第22話 昭和2年1月
正月が明けて、だらだらと4日過ごしてしまい、あっという間に年末年始の休日が終わってしまった。
そして今日は仕事始め。会社では特別な行事があるわけではないが、例年社内テレビで社長の新年の挨拶がある。別にそれを見ても見なくてもいいのだが、とりあえず会社員な俺は、放送が始まる午前8時までに会社に到着するよう、いつもより15分ほど早くうちを出た。
今年初めて公園の前を通ったのだが、ちゃんと穴は輝いていた。ちょっとだけ安心した。
午前8時少し前に会社に到着して、適当に新年の挨拶をしてから席に着いて社長のお言葉が始まるのを待っていたら堀口が出社してきた。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「おめでとうございます。今年もよろしく」
その後すぐに始まった社長の新年のお言葉を聞き、仕事を始めた。
「こういった挨拶って何か意味あるのかな?」と、隣の席の人がそう申しておりました。
俺自身こういった行事について思うところがないわけではないが、会社員の俺は何も言わなかった。そういうことを疑問に思っても、この会社の中で口に出して言っていいのは社長だけだ。堀口のヤツ、まだまだ若いな。
そして、俺と堀口にとって向こうの仕事始めの1月8日(1927/1/8)。
7時50分に堀口を公園前まで迎えにいって、何回かうちと穴の向こう側を往復して荷物をトラックに載せた。俺はカバンにノートパソコンを一台とデジカメを一台入れておいた。これはデジカメのデモ用だ。USBケーブルはデジカメの箱の中に入っている。
いつもの形で、俺と堀口は荷物を載せた理研のトラックとは別に汽車と電車で駒込に向かった。
車窓から見える街の中はどこもかしこも弔旗がはためいていた。
理研に到着したら、本館の玄関前にはしめ縄もなければ門松もなかった。そこからカバンを持って所長室に行き、新年の挨拶の後、今日運んできたものを報告してから、デジカメの説明を始めた。
「このカメラは普通のカメラと同じように使えるんですが、画像だけでなく、映画のように映像も撮ることができます。それで、普通のカメラだと、後ろから穴を覗くのでしょうが、このカメラの場合は、後ろにノートパソコンの画面を小さくしたような画面があって、そこに被写体が映るので、それを見てシャッターを押したり、録画開始ボタンを押します」
などと説明して、大河内所長をパシリと撮影した。
そしてSDカードを抜いて、
「それで、普通のカメラだと、フィルムを使いますが、このカメラの場合、SDカードと呼ばれるこの小さな板がフィルム替わりになります。これ1枚でだいたい7、8000枚くらいは取れると思います。映像だと、3時間くらいかな。残量は分かるので何とかなるでしょう」
手に持ったSDカードをノートパソコンに差し込んで画像をモニターに写した。
「これも天然色なのか!」
「はい。それで、このノートパソコンをプリンターにつなげば印刷できます」
「つまり、現像が要らないわけだ。すごいことだな」
「これで実験結果なんかを記録して、文章なんかに貼り付けることもできます」
「なるほど」
「実験記録として、映像を記録すれば、あとで何回でも見ることができます。実験記録だけでなく、ここの施設を映像として記録しておけば、それだけで価値があります」
「映像も天然色なんだろう?」
「はい。このカメラは高感度ではないので、ある程度明るいところで写した方がいいんですが、今日追加で運んでいるカメラはこれより高感度の物を3台用意していて、その機種は暗闇でも、ライトなしではっきりくっきり画像も映像も撮影できます。詳しい使い方は、説明書が箱の中に入っているから大丈夫でしょう」
「未来の技術が怖いよ」
「何十年もかけて少しずつ技術が進歩していった結果です」
「そうだな。君の世界に追いつければいいがな」
「100年後は、確実に追い越しています」
「その意気込みは大切だ」
「そういえば、4月になれば、また人が増えるんですよね」
「その予定だよ。いろんな大学からうちに来てもらっている先生方が自分の大学の同僚たちに『色々』宣伝して回ったようで、この四月は新人だけでなく『先生方』もうちで引き受けることになっている」
