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技術立国日本  作者: 山口遊子


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26/28

第26話 昭和2年5~6月。昭和2年7月、1


 5月の連休明けに俺の部署に二人も新人が配属された。一人は男子でもう一人は女子だ。それで、そのうちの女子が俺のチームに配属されることになった。名前は鶴井静香。俺のチームといっても俺のチームは俺と堀口の二人のツーマンセルだったので見た目の戦力は50パーセントアップではあるが、さすがに上も50パーセントアップのアウトプットを期待はしていないだろう。そもそも50パーセントもアウトプットするべき仕事が存在しないのだし。そうはいっても、新人が配属されればチームリーダーである俺の負担が増えるのは事実だ。4月になって昇給はしたものの割に合うとは思えない。

 そういった俺の思いを口に出すことなく、鶴井静香は堀口の向かいの空いていた席に着いた。

 まずはルーティンワークを教え込むこと。俺は堀口に、鶴井静香のチューターを命じた。あとはよろしくな。なーに、俺が堀口に教えたことを堀口が鶴井静香に教えればいいんだよ。


 ということで、さっそく堀口はパソコンの使い方から教え始めた。俺たちがそうであったように鶴井静香は全社共通部分は研修期間で修了している。当然社内LANのIDはすでに割り振られていて、パスワードの設定も終わっている。

 つまり、堀口はわがチームの業務の説明と業務で使うソフトの使用法を鶴井に伝授するのが役目だ。こう考えると俺の負担増はほとんどないのかもしれない。


 その日の昼食はチームへの鶴井静香の歓迎会ということで、鶴井を連れて会社の外に出た。もちろん堀口も一緒だ。

 訪れたのは、エビのかき揚げがおいしい蕎麦屋だ。

「遠慮せず好きなものを頼んでいいが、ここのお勧めはかき揚げせいろだ」

「それをお願いします」

「堀口は?」

「わたしもそれで」

 そういうことで、かき揚げせいろを3人分頼んだ。


 すぐに2段重ねのせいろと大きなかき揚げが運ばれてきた。

「「いただきます」」

 少し遅れて「いただきます」


「こんなに大きなエビがこんなにたくさん」と、鶴井静香。喜んでくれて何より。

「だからおいしいんだよ。蕎麦が足りないようなら、追加すればいいからな。ツユも頼めるから」

「はい」


 当たり前だが、今のところは素直だよな。これが1カ月も経つと、……。

 堀口は今も素直ではあるか。そういう意味では俺は部下に恵まれてる。堀口は基本的に休まないから堀口のルーティンを俺がすることもないし。


「それで、鶴井はどこの出身なんだ?」

「実家は山口です」

「ほう。ちょっと遠いな」

「はい」

「学校は?」

「〇△大の経済を出ました」

「ほう。優秀なんだな」

「いえ、そんなことは」

「謙遜する必要はないが、謙遜しないとおかしいものな」

「先輩、言ってることが意味不明ですよ」

「そうかー?」

「そうです」

「お二人とも仲がいいんですね?」

「仲が悪いわけじゃないが、いつもこんなものだぞ。チームなんだし」

「そう」

「まっ、とにかく仲良く、元気にやっていこうじゃないか」

「はい!」

 元気があって大変よろしい。


 俺はせいろを1枚追加してお腹一杯になった。女子二人は追加はなかった。

 最後に蕎麦湯をいただいた。


「「ごちそうさまでしたー!」」


 席を立ち、カードで支払っておいた。


 将来的に鶴井静香を100年計画のメンバーに加えるかというと、そういうことはまずないだろう。なぜなら、あのタイムトンネルをくぐるには、俺と物理的に何らかの形で接触している必要があるんだが、両手を使って二人同時に手を繋ぐっていうのはすごくおかしいからだ。堀口と鶴井が男だったらもっとおかしかった。もし、将来堀口と鶴井と手を繋ぐことがあったとしても、そういう意味ではワーストにはならない。相変わらず俺は運がいい。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 5月を過ぎて記録通り金融恐慌が終息した。星製薬も無難に乗り越えた。サルファ剤、ペニシリン、そしてストレプトマイシンを手掛ける星製薬を国家として潰すわけにはいかないからなー。

