第43話 昭和4年1月
クリスマスパーティーをいつものようにサのつくファミレスで軽くこなした。今年からはお互い面倒なのでプレゼントの交換は止めようということにしていたので気が楽だ。
その代わり、忘年会は盛大に行った。もちろん俺がスポンサーだ。
そして、新しい年を迎えた。向こうの世界は1929年。世界恐慌の年だが理研は絶好調。
軍用ブーツの製造のため、理研合成は製靴会社を買収し子会社化している。6カ月後には新軍用ブーツの最初の1足が出来上がるだろうということだった。ただ、いきなり関東軍に送るのではなく、スペックを落として一般市場に投入しようという話になった。
今年最初の理研への出勤日は1月5日になる。
会社の方は、12月29日(土)から1月3日(木)までの6日間の休み。4日に一度出勤してまた休みだ。どうせ4日には仕事にならないんだから休みにすればいいものを。と俺が思おうが世界が変わるわけでもないので、愚痴らなかった。堀口なら愚痴るはずと思ったらつい笑いが込み上げてきた。
その正月休みの最終日、1月3日。前日電話があったのだが、堀口と鶴井が午前中うちにやって来た。もちろん振袖ではなく洋服だ。現在、二人はこたつに入って、みかんを食べている。そして俺は台所に立って、つまみの用意をしている。ただ、二人が駅で買ってきたという弁当を持ってきてくれたので、ポテチとかチーズとかハム、といった簡単なものを用意しただけだ。
「飲み物はビールでいいか?」
「なんでもいいですけど」「わたしもなんでもいいです」
「先輩のところには日本酒ないんですか?」
「あるよ。最初から日本酒飲みたいと言えばいいじゃないか?」
「なければ悪いじゃないですか」
「堀口でも気にするんだな」
「当たり前じゃないですか! 先輩はわたしを何だと思ってるんですか?」
「態度のでかい後輩」
「それってちょっと、失礼じゃないですか?」
「はいはい。というか最初から日本酒か?」
「やっぱり、ビールがいいかな」
「缶のままでいいか? それとも贅沢にグラスに注いでほしいか?」
「缶でいいです」「わたしも缶で」
「別に遠慮しないでいいんだぞ」
「遠慮じゃないです」「遠慮してませんから」
先に缶ビールを運んで、それからつまみを運び俺もこたつに入った。座布団といったしゃれたものはうちにはないので、みんなこたつ用のカーペットに座っている。
「それじゃあ、あらためて、『明けましておめでとうございます』」「「明けましておめでとうございます」」
「「かんぱーい!」」
缶ビールで乾杯してさっそく駅弁の包みを開けた。中身は幕の内だ。
「しかし、うちの会社、明日出勤させて意味ないでしょうに!」と予想通り堀口が吠えた。
鶴井は人間ができているようで、堀口の愚痴には付き合わずあいまいに笑っていた。
「先輩、そう思いません?」
俺に振るなよ。
「明日は仕事にはならないことは分かっているけれど、どうせ給料払ってるんだから、会社に呼んで社長の『ありがたい』新年の抱負とかを聞かせることでこの一年、社員が一丸となって仕事に邁進する。かもしれない。と偉い人たちは考えてるんじゃないか?」
「自分たちも平社員の時があったと思うけど、もう忘れてるってことですよね?」
「さあな。彼らは俺たちと違って社長のありがたいお話を聞いて、やる気を出したから今偉くなったんじゃないか?」
「その可能性がないとは言いませんが、出世って社内遊泳術7割って言いますよ」
「どこで取った統計かは知らないけれど、それはあり得るな」
「先輩は、今の会社に不満はないんですか?」
「そうだなー、そもそも期待してないから不満はないな。それに今の給料でも十分やっていけるわけだし。それに加えて、今は副業で稼いでるしな。そういう堀口は会社に不満がありそうだな?」
「そうですねー。なんだか、楽しくないんですよねー。わたしたち女子社員の中で浮いてるし」
「鶴井も浮いてるのか?」
「鶴井さんはわたしたちと同じ穴の狢と思われてるから」鶴井に代わって堀口が答えた。
「それは済まなかったな」
「先輩。いっそのこと会社辞めて、何か始めません?」
「辞めてまでしたいことがないだろ?」
「それはそうなんですけど。今やってる兼業をもう少し大々的にやってみるとか?」
「それも面白いと言えば面白いけれど、犯罪じゃないにしても、大っぴらにはできないぞ」
「そこなんですよねー。鶴井さんはどう思う?」
