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技術立国日本  作者: 山口遊子


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第1話 大正15年2月(role in)、1

作中、主人公がいろんなものを購入しますが、実際は「諸々の規制」が存在し、個人では購入できないものがあります。



 中学校時代、中二病だった俺は、異世界に転移した時に備えて、必要なものをノートに書き溜めていった。これって中二病アルアルだろ? つまり何も変なことじゃない。


 とはいっても、魔法使いや戦士になって血なまぐさい戦いなどしたくない俺は、後方でのんびりスローライフを送りたい。従って、必要なものは1次産業用の農林水産関係と鉱山、鉱石関係の書籍くらいだろう。


 そういったことで、そのうちその熱は醒めてしまった。


 運よく重症化する前に中二病から回復して社会復帰を果たした俺は、志望高校に入学できた。

 高校生時代の俺は、異世界から架空戦史にはまってしまった。そして、どうにか大東亜戦争を勝利したいと考え始めた。


 さすがに僕の考えた最強の戦闘機とか、僕の考えた最強の戦艦などは考えなかった。正直に言えばちょっとだけ考えた。もっと正直に言えばいろいろ考えたが、それを実現するには何といってもそれを実現する技術と資源が必要であることにある時気付いてしまった。


 率直に言って、俺が第二次世界大戦当時の日本に現代知識を持って時空転移したとして、1941年、昭和16年では何もできない。あの時点では全て遅すぎる。せめて、1926年(大正15年、昭和元年)でないと技術的底上げは不可能だろう。1941年12月の開戦までの15年間、日本の技術を底上げしていけば、勝てる!


 僕の考えた最強を卒業した俺は、1926年の日本に時空転移した時必要なものをノートに書き溜めていった。


 書き溜めながらふと考えたのだが、もし、俺が過去を改変したとして、21世紀に生きている俺自身が存在するのだろうか? という、タイムパラドックスについて考えてみた。おそらく俺が過去に飛んだとして、その時点で、その過去は今の俺の世界とは異なる別の世界線をたどるのだろう。そうじゃないとタイムトラベルが成り立たないからな。タイムパラドックスをもってタイムトラベルは否定されてきたわけだが、世界線が分かれると考えればパラドックスは消えるし、異世界に行くよりよほど難易度は低いだろう。と勝手に納得していた。


 大学に入って、アルバイトなどをしながら少しずつ「それ」を集めていき、その日を待った。

 資料を集めていきながら、問題になったのは果たして「交通事故」で大切な資料を持っていけるのか? であった。


 いつもリュックを背負って通学して、その日を待つ? ちょっとじゃなく、そうとういかれた人間と思われるだろう。


 つまり、交通事故による「移動」はあり得ないということだ。もしあれば、完全に詰んでしまう。

 あとは、タイムトンネルが「向こう」と繋がること。そうすれば行き来が自由だ。

 そもそも、過去の日本に転移するという望みが奇想天外。可能性は100億分の1もない。それが1000億分の1になっても大勢には影響ない。ノープロブレム。行くときは行く。それも望み通りの形で。そのはずだ。きっとそうなるに違いない。



 15年の猶予の中で目指すべきものは、

1、レーダーなどの電子技術の下地となるトランジスターの開発。それの関連技術

2、国内および満州各地の資源開発(現地調査と利権取得)

3、合成化学技術(プラスチック、合成ゴム、製油精製技術)

4、それらの基礎となる特殊鋼の製造=金属材料学(冶金学)。


 そして、こういった情報を当時の理化学研究所(駒込)に持ち込む。それで大東亜戦争の帰趨が変わるはずと考えた。




 大学の4年間を通して、結局その日は訪れず、俺はとある企業に就職した。

 少しずつ貯金もでき、大正15年で通用するコインもある程度貯まってきた。古銭屋で買ったものだが、もちろん趣味としての古銭集めではないため、評価額の一番低いものを買い集めている。つまり、使い込まれた硬貨だ。紙幣には番号が書かれているから、それを持って過去の日本に飛んだ場合、同じ番号が2枚存在することになる。何かのはずみで2枚が出会ってしまうと「偽札」の疑いがかかるので紙幣は集めなかった。


 お呼びがかからないまま、28歳となり、会社では主任としてある程度の仕事を任されるようになっていた。


 過去の日本へお呼びがかかった時、しかも突然の呼び出しに、どうやって「資料」を持ち込むためには過去の日本に繋がるタイムトンネルが必須なので、資料はおろか物品の持ち込みまでできる。だから俺は、あるはずのないタイムトンネルがないかと思いながら会社とうちの間を往復していたが、当たり前ながら見つかることはなかった。



 そんなある雨の金曜日の朝。(2027/2/12)


 2月の氷雨の中、何か心がウキウキしながら傘を差して駅まで歩いていた。その道すがら、北浦和公園の塀に人の大きさほどの高さの明るく光る鏡のようなものが見えた。鏡はかなり眩しく光っているのだが、不思議なことに俺の他、道行く人は誰もその現象に気づいていないようだった。何だろうと思ってその光の実体に近づいて覗き込んだところ、それは楕円形の窓で、窓の向こう側には田園が広がり、ザ・農家が小集落を作っている風景が見えた。どう見ても、過去の日本の田園風景。戦前は間違いない。


 一歩を踏み出してみるか?