「となると電卓を追加したほうがいいですね」
「予備はまだあるみたいだが、アレはあって悪いものじゃないからな」
「わかりました」
そのあと、所長の方から、合成ゴムについて話があった。
「ニトリルゴムについて予定通り理化学興業から今月中に特許を出願するそうだ」
「どんどん進んでいきますね」
これで高性能のガスケットができれば、機械の性能が一気に上がる。
「ニトリルゴムが一段落した有機化学研究室ではスチレン・ブタジエンゴムの合成に取り掛かかっている」
「タイヤですね」
「スチレン・ブタジエンゴムでは天然ゴムの完全な代わりにはならないようだが、それでも使えるタイヤに仕上げてみせると有機化学研究室の連中は言っていた」
「頼もしいですね」
「全くだよ」
「じゃあ、次回は関数電卓とプログラマブル電卓、そして、コーヒーとカップ麺、レトルト食品を用意します」
「助かるよ」
「そういえば、ガソリンエンジンなんですが、高圧縮するとエンジンが勝手に爆発するため、ガソリンに添加物などを加えて暴発しないようにするそうです。そういった研究が遅れた日本は、高性能航空機エンジンが作れず、戦争で苦戦しました。そういった研究を新しく嘱託で来られる先生にやってもらえばどうでしょう」
「ほう。興味を持ってもらえれば取り組んでくれるだろう」
「もう一点はジェットエンジンです。これは灯油を圧縮空気で燃焼して、高温排気を後方に噴出させて推力とするエンジンです。これも航空機用エンジンとして開発されたものです。プロペラ機では理論上音速を超えられませんが、ジェット機の場合、音速を超えることも可能です。エンジンとなると、どれも高温高圧を扱いますが、ジェットエンジンの肝も金属材料とその加工になります」
「なるほど」
所長室を出て、そのまま玄関でトラックを待っていたら、それほど待つことなくトラックが到着した。運転手と堀口と俺の3人で手分けして荷物を玄関の中に運び入れ、あとは幸田さん以下の理研の人に任せることにしてその日の仕事を終えた。
理研を出て堀口と駒込駅に向かって歩いていたら、道沿いに安田銀行駒込支店の看板が目に入った。
「先輩、昭和元年の硬貨がないか、両替してみません」
「そうだな。20円くらいを両替してみるか」
銀行に入っていき、窓口で「10銭硬貨50枚と20銭硬貨50枚、50銭硬貨10枚に替えてください」と言って10円札を2枚差し出したところ「はい、かしこまりました」と言ってすぐに皿の上に硬貨を載せて返してくれた。手数料は要らなかったようだ。すごく儲けた気がする。
110枚の硬貨をハンカチに包んで持っていた肩掛けカバンに入れて外に出た。
「カフェーに行って調べてみよう」
いつもの駅前のカフェーにいき、席に着いて飲み物を頼んで、飲み物がやってきたところで、カバンからハンカチに包んだ硬貨を取り出してテーブルの上に広げた。
二人して、1枚1枚硬貨の年号を調べたところ、
「外れでしたね」
「年賀はがき100枚あったら3枚当たりがあるんだが、110枚の中に1枚もなかった」
「そういうものですよ。珍しいから価値があるわけですから」
「それもそうだな。というか、そもそも大正時代に昭和元年って勝手に作って発行準備してたら相当まずくないか?」
「確かにそうですね。そう考えたら昭和元年の硬貨なんてあるわけないですものね。アハハハ!」
「そういえば、今日のあのデジカメ、いいデジカメでしたね」
「まあな。とはいえ値段はそれほどじゃないんだ。堀口には見せていないけれど、高感度のデジカメは1台50万した」
「それもすごいですね」
「うん。素人が持つようなカメラじゃないな」
「ですね」
「5月の連休に日本の風物を写すとか言ってましたが、カメラ持ってるんですか?」
「いや。持ってない」
「それじゃあ、買うんですね?」
「そうなるな。そういえば、この時代のカメラを持って帰れば高く売れるんじゃないか? ライカのカメラって、名前をよく聞くぞ」
「でもすごく高いんじゃないですか?」
「だろうな。俺が狙っているロレックスのオイスターと同等かそれ以上だろうな」
「わたしじゃ無理か」