「わたしも今の会社で楽しいのか? って聞かれれば、うーん?」
「つまり、二人の直接の上司の俺が悪いってことだな?」
「そういう意味じゃないです」「全然違います」
「確かに、将来のことを考えれば、仕事は続けたほうがいいが、嫌な思いまでして続ける必要はないからな」
「嫌な思いってほどじゃないんですけど」
「でも、楽しくないんじゃな。いっそのこと、理研への資材運び込み専門で、これからはちゃんと対価を貰って、こっちとあっちで交易するか?」
「お客は理研だけですよね」
「仕組み上仕方ないだろうな」
「こっちの客は、今まで通り内外のオークションハウス?」
「その方がいいだろう。とにかく会社を辞めれば時間は自由だから、こっちでいつでも荷物を受け取れる。荷物の運搬はかなり効率的になる。明後日、向こうに行って大河内所長に相談してみるか?」
「そうですね。向こうからすれば、大賛成でしょうけど」
「その対価だけど、どういった形にする? 仕入値段を反映しないと赤字になるからな」
「例えば仕入値段が10万円だとして、それの対価で向こうで買えるものをこっちで売って10万円じゃないと赤字ですものね」
「逆に考えて、こっちで10万円で売れるものって向こうでいくらくらいのものだと思う?」
「物によるけど、感覚的には50円くらいかな?」
「特別なプレミアムが付かなくてもそこそこの値段で売れるのは工芸品だよな。そう考えると50円だと20万くらいで売れないか?」
「じゃあ、4000分の1?」
「それくらいでいいんじゃないか?」
「それだと、利益が出ませんよ」
「それもそうだな。それなら3000分の1にするか?」
「それでいいんじゃないですか? もうけ過ぎと思ったら、その時レートを変更すればいいだけだし。そもそも向こうにとっては唯一無二なものだし」
「でも、そうなると俺たちは理研から見れば業者だから給料はもらえないよな」
「仕方ないですね」「そうですね」
「じゃあ、話をした時、それも言っておこう。こんなところかな。あと考えておくことってあるかな?」
「うーん。そのうち思いつくかもしれないけど、明後日に必要なことはこれくらいじゃないですか?」
「そうだな。それじゃあ3月一杯で辞めるつもりで整理していくか?」
「はい」「……」
「鶴井は、俺たちに付き合う必要はないんだからな?」
「いえ、わたしもついて行きます」
「それでいいのか?」
「はい」
自分の将来をそう簡単に決めていいものかと思ったのだが、実際問題、俺の個人資産は既にサラリーマンの生涯年収の3人分くらいある。つまり、何かの加減で躓いたとしてもこの二人の面倒を見られないわけでもない。それにこの二人だってそこらのサラリーマンなどより、よほど現金を持っているはずだ。つまりモーマンタイでケンチョナヨ、ナンクルナイサーだ。そしてレットイットビーでケセラセラだ。
弁当を食べ終わり、日本酒の4合瓶を冷蔵庫から取り出して、二人のグラスに注ぎ、自分のグラスに注いだ。
「先輩、いつもこんないいお酒飲んでるんですか?」
「正月用と思って買っただけで、普段はそこまで高い酒は買っていない」
「お金持ちでも、締めるところは締めているって、さすがは先輩」
それからしばらく雑談しながら飲み食いして午後になった。
「ここで飲んでてもいいけれど、せっかくだから大宮の氷川神社に初詣に行かないか?」
「それじゃあ行きましょうか」「行きましょう!」
そういうことで、軽く部屋の中を3人で片付けてから支度をしてうちを出たのだが、結構出来上がってしまっていた堀口が、このまま大宮まで行って人ごみの中に入っていく元気がないと駅まで行ったとき言いだしたので、鶴井に堀口を任せて、そこで別れた。俺もどうしても初詣に行きたいわけではなかったのでそのままうちに帰って、飲み食いしたうちの中を片付け、それから夕方まで一寝入りした。
翌日。仕事始め。会社に出勤して、適当に新年の挨拶をしていたら、そのうち社長のありがたいお話が社内放送で始まったので、ちゃんと拝聴してそれから仕事に取り掛かった。鶴井は俺と同じくらいに出勤していたが、堀口が出勤してきたのは、社長のお話が終わってからだった。ただ、そういった社員は堀口だけでなく、他の女子社員も似たようなものだった。うちの女子社員たちは経営に不満があるのかもしれない。
