第35話 昭和3年4月
翌週の土曜日(1928/4/21)。
この日の理研へのお届け物は消耗品だ。段ボール箱に入って届けられた消耗品は、中身を確認した後、ガムテープで封をしている。
この日は穴を抜けた先は抜けるような快晴だった。
今までにも段ボール箱で何度も荷物を届けているし、段ボール自身はすでに日本で発売されていたようだったが、大河内所長に説明するとき実物があったほうがいいと思って、段ボールを少し切ってカバンに入れておいた。
「今日は消耗品を持ってきたんですが、提案があります」
「どういった提案かね?」
「アルミなんですが、日本にはアルミの原料のアルミナの鉱山はありませんし満州にもないので、どうしても輸入に頼ることになります」
「そうだな」
「将来、もし何かのはずみでアルミナの輸入が途絶えた場合、航空機の生産に支障が出ます。わたしの方の歴史から言って、将来の戦争の帰趨を決めるのは航空機、特に戦闘機の性能によるものと考えます」
「うむ」
「なぜなら、将来戦場において敵を粉砕するのは、大砲ではなく航空機、つまり爆撃機になるからです」
「そうなるかどうかは、わたしでは分からないが、歴史を知る君が言うならおそらくそうなのだろう。続けたまえ」
「その爆撃機ですが、爆撃機が爆撃を行うためには自由に敵上空に侵入する必要があります」
「それはわたしでも分かる」
「爆撃機が飛んでくれば、守る方は戦闘機を上げてこれを迎え撃ちます」
「そうだろう」
「そうなった場合、爆撃機が丸腰では戦闘機に食われてしまってお終いですから、爆撃側は敵の戦闘機を排除するための味方の戦闘機を伴います」
「うん」
「ここで戦闘機同士の航空戦が始まるわけですが、その勝敗が爆撃機の投弾にそのまま影響します。守るほうが勝てば爆撃機は投弾できずに逃げ帰るしかありません」
「そういうことか」
「すこしでも高性能の戦闘機を作り上げることが、戦争を有利に進めるために必要なわけです」
「うん。そこまでは理解できた」
「わたしの方の歴史では、イギリスが木材と接着剤で木製の爆撃機を作ったんですが戦闘機並みの高速でとらえにくかったそうです。これは機体自体が軽いうえ、翼や機体表面がツルツルで空気抵抗が少なかったためと言われています」
「ほう」
「その接着剤で固めた木板の強度は、同じ重さのジュラルミンとそん色はなかったそうです」
「それならイギリスは飛行機を全部木製にしたのかね?」
「いえ、それ用の木材が底を突いたことで、そこまでは普及せず、その爆撃機一機種だったようです」
「つまり、君の提案は、合成樹脂を使った接着剤を作ってジュラルミン並みの板を作ろうということだね?」
「はい。ただ、木ではなく、竹を使えばいいんじゃないかと考えています。竹ならほぼ無尽蔵ですから」
「それはあるな」
「竹の繊維を使って布状に編み上げ、それを樹脂で固めればかなりの強度の物ができるのではないかと思います」
「ただ繊維を使うのではなく編むところが斬新だな。編めば繊維が断裂することなく周囲の樹脂の変形に合わせて伸び縮みするだろうから靭性が高まるか」
「はい。さらに、その板を使って、段ボールのような板を作ります。ご存じと思いますが、これが段ボールです」
そう言ってカバンの中から段ボールの板を取り出した。
「真ん中に波打つ紙を挟んだ3枚の紙からできています。この波打ち構造のおかげでかなりの強度を持つようになります」
「確かに。1枚1枚を竹の繊維を編み込んだ薄板で作るわけだな」
「はい。航空機だけでなく、小型船舶の船体にも使えると思います」
「面白そうだな。考えてみようじゃないか」
「波の方向を直角に交差するよう段ボールを二重にすれば、さらに強度が増し、本当に力がかかる部分でも使用できるでしょうし、骨組みも不要になるかもしれません。それなりの使い出があると思います」
「なるほどな」
「それで、もう一点あるんです」
「何かね?」
「小銃弾の薬莢にこの竹の繊維を編み込んだ薄板が使えないでしょうか?」
「ほう。薬莢は真鍮製だからそれなりに高価なので、戦場においてさえ回収することになっていると聞いたことがある。この薬莢に不具合がなく、安価にできるなら、そんな面倒なことは不要になるだろう。それに竹と合成樹脂ならさすがに真鍮より軽いだろう。砲弾の薬莢は難しいかもしれないがそれも考えておくよ」
話し終わったところで、所長室を出て、玄関に回ってトラックが到着するのを待った。この日もそれほど待つことなくトラックが到着して、手分けして玄関の中に入れておいた。
