第48話 昭和4年5~10月
5月に入り、陸軍は三八式歩兵銃の銃身をニッケルクロムモリブデン鋼製に変えたうえで内側を窒化チタン蒸着させ、さらに銃床を竹繊維入り硬化ニトリルゴム製とした小銃を八九式歩兵銃として正式採用した。そして同じくニッケルクロムモリブデン鋼製の剣身に窒化チタン蒸着した銃剣を八九式銃剣、フェノール樹脂にニトリルゴムを添加して固めた薬莢を持つ歩兵銃用の6.5ミリ弾頭の実包を八九式実包として採用した。八九式実包だが、理研側の最初の提案では竹織布を使用して強度を高めたものだったが、工程が複雑であることと、竹織布を使わなくても十分な強度があったため、今の形として正式採用された経緯がある。
当時、陸軍での小銃弾の年間生産量は2億発から3億発と言われており、八九式実包は三八式実包の単価7銭に対し将来的に単価5銭で製造できる。1発当たり2銭の単価引き下げでも、2億発なら400万円に相当する。薬莢底は軟鉄に雷管をはめたものだが、なにより銅と亜鉛の合金である真鍮を使わない。もちろん八九式実包生産数量はまだ多くはないが、東京工廠において三八式実包の製造ラインが八九式実包の製造ラインに切り替えられつつある。
八九式歩兵銃と八九式銃剣はすでに完成していたものから5000丁と5000本が関東軍に送られた。さらにそのうちから、現在は連隊規模(3000名)にまで増強された北満州油田守備隊に定数送られている。また八九式実包も訓練用に優先的に関東軍に送られている。
なお、「維新よりこの方、歩兵は国の基ではないのか?」との枢密院会議において陛下のご下問がこういった動きを後押ししたと伝えられているが、真偽のほどはさだかではない。
ただ、北満州油田の存在により、陸軍国であるソ連が日本の主敵であることが明らかになり、陸軍に対する比重が高まったことは確かである。
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YHT貿易の業績は順調で、4月に仕入れて、オークションに出品したものの総売り上げは6500万円となった。そして、5月に仕入れたものの総売り上げは3500万円となった。見た目の売り上げは低下したが、仕入れ金額が3分の1程度だったので、大健闘と言える。
なんであれ、2カ月で1億円の売り上げを達成したことで、新円での資金は大きく膨らんでいる。これに加えて、理研への資材の購入は2カ月で約1500万円。旧円で5000円となり、旧円の資金もかなり余裕が出てきた。
伝票処理も堀口が表計算ソフトで作っており、こっちの方も「ほぼ」万全だ。
「先輩、会社に余裕が出てきましたね」
「そうだな。資金の余裕が出たことは素直にありがたい。だからといって仕事に余裕がないわけでもない」
「理想の職場ってとこですね」と、鶴井。
「だな。この調子でどんどん行こう!」
「はーい」「はい!」
どんどん行こうと言ったけど、仕事が増えるような職場でもないので、気持ちだけだ。
俺の方の宿題だった、第2次世界大戦で使用された武器の長短をまとめたものを大河内所長に手渡した。大学時代からある程度の資料は集めていたが、まとめ直したといったところ。おそらく、今回の日本ならどの兵器も自力で作れるだろう。もちろん核兵器もだ。
「兵器といえば戦車や、航空機、戦艦が注目されるわけですが、相手はソ連です。やはり歩兵が戦力の要だと思います」
「そうなんだろうな」
「歩兵用の制圧兵器、対戦車兵器があれば、いい線いくんじゃないでしょうか」
「ここに書いてある、歩兵用の制圧兵器が八九式重擲弾筒、対戦車兵器がドイツのパンツァーファウストとアメリカのバズーカか」
「パンツァーファウストは無反動砲でバズーカは弾自体が自噴して飛んでいきます。どちらもモンロー/ノイマン効果と呼ばれる金属ジェットと呼ばれる高温の金属蒸気で装甲に穴を空ける効果を利用した成形炸薬弾です。そこそこの威力の割に製造費用が低いことが魅力です」
