第32話 昭和2年12月
ゲルマニウムだが、とうとう安定的にナインナインまで精製できるようになったようだ。その間デジタル・マルチメーターとポータブル・スポットクーラーを4セット追加している。
次の工程として、単結晶の引き上げを行うことになる。道は長いが、着実に進んでいる。
溶接の強度を上げる低水素溶接棒も理化学興業を通じて製造が始まり、同時に特許の出願も行われている。横須賀の海軍工廠で溶接試験が行われた。低水素溶接棒による溶接箇所にブロワーで乾燥空気を吹き付けた溶接試験で高い強度を得ることができ、絶賛された。もちろん納入契約に結び付いている。理化学興業では低水素溶接棒用の乾燥保管庫も製造販売を始めている。これで、将来の事故がある程度防げればありがたい。この溶接に『ケチ』が付かなければ、艦船の建造速度が飛躍的に上がるだろうし、艦船も軽くなるはずだ。もちろん低水素溶接棒とブロワーによる溶接は陸軍の戦車などにも応用が利く。
日本の陸軍が求めた戦車の役割が歩兵直協だから仕方ないかもしれないが、当時の日本陸軍って57ミリ砲が好きだよな。
将来ソ連を相手にするとなると、戦車の性能向上は必須。そして砲兵が扱う対戦車砲にパンツァーファウストのような歩兵用対戦車兵器も欲しい。設計図的なものはあるわけだし、金属材料はこれからも進歩していくわけだから、陸軍が製造する意志さえ持てば技術的な問題はないはずだ。トランジスターが量産化されただけでは、さすがに歩兵用対空兵器は無理かもしれないが、対空砲はより強力になる。
国際特許の出願だが、日本での特許出願から12カ月以内に出願することで、日本での出願日が優先日になるため、そのスケジュールで出願を進めているそうだ。当該国での特許の登録が遅れれば遅れるほど、特許期間が後ろに伸びることになる。なお、当時は各国の特許局に別々の出願が必要だったが、1970年に調印された特許協力条約に加盟した国、条約国で特許が出願されれば、そのまま全条約国に特許が出願されることになるそうだ。日本は1978年にその条約に加盟している。
昭和2年(1927年)の年末、俺たちの理研への仕事納めは12月24日。現代ではクリスマスイブの前日、12月23日だ。
ということで、当日、理研へ荷物を届けた後、3人でクリスマスパーティーを開くことになっている。昨年はサの付くファミレスだったが、今回も同じくサの付くファミレスになってしまった。予約取れなかったんだよ。もちろんサの付くファミレスだって予約していたわけじゃない。
「好きなものを好きなだけ、どんどん飲んで、食べてくれ」
いつも奢っているのでわざわざ言う必要はないが、お大尽になったつもりだ。そもそも、ここはものすごく安いし。
料理と飲み物でテーブルがいっぱいになったところで、最初は生ビールで乾杯だ。
「それじゃあ、ちょっと早いけどメリークリスマス!」「「メリークリスマス!」」
日本人だからセーフ!
