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技術立国日本  作者: 山口遊子


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2/20

第2話 大正15年2月、2


 駒込駅から大通りを南に歩いて理化学研究所の門の前にやってきた。

 門には守衛室が付随していて、そこの窓口で、社長に取り次いでもらいたいと告げたところ、もちろん守衛に胡乱うろんな目で見られてしまった。それで持参したカバンの中からソーラー電卓を取り出し、簡単な計算をして見せた。


 そうしたところ、さすがは理研の守衛だけあって、「ものの価値」、「ことの重大さ」に気づいてくれたようで、電話をかけて交換を通して所長秘書を呼び出した。


「正門に所長に会わせてほしいと言って若い男がやってきてるんです。それで、その男なんですが手に乗るほどの計算機を持っているんです。はい。計算機です。見たこともない素材でできて数字が変わって答えが出るんです。まず見て判断してもらえますか?」


「はい。お待ちしています。

 ちょっと待っててくれるかね。いま所長秘書の方がやって来るので、その機械を見せなさい」


 守衛室の前で5分ほど待っていたら背広を着た40歳くらいのおじさんが息を切らせて走ってきた。


「所長に会わせろと言って、手のひらに乗る計算機を持ってきたのは君だね?」

「はい。山田幸太郎といいます」

「わたしは所長秘書をしている幸田という者だ。早速だけれど、その計算機を見せてもらえるかな?」

「これです」

 一度カバンにしまっていたソーラー電卓を取り出して、幸田さんに手渡した。

「5×3なら、5と書かれたボタンを押して、×と書かれたボタンを押し、それから3を押して=と書かれたボタンを押してください」


 指示通り幸田さんがボタンを押して、15と数字が出た。

「すごい! こんな計算機があったとは。仕組みが全く分からない。ここに、平方根の印が書かれているボタンがあるが、まさか平方根が分かるのかね?」

「数字を押した後、そのボタンを押せば平方根を計算します。いま15と表示が出ていますから、そのボタンを押すと15の平方根が出ると思います」

「出た! 3.8729833462。じゃあ3の平方根。出た! 1.7320508076。さっそくだが、所長にも見てもらおう。山田君一緒に来てくれたまえ」

 掴みは予想以上だった。


 幸田さんの後について理研の構内を歩いていき、管理棟と思われるひときわ大きな建物中に入った。

 いくら「とんでもない機械」を持った男でも、素性のはっきりしない男を招き入れていいのかというと、あまり褒められたセキュリティーではないかもしれないが、そのあたりは同じ日本人であるという安心感があるのだろう。


 廊下を進んでいき奥の方の部屋の前で幸田さんが立ち止まった。そして部屋の前で、中に向かって声をかけた。


「所長。ものすごい計算機を持参した人物が所長に面会を求めています。所長もその機械をご覧になってください」

『分かった。入ってもらってくれ』


 幸田さんがドアを開き、俺が先に入るよう促されたので先に入った。

「わたしが所長の大河内だが、君の名前は?」

「山田幸太郎といいます。幸太郎の幸は幸福の幸であとは太郎、次郎の太郎です」

「山田君、ソファーに座ってくれ」

 ハーフコートを脱いで、勧められたソファーに座り、ハーフコートを膝の上に置き肩から外したカバンを床に置いた。大河内所長はテーブルを挟んで向かいに座った。


「それで、そのものすごい計算機というのは?」

「これです」カバンからソーラー電卓を取り出して大河内所長に手渡した。


 大河内所長の後ろに立っていた幸田さんが使い方を耳打ちし、大河内所長がその通り操作した。


「これは驚いた。こんな小さくて軽いもので計算ができるとは! 素材はセルロイドでもエボナイトでもなさそうだ。ベークライト……いや、それとも違うな。よく分からないな。これは電池で動くのかね?」

「素材はプラスチックと呼んでいますが一種の合成樹脂です。電気で動いていますが、電池ではありません。上の面に見える黒っぽい部分で光を受け、その光を電気に変えてそれを動力としています」

「なんと!」

「その黒い部分を太陽電池と呼んでいます。この大きさですと大した発電はできないんですが、この計算機自体、本当にわずかな電気しか使いませんので、その大きさの太陽電池でも室内光でこの計算機には十分な電力が生まれます」

