第29話 昭和2年7~8月
土曜日(1927/7/23)。
理研に到着して大河内所長に挨拶した後、鶴井の社員証などが幸田さんから渡された。俺たちに遅れて到着したトラックから黄色い箱のバランス栄養食とその他の消耗品を玄関先に下ろして、大河内所長と幸田さんに黄色い箱のバランス栄養食を試食してもらった。
「中身より、この銀色の包装が問題だ。これもレトルトの包装と似たようなものなんだろ?」
「はい。あっちの方は合成樹脂の薄膜にアルミ箔を貼ってさらに合成樹脂の薄膜を貼り付けたものですが、この包装はアルミニウムを合成樹脂の膜に蒸着させたうえで、さらに合成樹脂の極薄い膜を貼り付けたものだったはずです。わたしではもちろん製法は分かりませんが、おそらくこちらに持ってきたハンドブックの中に製法が載っていると思います」
「後で確認してみるよ。中身だが、確かに腹持ちがよさそうだ。しかし、これでは菓子だな」
「研究所の皆さんが、実験なんかで外せないとき、少し休憩するときにどうかなと思いまして」
「所長、所員にも受けそうですが、これは軍の行軍用糧食に向いていませんか?」と幸田さん。
「それはいい考えかもしれない。レトルトカレーでは行軍の途中では食べられないが、これなら小休止中にでも食べられる。量産を考えてもいいかもしれない」
この時代に黄色い箱のバランス栄養食が量産されれば、兵隊たちが戦地で飢える可能性がわずかでも下がるんじゃないか? 兵隊の士気は待遇で維持できる以上、やらないことは一種の犯罪だ。
試食会が終わったところで、2階の経理に回って、給料をもらった。ちゃんと鶴井にも1カ月分の給料が出ていた。いくら出たのか聞かなかったが、本人が喜んでいるならそれで十分だ。
その翌週の土曜日(2028/7/29、1927/7/30)。
昭和2年7月24日。史実通り芥川龍之介が自殺したようだ。自分の命を粗末にすることに俺は一分の理解もできない。さらに言えば、残った死体は世の中から見て邪魔物以外の何物でもない。社会に迷惑はかけないでいただきたいというのが本音だ。
社会を少しでも良くしようと、道のごみを自主的に拾っている人がいる。そういう人を認識できていたら、とても自殺などはできないはずだ。つまり彼は世界を観察する目すら持っていなかったのだろう。
短編しか書けない作家では現代ではAIにすら勝てない。あの時代にはもてはやされたのかも知れないが、もし彼が現代の作家だったら、誰からも見向きもされなかったんじゃないか? ちょっとこれは言い過ぎか?
理研からの帰り。今日は公園まで帰って、モの付くハンバーガー屋で食事することにした。
「先輩、芥川龍之介が生きてるとき会いたかったですね」と、昼食を食べながら堀口が言った。堀口が食べているのはハンバーガーとサラダセットだ。ちなみに俺と鶴井はハンバーガーとポテトLセットだ。
「そうかー? 自殺するようなヤツに近づいたら悪いものがうつるんじゃないか?」
「先輩、それって、差別ですよ」
「そうかな? ほんとにそうかー?」
「そう言われると? 鶴井さんはどう思う?」
「そうですねー、本人に言っちゃもちろんアウトでしょうが、思うのは勝手じゃないですか? しかも100年前に死んだ人ですし」
「鶴井は結構ドライなところがあるよな」
「そうですか?」
「誤解しないでもらいたいが、いい悪いの話じゃない。いや、ドライの方が人として正直と思う」
「先輩、それってわたしが正直じゃないってことですか?」
「そういうわけではない。現に堀口は正直だからいつも俺にセクハラしてるだろ?」
「あー、そういうこと言う」
「でも、事実だろ?」
「否定はしません」
「二人とも仲いいなー」
「鶴井さん、うらやましいのかな?」
「そう言われれば、ちょっとうらやましいような」
「そしたらこのまま先輩のうちに行って3人でスル?」
「こら、堀口! それがセクハラだろ!」
「何をするか何も言ってないですよ」
「顔に出てるんだよ!」
「あらま」
その日はハンバーガー屋を出たところで別れ、それ以上のことは何もなかった。ちょっとだけ残念だったが、ちょっとだけだ。