生ビールを一口飲んで。
「俺があの日本に干渉を始めて、丸2年になるんだ。かなり長いことやってる気がするんだけどな」
「でも、この世界と全く違った世界というところが謎だけど、実際少しずつ向こうの歴史はわたしたちの世界の歴史と比べズレていますからね」
「確かにズレていると認識しているところもあるが、もしズレていなければ、満州に石油が出たという歴史を覚えてるってことだろ?」
「そうですね」
「となると、そもそも、俺たちが満州の石油についてわざわざ教えていないだろ? だって教えなくても見つけるんだから」
「そうなります」
「ということはやはり世界は二つに分かれてしまった。と考えていいってことだろ?」
「そういう話でしたよね」
「まあそうなんだけど、同じ世界が二つに分かれただけで済むのかな? とか思ったことない?」
「そういった難しいこと考えたことないな」「わたしもないです」
「二つの世界がお互いに影響をしあうってことがないかなって、思うことがあるんだ。双子がお互いに影響しあうような。言い方を変えると、歴史の修正圧力というか、歴史の慣性みたいなものがありはしないかなって。このままいくと日本は本当の意味であの世界のスーパーパワーになってしまうぞ」
「先輩の言いたいことは、そのうち何らかの力が働くなりして、歴史が元の軌道に戻ってしまって、わたしたちの干渉が無意味になるかもしれない。という一種の恐怖?」
「そっちの恐れではなく、俺たちただの個人が歴史を変えることの恐れかな」
「すごく哲学的だけど、あんまり考えてると熱が出ますよ。それに髪の毛にも悪そうだし。それを言うなら時の総理大臣とか歴史を作った人ってたくさんいるじゃないですか」
「それはそうなんだけど、これほど大きく歴史を変えてはいないんじゃないか?」
「まだ、そんなに歴史は変わってないですよ。それより、わたしからのクリスマスプレゼント」
そう言ってバッグの中から小さな包みを取り出して渡してくれた。
「済まないね。それで何? ここで開けてもいいの?」
「もちろんいいですよ」
包装紙を開けて中から出てきたのは黒い小箱で、その箱を開けてみたら、腕時計だった。
「うわっ! 高そうな腕時計だな」
「お世話になってるし、原資は例のトレードだし。先輩時計してないでしょ」
「済まないね。ありがとう。これからこれを着けて会社に行くよ」
「山田主任、わたしからも」
そう言って鶴井もバッグから小さな包みを取り出した。
「済まないね。ここで開けてもいいの?」
「はい」
包装紙を開けたら、さっきより小さいけれど同じように黒い小箱だった。開けてみたら、カフスボタンだった。見た感じはプラチナだ。これも高そうだ。
「山田さん主任だし、カフスボタン付けてもおかしくないかなって」
「会社じゃ、ちょっと偉そうだけど、ちゃんとしたレストランに行くときなんかはあったほうがいいからな。今度三越の特別食堂に行くとき着けていくよ」
「はい」
「すっかり忘れて何も用意してなかったから、今日は勘弁してくれ。何かちゃんとしたものを考えるから」
「気にしなくていいけど、気にしてくれればうれしいかも?」「わたしも、そうかな」
自分で作るわけじゃないから、それなりの物を選ばないといけない。面倒だから商品券ってわけにもいかないだろうし。けっこう大変だ。しかし、延び延びにしてるとずるずるといつまでたってもタスクが終了しないので、明日にでも何か見繕って用意しよう。
その日もたらふく飲み食いして、彼女たちを駅まで送ってそこで別れた。
うちに帰って、二人からもらったプレゼントを机の上に置き、服を着替えてからベッドに横になって、何をプレゼントしようかと考えているうちに眠ってしまった。
目が覚めたら午後10時だった。これから風呂に入る気もしなかったので、冷蔵庫からコーラを取り出してゴクゴク飲んで、歯を磨いてベッドに潜り込んだ。
ベッドに潜り込んだもののなかなか寝付けず、あっちの世界のことを考え始めてしまった。
順調に研究開発は進んでるので問題はない。今の中共は100年前の中国と比べて物騒なので、行く気にはならないが、満州ってどんなところか一度くらい見てみたい気がしないでもない。
あっちの世界ではそれほど遠くない将来、大連辺りに重化学コンビナートが建設されるだろうし、旅順の造船所は拡張される。大河内所長にそこらの様子を聞くのが関の山か。
