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技術立国日本  作者: 山口遊子


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第47話 昭和4年5月


 少なくとも気持ちだけは順調にわが社『YHT貿易』は滑り出した。


 わが社が4月中に出品したオークションはゴールデンウィーク初日に行われ、完売。手数料を引かれたあとに、わが社の口座に振り込まれた金額は4300万円を超えていた。もちろん稼ぎ頭は七宝だったが、オモチャが投資収益率という意味では断トツだった。仕入れ値10円で450万円を稼いだものまであった。


「思った以上に儲かってしまったな。税金として3割を見込んだとして1300万円。残りが3000万円。運転資金20万と俺の給料100万、堀口と鶴井の給料合わせて150万。270万を3000万から引くと、2730万円残るな。これを理研用に使えるわけだ」

「すごいことになりましたね。4月にオークションに出した商品はまだあるから、1カ月の売り上げはとんでもないことになりそう」

「そうだな。この調子だと、年末、ボーナスを出したほうがいいかもしれない。その前に、給料日は毎月10日で良さそうだな」

「そうですね」

「またまた、やる気が出てきましたね!」

「そうだな。そういえば、次の理研は5月4日の金曜だけど、二人は気にせず休んでくれていいからな。俺もあまり大きなものを持っていかないつもりだから」

「わたしは予定があるわけじゃないから、それくらい手伝いますよ」「わたしも」

「その代わり、理研が終わったら、個人的な買い物でもしようかな」「そうですね」

「それでもいいぞ。向こうの円を必要以上に貯めても仕方ないから、俺も買い物してもいいし」



 5月に入り、ゴールデンウィークも終わり、日常が戻ってきた。

 名刺も出来上がってきたが、使うところはほとんどなかった。今まで使ったのは、オークションハウスの担当者に渡しただけだ。この調子だと、名刺100枚が10年はもってしまう。


 理研精密では、真空管メーカーからのカソード部品への窒化チタン蒸着ニーズに対応するため、ラインを増設して対応している。また、ダイオードの量産体制に向けてこちらも工場を増設してラインを作っているところだ。ダイオードについては6月には販売できる見込みと大河内所長から聞いた。



 理研合成のニトリルゴム製シーリング材は、国内の機械用の非金属性シーリング材の90パーセントのシェアを誇っているそうだ。そして、輸出も順調に伸びているという。

 その理研合成では、スチレン・ブタジエンゴムタイヤをナイロン繊維で補強した新タイヤの販売を開始した。これまでの綿布による強化天然ゴムタイヤに比べ格段の耐久性を持つ。さらに理研合成ではコンベヤーベルトも売り出すことになった。スチレン・ブタジエンゴムタイヤは天然ゴムタイヤと違い寒冷地で硬くなることもないため、北満州での活躍が特に期待される。もちろんその先に控えるシベリアでも活躍が期待できる。


 また、ニトリルゴム製シーリング材にもナイロン繊維で補強したものの販売が始まった。機械的な強度が必要なシーリング材の場合、必然的にこれが選ばれることになる。



 日本政府であるが、将来のニッケルの使用増を見込んでカナダのインターナショナル・ニッケル(INCO)に出資し、その安定供給を受ける契約を結んだ。さらに、政府の支援の下、野村合名会社などが中心となり、カナダと同じくニッケル産地として知られるニューカレドニアの鉱区を取得し、鉱山開発を進めていくのだそうだ。幸田氏から聞いた話だが、これらは貴族院議員でもある大河内所長が政府などに強く働きかけた結果のようだ。


 ニッケルが安定供給されるなら、機械関係のあらゆる面で余裕が生まれる。



『YHT貿易』の理研への物資の輸出は、消耗品の補充が主になってきており、かなり安定してきたのだが、その分、金額ベースでは落ちてきた。つまり、新円は十二分な余裕があるものの、旧円が不足気味になってきた。こうなってくると、買い付ける商品がオモチャのような低額なものだけになってしまう。

