第30話 昭和2年8月
有名作家の初版本とオモチャを日本橋三越で探そうと相談したその週の土曜日(1927/8/20)。
その日の向こう側は朝から曇っていて、雨が今にも振り出しそうだった。それで、かねてから用意していたビニールシートをトラックに積んだ荷物の上に掛けて、紐で四方をトラックの荷台の出っ張りに括り付けておいた。今回の荷物の中身は追加の電源装置だ。
理研に荷物を下ろした後、2階の経理に行って給料をもらい、理研を出た頃には小雨が降り始めたが、霧雨程度だったので傘を差すことなく速足で駒込まで歩いていき、そこで上野方面行きの山手線に乗って、そのまま東京駅まで移動した。東京駅からはいつもの道順で日本橋三越に歩いていった。今日の堀口は小型のリュックを背負っているので妙に目立つ。
「ライオンがちゃんといる!」と鶴井。
「そりゃ、三越だからな」
「山田主任、乗り悪いですね」
「じゃあ、『あっ! ライオンだ!』」
「もういいです」
「鶴井さん、わたしがちゃんとリアクションしてあげるから、最初から言ってみて」
「ライオンがちゃんといる!」
「うひょっ!」
「堀口さん、それ何なんですか?」
「驚きの言葉」
「……」
「堀口、鶴井が呆れてるぞ」
「うひょっ!」
「堀口、止めろ。他の人たちまでお前を見てるぞ」
「へい」
入り口脇の店内案内で玩具と本を売っているところ聞いたらどちらも3階だった。
それで3人で1階をざっと見て回ったあと、奥の方にあるエレベーターで3階に移動した。
3階でエレべーターを降りたら目の前に本棚が並んでいた。
「うひょっ! 本屋さんだ!」
「堀口。もう分かったから」
「勝った!」
「じゃあ先に本を探そうか。それで堀口には当てはあるのか?」
堀口はポケットの中からメモのようなものを取り出し、
「泉鏡花の『海の聖母』、川端康成の『伊豆の踊子』。それと谷崎潤一郎の『痴人の愛』と『友田と松永の話』の初版本があるかもって思っています。あとは雑誌ですけど『文藝時代』」
「ほう、雑誌も有力候補だな。あればかなりの値段が付きそうだ。あるだけ買えばいいしな。ただしそのリュックに入る範囲でな」
「持てないようなら、お金だけ払って、1週間取っておいてもらいますから」
「それも手だな」
目当ては泉鏡花、川端康成、谷崎潤一郎ということが分かったので、ずいぶん探しやすくなった。
そうやって、本棚を巡ったところ、どれをとっても価値がありそうだった。堀口が目当てにしていた本ももちろん見つかった。それも数冊ずつ置いてあった。
「ここは宝の山です!」
「確かにそうだけど、この感じだと、取っておいてもらわなくても、いつでも手に入りそうだな」
「それもそうですね。でも目当ての本だけは3冊ずつ買っておきます」
「同じ本を3冊というところが推し活っぽいな」
「先輩、詳しいですね」
「実践してるの堀口だろ?」
「……」
結局雑誌以外カバーをつけてもらってリュックに入れて堀口が背負った。
「それじゃあ、次は鶴井の玩具だな」
本屋の会計で玩具売り場の場所を聞いてそっちに向かって歩いていった。
ありましたよ。ブリキのオモチャ。そしてセルロイドのオモチャが。
土曜の午前中だった関係か、客は少なかった。
「目移りするほどたくさんありますね」と鶴井。
「ちゃんとした箱に入っていれば、値段が爆増するわけだから、ちょっと高めのおもちゃを買ったほうがいいんじゃないか?」
「そうですね」
「あんまり大きいと運べなくなるから、大きさ当りの利益を考えたら、小さめの方がいいんじゃないか?」
「そうですね。これは、いつでも売ってるんでしょうから、適当に買ってしまいましょう」
「それでいいんじゃないか。それはそうと、デパートで手持ち用の紙袋くれるのかな?」
「わたしもそれが心配で、調べてみたら、この時代ないみたいだったので、風呂敷を持ってきました」そう言って、鶴井は肩から掛けていた小型のバッグから風呂敷を取り出した。
「大したものだ。風呂敷最強だものな」
「はい」
それから鶴井は10個ほど比較的小型で箱入りのブリキのおもちゃを買って包装してもらい、それを風呂敷に包んで両手で抱えた。
「先輩は何も買わないんですか?」
「そうだな。今日は何も考えていなかったし。それじゃあ、上に上がって昼にするか?」
「「はい」」
階段で2階分上がり、5階に出て、いつものように洋食食堂に行った。荷物は入り口で預かってくれた。
「ここは本格的なレストランですね」と鶴井。
「レストランではあるが、本格的なフレンチというわけでもなく、基本は洋食屋だから」
「メニュー見たらそうみたいですね」