8月に入った。理化学興業が出願していたニトリルゴムの特許が登録された。引き続き、理化学興業では世界特許取得の準備に入っている。とは言っても特許出願の実務は理研本体が抱える弁理士が行っているそうだ。
さらに中東鉄道の本線から北満州油田までの軌道延長が完了したそうだ。現在長春から中東鉄道の標準軌化が進められているが、完成するのはまだ1年以上先になるので、今回の軌道は広軌のままの延長だ。
建設を進めていた原油の一時貯蔵タンクなどの原油搬出用施設も無事完成しており、先日原油の初荷が出発したそうだ。広軌から標準軌に切り替わる駅で積み荷を載せ換えて、大連まで輸送することになる。
現在その大連では海軍主導で石油精製工場の建設計画が持ち上がっているそうだ。満鉄はもちろん理研の他、鮎川義介(注1)率いる戸畑鋳物も出資者に名を連ねている。理研は単独での石油精製事業はあきらめたようで、その事業に出資したようだ。
まさに怒涛の近代化だ。さらに旅順の旅順要港部は旅順鎮守府に格上げされることが決定された。1906年(明治39年)に旅順鎮守府が設置されたものの、1914年(大正3年)に鎮守府から要港部に格下げされた過去があり、返り咲きということになる。石油が出た満州の重要性から考えれば当然の格上げだろう。史実ではこの格上げは満州事変(1931年)の関係で、1933年(昭和8年)に行われている。
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8月に入って2回目の月曜日(2028/8/14、1927/8/15)。この日はお盆だったが、うちの会社ではお盆は関係ないので、必要なら有給で休むことになる。俺も堀口も鶴井も必要なかったのでちゃんと出勤した。
別に出勤した課員が少なかったわけではないのだが、なぜか午前中の仕事が立て込んで時間が無くなり、堀口と鶴井と久しぶりに社食で昼食を摂った。食堂はお盆のせいか人は少なかった。
「芥川龍之介は逃がしたけど、太宰治はどうですか?」と親子丼を食べながら堀口が言い出した。ちなみに、鶴井はA定食、今日のメインはハンバーグ。つまりハンバーグ定食だ。それで俺はB定食。メインは天津丼だ。なお、ご飯もののメインの他についているのはみそ汁とおしんこだけだ。
「太宰治はたしかまだ世に出てないんじゃないか? 死んだのも戦後だったはずだぞ」
「ということは、これからチャンスがあるってことですよね?」
「なんのチャンス?」
「直筆サインをもらうんですよ」
「確かにそれは売れそうだな」
「いいところに気づいたでしょう?」
「いいところとは思うが、太宰がどこに住んでたか知らないし、分かったとしても東京以外だと会いに行けないぞ」
「そう言われれば」
「やはり、稼ぐなら地道にプレミアムが付きそうな物品をデパートで探すんじゃないか?」
「そうですよねー」
「鶴井は何か考えた?」
「あの時代のブリキのオモチャってどうでしょう?」
「ほう。それはいいところに目を付けたな。あの鑑定番組なんかで昔のブリキの玩具がたまに出品されるけど、とんでもない高値が付くことがあるからな。なんでもそうだけど箱とかレシートがあるとまた高くなるんだ。今度行ったら、日本橋の三越に行ってみよう」
「はい! オモチャくらいならわたしのお給料でも買えますから」
「足りなくなるようなら貸してやるよ」
「はい」
「これは、鶴井さんに負けそう。わたしも何かまじめに考えないと」
「あれはどうだ?」
「あれって?」
「つまり、現代でも名の売れてる作家の初版本を買うんだよ」
「それいい!」
「本屋でちょっと探せばすぐ見つかるんじゃないか?」
「そうですよね」
「それもついでに探してみよう」
「先輩はいいんですか?」
「俺はどうしようかなー」
「先輩はお金に困っていませんものね」
「堀口だってそうだろ?」
「そうかもしれないですけど。でも夢がありますからね」
「確かにな。あとは画廊に行って、それほど高くはない絵を買ってみる」
