第49話 昭和4年10月2。考察
10月に入り、理化学興業からダイオードの製品見本が電機機器関連企業に送られた。反響はすさまじかったが、接点の融着は顕微鏡を用いた女工の手作業によるため、製造速度は40人の女工を並べて1日あたり1000個が限度だった。女工のスキルが上がってくれば生産個数は上がってくるのだろうが、理化学興業ではそれと並行してラインの増強を進めているところだ。また、理研の半導体製造に携わっていた長岡半太郎の研究室と工作部では、この作業の自動化のための装置の製造を模索している。この技術は、当然、のちのトランジスターの製造にも活かされることになるため、妥協は許されない。
そんな中、史実通り10月24日ニューヨーク株式市場が暴落した。
史実では日本政府は来年(昭和5年)1月11日に金解禁を行うため今頃準備を進めていたのだろうが、そもそも今の日本政府の持つ金準備高はソ連からの中東鉄道の買収やその他の満州への投資、カナダのニッケル会社INCOへの出資とニューカレドニアのニッケル鉱区の取得などでほとんど底をついており、そういった余裕などとてもないだろう。
世界恐慌の荒波をかぶるのは仕方ないが、満州が日本をけん引して早期に経済回復を果たせるのではないだろうか?
そして、農村の困窮も限定的=社会不安も限定的=5.15事件や2.26事件といった軍の暴走も起こらないのではなかろうか? そうなれば急速な軍の伸長と国内の右傾化も起こらない可能性が高まる。その中で着々と北進の準備を進め、「外蒙古とシベリアの被差別民族を解放する」との旗印で開戦すれば、「人種差別撤廃」を否決した欧米諸国は何も言えんだろう。そしてバイカル湖まで押し出して、イルクーツクに「イスラエル」を建国する。これでアメリカも日本に対して簡単にはちょっかいをかけられない。
そうすれば外蒙古とシベリアの資源も自由になる。フフフ。ハハハ! まさに大戦略だぜ。
持てる日本はドイツと組む必要はないから、ファシストなどと呼ばれることもない。ドイツがソ連を攻めるのは勝手だが、日本はドイツとは無関係に作戦を進めて国境を画定したところで早期に休戦だ。西からも攻め立てられているソ連は日本との休戦を選ばざるを得ないだろう。
アメリカも、中立国である日本のウラジオストック経由でソ連へレンドリースはできない。つまりソ連は日本と休戦してもいずれドイツに敗れ、適当なところで休戦だ。
イギリスがあくまでドイツと交戦するか分からないが、抵抗を続ければいずれイギリス本国はドイツに飲み込まれてしまうだろう。その時点で大英帝国をアメリカに切り売りしたチャーチルが首相なら確実にドイツと徹底抗戦=大英帝国は文字通り解体だ。
史実ではドイツの快進撃に「バスに乗り遅れるな」と日本国内では言っていたようだが、今回は日本がバスの運転手。ただし乗客はいない。わが道を行くだけだ。
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中島飛行機だが、のちに寿エンジンと呼ばれる航空機用エンジンの開発を今年に入って開始している。ベースになっているのはイギリスのブリストル飛行機が1923年(大正12年)に開発したジュピターであり、中島はジュピターエンジンをライセンス生産している。また同じくライセンス生産していたアメリカのプラット・アンド・ホイットニーのワスプエンジンなどの影響も受けている。
理研精密では、昨年から排気過給機用タービン、すなわちターボチャージャーの製作を進めていたが、タービンブレードの製作は難航を極めていた。高純度アルミナを真空下で練り固め一体焼成したのだが、出来上がったセラミックがあまりに硬く、削ることが簡単ではない。そこで、理研精密では、高純度アルミナを粉末のまま焼成して粉末セラミックを作り、それを高圧水に混ぜてタービンの『研磨』に使用した。それでなんとか、高速回転させても軸がぶれないタービンが出来上がった。出来上がったのは出来上がったのだが、歩留まりが最悪なのだそうだ。改善されないようならほかの方法を考える必要があるとのこと。
次に、理研精密では中島飛行機から購入したジュピターエンジンを改造して、職人技で削り出したタービンを取り付け、エンジン排気で回転させてみた。タービンの回転数を計るため、ストロボスコープを現代から輸入している。
タービンに熱ひずみが出ないようエンジン出力を少しずつ上げていき、最高出力時タービンは毎分15万回転したが、特に振動が起こることはなかったようだ。
次はタービン出力を入気側につなげて、加給させての試験になるが、地上では大気圧が高く気温も高いため、地上でのテストはここまでということになった。
地上に高空と同じ環境を作れれば申し分ないが、さすがにそれは無理だったので、富士山の頂上でテストしようということになった。しかし、富士山の開山は8月から9月までだったので、来年まで待つ必要がある。
当時の航空機の到達高度の5000メートルはおろか富士山の3776メートルくらいではターボチャージャーのご利益は実感できないだろう。それでも、テストはある程度は可能だ。
この5月にドイツの「ユンカースW34」が、1万2739mという世界記録を樹立していたが、機体には当然与圧キャビンもなければ貧弱な暖房で、パイロットは零下数十度の環境で酸素ボンベから直接酸素を吸うというような死と隣りあわせ、命がけの一発勝負だったようだ。
まだターボチャージャーは完成していないが、高高度での出力を維持できるエンジン。与圧キャビンを実現できるニトリルゴム。竹織布+フェノール樹脂で軽量かつ強化され、しかも滑らかな機体。超高空を支配する者に敵はない! そして理研に不可能という文字はない!
