? 水を弾く?」
「いえ、漢字は同じですが、ここでいう疎水は運河のことです」
「初めて知った」「わたしもです。さすがは堀口さんです」
「でへへ。もっと褒めてくれてもよいのだぞ」
「堀口はエライエライ。それで場所分かる?」
「大体は。このまままっすぐ南に向かって歩いて行けば水路が見えるのでそれに沿って東に歩いて行けば、水路閣とかいう水道橋が見えてくるはずです」
堀口を先頭にして歩いて行ったら、ちゃんと水路が見えてきた。その水路の先は真ん中に噴水のある池になっていた。それはいいんだが、どっちに行けばいいんだ。道はカーブを描いて南に向かっているんだが?
「おかしいなー?」
「こういうこともある。堀口、あまり気にするな」
「気にしません! で、どうしましょう?」
「そこら辺の人に聞くしかないだろな。それか、流しの円タクを拾うか」
「こっちに歩いてきてる女の人に聞いてみますね」
堀口が向こうからやって来たおばさんに駆け寄って道を聞いてくれた。
おばさんはあっちの方とか、こっちの方を腕を伸ばして指示してくれている。
「大体分かりました」
ということで堀口を先頭にして、また歩き始めた。5分もかからず水道橋が見えてきた。緑がきれいだから映えているが、大した橋ではなかった。口には出さないけれど。
ここまで来る間に何人かの外国人にすれ違っている。
「この時代なのに、外国人の人っていたんですね?」
「そうだな。この時代でも京都は外国に認められた観光名所だったってことなんだろう。アインシュタインも来日した時、訪れてたはずだ」
「アインシュタインが来日したのは何時だったんですか?」
「大正時代だったことしか覚えていない」
「さすがは社長です。わたしなんかアインシュタインが来日したことすら知りませんでした」
鶴井は実にヨイショがうまい。元の会社を止めなかったら役員になったんじゃないか?
そこからいったん平安神宮方向に引き返して、途中で見つけていた洋食屋に入った。「岡崎界隈の老舗料亭 庭園を眺めながら、最高級の京料理を堪能」とは真逆で、全く京都風情のないところが素晴らしい。
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