「それだと、こっちに持ってきて実際に高く売れるか分かりませんよ」
「そこは、こっちでちゃんと下調べして行くんだよ」
「それもそうですね。有名な画家も最初の売り出し中なら安そうだし」
「だろ?」
「さすが先輩、伊達に歳を取ってない」
「あのなー。俺と堀口との歳の差なんて、4、5年しかないだろ!」
「4、5年あれば、光がアルファケンタウリに届いてしまうんですよ。わたしが会社の屋上からアルファケンタウリに向かって手を振れば、4、5年後にはアルファケンタウリからわたしが見えるんですよ」
「そうかもしれないが、そうなのか?」
「そうなんです」
人が少なかった分俺たちの声は良く通ったかもしれないが、気にせず馬鹿話をしてたら食事が終わったので、席を立ち下膳口に食器の載ったトレイを返して課室に戻った。
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理化学興業の合成ゴム部門で製造されたニトリルゴム製のガスケットやその他のシール材はそれまでの石綿製や天然ゴム製のシール材を市場から駆逐していった。悪貨は良貨を駆逐するの逆だ。海軍からの引き合いがすさまじく、工場を呉と横須賀に新設することになった。もちろん北満州油田にもニトリルゴム製ガスケットが送られている。『満州の石油を一滴も漏らさない』という看板を理化学興業の工場などに掲げたそうだ。
飛行機製造をめざし、海軍を退官した中島知久平率いる中島飛行機製作所でも、理化学興業のニトリルゴム製のシール材に注目し、1924年、大正13年に完成したエンジン専用の東京工場(荻窪)に取り寄せて各種の試験を行ったところ、あらゆる試験で既存のシール材を圧倒してしまった。それにより、イギリスのブリストル社からライセンス生産中の星型9気筒の空冷レシプロエンジン、中島ジュピター7型星型9気筒空冷レシプロエンジンに全面採用することとなった。シール材をニトリルゴム製のシール材に取り換えて出力試験を行ったところ、公称出力520馬力のジュピター7型が575馬力を記録した。また、48時間の長時間運転を行ったところ、一切の油漏れがなかった。このことは、大変な快挙であるが、ニトリルゴム製のシール材はここまで来ると戦略物資である。ブリストル社へ新シーリング材により馬力が10パーセント向上したことを知らせるべきか判断に困った中島知久平は三宅坂に赴き、懇意にしていた上にちょうど陸軍大将に昇進したばかりの陸軍航空本部長、井上幾太郎にそのことを相談した。
「陸軍だけでなく、海軍までもその件の重大性を認識している。理研では国際特許を取るという話だから、それまでイギリスへの報告は控えるように」
との指示を受けた。中島は了承して帰途に就いている。
これとは別に、陸軍から理研に対して、ニトリルゴム製のシール材の増産を強く要請している。これに対して理研側も全力を尽くす旨回答している。
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石原莞爾は、満蒙における一連の開発速度に目を見張っていた。しかし、この速度で満蒙の開発が進んでいけば、張作霖とて手出しはできず、やがて満蒙は日本の資本に飲まれてしまう。
これまで石原は日本の将来のため満蒙の領有は必須であると考えており、満蒙を確保・領有することが国防上、絶対不可欠であるとする『現在及び将来に於ける日本の国防』を執筆中であったが、この急激な満蒙の発展を前提とした、世界戦略を構想し始めた。
それとは別に、満蒙が平和裏に日本の経済に飲み込まれていくこと自体は僥倖ではあるが、このままでは自分の出番がなくなってしまうと、石原は若干贅沢な悩みを持つようになった。それもこれも、北満での石油発見が原因だ。これこそ全くの僥倖だったが、気持ちは複雑だ。とはいえ、満蒙を領有していようがいまいが、将来的にはソ連と事を構えるのは必然であり、その時には存分に力をふるえるだろうとも考えていた。
注1:鮎川義介
日本産業(日産)の創始者。




