第24話 昭和2年3月。昭和2年4月、1
3月7日。歴史通り北丹後地震が発生し、京都府北部を中心に甚大な被害がでた。後日判明した死傷者数は死者2,925人、負傷者7,806人。これも記録通りだった。
今後、歴史が動いていけば、死傷者数の増減はあるのだろうが、地震そのものは、『予定』通り起こるってことだ。おそらく、台風や洪水といった自然災害も同じハズ。つまり災害が起きても人的被害は最小限に抑えることが可能になる。しかし、それを公表していいのだろうか?
公表するということは、政府に俺が未来から来たってことを教える必要がある。そんな俺を政府が自由を与えるだろうか? 無理難題を言いつけてくるのではないだろうか?
そうなってしまうと、時間移動などしたくなくなる。幸い理研では俺のことを積極的に口外はしていないようだ。未然に防げる災害を見過ごすことになり、犠牲者を見殺すことになるけど。俺に責任があるわけじゃない。と、割り切ろう。
こちらの3月18日の土曜日、向こうでは3月19日の土曜日。日にちが一日ずれたのはこちらがうるう年だった関係で2月が29日まであったから。そのうち一緒になるだろう。
あまり考えることなく、消耗品の補充のため理研を訪れた。
所長室で、
「まず、ストレプトミシンだが、北里研究所が60パーセント、うちが40パーセントの割合で特許を出願した。これも特許の登録を待たずに星製薬を介して事業化する予定だよ」
順調で何より。しかも結核の特効薬だ。
「君の年表に書いてあった金融恐慌だが、起こりそうだよ」
基本的に運搬屋しかしていないので、すっかり失念していた。
「3月14日に国会で片岡蔵相が『東京渡辺銀行がとうとう破綻致しました』と発言してしまった。それで、窓口を閉めた銀行が何行も出ている」
「ちょっと困りましたね」
「心配だな」
「ここは大丈夫なんですか?」
「大きな借り入れはしていないから、うちは大丈夫だ。逆に資金は潤沢と言ってもいいだろう。君たちのおかげでこれからどんどん利益も上がっていきそうだ。今後起こるだろう、世界恐慌、昭和恐慌も乗り切れるはずだ」
「安心しました」
金融恐慌か。高校の歴史で習ったような気もするが、当然詳しいことは何も知らない。ただ、何となく、モラトリアムがどうとかこうとか。ぼんやり覚えている。
理研からの帰り道。例のカフェーに入って、二人ともコーヒーを頼んだ。
「金融恐慌だなんて、激動の時代って感じがしますね」
「そうだな。俺たちの時代じゃ考えられないよな」
「でも、バブル崩壊の時は一種の金融恐慌じゃなかったんですか?」
「確かにそうなんだろうな。いろんな金融機関が潰れたようだし、取り付け騒ぎもあったようだから」
「あれって、政府が資金を融通したんですよね?」
「そうだな。日本興業銀行って国策銀行があったんだが、大きすぎて潰せず政府が公的資金を注入したからな。ほかにも多くの銀行が政府の資金で破綻を免れた」
「でも、それって事業の失敗を政府が尻ぬぐいしたってことですよね?」
「そうだな。それでモラルハザードって言われたらしい。ただ、銀行の下には多くの企業がぶら下がっているのも事実だろ? 事業がうまくいっていても銀行から金を返せといわれれば、金がなければ事業を畳むしかなくなる。そうなっちゃ、経済が死ぬからな。仕方なかったんじゃないか。なんであれ、注入された公的資金は2025年までに全額返済されたそうだ」
「救われた金融機関があって、救われないまま破綻した金融機関があったことは、ちょっと釈然としませんが、そういうものだと言われれば仕方ないです。ということは、この世界での金融恐慌も政府が資金を融通することで何とかなるってことでしょうか?」
「俺も、詳しくないからそこまでは分からないが、おそらくそうなんじゃないか」