 そして、ペニシリンの特許が特許局に登録されたそうだ。引き続き世界特許取得作業に入るということだ。



 ゲルマニウムの精製だが純度がセブンナインまで到達したそうだ。

 精製を進めていきナインナインまで純度を上げたゲルマニウムを一度溶かしてから単結晶を引き上げる際、途中で「N型」の不純物をドロップし、次に「P型」、また「N型」と、引き上げながら不純物を交互に投入する。それを繰り返すことで、「N-P-N」の層が重なったインゴットができるので、それを薄くスライスしていく。スライスした両面を鏡面にまで磨き上げて、最終的に、顕微鏡を見ながら電極を付けていく。

 という作業になるそうなんだが、これは最初期の製造法だ。顕微鏡を見ながら電極を付けていくような悠長な方法は進化させようがないだろう。最終的には拡散法やプレーナー法と呼ばれる方法で大量生産にこぎつける。そこら辺の内容については俺では理解できない領域だ。

 ここまで行くには15年では厳しいかもしれないが、理研にはバイブルがある以上、あとは根気だけだ。俺にとっての救いは、必要なものが俺の根気じゃないところ。俺のこういったトランジスターの理解が少々間違っていても、それは理研の天才たちとは無関係なので、なんくるないさー。

 精製だけはあと二息だが、その先は言葉にしただけでも、まだまだ長い道のりだ。そういった意味では、一歩一歩技術を進めていった科学者たちと技術者たちには頭が下がる。そして、俺というか俺たちと、100年前の日本人はその業績にフリーライドするわけだ。ウェーイ! アッハッハ!



 理研関係はすこぶる順調だったが、国外はそうでもなく、中国の主権回復を掲げる蒋介石率いる北伐軍(南軍)が北京に居座る張作霖率いる北軍を討伐するため北進を続け、山東半島に迫ってきた。これ以前に北伐軍により外国人に対する略奪暴行事件である南京事件、漢口事件が起きており、邦人を含む外国人の安全が危惧された。

 これに対し、日本政府は居留民保護と同地での権益保護のため一個旅団を山東半島青島に派遣している。これが第一次山東出兵である。史実では、旅団は進出した済南を占領した。その後、迫る北伐軍に対抗するため日本政府はさらに2個師団を山東半島へ増派したが、日本軍が北伐軍と対峙する前に北伐軍(南軍)が北軍に大敗し、北伐は中断された。日本軍は結局北伐軍と直接対峙することなく、国際的な批判もあり、9月初には撤収することになる。




 6月に入り、ニッケルクロムモリブデン鋼(SNCM鋼)の製造に目途が立った。SNCM鋼はあまりに強靭で、従来の切削刃物では歯が立たないので、次の開発ターゲットは超硬合金タングステンカーバイド。炭化タングステン(WC)の粉末をコバルト(Co)で固めたものだ。ということでコバルトを入手する必要がある。幸い、朝鮮半島にも有望な鉱床があるようだが、すぐにどうこうできるわけではないので、商社を通じてベルギー領コンゴからコバルトを購入するよう大河内所長に話をしておいた。ニッケルについては、現在はカナダからの輸入なのだそうだが、コバルトも含めて備蓄を勧めておいた。余談だがゲルマニウムの備蓄はどんどん積み上がっている。タングステンカーバイドは史実では昨年、1926年にドイツのクルップ社がウィディア(Widia)という商品名で開発し、今年(1927年)の3月にライプツィヒ・メッセ(見本市)で切削工具として初めて公開されたようだが、特許に抵触しないよう内製化を進め、最終的には窒化チタン蒸着を施し、別物に仕上げてもらうつもりだ。


 理化学興業の化繊部門のナイロン製造だが、価格は絹糸に比べて2割程度割高とかなり強気設定だ。それにもかかわらず爆発的な売れ行きで、工場は3交代制で24時間操業していたが、生産が追いつかない状況だった。そのため、第2、第3工場を新設することになった。場所は群馬県の前橋と宮城県の仙台。世界恐慌の煽りで生糸の輸出が途切れた後の農家の救済を目指している。第2、第3工場が稼働すれば欧米への輸出が始まる。来年には国際特許も次々取得できるはずだ。そうすれば、欧米での価格主導権を握ることができる。絹の暴落の影響をわずかででも軽減できるはずだ。


 俺の会社の業績はしらないが、俺たちのチームに限っていえば、トラブルもなく順調だ。俺のところに配属された鶴井は堀口による実戦教育を終え、擦れることなく少しずつ戦力化してきた。