「前回の万年筆は大ヒットだったからな。俺は去年の4月に給料が上がったから、堀口も4月になったら給料が上がるかもしれないから、期待しておけよ」
「大したことしてませんけどね」
「資源地図だけだって、現代価値で数十億じゃ利かない貢献だと思うぞ」
「そう言われれば。とはいえ、わたしは調べて書き写しただけですけどね」
「それを言うなら、俺の方も負けないぞ。アッハッハ」
「ハハハ。そうでしたね。だけど、本当にすごいことになってきましたね」
「だな。いろいろ科学技術を加速しているけれど、満州の石油のインパクトが一番みたいだな」
「ですね」
「あとは、サルファ剤とかペニシリンといった医薬品だな。多くの人の命が救われる」
「実感はないですが、いいことしたってことですよね?」
「動機は金儲けだけどな」
「動機はどうあれ、社会に貢献するのは確かですから」
「それはそうだ。金儲けといっても理研の資金を潤沢にして研究資金を作るためだしな。今年の3月になると、大臣の失言で金融恐慌が起こるんだが、どうだろうな?」
「それって台湾がらみの話ですよね? 石油発見とはあまり関係ないんでしょ?」
「そうじゃないか。第一次世界大戦時に膨らんだバブルの崩壊とそれに続く関東大震災のダブルパンチが生んだ不良債権処理の遅れが本当の原因だったはずだから」
「となると、失言あるなしにかかわらず、避けられないわけですね」
「断定はできないけど、そうなんじゃないか。その代わり、1929年10月から始まる大恐慌の影響は軽微のはずだ」
「どうしてですか?」
「まず、円高にしたうえで強い経済を演出しようとして金解禁を行ったんだが、大恐慌下で断行した結果、貿易不振で輸出が激減したんだ。それが昭和の大恐慌に繋がっていく。
今回の場合、満州に石油が出た関係で、官民そろって積極的に開発を進めることになる。わざわざ円高や強い経済を演出しなくても済むから、金解禁を行う意味がなくなる。それに油田の近くを走る鉄道はソ連が所有している。これは何としても日本の物にしないと安心できないだろ?」
「つまり、戦争して奪う?」
「それも手ではあるが、普通に買うんじゃないか?」
「それもそうですね」
「買うとなると、円では買えないから必要なのはポンド、ないし金になる。つまり、金解禁したくてもその金がない」
「つまり、結果論になるけど、満州で石油が見つかったことで昭和の大恐慌を防いだ!?」
「おそらくな」
「たった一つのことで、いろんなことがいい方向に転がっていくんですね」
「そうだな。第2次世界大戦で、日本が南を目指したのは、石油がなかったから。って堀口も知ってるだろ?」
「ABCD包囲網?」
「それ。だけど、今回は満州に石油があった。つまり石油を求めて南に進む必要がなくなった。少なくともアメリカ(A)、イギリス(B)、オランダ(D)と衝突しないで済む」
「つまり?」
「満州を防衛するため北を目指すことになるんじゃないか?」
「そうなんだ」
「欧米諸国にとって共産主義は敵だし、日本にとっても敵だ。つまり、ソ連に対してことを起こす分には欧米は黙認する」
「でも、アメリカ政府の中に共産党のシンパがいたって、どこかで聞いたことがあるんですけど」
「口では文句を言うかもしれないが、実際何ができるわけじゃない」
「それならいいです」
「第二次世界大戦がこの世界でも始まったとして、ドイツがソ連を同じように攻めたら、日本もソ連に攻め込めばいい」
「それじゃあ、日本はまた三国同盟?」
「いや。ドイツと同盟することはない。俺たちの歴史の三国同盟は持たざる者の連合体で旧体制の打破を目指したが、今の日本は持てる国なんだ」
「なるほど。でも、ドイツと一緒にソ連を攻めるんですよね?」
「攻めるのは同時だが、ドイツとは無関係に攻める。バイカル湖のほとりのイルクーツク辺りまで占領したらそこで休戦でもいいんじゃないか?」
「勝手に休戦って、できるんですか?」
「ソ連はドイツで手いっぱいだから、確実に『現状を新たな国境とする』という日本からの休戦提案を飲む。国がなくなるよりずっといいからな」
「そうなるとすごいですね」