その日は20日を過ぎていたので、経理に行って4月の給料をもらってきた。
俺の給料はまた50円上がって350円だった。金額は聞かなかったが堀口も鶴井も昇給してたそうだ。物価もかなり上がっているそうだから、ありがたい。ただ、俺たちの場合は、生活に使っているわけじゃないので、給料に対する切実さはない。
理研の門を出て、駒込駅に向かって歩きながら、
「今日はどうする? どこか行きたいところある?」
「今日は天気がいいから、ちょっと遠出してみませんか?」と堀口。
「どこでもいいけど、春の海でも見てみません?」
「となると東京港?」
「横浜はどうかな?」
「悪くないな。駒込から山手線で東京まで出て、駅弁を買って、一等車で横浜まで行ってみるか?」
「それくらいだったら、熱海に行ってみませんか?」
「行くのはいいけど、せっかく行くなら、一泊くらいしたいぞ」
「それもそうかも。そうなると旅行の準備もあるから、来週にしましょう。鶴井さんは大丈夫?」
「もちろん大丈夫です」
「そしたら旅館の予約だな」
「飛び込みじゃダメかな?」
「なんとかなると思う。熱海なら旅館はたくさんあるから」
「ですよね」
「週末だけど大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫」
「そうと決まれば、浦和に帰って俺はちょっと旅行の用意でもしておくかな」
「食事はどうします?」
「二人が良ければ、こっちの浦和でもいいし、俺のうちの近くのどこかでもいい」
「いつものファミレスにします?」
「俺はどこでもいいんだ」
「じゃあ、あそこにしましょう」
「ああ」
駒込駅から、山手線に乗って池袋に出て、乗り換えて赤羽に。そこから東北線の汽車に乗り換えて浦和に帰ってきた。
浦和からゆっくり歩いて浦和高等学校の正門まで戻って穴を抜けた。
そのままサの付くファミレスに入って、昼食を摂った。
なんだかのどが渇いていたので、瓶ビールを頼んだ。もちろん女子二人の前にもグラスが置かれたので、二人に注いだ後、俺のグラスにビールを注いでから乾杯。つまみはチョリソーと鶏のから揚げを頼んだ。なんだか、飲み会のような感じになってきたので、それからつまみばかり頼み、ビールをお代わりしていたらそれだけで腹いっぱいになってしまった。
結局午後4時ごろまで飲んでしまって、二人を駅まで送ってそこで別れた。俺はそのまま家に帰って、その日は旅行の支度はしなかった。
翌日の日曜日。
午前中は洗濯とクリーニング。それからスーパーへ買い物。スーパーではいつもの冷蔵庫の補充物資の他、100年前の熱海じゃアメニティは期待できないので、歯磨きセットを買っておいた。ついでに、汽車の中で飲み食いできるよう、つまみと缶ビールを買っておいた。小学生の遠足みたいなものだ。着替えなどの他、それらをスポーツバッグに詰めておいた。ビールだけは冷蔵庫で冷やしている。汽車に乗り込むころには温くなっていそうだが、そこは目をつむるしかない。
次に理研に持っていく品物をネットで注文してその日の作業は終了した。
週が明けて会社の食堂で、堀口と鶴井に、
「向こうの旅館に泊まるとき宿帳があるかもしれないから、理研で用意してくれた住所を書けるようにメモとか持って行ってくれ」
「さすがは先輩。よく気が付く」
「わたしは思いつきもしませんでした」
「俺もたまたま思いついただけだから」
そして翌週の土曜日(1928/4/28)。この日の荷物のメインは、理化学興業でのニッケルクロムモリブデン鋼の精密加工ニーズが高まり、ラインを増設するとのことだったので、超硬ビットと赤外線放射温度計と装置の温度分布を調べるための小型のサーモグラフィを各5台。
ニッケルクロムモリブデン鋼への窒化チタンの蒸着には成功しているが、タングステンカーバイド特有の問題で、タングステンカーバイドビットへのチタン(窒化チタン)の蒸着はまだできていない。それができるようになれば、超硬ビットの供給は卒業してチタンインゴットの供給だけで済む。
キャリーカートに超硬ビットと温度計の入った箱を載せ、その上に旅行用のスポーツバッグを載せて公園に向かった。
公園前では堀口と鶴井がそれぞれ小型の旅行用カートと一緒に立っていた。
穴を抜けて荷物をトラックに積み込み、浦和駅に向かった。天気は晴れ間のある曇り空。雨は降りそうにない。