翌日の日曜日。つまりクリスマスイブ。8時過ぎにベッドから起き出して朝の支度をしたものの、朝食を作る気がしなかったので、駅前のハンバーガー屋に行って朝メニューのセットを食べた。
それから、うちに帰って洗濯を始め、ワイシャツなどをクリーニング屋に持っていった。
そのあとスーパーに回って買い出ししてたら昼になってしまった。独身男の休日らしい過ごし方だ。
スーパーで買ってきた弁当で昼を済ませ、パソコンの前に座って堀口たち用のプレゼントを考えていたのだが、気が付いたら、電気炬燵一式を注文していた。こういうことってよくあるよな。
それで、じっと考えたのだが、チームとして忘年会を開くのはどうだろうか? 向こうの日本では三越の特別食堂で食事したが、こっちの日本でそれなりの物を食べるのはどうだろう? 今は冬だし、冬の味覚である、カニ、カキ、フグといった海の幸の旬だ。
結構なものを貰ったお返しとなると、値段的にフグ料理のコースだな。それでもそんなに高いものにはならないだろうが、気は心。そう思って会社の仕事納めである12月29日の6時から人形町のフグ料理屋を3名で予約した。おそらく、あっちの方がネタはいいのだろうが、酒はこっちのほうがうまいだろう。
翌日。
堀口に貰った腕時計をして出勤した。二人に仕事納めの日の予定を聞いていなかったので、聞いたら空いていた。予約の変更をしないで済んだ。
「わたし、まだフグ料理のフルコースって食べたことないんです。楽しみ」「わたしもフルコースは食べたことないから楽しみです」
そう言ってもらえて、何となく肩の荷が下りた。
週が明け、会社では忘年会なども行われ、仕事納めの12月29日を迎えた。
お互いに「よいお年を」とか挨拶して、定時にみんな帰っていった。
俺たちは、会社の玄関で待ち合わせをして、会社を出て近くの薬局に寄って、肝臓に効くドリンク剤を3本買った。
堀口と鶴井に一本ずつ渡してから、俺がまずぐっといき、
「これで、少々の飲み過ぎにも耐えられる」
「本当ですか?」
「間違いない。二人ともぐっと行きなさい」
こういうものに頼る大人にならないほうがいいのは確かなんだが、見栄を張って文明の利器に頼らず後でひどい目に遭うとすると、それは愚か者の所業だ。
二人がぐっといったところで薬局を出て、タクシーを拾って人形町のフグ料理屋の前まで移動した。
予約時間にはちょっと早かったけれど、個室に通された。料理はコースを予約済みなので、飲み物を注文することになる。
最初は瓶ビールを頼んで乾杯。
「今年もお疲れさまでした!」「「お疲れさまでしたー」」
「来年もよろしく!」「「よろしくお願いしまーす!」」
乾杯のあと、すぐに料理が運ばれてきたので、地酒をボトルで注文しておいた。気持ちはお大尽様なので酒は純米大吟醸だ。銘柄は一四代にしておいた。
最初の料理は、煮こごりと白子ポン酢。
先におしぼりで手を拭き、酒がやってきたところで二人のぐい呑みに酒を注いでやり、自分のぐい呑みにも注いで酒の味を確かめた。
旨い! 幻って程じゃないが、通常主任ごときが飲めるような酒じゃない。
そして小鉢の中の料理に手を付けた。
旨い! これじゃあ酒が進むぞ。肝臓ガードドリンクは正解だったようだ。
まだ二つある小鉢を全部食べ終わってはいなかったが、4合瓶が空になってしまった。誰だ! こんないい酒をぐびぐび飲んだのは!?
同じ酒を追加したところ、酒と一緒に見事な「菊盛り」のてっさ(ふぐ刺し)がやって来た。つけだれのポン酢の入った小鉢に、もみじおろしとあさつきが入った小皿が置かれた。
てっさは文字通り1枚1枚が向こうが透けるほど薄いので、数枚いっしょに箸ですくってつけだれに入れるのだが、お大尽と言っても所詮プチである俺は1枚だけ箸で摘んでつけだれにいれて食べてみた。
旨い? フグの味はあまりしなかったが、ふぐを食べた気がした。
意を決して今度は3枚箸で掬ってみた。1枚目は薬味を入れてなかったが、今度はもみじおろしを入れている。
それで、掬った3枚のフグをつけだれの小鉢に浸して口に運んだところ、やっぱりフグの味はあまりしなくてポン酢プラスもみじおろしの味だけした。
二人は豪快にフグを掬って食べている。二人ともどう見ても食べ慣れている。