「無反動砲とは?」
「薬莢の爆発力で飛ばすのは普通の大砲と同じなんですが、ガスを後ろに逃がして反動を相殺することで、駐退復座機構や砲架といった装置をなくした、ただの筒のようなものです」
「ガスを後ろに逃すと発射速度はかなり遅くなるのではないのかね? 後方は危険だろうし」
「後方については後ろを確実に確認して発射する。という対応が必須です。発射速度ですが成形炸薬弾にとっては、高速で命中してしまうと金属ジェットが発生する前に弾体がつぶれてしまうので、遅いことは逆に利点になっています」
「なるほど。それで八九式重擲弾筒はすでに正式採用されているわけだね」
「まだ採用されていないとしても、八九式と謳っていますから、遅くとも今年中に正式採用されるでしょう。小銃で相手の頭を下げさせ、上からの擲弾で敵を無力化させる。歩兵の基本のような兵器です」
「これは改造できるものなのかね?」
「これも材質をニッケルクロムモリブデン鋼に変えれば、軽くできますから、わずかかもしれませんが歩兵の負担が軽減できます」
「なるほど」
「どの弾もガスシールが銅製のなんですが、これを竹繊維を編み込んだ硬化ナイロンにすれば銅を使わずに済みます」
「ほう。これは東京工廠に提案してみてもよさそうだ」
「竹繊維を編み込んだフェノール樹脂、竹繊維を編み込んだナイロン、ナイロン繊維を編み込んだスチレン・ブタジエンゴムは救国素材と言ってもいいんじゃないでしょうか」
「『救国素材』か。いい響きだ。今度どこかで話をするときにその言葉を使わせてもらおう」
「あとは、誘導弾です。有線から無線誘導。そしてレーダーを利用した自己誘導の爆弾、ないし自噴して飛んでいく噴進弾。戦艦に対して、この成形炸薬弾頭を使えば、容易に戦艦の装甲を抜くことができます」
「それは恐ろしいな。戦艦の価値がなくなるってことだろ?」
「はい。そうなります。巨費を投じて建造した国の威信ともいうべき象徴が、数発の誘導弾で廃艦になってしまうでしょう」
ただ、成形炸薬のメタルジェットは細いので、艦全体を焼く力はない。そして、喫水線下を穿つわけでもないから沈めることはできない。その代わり、砲塔に命中すれば砲塔内は焼かれる。
「恐ろしい話だな」
「そういう意味でも、敵の戦意を削ぐことになります」
「逆に言えば、沈んでしまえば戦意を削がれる。戦艦は費用に対する効果は薄いというわけか」
「無用の長物以下かもしれません」
「これは厳しい。海軍の連中が聞けば怒りだしそうだな」
「事実ですから」
「海軍が主役になるとなると、航空機の比重が高まります。なぜかというと航空機の方が砲弾より遠くを攻撃できるからです。そして、戦艦といえども、攻撃力の高まった航空機の攻撃を受け続ければいずれ沈みます」
「戦艦が航空機によって撃沈されるのかね?」
「はい。ですから、戦艦側もそうされないために、対空火力を強化していきますが、限界があります。そう簡単に高速機動する航空機に砲弾が当たるわけはありませんから。事実、わたしの方の歴史では、大和、武蔵という排水量が満載で7万トンを超える巨艦がアメリカの艦載機によって沈められています」
「7万トンというのも大概だが、そんなものが沈んだのか。戦艦は航空機に対して無意味ということかね?」
「それを何とかしようとしてアメリカが開発したのが、以前説明したかもしれませんが、VT信管ないし近接信管と呼ばれた一種のレーダーを内蔵した信管です。こいつは対空砲弾に使用されたんですが、砲弾が電波を出しながら飛翔し、その電波の反射を拾っています。敵に砲弾が近づくにつれて電波の反射が大きくなっていくんですが、ある閾値を越えたところで砲弾が爆発して周囲に破片を撒き散らします。この破片によって敵が損傷を受けるわけです」