「その言い方からすると、この太陽電池というものを大型化すれば大きな電力が生まれるということかね?」

「その通りです。ですが、太陽の光は昼間、それも雲がないことが必要ですので安定した電源には不向きです」

「なるほど」

「これを君が発明したのかね?」

「いえ」

「しかし、こんなものはどこにもないのじゃないかね?」

「かなり込み入った話なので順を追ってお話します」

「聞こうじゃないか」


「まず、わたしはこの世界の住人ではありません。具体的には西暦2027年の日本からやってきた者です」

「君の言っていることがよく分からないのだが」

「つまり、わたしは、100年後、正確には101年後の未来からこの日本にやってきた未来人ということになります。納得は難しいでしょうが、まずそういうものだとお考え下さい」

「確かに、100年もあれば世の中が進んで、こういったものが作られるかもしれない。思うところはあるが、現にこの計算機がある以上、信じるほかないだろう」

「ありがとうございます。ただ、この計算機は100年後の世界ではなく50年後の世界でもう実現しています。100年後のわたしの世界では、もっと高度な計算機があります。対数なども簡単に計算しますし、ほかにもたくさんの機能が付属しています」

「あり得る話だな」

「例えば、100年後の物価は今の4000倍になっています。つまり、この時代の1円はわたしの時代では4000円の価値があるということです」

「今の物価上昇を考えれば、そうなるのだろう」

「それで、この計算機ですが市販のもので、800円で売っていました。つまり、今の値段に換算すると20銭ということになります」

「なんと!」

「それは一例ですが、わたしが100年先の未来からこの時代にやってきたということは、この時代から見て100年先までの歴史を知っているということです」

「そういうことになるか」


 そこでカバンの中から歴史年表を取り出して大河内所長の前に広げておいた。

 年表を手に取った大河内所長の目が文字を追っていることが分かる。


「それがこれから日本が辿るであろう歴史です。中国での泥沼の戦争ののち、今から15年後、日本は欧米諸国を敵に回し戦争し、4年後大敗してしまいます」

「……」

「敗因はアメリカの科学技術力と物量。と言えるでしょう」

「大正の次、昭和とあるが」

「失礼ですが今日は大正15年2月13日の土曜日で間違いないでしょうか?」

「その通りだ」

「今上陛下が今年の12月に崩御なさり、摂政宮殿下が即位され昭和と改元なされます」

「なんと! そのあと平成、令和と続くわけだな」

「はい」


「なるほど。それで君はどうしたいのかね? この計算機を安く売ってくれるというのかね?」

「それは差し上げます。わたしは、こういったものを作る技術を提供しようと思っています」

 電卓の取説をプリントアウトしたものをカバンから取り出してそれを大河内所長に手渡した。

「これが、その計算機の取扱説明書です」


「ありがとう。それで君は技術者なのかね?」

「いいえ。そういった造詣は全くありませんが、わたしの世界では、そういった技術書が自由に手に入ります。それを提供することができます」

「なるほど」



「ここまでお話ししましたが、実は問題があります」

「何かね?」

「それは時間旅行に対する最大の問題です。わたしが、この世界でわたしの先祖が子どもを作る前に殺したとすればわたしは生まれません」

「確かに。つまり時間を遡ることは原理的にあり得ないということだね?」

「はい。しかし、現にわたしがここにいる。つまり、わたしがこの世界に来たことによってわたしが生きていた世界とは異なる『新たな』世界が生まれた。と考えるしかないわけです」

「分かったような分からないような。あとでよく考えてみるしかないだろう」

「とはいえ、わたしはこの世界に来たことでそれほど世界が、世界の歴史が変わることはないでしょう」

「そうだろうな」

「それでも、わたしは日本が欧米諸国に負ける未来を変えたいと考えこの世界にやってきました」

「それで、未来の技術をわれわれに提供するというわけだね」

「はい」

「なるほど。よくわかった。それじゃあ、じっくり君の話を聞こうじゃないか」

「ありがとうございます。それで、戦争に勝たないまでも負けないためには動力となる石油石炭と食料の自給が必須です」

「君の言う通りと思うが、石炭と食料は何とかなるかもしれないが石油はどうにもならないぞ。それにこれから石油の使用量はどんどん上がっていくだろうし」

「わたしの時代の日本にも石油はなく輸入に頼っています。しかし、近いところでは満州、ハルビンとチチハルの中間、陸成層にもかかわらず深さ1000メートルから1500メートルあたりに大規模な油田が眠っていますし、北樺太にはまだ発見されていない油田が何カ所も眠っています。それらの地図をお見せすることが可能です」

