第38話 昭和3年5~6月
一方、こちらは当の陸軍東京工廠。電気製鋼所からのニッケルクロムモリブデン鋼の製造販売開始を受けて、工廠内で銃身への加工を模索していたが、従来の切削工具では文字通り刃が立たず、銃身への加工については半ば諦めていた。4月中旬、大河内理科学研究所所長から、理化学興業でニッケルクロムモリブデン鋼を銃身に加工可能な工具を作れるという話が舞い込んだ。工廠側は若干複雑な面持ちだったが、なにせ相手は子爵の貴族院議員であり、日本の技術の最高研究機関のトップである。工廠側は断るわけにもいかず、大河内に銃身加工用工具の精密図面を付けて試作を依頼することになった。大河内からは真鍮を使わない銃弾を開発中であるので、その試験も行ってほしいと依頼があった。工廠側は断るわけにもいかず承諾している。
さらに大河内は銃剣について、
「ニッケルクロムモリブデン鋼に特殊加工した銃剣を考えてみたんですが、試作をそのうち持ってまいりますから、こちらで使ってみていただけませんか?」
「ほう。銃剣ですか」
「はい。従来のものより抜群の切れ味の銃剣になると思います」
「とりあえず、試作品を見せていただいて、試験をしてみましょう」
「よろしくお願いします」
そして5月中旬。理研から、窒化チタン蒸着により金色に輝く銃身用の切削工具と同じく金色に輝く銃剣、そして、三八式歩兵銃用の実包(三八年式実包)と同型の20発の実包が理研の担当者たちによって運び込まれた。理研側ではこの実包のことをバンブー弾ないしBB弾と呼んだ。
工廠側ではさっそく切削工具の試験を行ったところ、ニッケルクロムモリブデン鋼の丸棒も問題なく芯抜きでき、ライフリングも行えた。工員たちは刃物の切れ味に感嘆の声を上げた。もちろんその他の鋼材の加工も容易だった。
銃剣については、警備兵を使って土嚢、材木に切りつけたところ、面白いように突き刺さり、刃こぼれせず、簡単に抜くことができ高評価だった。さらに、金色に輝いているところも威圧感があるという評価に繋がり、初回として単価10円で200本が発注されることになった。通常の銃剣の製造単価が1本3円弱なので、3倍強の価格ということになる。発注本数が少ないのは、予算化されていなかったためで、来年度以降年間2万本程度は発注できるだろうとのことだった。また、最初の納入分の200本については関東軍に送られるだろうとのことだった。
BB弾の試験も良好で、連続発射しても銃身の焼き付きなどもなく排莢も円滑。最大射程、有効射程とも従来の銃弾と変わらなかった。
「竹とリケン66の薬莢。石油さえあればいくらでも作れるというのがありがたいですが、量産は可能なんでしょうか?」
「量産用の製造装置を現在開発中です」
「こちらは、その製造装置を工廠で買い取る形でよろしいですよね?」
「はい。われわれでは大量の火薬類を扱えませんので、製造装置は買い取っていただき、こちらは材料の提供という形を考えています」
「了解です」
「それで竹繊維をニトリルゴムで固めた素材があるのですが、小銃の銃床にいかがでしょうか? 従来のクルミ材などに比べ重さは半分程度になると思われます。さらに銃剣の持ち手と同じ硬化ゴムですから、手になじみます」
「分かりました。それも試作品ができればお願します」
「はい」
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ゴールデンウィーク期間。
とりたてて予定はなかったが、ゴールデンウィーク前半の休みのうち1日使って3人で『軽く』トレード用の品物を見て回り、『軽く』購入してオークションの手続きをしておいた。
ゴールデンウイーク後半。5月に入って最初の土曜日。1928/5/5
この日は堀口と鶴井とも都合がつかなかったため理研に行ったのは俺だけだ。
この日理研に持ち込んだのは、1キロのチタンインゴット120枚。戦車の装甲や軍刀などに窒化チタン蒸着を施すとなると、ビットへの蒸着の比ではなく、それなりのチタンが必要になるだろうという判断だ。
この日、大河内所長から、竹繊維製の銃弾と窒化チタン蒸着処理した工具、そして銃剣を陸軍に売り込んできたと聞いた。来週は担当者数名を連れて大阪の陸軍大阪工廠に出張し、チタン蒸着超硬工具を売り込み、ついでに大阪工廠で製造中といわれている戦車を見学してくるそうだ。