俺がその次3枚掬って食べて、二人に酒を注いでやり、自分も手酌で酒を注でぐい呑みを傾けた頃には、大皿の上の菊は跡形もなくなって皿の模様だけになっていた。
てっさが終了したところで、ふぐ皮(湯引き)がやって来た。これもポン酢でいただくようだ。魚の皮ってあまり食べないが、こいつは焼き肉屋のセンマイに通じるなにかがある。
何であれ、酒の肴という意味では最高だ。
次に出てきたのが、ふぐの唐揚げ。すだちが付いていたが、とりあえず、かけずに食べてみたところ、味がそれなりについていて何もつけないで良さそうだった。これはフグの味がした。刺さるような小骨ではないが骨付きだった。そこで思い出したのだが、アンコウも旨いよな。アンコウは軟骨魚じゃないくせに、全部じゃないがたいていの骨が食べられる。今度はアンコウ食べに行きたいものだ。
俺がこうやっていろいろ考えているのだが、二人は話しかけないほうがよさそうな雰囲気を醸し出しつつ黙々と食べている。いいんだけど。いちおう忘年会なんだけど。
唐揚げがなくなったところで、卓上コンロがテーブルの上に置かれ、「てっちり(ふぐ鍋)でございます」と仲居さんがコンロの上に大きな土鍋を置き、コンロの火をつけた。
仲居さんが出ていく前に、酒を注文した。今度の酒は田酒の純米大吟醸だ。
お酒がやってきてぐい呑みを替えてもらって、二人に注いでやり、自分にも注いでぐいっと飲んでみた。
旨い! これはこれで。
てっちりのつけだれも小鉢に入ったポン酢で、薬味も同じくもみじおろしとあさつきだった。
冬に鍋。しかもフグ。そして純米大吟醸。これぞプチブルによるプチブルのためのプチブルの贅沢だ。
鍋が沸騰して湯気が力強く蓋の孔から噴いてきたところで、どうやって監視したのか分からないが仲居さんが現れ、鍋の蓋を取った。
「こちらのお玉で掬って小鉢に取ってお召し上がりください。あとでご飯を入れて雑炊を作ります」
汁を残して鍋の中身があらかたなくなったところで、中居さんが現れて小ぶりの茶碗3杯のご飯を鍋の中に入れて蓋をして出ていった。
今度も湯気が力強く蓋の孔から噴いてきたところで、どうやって監視したのか分からないが仲居さんがお新香と玉子を盆にのせて現れ、鍋の蓋を取って上から玉子を割り入れ全体的にかき混ぜた。
「こちらの蓮華で、小鉢にとってお召上がり下さい」と言って出ていった。
堀口が小鉢に取ってくれたので、蓮華に取ってからフーフーして口に入れた。出汁が効いた雑炊も至福。
〆の糖質は最高だ。
白菜のお新香を摘んで口に入れ、それから雑炊を口に入れた。いいねー。
各人雑炊をお代わりしたところで中身が空になった。お酒の4合瓶もちょうど空になったところで、テーブルの上が片付けられて、アイスクリームが運ばれてきた。
旨い!
会社の方は例年通り明日の12月の30日から翌1月3日まで5日間が休みで、初出勤は1月4日となる。俺たちの理研への初出勤は昭和3年の1月7日の予定だ。
史実では昭和2年(1927年)の12月30日。日本初の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線、上野〜浅草間)が開通ししている。開通式典などあったはずだがもちろん見ることはなかった。
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そのころ、名古屋の電気製鋼所(現在の大同特殊鋼)では理研のレシピによるニッケルクロムモリブデン鋼の製造ラインの建設に取り掛かっていた。製造過程で真空ポンプが必要なのだが、ニトリルゴム製のシール材により真空ポンプの能力が飛躍的に向上したことが大きい。
電気製鋼所で製造されたニッケルクロムモリブデン鋼は理化学興業に運ばれて、加工される予定だ。その際の切削工具は山田幸太郎が持ち込んだ超硬ビットだ。
通常のクランクシャフトなら従来の鍛造機械で粗成形可能だが船舶用などの超大型クランクシャフトだとそうもいかないようで、熱に強く衝撃にも強い鋼材の開発を待つことになる。それを使って鍛造用の金型や鍛造機械のラム(ハンマー)やアンヴィル(金床)を製造することで製造可能になる。とはいえ、この先10年で超大型クランクシャフトの実用化のニーズが湧くかというと、疑問もある。