「なんと!」

 ここでは。今から3年後の1929年に発見されるであろうブルネイの油田については話さなかった。そこまで考えたところでで思い出したのだが、1929年には世界恐慌が起こる。これを回避することは難しいが、日本の被害を最小限に抑えるには積極財政だ。日本は早期に積極財政に転換できたが公共投資だけでなく軍事費増大につながった。もちろん軍事費増大によって国内重厚長大産業は潤うし、それなりの技術革新も生まれる。いいことだけで済まないのが軍事費増大で、その問題点は安易に縮小できない点にある。現に軍事費削減に舵を切った高橋是清は1936年の二・二六事件で暗殺された。世界恐慌からこのあたりの書物を用意しておこう。


「こういった開発を進めるには資金が重要です。そのため、今ある技術で商品化できるもので金を稼ぐことが必要です」

「君の言う通りだ」

「その一つが染料の原料であるスルファニルアミド(注1)。サルファ剤と呼ばれる抗菌剤です。歴史上は今から約10年後、1935年に薬として使われ始めたようです。これが、その関連資料です」

「ほう」

「スルファニルアミド自体の特許はすでに切れています。医薬品としての特許取得は歴史的に見てもできなかったようです。医薬品として売り出すために製薬会社などと合弁企業を立ち上げてもいいかもしれません。非常に扱いやすい薬品のため軍部からも資金提供があるかもしれません」

「なるほど」

「これは純粋に化学薬品ですので、1年で特許を取り、同時に量産体制を整えて世界に売り出す。といったところでしょうか」

「うむ」

「このサルファ剤には発疹、かゆみ、発熱などの副作用、いわゆる薬負けがあるため、より副作用の少ない抗菌剤をもう一つ。生物内に存在する物質に抗菌作用があるものがあるのですが、それを抽出精製したものを特別に抗生物質と呼んでいます。それの特許を取り量産することで資金を得ることができます。史実では今から2年後、『アオカビ』から抗菌物質を抽出して精製した抗生物質がペニシリンという名で世に出ます。」

「なるほど。アオカビから抽出か」

「はい。アオカビの菌の種類は自然界に無数に存在するので、その中で『もっとも強い』ものを文字通り総当たりで探し出す必要があります。史実ではマクワウリの一種のメロンという果物から採取されたアオカビを培養し抽出したものが最も効果が高かったようです。それはたまたまですから、ミカンが最高かもしれませんし、餅が最高かもしれません。ただ、目当てのカビが見つかったとしても、生産にはカビの培養などが必要ですので大量生産向きではありません」

「なるほど。量産には資金が必要だが、特許がものになれば資金も集まるだろう。何とかなるやもしれん」

「さらに、放線菌と呼ばれる土壌細菌の中に、結核に効く物質を生む菌がいます。その土壌菌から有効物質を抽出精製した抗生物質をストレプトマイシンと呼んでいます」

「なんと! 結核に効くのか!」

「はい。ペニシリンも同じで、抽出は可能ですが、精製は困難です。しかし、今の技術でも可能です。

 それとは別の話ですが、来年早々金融恐慌が日本を襲います。遠因は震災復興のための震災手形による不良債権の先送りです。それと円安を正すために政府は金本位制への復帰と緊縮財政に舵を切り、そこに持ってきて1929年に始まる世界恐慌が追い打ちをかけることになります。そのあと高橋是清氏が大蔵大臣に就任し積極財政に舵を切りますが、軍事費の増大が同時に行われます。ある程度経済が安定したところで膨らんだ軍事費を縮小しようと高橋氏は努力しますが、それを不服とした一部軍人によるクーデター勃発します。クーデターは鎮圧されますが、その中で高橋氏は暗殺されてしまいます。そのあとは軍部による独走が始まり日中戦争から欧米との世界戦争に繋がっていきます」

「うーむ」



注1:スルファニルアミド

当時はドイツ語が主流だったようですが、英語読みになっています。


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