「それで、次の一手は、イルクーツクを国際都市にしてユダヤ人を呼び込むんだ。ついでに100年くらいの期限付きで有償で租借させる。そうしたら俺たちの世界のようにイスラエルと中東諸国の紛争もない。しかも、イルクーツクを自分たちで守るうえに世界中のユダヤ資本から金が集まる。そして、その金は日本に落ちる。さらにドイツの弾圧から逃れてきたユダヤの頭脳も手に入る。頭脳については今の理研の方がポテンシャルはあると思うけどな」
「えげつないほど合理的」
「そこまでいけば、日本は世界のトッププレイヤーだ」
「夢がありますね」
「その時、世界はどうなっていると思う?」
「第二次世界大戦で、ドイツはヨーロッパを席巻したものの、イギリスだけは落とせなかった。そしてソ連に踏み込んで消耗させられて結局負けた。その世界がどう変わっていくかって話ですよね」
「ヒントとして、ドイツが負けた原因はアメリカによるイギリス、ロシアに対する援助とアメリカの直接参戦だ」
「なるほど」
「そのアメリカからのソ連への援助のうち、約5割は北大平洋経由でシベリア鉄道を使ってモスクワ方面に届けられたんだ。この世界では『中立』の日本がシベリア鉄道を塞いでいるから、物資は輸送できない」
「アメリカからの物資を勝手に止めていいんですか?」
「中立国は義務として輸送拒否ないし没収しなければならない。国際法上の中立国の義務だ」
「そうなんだ」
「ドイツだろうとソ連だろうと戦争当事国に対して、肩入れできないって国際法にあるんだよ」
「へー。となると、ソ連、すごく危なくないですか?」
「おそらくドイツが勝つだろうな。ソ連は生き残ったとしても、ドイツの属国になるかウラル山脈の東まで後退するんじゃないか」
「そうなるとどうなります?」
「そうだな。その前に、アメリカが第二次世界大戦に参戦した直接の原因って知ってるかい?」
「うーん、何だろう?」
「日本の真珠湾攻撃なんだ。それで日本がアメリカに宣戦布告したことで、三国同盟の規定ではなかったが、いずれアメリカと戦うなら『いまでしょう』という判断で、ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告したんだよ。言い方を変えると、アメリカは欧州の戦争にどうしても参戦したかったから、石油で日本を挑発して暴発させ、裏口から参戦したんだ。もし思惑が外れてドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告しなかったら、アメリカはそれなりの挑発をドイツにしたんじゃないか?」
「どうしてアメリカは戦争したかったんですか? これってこの前も聞いたかな?」
「じゃあ、もう一度。表向きは欧州を全体主義から救うという理由だったが、実際はイギリスを助けることで、イギリスから大幅な貿易上の譲歩を引き出そうとしたんだよ。門戸開放を口実に、強固な英国圏を背景としたそれまでのポンド基軸からドル基軸へ誘導したんだ。大戦の結果として欧州は物理的にも、システム的にも破壊され尽くした。欧州のオールドエスタブリッシュメントの終焉だ。戦後、アメリカ資本による欧州の復興という首輪で、アメリカを中心とした新たな世界秩序が構築された。マーシャルプランとかブレトン・ウッズ体制って聞いたことがあるだろ? パックスアメリカーナの完成だ。もちろん俺の推測だけどな」
「でも、そうなりましたよね?」
「結果から見てそう推測したから、そうなるのは当たり前だけどな」
「でも、ソ連は長いことアメリカと世界を2分してましたよね?」
「そうなんだが、結局は出来レースだったんじゃないのか? どちらも核大国だから両国間で戦争が始まれば世界が滅びると言ってたが、実際、局地でさえ核は使われなかった。表向きは両国とも大変な金を使って核を維持しただけ。裏から見れば、核って巨大な利権装置だ。維持費と研究費として天文学的な金が動く。もっと言えば核の恐怖を煽るのもビジネスだろ? そして核拡散防止条約で出来レースを理解できない新参者はレースに参加させない」
「うーん。どこにも矛盾はないみたいだけど、そこまでのことをしますか?」
「だから、俺の勝手な推測なんだよ」
「うーん。でもありそうで怖い」
「それが真実であろうとなかろうと、この世界ではそうはさせない。それでいいじゃないか」
「うまくまとめましたね」
「アハハハ」