「山田君、戦車の話が出たついでなんだが、うちで試作中の均土車に装甲板を試験的に取り付けてみようと思うんだがどう思う?」
「装甲板を取り付けてから均土車を動かして、装甲板の安定性とか換装性とかを確かめることは大切なんじゃないですか? それに、均土車を車台にすれば、砲塔付きの戦車となると面倒でも、砲を固定して車体の向きだけで砲の向きを変える戦車を作るのは難しくないでしょうし」
「砲を固定して車体の向きだけで砲の向きを変える戦車とは?」
「砲塔を作るのが面倒という理由で、わたしの世界のドイツが次の大戦中に作ったんです。砲塔がない分構造が簡単になる上投影面積が小さくって、砲塔がなくても心配するほど砲の発砲に支障はなかったそうです。名称は確か突撃砲。ほかには、砲を車台にほぼむき出しに積んで自走させる自走砲という兵器もありました」
「ほう。突撃砲に自走砲か」
「何であれ、車台とエンジンに余裕があれば、上物を自由に変更できますから」
「なるほど。つまり車台の設計時余裕を持たせることが肝要ということだな」
「その通りですが、あまり余裕があっても無駄が出るので、そのあたりは割り切る必要があると思います」
均土車のエンジンは現状、スミダ(石川島自動車)から購入したガソリンエンジンで、シリンダー関係を理研の工作部で製造した「本物」に換装したものだ。
形式:水冷直列6気筒
排気量: 4500シーシー
出力:60馬力。
このブルドーザーを使って、排土板の油圧系統のチェック、キャタピラの耐久性、サスペンションの耐久性など実地データをとる。そういう意味では、これからの無限軌道車両の基本になる。
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史実ではこの年の10月に石原莞爾は関東軍作戦主任参謀として満洲へ赴任したのだが、本人の強い希望でこの5月に陸軍大学校から関東軍の参謀として満洲へ赴任した。陸軍大学の離任と同時に石原は少佐から中佐に進級、関東軍では作戦主任参謀の任についている。
石原は満洲着任と同時に、張作霖が率いる奉天軍について参謀たちから聞き取り調査した。事前の予想通り張作霖本人はただの軍閥の親玉で、良くも悪くも御しやすい人物であると石原は判断した。また彼の持つ官僚団、いわゆる奉天文治派も評価できるものがあった。しかし張作霖の息子の張学良と彼の一派である若手軍人たちは野心家であり、外国勢力の排除、中国の自立を掲げて奉天軍内で勢力を伸ばしつつあった。このまま張学良が勢力を伸ばした場合、父親を押しのけ奉天軍の実権を握り反日に走る恐れがある。かといって武力で排除するわけにもいかない。そこで石原は約3個師団(注1)を有する関東軍から張作霖に対して、張学良の日本への海外留学、具体的には陸軍大学校付の特別参観を勧めることを提案した。
関東軍司令官、村岡長太郎陸軍中将はこれまで奉天軍に対する強硬案、すなわち張作霖の武力排除なども勘案していたが、石原の案を受け入れ、参謀本部の了解を取ったうえで、張作霖と面会し、張学良の海外留学を強く勧めた。このとき張学良は27歳である。
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6月に入った。史実では張作霖が爆殺される満州某重大事件が発生するはずなんだが、この日本ではどうなるだろうか? その後を知っている俺からすれば張作霖を爆殺する必要はなかったと思うのだが。史実では6月4日に事件が発生し、当日の夕刊、翌日の朝刊に「張作霖氏の列車爆破」「張氏の遭難」といった見出しが躍ったらしい。
期待でもないが、6月の第2土曜日、6月9日に大河内所長にそのことを聞いてみたところ、
「君の歴史年表にあったが、今のところ、そういった事件は新聞にもラヂオにも流れていないようだ」
史実でもすぐに報道管制が敷かれ、満州某重大事件として発表されるのは12月に入ってからだったはずだ。だから、事件が起こらなかったとは今のところ言えないのだが、俺の見立てでは今の関東軍から見て、奉天軍は脅威じゃないからそこまでの必要ないんだよな。それに、今は北満油田もある。ことを荒立たせる必要はないというより、悪手だろう。