「なるほど。効果範囲が格段に広がるわけだ」
「はい。発砲にかかる強烈な加速度と遠心力に耐える真空管を含む回路が開発の肝になっています。アメリカがVT信管の実用化と量産にこぎつけるまでに消費した試験用の対空砲弾は、20万発を超えると言われています」
「まさにアメリカは大国だな」
「とはいえ、トランジスターがものになっていれば、そのあたりは容易に片付く問題と思います」
「うーん。重大だな」
「とにかく対ソ戦では戦艦の出番などありませんから」
「まあソ連はいいとして、何かのはずみでアメリカと事を構える時が来るかもしれないぞ」
「そのためのトランジスターですから」
「そうだったな」
「あと、竹織布をフェノール樹脂で固めた複合材の外板製航空機は電波の反射が限定的ですから、敵がVT信管付きの対空砲を撃ってきても、直撃ないし、本当に至近を通過しない限り信管は作動しないと思われます。もちろん対空レーダーにも反応は限定的です」
「意図せずしてそういった効果が得られたわけだな」
「はい。わたしの世界ではそれをステルス性能と呼んでいます」
「ステルスとは忍術のような意味だね?」
「はい。忍ぶとか、隠れるといった意味だったと思います」
「今思いついたんだがね。そのVT信管が発する電波をこっちから浴びせてやれば、自爆するんじゃないかね?」
「おっしゃる通りです。VT信管自体も進化して発する電波を細かく切り替えるようになっていったようですが、大戦中には間に合わなかったようです」
「なるほど。となると大型の航空機を編隊の後方に控えさせて強力な電波を浴びせれば、……」
「わたしの時代では、そういった電波を武器にした専門の電子戦機という航空機が飛んでいました」
「恐ろしい世界ではあるな」
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6月に入り、理化学興業の均土車工場が完成して均土車の製造が始まった。清水組(現・清水建設)、大倉組(現・大成建設)、鹿島組(現・鹿島建設)、大林組(現・大林組)、竹中工務店、間組(現・安藤ハザマ)、水野組(現・五洋建設)、西松組、錢高組(注1)といった土木建設会社などからすでに引き合いがあるそうだ。これらの土木建設会社は満州と朝鮮の間に流れる鴨緑江にダムを造る計画を視野に入れての動きと考えられる。もちろん軍からの引き合いもあるそうだ。
7月。理研合成の子会社で軍用長靴が出来上がった。そして、スペックを落として単価を下げたブーツが市場投入された。目論見通り野外で働く現場作業員たちに受け入れられたようで、早々に増産が決定された。そして、陸軍被服本廠からの照会を受け、軍用長靴を披露したところ好評で、とりあえず1万足の注文を受注した。サイズは10.3文(約24.7cm)、10.7文(約25.7cm)、11.0文(約26.4cm)の3種で順に4000、4000、2000足だった。
理研合成では航空機用の外板材として樹脂になじむよう化学処理した竹繊維を布に加工し、それを45度交差(バイアス積層)させたものを真空ポンプで脱気しながらニトリルゴムを添加したフェノール樹脂で固めた複合材の製造を始めた。これまでの一重の竹織布をフェノール樹脂で固めたものと比べ、竹繊維の布を45度傾けて2重にしたことで単純な引張だけでなくねじれにも強くなっているうえに、ニトリルゴムを添加したことで、靭性が高まり、振動や衝撃に対して割れにくくなっている。
この複合材を立川陸軍航空研究所および海軍航空廠に見本として送っている。また国内航空機メーカー、中島飛行機、三菱重工業、川崎造船所(後の川崎重工業)、川西航空機、愛知時計電機(後の愛知航空機)、石川島飛行機(後の立川飛行機)にも送っている。そして、この複合材を複数重ね合わせた航空機用桁材の提案も行っている。また、翼用主桁としてこの桁材を箱状に組んだものも提案している。