「この上の階にある特別食堂は本格的なレストランらしいけどな。それで二人とも飲み物はビールでいいかい?」
「「はい」」
食事については、スープの他、俺はビーフステーキにライス。堀口はカツレツとライス。鶴井はオムライスを頼んだ。
食事を終えて、最後にコーヒーを頼み一服して席を立った。
会計を済ませ、預けていた荷物を忘れず返してもらい、食堂を出てエレベーターで1階に。
外に出たら、本降りではないが少し雨脚が強くなってきていた。それで、タクシーで上野に出ようということになり、手を上げて円タクを拾って上野駅の南口まで移動した。タクシーに乗り込む際に荷物が濡れないよう、それぞれ堀口と鶴井は折り畳み傘を差してタクシーに急いで乗り込んだが、はたして? 濡れてしまうと価値が下がるからちょっと心配だが、致命傷ってことはないだろう。
上野駅で汽車に乗り込み浦和まで帰ってきた。外が雨だった関係で窓が閉まっていたし、天井に扇風機もついていなかったので少し蒸し暑かったが、現代の東京の夏に比べれば、春の陽気のようなものだ。
浦和駅で降りたら雨は小降りだったがそれでも降っていたので、ここでもタクシーを拾い浦和高等学校の正門前まで帰ってきた。タクシーを降りて、俺が二人の空いている手を持って3人が斜め一列になって穴をくぐった。孔をくぐった先はむっとするほどの夏だった。気温が10度は違うんじゃないか?
「暑い! トンネルを抜けるとそこは南国だった」と、堀口。
「うまいこと言ったつもりか?」
「でへ」
「もういいよ。それで、これからどうする?」
「荷物があるからここで」「じゃあ、わたしも」
「それじゃあ、気をつけてな」
二人とはそこで別れて、うんざりするような蝉の声を聞きながらうちに戻った。
うちに帰って着替えた俺は、パソコンの前に座って考えた。
次、何かプレミアムが付きそうなものを考えないとな。二人ともすごく楽しそうだったし。
ということで、かねてから考えていた大成する画家の大成する前の絵を購入する作戦のため、具体的な画家の名前をネットで調べてみることにした。
その結果、藤田嗣治、速水御舟、佐伯祐三、鏑木清方の4人の名が挙がった。俺が知ってた名前は藤田嗣治だけだったが、買い手は素人の俺じゃないんだからモーマンタイ。
ということで、さっそく明日、銀座の画廊に行ってみることにした。その前に、雨が降っては戦はできないので天気を調べたところ、100年前の明日の東京の天気は快晴だった。やったぜ! というか、明日の天気が100パーセント分かるって何気に便利だ。おそらく、この100パーセント当たる天気は、最低でもどこかの国が核実験するまでは続くだろう。史実ではアメリカだったが今度は日本かもしれない。実験場所はゴビ砂漠かシベリアのどこか。怖い怖い。
その日寝る前に、鶴井をまねて明日のために風呂敷、それも大判の風呂敷を用意しておいた。持っててよかった。
そして、翌日(1927/8/21)。満を持してうちを出て、公園に向かった。公園の穴を潜って、そこから浦和駅まで歩いていった。天気は晴朗だし風はなかったが、気温がそれほど高いわけではないので、速足で歩いたがそれほど暑くはなかった。
大宮方面からやって来た汽車に乗って上野まで行き、山手線に乗り換えて有楽町まで。
有楽町から銀座方面に歩いていき、資生堂パーラーがあったはずの場所に歩いていった。
それで見つけたビルに入っていき、階段を上って2階の画廊に出た。今でいう資生堂ギャラリーだ。
夏ではあったが、ちゃんとしたスーツ姿だった関係で、誰にも見咎められるようなこともなく、すんなり画廊の中に入っていき、飾られていた絵を見て回った。
と言っても、素人の俺に絵の良し悪しなど分からないので、作家名と値段だけが頼りだ。メモを見ながら『藤田嗣治、速水御舟、佐伯祐三、鏑木清方』を探したところ、佐伯祐三の名前があった! やった! 題名は『ガス灯と広告』。俺の目ではとても芸術には見えなかったが、美術眼を通して見れば芸術なのだろう。値段を見たら100円だった。失敗したとしても今の俺の手持ちの旧円からすれば大したことはないので、店の人を呼んで購入したい旨を告げた。
すぐに対応してくれて、桐箱に絵がしまわれた。残念ながら額縁はくれなかった。額縁については当てがあるので問題ない。買った後気付いたんだが、これってどうなんだ? これの現物が100年後の俺の世界のどこかの美術館にある以上、これを持ち込めば、これの扱いは贋作じゃなかろうか? 今持っていったら妙に新しいうえに、年代測定したらゼロ年前のものだ。大きな落とし穴にはまってしまったぞ!