「そうなんですね。歴史はだいぶズレてきましたね」
「わたしにはその感覚はもちろんないが、そのようだな。そうそう、竹繊維をニトリルゴムで固めた小銃用の銃床なんだが、これも陸軍に採用されたよ」
「よかったです」
「クルミ材より安くできるし、何より軽い。使わないという選択肢はないからな。それと、航空機用外板なんだが、いろいろ試したところ、竹繊維の織布をニトリルゴムを少量添加したフェノール樹脂、ベークライトだな。これで固めたものが、強度と粘りがあって適しているようだ」
「うまくいけば、アルミの使用量は激減ですね」
「そうだろうな。それで、航空機のエンジンなんだが、いずれ機械式過給機、排気式過給機が出来上がるとすると、馬力が上がるだろ?」
「そう思います」
「馬力を生かして、操縦席周りに装甲板を張ればいいんじゃないかと思うんだ」
「それはいい考えだと思います」
「2ミリから3ミリのニッケルクロムモリブデン鋼板に10ミリの竹繊維を硬化ニトリルゴムで固めた板を張れば敵の銃弾を弾けるだろ?」
「わたしの方の史実では、防弾がなく多くの熟練パイロットが命を落としていますから、ぜひ装甲板を取り付けてください」
「軍との交渉次第だが、頑張ってみるよ」
「プロペラまで金属じゃなくなったら、電波探知機にほとんど映らなくなりますね」
「それを確かめるためにも、真空管でいいから電波探知機をそろそろ試作しないとな」
「そうですね」
「まずは航空用かな」
「航空機の警戒用。次が艦船の捜索用。そして艦砲の照準用」
「技術というものは、少しずつ進むしかないが、今はその少しがきみたちのおかげで大股だからたまらないよ。アッハッハッハ」
大河内所長はいつも機嫌がいい。いいことだ。
「うちで作った切削工具を使って陸軍の東京工廠でニッケルクロムモリブデン鋼を銃身にした歩兵銃を試作して試験したそうだ。銃床はまだクルミ材なのだそうだが、軽くなって使い勝手が良いそうだ。新しい銃床になればさらに軽くなる。軽すぎるのも問題があるかもしれないが、慣れればいいだけだ。戦場での兵隊の仕事は移動が9割だ。軽くなった分、実包を持てばいいだろう」
「そこまでやったのなら、ライフルとか薬室にも窒化チタン処理してもいいかもしれませんね」
「それもそうだな。今度東京工廠に行って提案してみるか」
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均土車の試験は順調のようで、油圧ポンプと油圧シリンダーは力強く排土板を地面に押し付けている。一応の完成形を見た理研では、1号機に枠組みを追加して瓦式装甲板を取り付けて走行試験も行ったようだ。さらにデッドウェイトとして5トンのコンクリートを載せて走行させてみたが足回りに問題は起きなかったそうだ。
装甲板が瓦というよりうろこ状に配置されていたので、印象的だったと大河内所長が言っていた。ただ、ニッケルは限りある資源なので、量産にあたっては、2ミリのニッケルクロムモリブデン鋼板の裏側に、竹繊維をニトリルゴムを浸潤させ加硫して固めた10ミリ板、その次に10ミリのクロムモリブデン鋼板、最後に竹繊維をリケン66(ナイロン)で固めた10ミリ板の4層合計厚さ32ミリの複合装甲板とする方向だそうだ。窒化チタン蒸着だが、銃弾で試験したところ衝撃に弱く、簡単に割れてしまったようで、わざわざ装甲に窒化チタン蒸着は施さないことに落ち着いたようだ。
リケン66を竹繊維に直接浸潤させることはナイロンの融点が竹繊維の熱分解点より若干高いため断念し、リケン66の素材であるアジピン酸に竹繊維を浸潤させた後ヘキサメチレンジアミンを重合反応させて硬化したとのことだった。浸潤過程において全て真空ポンプによる抜気が行われているのだが、真空ポンプの性能がニトリルゴムのおかげで飛躍的に増大していなければうまくいかなかったはずだと大河内所長が言っていた。
ただ、現状、こういった装甲板は過剰装甲なのは確かなので、ニーズが高まったところで陸軍に提案するとのことだった。相手が蒋介石の国民党軍なら完全にオーバースペックだし、ソ連軍もまともな戦車を作るようになるのはまだまだ先だ。九五式軽戦車なり九七式中戦車が登場するあたりでも十分だろう。
注1:
当時日本陸軍1個師団は奉天軍10個師団に相当すると言われていた。