「日本政府によくそんなお金ありましたね。満州の鉄道を買ったばかりでしょ?」
「満州の鉄道買収は外貨つまりポンドとか、現物の金で支払ったんじゃないか? 今回の場合は、日銀が銀行券を輪転機で刷るだけだ」
「それでいいんですか?」
「背に腹は代えられないからな。その代わり、裏付けなく銀行券を刷れば普通はインフレになるだろ?」
「ですよね」
「インフレが進むと考えてた方がいいだろうな」
「わたしたちでできることってありませんか?」
「インフレに強いとなると、株とか金だろう。良くは知らないけれど、こっちの国民でもない俺たちじゃ買えないんじゃないか?」
「それに、この時代に投資ってちょっと怖いですものね」
「俺たちは、この国の金とか株が紙屑にならないように頑張ってるんだから、そこは覚えておかないとな」
「そういえば、そうでしたね」
いつものように電車と汽車を乗り継いで浦和駅まで帰ってから、すき焼きを食べようということになり、適当な店を探して入っていった。そこでも座敷で、座卓の上に七輪を置いて、その上で仲居さんがある程度用意してから部屋から出ていった。飲み物はビールを頼んでいるので、最初にグラスを合わせて乾杯した。しばらく待って、火が通った肉から溶いた卵を入れた陶器の小鉢に入れて食べた。
「旨いな」
「おいしい」
「以前食べたウナギも一緒だけど、こういうのって、100年で進歩したわけじゃないみたいだな。こっちの方がおいしく感じる」
「それって、実は、こっちの方が『実質』お高いからじゃないですか? 向うじゃ高級すき焼き屋なんか普通行けませんよ」
「確かにそうだった。改良された肉の分、向こうの方はおいしいのかもな」
「でも、わたし、霜降りがあんまり強い牛肉はちょっと苦手」
「それは俺もある。マグロでも大トロより中トロとか赤身の方が好きだ」
「マグロはやっぱり大トロでしょう」
そういえば、堀口は大トロばかり食べるヤツだった。
「人それぞれでいいけどな。何であれ、このすき焼きは旨い」
「ですね。これってお肉がなくなったら、お代わりすればいいんですよね?」
「それはそうだろう。気にせず注文してくれ。肉だけじゃなく野菜もな」
「もう春ですから季節がずれちゃったけれど、ふぐ料理って食べたくありません?」
「ふぐ料理か。食べたいねー。ところでこの時代、ふぐ料理屋ってあったのかな?」
「あったんじゃないですか? なければそれまでですけど」
「帰ってから調べればいいか。この時代のこの時期のお勧めってなんだろな?」
「なんでしょうね。全然分からない。魚とかは100年くらいじゃ変わらないからほとんど同じじゃないですか?」
「それもそうか」
「それより、もうすぐ花見のシーズンですよ」
「そうだったな」
「今年はどうします?」
「そういえば、去年は堀口と上野公園に行ったんだったな」
「初デートでしたね」
「予定を決めて二人で花見に行ったわけだから、そういう意味じゃ初デートだよな」
「深い意味合いはなくても、第3者的には初デートですし、わたしたちは第3者的には恋人同士ですよ」
「そうそう、会社で俺たちのこと噂してるようだな」
「そういうのって、どこでもあるんじゃないんですか? 特に女子の間だと」
「そうかもしれないが、男の間でもあるんじゃないか?」
「そうかもしれませんね。話題に上るってことは注目されていること、嫉妬されていることの裏返し。と思っていればいいんですよ」
「なるほど。優越感に浸るわけだな」
「そう。その方が健全でしょ?」
「俺もそう思うようにしよう」
肉も肉以外の食材もどんどん追加して腹いっぱいになって店を出た。
「ちょっと食べ過ぎたみたいだ」
「お腹いっぱいの苦しさを和らげる魔法があればいいですよね」
「世の中は広いし、俺たちはこうして100年前の道を歩いているわけだから、そういう魔法があっても不思議じゃーない。たまたま俺たちが知らないだけだ」