理研に到着して、大河内所長に挨拶して1週間の出来事などを聞き、玄関に出てトラックの到着を待った。やって来たトラックから荷物を下ろし、あとのことは幸田さんに頼んで俺たちは荷物を持って駒込駅に向かった。俺も、俺の荷物はキャリーカートに載せてしまったので、3人とも荷物をゴロゴロさせての移動である。転圧されているといっても砂利道なので結構歩きづらい。
駒込駅の窓口で「東京経由、熱海まで、急行の一等、3人」と言ったら「一人7円30銭で3人で21円90銭ですと言われたので、10円札2枚と、5円札を出して、切符とお釣りの3円10銭を2円札と1円札と10銭硬貨で受け取った。
上野周りの山手線に乗り込んで、東京駅まで行き、そこで東海道線のホームまで移動して熱海に行く急行がやってくるのを待つ間に駅弁を買っておいた。お茶も買った。お茶は陶器の入れ物に入っていた。このお茶の容器も現代に持って帰れば、なにがしかの値段で売れるはずだ。
1等車の入り口前にはそれほど人が並んでおらず、東京駅始発なので問題なく座れるはずだ。
「この時代、指定席ってなかったんですね」
「ああいうのってかなり面倒だから、コンピューターがないと無理なんじゃないか?」
「そう言われればそうですよね」
「確か新幹線ができたのは最初の東京オリンピックの開かれた1964年だったはずだ。新幹線は座席予約できたはずだから、1928年の今から36年後にはコンピューターが普及してたわけだろうからすごいよな(注1)」
「コンピューターもそうだけど、焼け野が原だった日本が戦後20年も経たず新幹線ってすごくないですか?」
「つまり、敗戦はしたが技術は残ってたってことじゃないか? 今度はそんなことにならないと思うけどな」
「そうですね」
そんな話をしているうちに、列車がやって来た。一等の客車は他の車両と区別するよう白いラインが引かれている。二等車の場合は青で三等は赤だ。ちなみに二等車と言っているが、現代のグリーン車に相当するそうだ。
一等車の入り口にはボーイが立っていて俺たちの荷物を持ってくれて空いた座席まで案内してくれ、座席の上の荷物棚に荷物を入れてくれた。
ボーイがその場でじっと立っているので、慌ててポケットから50銭硬貨を取り出し、
「裸で悪いけども」と言ってボーイに手渡したら、御用があれば、こちらのベルをお鳴らし下さい」と言って前の方に帰っていった。
それで3人並んで席に着いた。
俺たちの車両の先の車両は最後尾で、展望車だったが、途中に二人掛けの座席が向かい合って真ん中にテーブルが付いた個室風の席があったのでそこを占有することにした。
先ほど買った弁当とお茶をテーブルの上に置き、荷物の中からつまみとビールを取り出していたら汽車が動きだした。
熱海までの停車駅は横浜、国府津、小田原の3駅だけ。2時間20分ほどで終点の熱海に到着予定だ。2時間20分は現代では東京-大阪間の時間に相当する。
もし熱海行に乗った場合、名古屋方面に行きたいなら、国府津駅で乗り換える必要がある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは理研のとある研究室。
チャーシュースライサーの完成から、チャーシューを冷凍乾燥するところまでこぎつけることができた。
第一段階として、粉末スープをアルミ蒸着したフィルムで作った小袋に入れて圧着してそれっぽいスープ袋が完成した。自動化を見越して、理研の工作部と共同で試行錯誤の末に粉末スープの自動袋詰め機械が出来上がった。
次は、乾燥ワカメと乾燥ネギの袋詰め。これは、アルミ蒸着なしのフィルムで間に合わせた。もちろんこれも自動化している。最後に、乾燥チャーシューだ。これもアルミ蒸着なしのフィルムで包むことにして、機械を製作した。
最終的にそれらをフィルムに入れて、完成を見た。こってり味の豚骨ラーメン、チャーシュー入りと、すっきり味のわかめラーメンの出来上がりである。
研究室の次の目標はカップ麺である。
注1:
1958年、ビジネス特急「こだま」が登場した際、「全車指定席」というシステムが導入された当時はまさに人海戦術。駅員が座席台帳を持つ東京駅などの拠点駅のセンターに電話して予約したそうです。その拠点駅は、座席の何番から何番まで優先して確保していたようです。そういう形だったため無駄もあったのでしょう。そして世界初の鉄道予約コンピュータ「MARS 1(マルス・ワン)」が1960年に稼働します。
MARS 1の素子数。
真空管:約1000本
ダイオード:約1万個
トランジスター:約1000個 これと、記憶ドラムで65平方メートルを占有してたそうです。