ということでもないが、10月。理化学興業で均土車を製造していた部門を分社化して理研建機が設立された。
理化学興業ではさらに航空機会社を立ち上げることになった。名称は理研飛行機。表向きは民間航空機の製造販売だ。
工場は所沢に建設を予定しており、工場に隣接して飛行場も建設予定だ。工場、飛行場の造成には当然理研製のブルドーザーが活躍する。
航空機製造にあたって、機体材料とプロペラは理研合成から供給を受ける。最初のエンジンは中島飛行機からジュピターエンジンの供給を受け、一般的な電装品などは国内メーカーから供給を受け、特殊なものは、理研工作部から供給を受けることになっている。
中島飛行機から供給されたエンジンのピストンやシリンダーについては理研精密から供給されたものを理研飛行機で換装する。ある程度ノウハウが貯まればエンジンを自社開発する予定だ。そして最終的にはジェットエンジンを自作しジェット航空機を製作する。なにせ理研には不可能という文字はないから。
いつものように理研に資材を運搬し、大河内所長と話をした。前回資材を持ちこんだ時、理研飛行機の話が出たので、今日は各国の戦闘機、爆撃機、偵察機、水上機などの写真とウィキから拾った説明を持参した。
「史実通りなら中島飛行機が来年の中ごろには寿エンジンという名前で航空機エンジンを完成させるでしょうから、それを改造しませんか?」
「確かにイギリスのエンジン前提では将来的に不安だ」
「その際、双発の航空機に挑戦しませんか?」
「最初から双発は難しくないかね?」
「工作精度が上がっていますから、問題は起こりにくいんじゃないでしょうか。機体の設計図面は簡単に引けるし、修正も簡単ですし」
「そうかもしれないが、やはりここは順を追っていこうじゃないか」
「そうですか」
「というか、どうして双発なんだね?」
「戦闘機となると、小回りの利く単発の方が有利ですが、爆撃機とか輸送機、偵察機となるとどうしても単発だと出力が不足して厳しいですし、将来4発、6発の超大型爆撃機、超大型旅客機を作る土台になるかなと」
「なるほど。単発で行けるところまで行ってからでも遅くはないから、それは将来に取っておこうじゃないか」
「そうですね」
俺の理想とすれば、1万2000メートルの高空を悠々と飛行して爆弾をばらまく爆撃機と、その爆撃機に追随する、高高度高速戦闘機なんだが。つまりB29と、高高度仕様しかつ重武装でガンシップ化したP38だ。実際通用するかは知らんけどね。P38は大戦終盤、P51とかP47に押されて姿を消したから、あんまり大したことはなかったのかもな。
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理研からの帰り道。
駒込駅前のカフェーで寄り道してお茶を飲んだ。
ニューヨークの株の暴落から数日でカフェーに影が落ちているわけでもなく、店内はいたって明るい雰囲気だった。
「大恐慌が始まったんですよね?」
「ニューヨークの株が大暴落したことで、日本の株も下がっているようだけど、世の中の景気が悪くなるのはまだ先なんだろう」
「なんだか、怖いですね」
「まあな。とはいっても日本には満州がある。積極的に開発するには人も金も必要だ」
「お金あるんですか?」
「ないけど、石油が担保になるんだよ。だから積極的に金を使うことができる。昭和恐慌の主因はもちろん世界恐慌なんだけど、悪化させたのは、金解禁と緊縮財政によるデフレ政策。今の日本には外貨、すなわち『金』がわずかしかない。中東鉄道買ったりいろいろやってるから。だから金解禁も無理だし、そもそも積極財政しかとりようがない。つまり、俺たちの世界では昭和恐慌とまで言われ、農村などが困窮して失業者も増えたが、ここではそこまではいかないんじゃないか。そうなると、2.26事件なんかも起こらないだろうし、軍部の肥大も起きないだろう。と、俺は楽観している」
「先輩に言われると、そんな気がしてくるから不思議ですよね」
「山田さんは社長ですから」
「社長関係ないけどな」
「でも積極財政を進めるってことはインフレ圧力が高まるってことですよね?」
「確かにそうなんだが、それを打ち消すのが石油なんだよ。これがこれから無尽蔵に湧き出してくる。紙切れではなく実態を伴った金が地面から湧いてくるんだ」
「そう言われれば、そんな気がするような」