 だからと言って、不要な高い物品を買い付けて理研に売りつけるわけにもいかない。


「さて、何を持っていけばいいと思う?」

「理研は順調ですものねー。ノートパソコンを持っていくとかですかね」

「あれも、ネットワーク環境がないから使いづらいよな」

「だからと言って、わたしたちじゃ、機器を持ち込んでも使えるようにできそうもないですし」

「だよな。あれって、何かあれば専門家がいないとどうしようもないしな。現代の食べ物も、高いものは天然物だろ? そんなもの向こうの人から見れば当たり前だものな」

「それはそうと、サービスで、ガムとか持ち込むのはどうでしょう?」

「ガムって、道に落ちたりしたら嫌なものだぞ」

「確かに」

「あとは、向こうの技術では手に入らない素材くらいですよね」

「とはいえ、俺たちが運び込める範囲だと、重量制限があるから、ものすごく希少なものじゃないと意味ないぞ。そういう素材って、今の向うじゃ使えないし」

「もしかして、わたしたちのビジネスモデルって、詰んだ?」

「今の消耗品の供給だけでも、月間数百円になるから、それを種銭にするだけで十分回るけどな」

「そういえば、社長が理研に持ち込んだ資料は技術的なものばかりですよね?」

「そうなんだが、他には堀口に作ってもらった資源地図と、俺が作った歴史年表がある」

「社長は、第二次世界大戦で日本を勝たせたい。悪くても負けさせない。というのが趣旨ですよね」

「そう。北満州から石油が出たことで、いい線いきそうと思ってるけどな」

「ついでですから、軍事的な情報も持っていったらどうでしょう?」

「軍事情報と言っても、アメリカ軍の動きとか分からないぞ」

「そっちじゃなくって、兵器関係はどうでしょう?」

「悪くはないんだけど、現代兵器はスペックが高すぎて全く模倣できないだろ? そもそも人工衛星が必須とかあるし」

「だから、現代兵器じゃなくって第二次世界大戦で活躍した兵器とかの情報なら役立つんじゃないですか。それに、役立たなかった兵器の情報だって貴重ですよ」

「それは言えるな。それが直接的な金になるとは思えないが、貴重な情報であることは間違いない。兵器については時間があるとき俺がまとめるよ。そういうのは楽しいからな」


「先輩、話は最初に戻りますが、結局どうします?」

「どうしようか? 何を理研に持っていくかとは、ちょっと違うが、理研の給料を会社の新円に替えることも一つの手だ」

「でもそれは最後の手段ですよね?」

「その通りだな。ただ、これからも理研と関連会社はどんどん大きくなるから、研究という意味だと電源装置の需要はあるだろう。あれ、結構高いし」

「あとは、デジタル顕微鏡を、理研だけでなく、北里研究所に売るのはどうでしょう?」

「理研に中に入ってもらって、売るのも手だな。当然電源装置も売れるし」

「培養セットなんかもニーズあるはずですしね」

「そうだな。バイオがらみの器材はけっこう売れるんじゃないか。次回大河内所長に話をしてみよう。それはそうと、ペニシリンもストレプトマイシンも物になったけど、もうないかな?」

「あとは、イソニアジドとリファンピシンかな?」

「なにそれ?」

「ストレプトマイシンは単独ではすぐに耐性菌ができる弱点があるんですよ。それを改善した特効薬?」

「となると、あまりインパクトはないな。とりあえずストレプトマイシンで治ればいいわけだし」

「そういう意味ではそうですね。あとは、キニーネかな。天然ものの抽出は簡単ですが、これが工業的に採算が合うレベルでの合成できるようになったのは確か21世紀に入ってからだったはずです」

「それだと、さすがにハードルが高すぎだな」

「ですよね」

「堀口さん、なんでそんなに詳しいんですか!?」

「大学で、ちょっとだけ勉強したから」

「わたしなんか、大学卒業してそんなに経っていませんが、大学でやってたことなんか全然覚えていませんよ」

「鶴井のような人間が普通だと思うぞ。俺もそうだったから。さすがは専務だ。俺の人を見る目は正しかった」

「山田先輩。わたしのこと、馬鹿にしてます?」

「するわけないだろ!」

「そうかなー」

「そうなら、堀口が専務なわけないだろ」

「そう言われれば?」

「そこを疑問に思うなよ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 北満州油田の石油採掘だが、ボーリング用ビットはすでに理研精密製の超硬ビットに置き換わっており、掘削速度は飛躍的に伸びている。そして、原油の生産量も生産井の増加に比例して伸びており、国内製油施設だけでは追いつかなくなってきた。大連の製油所では増築などを急いでいるが、それでも追いつきそうにない上に、国内の石油製品の需要の伸びも著しく、政府はやむなく、米企業スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア:SoCal(現シェブロン)の誘致を決めた。


 この動きには、石原莞爾が深く関わっている。彼は関東軍から三宅坂にある陸軍省に出張し、アメリカの企業を人質にとる戦略を陸軍内部を説得して回っていたのだ。すなわち、満州にアメリカが利権を持てば、簡単には手放せず、対日強硬策は政治的に難しくなる。将来的にアメリカと事を構えた時には敵性資産として接収すればいい。アメリカ企業とはいえ、製油所の労働者の大半は日本人であるため、接収時には技術も日本のものになっている。北満州の石油は無尽蔵に近い規模を誇っていることは確実だ。アメリカに多少儲けさせたところで安全保障から考えても安いものだ。それに製油所の建設には資材と労働力を提供する日本に金を落とさなければならない。また製油所が稼働した後の石油製品は日本企業が円で買うので、外貨の流出はなく日本政府の腹は痛まない。

 さらに石原は『満蒙の防衛のために抑止的緩衝地帯をシベリアおよび外蒙古(モンゴル)に求めていく。モンゴルにはニッケルが眠っていることはすでに分かっている。シベリアへの進出は当面控えるが、モンゴルに対して石油マネーと軍事力で揺さぶりをかけ、日本のシンパによる「緩衝国家」を乱立させる』と各方面に説いて回った。

 石油がなければ何も始まらない絵空事だが、現に石油が北満州で湧き出ている。石原の言は陸軍中枢の胸の中に沁み込んでいった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 昨年、海外留学からの帰国早々、大河内から渡された資料を読み込んだ仁科は、大まかな指針として、質量差がほとんどないウラン235と238を遠心分離機で分離するのは容易ではないと判断した。その代替として、より質量差の大きい重水を遠心分離機で採集し、その重水を使ってウラン235から飛び出す高速中性子を減速させて熱中性子に変え、さらに、その熱中性子をウラン238に衝突させて核転換させ、化学的に抽出が可能なプルトニウム239に変えてしまう方式を採用することにした。


 いずれにせよ、最大の関門は安定した電力が大量に必要なこと。現状ではその電力の当てが全くないところだ。それでも仁科は、重水用遠心分離機の設計、重水を減速材としてプルトニウムを製造する装置、資料によると『重水炉』の設計を始めた。仁科は大河内から渡された資料にも驚いたが、心底驚いたのは、ノートパソコン、プログラム電卓、CADなどという謎の利器の存在だ。謎は謎として、すぐにそういった利器に慣れてしまった仁科の設計作業は、驚くべき速さで進んでいった。



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