なお、史実では田中義一内閣が張作霖爆殺事件後の処理について陛下の逆鱗に触れ退陣したが、予想通り張作霖は健在のようで、そういった政変は起こっておらず、田中義一内閣は存続している。このことからも、史実での田中義一内閣の後を襲った浜口雄幸内閣による緊縮財政と世界恐慌下という最悪のタイミングで行なわれた金解禁はさらに遠のいたと言えるだろう。
8月に入り、理化学興業の半導体製造工場が完成した。それに前後して、ダイオードの生産ラインも完成している。
8月19日は世界周航中のドイツの巨大飛行船グラーフ・ツェッペリン号が、霞ヶ浦に到着する日だ。俺たちは、朝9時に穴をくぐり、快晴の下、浦和まで歩いていき、そこから汽車に乗って上野まで移動。そこから常磐線に乗って土浦駅まで行き、土浦駅からは、路面電車の「常南電気鉄道」に乗って霞ヶ浦海軍航空隊基地まで移動した。到着したのは午後2時だった。めずらしいことに土浦駅から基地までの道はコンクリート舗装されていた。
基地の中にはもちろん入れないので、道から眺めることになる。
道越しだったが、基地内には巨大な倉庫が建っていた。その倉庫の近くに飛行船が3機浮かんでいた。
あとで知ったのだが、その建物は倉庫ではなく第1次世界大戦での賠償品でドイツから移築した飛行船の倉庫で、浮かんでいた飛行船はツェッペリン号を格納庫に格納するため、急遽外に出したものだったようだ。
史実では午後6時25分にツェッペリン号は霞ヶ浦海軍航空隊基地に到着したそうだが、時間がだいぶある。基地周辺はすでに見物客でごった返していた。
「まいったな」
「早く来過ぎましたね」
「どうします? きっと史実通り到着するでしょうから、あと4時間ありますよ」
「そんなに暑くないことだけは救いだが、困ったな。街並みはあるから店はあるだろうけど、混んでそうだし。とりあえずちょっと回って、記念品でも売ってたら買っておこうぜ」
「そうですね」
そんな話をしている端からどんどん人が増えていく。
「これ、帰れますかね?」
「なんだか、まずそうだよな」
「世紀の大イベントだから見てみたいのは確かなんだけど、帰れなくなるのはいやだなー」
「最悪、野宿だしな。お土産を買ったら帰るか?」
「そうですね。鶴ちゃんそれでいい?」
「仕方ないです」
ということで、俺たちは土産物屋を探して、それっぽいものを購入し、3時過ぎに路面電車に乗って土浦駅まで帰って、そこから上野経由で浦和まで戻り、途中のうなぎ屋でうな重を食べて浦和高等学校まで戻った。
浦和高等学校までの道すがら。
「旅館を予約してなかったのが、まずかったな」
「ですね」
「そのうち、こういったイベントがあるようなら、早めに予約しましょう」
「ですね」
「ツェッペリン号の出発予定日は8月23日なんだけど、もう一度見に行ってみる?」
「どうせまた混んでますよ」
「だな。止めておこう」
こうして俺たちは世紀の飛行船ツェッペリン号をこの目で見ることはなくなった。ちなみに炎上したのはヒンデンブルグ号で、ツェッペリン号と比べてさらに大きく豪華だったようだ。
この月、大連においてスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア:SoCal(現シェブロン)の製油所の建設が2年後の操業開始を目指して始まっている。
9月に入り、早くも今年の5月に取得したニューカレドニアのニッケル鉱区での鉱山開発のためのインフラ整備が始まった。鉱山自体は露天掘りで「鉱石を削るだけ」で採掘できる。つまり、港までの搬出だけが問題で、そのための搬出路の建設がインフラ整備の大半を占めることになる。
注1:錢高組
「銭形平次」のモデル(ヒント)は、原作者の野村胡堂が窓から見えた錢高組の看板から着想を得たからだそうです。