「それはそうと、今の話は原因から結果を予想しただろ?」
「はい」
「俺たちは実際の歴史を見聞きしたわけじゃないけど、いちおう『一般的』な歴史を知っているだろ?」
「わたしは、世間並みの知識があるかと言われればちょっと不安」
「わたしもです」
「そこは置いて。第二次世界大戦を見た場合、結果はアメリカの一人勝ちだった。それは二人とも知ってるだろ?」
「はいはーい! 知ってまーす」「はい」
「陰謀論と言われるかも知らないが、第二次世界大戦ってドイツの暴走を奇貨としたアメリカが仕組んだドラマだった。って言ったらどう思う?」
「結果から言えば、そう言えるかも?」
「計画したかどうかも分からなくていいんだよ。さらに言えば、登場人物の意図は無関係だ。でも結果としてヨーロッパは破壊され、大英帝国は解体され、ヨーロッパ諸国が持っていたアジアの植民地は日本によって解放された。そしてアジアのバグである日本は叩き潰された。そのあとに入ってきたのがアメリカの商品であり、アメリカの資本だ」
「そうかも?」「あり得そうで怖い」
「話はちょっと変わるけど、核兵器って開発にも金がかかるけど、維持にはもっと金がかかるんだよ。それこそ普通の国なら傾くほど」
「……」
「つまり核を維持するには国民のコンセンサスが必要なんだ。特にアメリカだと」
「それは理解できる」「分かります」
「もしアメリカとソ連との冷戦がなかったら、核を保持している理由がないだろ?」
「確かに」
「さっきも言ったが、核の維持には莫大な金がかかる。金がかかるって、言葉を変えればそこに利権があるってことだ。そうだろ?」
「「はい」」
「利権を手放したくない彼らにとって冷戦はものすごく好都合。だろ?」
「確かに」
「ここで、結果から原因に遡るとすると、冷戦は仕組まれていた。ないしは出来レースだった。って言えないか?」
「……」
「その証拠になるか分からないが、アメリカは第二次世界大戦中、レンドリースといってイギリスとソ連に莫大な物資を有償で提供したんだが、イギリスからはその代金をきっちり受け取っているにもかかわらず、ソ連からは雀の涙しか受け取ってないんだ」
「本当ですか?」
「ああ」
「つまり、レンドリースの代金でソ連はアメリカの言いなりになった?」
「そう思っていいんじゃないか? そもそも、ソ連が核武装する前にアメリカはいつでもソ連を叩き潰せたがそれをしなかった。さらに言えば、ソ連の核開発にアメリカの中枢がかかわっている。彼らはソ連のスパイだったと言われているが果たしてどうかな?」
「じゃあ、キューバ危機もやらせ?」
「そうじゃないか? そもそも、アメリカに気づかれずに核をキューバに運び込めないだろ?」
「確かに」
「なんだか世の中の見方が変わったような」
「俺のただの想像だから。それに真相は藪の中だ」
「「……」」
「もう一つ面白い仮説があるんだよ」
「何です?」
「近衛って総理がいただろ?」
「聞いたことがあるような」「太平洋戦争前の首相でしたか?」
「そう。その近衛の側近に尾崎何某というソ連のスパイがいたんだ。とにかくソ連と融和して南進しようと主張していたようだ。日ソ中立条約ってあっただろ?」
「……」
「見た目は確かにソ連のスパイなんだが、本人の意思とは無関係に、結果を見ればアメリカのために動いていたことになるんじゃないか?」
「なんだか怖い」「……」
「もっと言えば、1919年のパリ講和会議で日本が提案した『人種差別撤廃案』をアメリカのウィルソン大統領が強引に否決したのも、日本を追い込むためだったのかもな? あれで日本は次の戦争の『覚悟』を決めたと思うぞ。その結果が大東亜戦争だ」
「……」
そのあたりで、3人とも飲み物を飲み終えた。
「さてと、そろそろ出るか」
「「はい」」
女給さんを呼んで、チップを加えて代金を払い店を出た。店に入る前には雲がそれなりに浮かんでいたが、店を出て見上げれば、秋空の日本晴れだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
この10月、日本窒素肥料の子会社朝鮮窒素肥料の興南工場の第1期工事が完成し、操業を開始している。化学肥料工場では水を電気分解して水素を得ているが、その電気分解した水の残液には重水が多く含まれている。
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