「それじゃあ、意味ないでしょ」
「だから、こうやって腹ごなしに歩いてるだろ?」
「でも、結構つらいですよ」
「我慢しろよ」
「するしかないですけど」
「今度から、胃腸薬を用意しとけよ」
「それいい案ですね。そうしよ」
浦和高等学校まで帰ってきて、あらためて気づいたんだが、寮の建物が出来上がっていた。4月から全寮制になるとかウィキに書いてあったからなー。
正門横の穴から出たところで、堀口とは別れた。
家に帰った俺は、大きくなった腹をさすりながら、パソコンに向かって金融恐慌について簡単に調べてみた。
片岡蔵相の失言の翌日の3月15日から市中の中小11行が業務を停止して信用不安が広がったものの、日銀などの鎮静化の動きもあり、2週間後の3月24日以降、いったん信用不安は収まったかに見えた。
4月に入った。
片岡蔵相の失言の引き金となったのは震災手形の処理問題だったが、その震災手形を最も多く所有していたのが台湾銀行であり、その台湾銀行の融資の大部分が日本有数の商社だった鈴木商店だった。その結果、台湾銀行は鈴木商店への貸増しを拒絶したことで、鈴木商店は資金繰りに行き詰り営業を停止し、実質破綻した。また、このことにより、台湾銀行自体の信用も失墜し、資金繰りが悪化した。
政府は台湾銀行を救済するため、2億円を限度に台湾銀行の損失を補償する「緊急勅令案」を枢密院に提出したところ、4月17日に反対多数で否決された 。その結果、若槻内閣は総辞職し、台湾銀行は休業した。4月21日には名門の十五銀行が休業したことで金融不安が全国に広がり、預金者が銀行窓口に殺到する取り付け騒ぎは頂点に達した 。
若槻内閣の後を受け、新たに発足した田中内閣の高橋是清蔵相のもと、支払延期令が実施される事態へと発展し、併せて行われた見せ金作戦と巨額の日銀特融により、5月中旬には金融恐慌は終息を見せた。
台湾銀行については政府が巨額の資金を注入することで延命している。バブル崩壊時の大銀行への公的資金注入と同じだ。いや逆か。台湾銀行救済が先で、バブル崩壊時の大銀行救済はそれをまねただけだ。
というところ。
星製薬も台湾銀行からの多額の融資を受けていたようなので、ちょっと心配ではある。最終的には台湾銀行は生き返るから、そこまで凌げばいいだけだ。ガンバレ。それに理研で星未来薬品の株を49パーセント持っているので、いよいよ星製薬が危なくなれば、星製薬の持つ51パーセントの株を理研が現金で買い取って、100パーセントの子会社にしてしまってもいい。理研にそれくらい金あるよな?
あと、あの時代でもふぐ料理屋があったそうだ。ふぐ食は江戸時代は禁止されていたようだが、明治時代に伊藤博文の尽力により山口県下関で解禁(1888年頃)されて以降、徐々に全国へ広まったとか。伊藤博文の隠れた功績だな。一つ賢くなった。
それと、1927年の上野公園の桜の満開日を調べたところ、開花日が3月28日で満開日が 4月4日だった。ずいぶん現代と比べて遅い。そういう意味では現代は暖かくなったってことか。ただ、縄文時代の東京辺りは亜熱帯ないし暖温帯と聞いたことがある。それを考えれば21世紀は普通といえば普通。そもそも今は第四間氷期で氷河期の真っ最中。
モーマンタイにケンチョナヨ。
口に出して言ったあと、あまりの語呂の良さに大笑いしてしまった。
日本での金融恐慌のさなか、中国では南京事件(3月24日)が発生し、中国人過激派による外国人襲撃が起こっている。事件の背景は不明だが蒋介石は首謀者を共産党員として糾弾している。これがのちの蒋介石による共産党弾圧、上海クーデターに繋がる。
それとは別だが、史実では3月25日、巡洋戦艦から空母に改装中だった赤城が竣工したはずだ。この世界での赤城はきっと長生きするはずだ。