 7月に入り、オークションが行われ、俺のオイスターが120万ドルで落札されたと連絡があった。今の為替で1億8千万円だ。当日俺の外貨口座に振り込み手続きをしたそうだ。翌日、会社のトイレでスマホを出して、外貨預金残高を確認したらちゃんと入金されていた。


 昼食で堀口と鶴井を連れだして三人そろって酢豚を食べながら、

「昨日、オークションがあって、『オイスター』がちゃんと売れたそうだ」

「オークション?」鶴井が驚いたような声を上げた。

「競売のオークションだ」

「先輩、オークションに出品してたのよ」

「山田主任、オイスターって牡蠣?を出品したんですか?」

「いや、オイスターって確かに牡蠣なんだけど、とある防水時計の名前なんだ」

「オークションに出せる時計って、プレミアム時計ですよね」

「そうだな」

「そんなすごい時計持ってたんですね」

「まあな」


「それで、いくらで売れたんですか?」と堀口。

「ここで言っていいか迷うな」

「そんなに?」

「前回のあれに比べれば、大したことないけど、お小遣いの金額じゃないな」

「先輩、そろそろ将来のこと考えたほうがいいんじゃないですか?」

「あぶく銭はいつ無くなるか分からない。そういう風にまじめに考えているから、まじめに会社で働いてるだろ?」

「そうかもしれませんが、先輩の場合、あぶくが気球より大きいような」

「気球銭か、堀口も面白いこと言うな。確かに、オークションで稼ぐ方が会社で働くより何倍も儲かっているのは確かだけど、将来どうなるか分からないだろ?」

「えっ! 山田主任は兼業してるんですか?」と鶴井。

「兼業というより、趣味が実益になってるってことだ」

「骨董屋に行って掘り出し物を見つける?」

「鶴井さん、なかなかいいところ突いてる!」

「確かに、それと同じようなことかもな」

「そのうちわたしも、骨董屋に連れて行ってもらえませんか?」

「そういう趣味あるの?」

「目利きになれば、将来が明るくなるような気がして」

「鶴井、お前、会社に入ってまだ3カ月とちょっとしか経ってないだろ? それで将来を明るくしようって考えるのは、ちょっと早いんじゃないか?」

「済みません」

「いや、謝ることじゃないけどな。堀口、どう思う?」

「それは、先輩の判断でしょう」

「まっ、いいか。将来的に貿易商ってのも悪くないしな。貿易商となれば社員が二人くらいいないと回らないだろうし。堀口も手伝ってくれるよな」

「それしかないでしょう」

「はい? それって、どういう意味です?」と俺の顔を見ながら鶴井が尋ねた。

「今週の土曜、鶴井は空いてるか?」

「は、はい。空いてます」

「そしたら骨董屋に連れて行ってやるよ。堀口と別々に来るより、堀口と一度待ち合わせて、それで俺の方に来た方がいいかな」

「ですね」

「じゃあ、そのあたりは二人で決めてくれ。服装のことはちゃんと鶴井に教えておいてくれよ」

「はい」

 鶴井が俺と堀口の顔を交互に見ながら、

「骨董屋さんにドレスコードがあるんですか?」

「鶴井さん、今度行くところに明確なドレスコードがあるわけじゃないけど、派手な服装はTPO的にまずいのよ。リクルートスーツを着ておけば無難よ」

「分かりました。凄く格式ある骨董屋さんなんですね」

「そういう表現もあるか?」

「ないかも?」




 その週の土曜日(1928/7/16)。時刻は午前9時10分前。

 先週は、超硬ビット、SNCM鋼を削るための完成品チップを小型、中型、大型と各200個、合計600個運んでいる。これだけあれば、当面の工作は問題ないだろう。足りなくなったり、形に問題あれば、1週間遅れるがその都度対応だ。


 今日理研に運ぶ荷物はチタンインゴットだ。まだ先の話になるが、超硬合金工具に対して窒化チタンを蒸着させると工具の耐久性が倍増どころか10倍になるという。窒化チタンとその蒸着法は金属材料データブックに載っているはずなので、理研の研究者たちがチャレンジしていくことで、そのうち正解にたどり着くだろう。信じてるよ。