その日の昼休み、堀口と鶴井を連れて外飯に出た。行った先は鉄板焼き屋で頼んだのは3人とも辛いカレーだ(注1)。
「辛いけどなぜかおいしい。不思議ですよね」「不思議です」
「これって、真似できそうにないものな」
「そうですね」「これって、向うだと受けるでしょうか?」
「辛すぎて、受けないかもな」
「ですよね」
「でも、巷にある何倍カレーなんかは辛いだけだけど、これ違いますものね」
「そうだな。そういえばあのチェーンのカレーってトッピングしないと見た目何も入ってないだろ? それでトッピングしたら結構高いものになる。だったら、こっちの方が何倍もいいよな」
「ですよね」「そうですね」
辛い辛いと言いながらライスをお代わりして完食し、会社に戻っていった。
午後からは適当に流して、その日はほとんどの社員が定時にあがって、俺も定時に席を立った。
今日は理研での仕事始め(1929/1/5、皇紀2589年)。この日の持参予定はノートパソコンとプリンター、そして電源装置。
荷物を理研のトラックに載せ終えて、理研への道すがら、堀口と鶴井に会社を本当に辞めていいのか確認した。二人とも大きく頷いた。
「分かった」
昨年同様本館の玄関前に立派な門松が飾ってあった。
そこから所長室まで歩いていき新年の挨拶をした。そのあと、会社を3月一杯で辞めて、理研に物資を運ぶことを専業にしようと考えていることを大河内所長に話した。
「こちらとすれば、願ってもないことだが、君たちはそれで生活できるのかね?」
「それでお願いなんですが、4月からは、わたしたちが持ち込むものを買い取っていただけないかと思っています。その代金を使って、こちらのものを購入し、向こうで売りさばいて収益を得ようと考えています」
「なるほど」
「それで、買い取っていただく代金ですが、向こうで購入した代金の3000分の1のこちらの円でお願いできればと思っています。向こうで30万円のものなら、こちらだと100円ということになります。今日運んでいるノートパソコンが20万円ちょっとですから、70円くらいということになります」
「かなり安いようだが、それでいいのかね?」
「十分です。それと、そういうわけですから、われわれは業者という形になりますので、4月以降の給料はいただけません」
「君たちに支払っている給料は、わずかだが君たちを繋ぎとめるためのものだから気にせず貰っておいてくれればいいんだよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「うむ。それじゃあ当面それでやっていこうじゃないか。もし足りないようなら、いつでも言ってくれたまえ」
「はい。よろしくお願いします」
「あとで経理に話しておくから大丈夫だ」
「わたしたちも商売を始めるわけですから、重さ、大きさ制限は今まで通りですが必要と思われるものがあればどんどんおっしゃってください」
「了解した」
とうとう、一歩を踏み出してしまった。あの穴が見えた時からこれは決まっていたのだろう。
来週から少しずつ会社の仕事を整理していこう。うちの会社は確か2カ月ノーティスだったはずだから早めに退職願を出して、適当なところから有休消化だ!
理研を後にして、俺たちは寄り道せず北浦和まで帰ってきた。そして、駅前の洋菓子屋の2階にある喫茶店に入って、今後のことを話し合うことにした。
「これからの仕事が、ここと、向こうになるわけだから、近くに事務所を借りたほうがいいだろ?」
「そうですよね。荷物置き場も必要だし、荷物の受け取りも必要ですし」
「わたしは、この近くに引っ越そうと思います。このあたり住みやすそうだし」と鶴井。
「それじゃあ、わたしも引っ越そうかな。鶴井さん、わたしとルームシェアしない?」
「いいですよ」
「いい場所探そうね」「はい」
「先輩の住んでるところって空き部屋ありそうだけど、どうかな?」
「あるんじゃないかな、まだ。でも独身者用のマンションだから二人で住むにはちょっと狭いんじゃないか?」
「確かに」
「荷物の出し入れは事務所になるから、事務所はなるべく穴に近い方がいいだろ。うちのマンションに空き部屋があったら事務所用に確保したほうがいいと思う」
「それもそうですね」
注1:
わたしの想定しているお店は現在再開発に引っかかって、休業中だそうです。
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