100円損した気になってしまった。なぜなら『ガス灯と広告』は俺の目ではガラクタにしか見えなかったので、うちに飾る気もしなかったからだ。これはそのうち理研に寄贈だな。
傷心の俺は風呂敷包みに入れた桐箱を抱えて、来た時と同じ道をたどって浦和にたどり着き、そこから浦和高等学校までとぼとぼ歩いて、現代に戻った。
額縁を用意しようかと思ったが、元気が出なかったので、それもやめておいた。
週が明けて月曜日。二人に「商品」はどうなったか、昼食時に聞いたところ、堀口は以前使った日系のオークションに出品するそうだ。鶴井も堀口に聞いてそこに出品するといっていた。どう見ても本物に見える写真をつけての応募だから、それなりの待遇でオークションにかけられるんじゃないだろうか?
「そういえば、先輩、有名画家の売り出し前の絵を買うとか言ってましたが、今週行きますか?」と堀口に痛いところを突かれてしまった。
正直に話してしまうと何を言われるか分からないので、
「あれについては、諦めたんだ」
「どうして?」
「よく考えてみたんだが、そういった作品って、今現在どこかの美術館に飾られてるんじゃないか?」
「確かに」
「そうなってしまうと、俺が持ち込んだ『本物』は事実上贋作だ。年代測定すれば、昨日作ったような結果が出るだろうし」
「世の中うまくいきませんね」
「そうだな。また何かないか考えてみるよ」
「頑張ってください」と鶴井。
「ああ」と何となく力の入っていない返事をしてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昭和2年8月24日。海軍の演習中に艦艇同士が衝突し、100名以上の死傷者を出す事件があった。そこで思い出したのだが、これから8年後の1935年(昭和10年)に第四艦隊事件が起きる。主要原因は重武装によるトップヘビーではあるが、電気溶接の技術が未熟で、接合部の強度不足も原因だったはずだ。そういう意味で電気溶接のレベルアップを図るべく、それなりの資料と現代の電気溶接棒を取り寄せて理研に持ち込んだ。溶接不良は、水素が原因だそうで、現代の溶接棒にはその水素が極限まで排除されているのだそうだ。さらに、ハンディー超音波探傷器を4個購入しておいた。カタログを見たらかなり軽いのだが、結構高かった。造船所に持っていって検査することになるのだろうが、海軍と海軍工廠にどう説明するのかは、大河内所長に丸投げだ。最悪俺たちのことを『ゲロ』することにもなりかねない。そうなってもまさか監禁されることはないだろうし、いいようにこき使われることもないだろう。何せ俺は趣味でやってることなので、現代に帰ればそれっきりだから。そのあたりを大河内所長が軍に説明すれば軍とて金の卵を殺すことはないだろう。
俺が持ち込んだ溶接棒を見本にして理研では低水素溶接棒の研究に入った。これが開発されても、第四艦隊事件に関係した艦艇が新溶接棒で溶接された艦艇でないと事件は防げないが、少なくともこれから起工される艦艇の溶接強度はある程度保証されるだろう。もちろんあらゆる溶接作業においてその強度が保証されるので、陸軍の車両等でも有効だろう。
ちょっと調べたところ、荒天により艦首を切断。切断された艦首側にいた乗員24名が殉職した初雪 (吹雪型駆逐艦)はすでに起工していたが、同じく艦首を切断し27名の犠牲者を出した夕霧 (吹雪型駆逐艦)はまだ起工していなかったので助かる可能性が高い。他の損傷を受けた艦艇も未起工なものが多いようなので少しだけ安心した。