 さらに言えば、SNCM鋼の表面に窒化チタンを蒸着すれば、刃物なら、国宝級の業物もかすむほどよく切れるはずだ。


 1キロのチタンインゴットを60枚。これを3箱に詰めて台車に載せ、台車を押しながらうちを出て蝉時雨の中、公園前まで行ったらちゃんと堀口と鶴井が待っていた。


「二人ともおはよう」

「「おはようございます」」

 堀口はリクルートスーツではなかったが、それに準じたおとなしいいつもの服で、鶴井は明らかにリクルートスーツを着ていた。


「先輩、それって先週言ってたチタン?」と堀口。

「そう。全部で60キロある。メッキみたいな使い方だから、かなり使い出があるはずだ」

「チタンと骨董屋? ここは北浦和公園?」そう言って鶴井がキョトンとしている。

 なんとなく見てて面白い。連れてきてよかった気がし始めた。


「俺が荷物を先に運んでしまうから、二人はここで待っててくれ」

「はい。鶴井さん、今から面白いものが見られるからね」

「面白い? 骨董屋さんは?」


 俺は荷台から一箱を持ち上げて、穴を潜り抜けて向こう側に行った。抜ける途中で、鶴井が大きな声を上げたのが聞こえたのだが、何を言ってたのかは分からなかった。

 抜けた先も蝉しぐれで、空は快晴だった。(注1)

 待機していた理研のトラックの荷台に運転手さんに手伝ってもらって荷物を載せて、また穴をくぐった。


「今、山田主任が消えて、それから現れましたけど、目の錯覚じゃないですよね? 荷物なくなってるし? いったい? 骨董屋は……?」

 よほど、骨董屋が気になるようだ。俺は鶴井の疑問には答えず、

「荷物をどんどん運んでしまうからな」

「はい」「はい?」


 あと2往復して、

「向こうに行く前に、鶴井にいいものを見せてやろう」

「骨董屋さん?」

「そうじゃないから。鶴井、俺の手を持ってくれるか? 俺が鶴井の手を取ってもいいが、それだとちょっと嫌だろ?」

「嫌じゃないですけど、えっ? なんで?」

「なんでもいいから、気にせず俺の手を持ってくれ」

「はっ、はい」

 鶴井は人差し指と親指で俺の左手を摘んだ。

「あっ!」鶴井が大きな声を出した。


「そこに見えるのは穴なんだ。その穴は100年前の日本に繋がってる。俺とこうやって接触してれば、鶴井も穴を超えられる」

「……」

「そういうことだから、向こうに行って自分の目で確かめてみればいい。言っておくと100年前のこの公園は官立浦和高等学校といって、今の埼玉大学の前身が建ってたんだ」


「俺が手を持ってってやるから、向こうに抜けるぞ」

 俺の方から鶴井の手を取って、穴の中に入っていき、鶴井を引くようにしたらすぐに鶴井が穴を抜けてやって来た。

「うわっ!」

「後ろを見てみろ」

「うわっ! うわっ!」

 うわっ、しか言葉が出ないようだ。

「堀口を呼んでくるから、ここを動くんじゃないぞ」

 鶴井はカクカクと何度も頷いた。


 鶴井から手を放して、穴をくぐり、片手で荷台を持ち、堀口と穴を抜けた。


「そこの小型トラックに乗って一度浦和駅まで行くから」

「はい」「はい?」

「堀口はいつものように助手席。俺と鶴井は荷台に乗るから」

 俺が先に荷台に乗って、鶴井を荷台に引っ張り上げてやった。

 助手席に乗った堀口が後ろを確認して、運転手さんに「出してください」と言ったらトラックはすぐに走り出した。


 台車を持って帰るのは面倒だから次回台車を使うときは、使ったらうちに戻しておこう。





注1:

1927年(昭和2年)7月16日の東京の天気

気象庁の記録によると、当日の東京(中央気象台)の気象状況は以下の通り。

天気: 快晴(のち、夜にかけて一時的に曇り)

最高気温:29.8℃

最低気温:22.3℃

平均気温:26.1℃

降水量:0.0mm

今どき、何でも分かるようです。そういえば、作中、向こうの天気を描写した時は史実に準じています。だだ、これは、グーグルが吐き出した数字なので、正しいかどうかは不明です。



「なんくるないさー」って「なんとかなるさー」とか「なんともないさ」と、思ってたんですが、どうも「自然とあるべきようになる」という意味だそうです。ここでは「なんともないさ」という意味で使っています。モーマンタイにケンチョナヨと同じです。

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