 俺のカバンの中には私物のノートパソコンとタオル。そして、文庫本が1冊が入っているだけだ。これで向こうに行って、帰ってこられなくなったら? そう思うと足がすくむが、この機を逃したらこれっきりかもしれない。


 うーん。ちょっとだけなら?


 気が付いたら俺は窓をくぐって向こう側に立っていた。怖くなって後ろを振り返ったら、ちゃんと窓の向こう側に通勤者や自転車に乗った人たちと行きかう自動車や見慣れた街並みが見えた。

 それで、ほっと一安心した俺は窓をくぐって元の世界に戻った。それから再度窓をくぐって向こう側に出た。



 振り返って鏡の窓の隣には「官立 浦和高等學校」と墨書された木の表札がかかっていた。


 その門の向こうにはモダーンな校舎が佇んでいた。ちょうど用務員のおじさんが竹ぼうきで校舎に続く道を掃除していたので、声をかけた。

「おじさん、おはようございます」

「おはようさんで」

「つかぬことを伺いますが、今日は何年の何月何日でしょうか?」

「おかしなことを聞きなさるが、きょうぁ、大正15年の2月12日だんべぇ」

「ありがとうございます」

 やった! 正確には100年ではないが、とにかく100年前の日本にやってこられた!


 俺はそれだけを確認して再度鏡をくぐって元の世界に戻り、会社を目指した。



 その日は今朝のことで気がそぞろになり、仕事が手に着かなかったが、何とか乗り切って終業時間を迎え、適当に周囲に挨拶してから退社した。


 北浦和駅に着いて、また、北浦和公園の前を通ったら、あの光輝く鏡があった。そして朝と同じで誰もその鏡に気づいていなかった。つまり、鏡は俺専用と考えていいだろう。

 虚仮こけの一念とでもいうのか? 俺の望みがかなったことだけ喜べばいい。それ以上は深く考えまい。


 うちに帰った俺は、明日、100年前の駒込の理化学研究所に訪れるため、さっそくネットで、当時の路線と運賃を調べた。


 浦和駅から省線(東北本線)で赤羽まで行き、そこで山手線《***》に乗り換えて池袋に行く。池袋で山手線外回り、田端・上野方面行に乗り換えて、駒込で下車。金額は16銭とのことだった。16銭のうち1銭は通行税らしく、大正15年の4月に廃止されたようだ。

 今の赤羽は埼京線、埼京線が開通する前は赤羽線で池袋とつながっていたが、100年前は山手線と呼ばれていたようで、赤羽線当時と同じく、赤羽、池袋間をピストン運行していたようだ。


 午後9時ごろ、夕食をまだ食べていないことを思い出した俺は、家を出てコンビニに走っていき、残っていた総菜などを買って、また北浦和公園まで行き例の鏡を確認した。鏡はちゃんと光り輝いていたのだが、その光は不思議なことに周囲を照らしてはいなかった。そういうものなのだろう。


 そして、明日である大正15年の2月13日の曜日を調べたら、ちょうど土曜日で、こちらと同じだった。偶然なのか必然なのか分からないが、曜日が同じ方が都合がいい。


 翌朝。(2027/2/13)

 かなり早く目覚めた俺は、朝食を食パンとベーコンエッグとコーヒーで軽く済ませ、50銭硬貨以下の小銭を小銭入れに入れ、かねてより用意してあったトランジスターの論文と99.9999999パーセントの純度のシリコン、ゲルマニウムを製造する手法であるゾーンメルティング法関連の論文、それに、サルファ剤関連の資料。そして、歴史年表、ソーラー電卓を1つとそのプリントアウトした取説を1枚を肩掛け紐付きのカバンに入れて家を出た。


 俺の服装は、紺のスーツに黒の革靴。その上にグレイのハーフコートという、いたっておとなしい格好だ。100年前の人から見てもそれほど違和感はないはず。


 北浦和公園まで駆けていき、そこから今日もちゃんと輝いていた鏡の中に入り、向こう側の世界に出た。


 そこから軽い足取りで浦和駅に向かって歩いていった。駅までの道筋は現代と変わらなかったが、道はアスファルトではなく砂利道で、ところどころくぼんでいる。砂利道は革靴だと歩きにくいが、ウキウキの俺には何の障害でもなかった。向こうの方から、浦和高校に通う生徒らしき学生たちが数人単位で歩いてくる。


 その道をたまに黒塗りのフォードとか濃緑のシボレーが走っている。中にはタクシーもあるのだろうが区別は分からなかった。


 浦和高等学校から20分ほど歩いて、どこ行きなのかは分からないが小型の乗り合いバスが停車した砂利敷きのロータリーの先の浦和駅に到着した。


 駅舎の中に入り、改札の上に掲げられた地図に書かれた運賃を見て、事前に調べた運賃16銭だったことを確認し、窓口で駒込までと言って10銭白銅貨と5銭白銅貨で支払って切符を買った。


 改札でハサミを入れてもらい、上り列車が来るまでホームに立っていたら、それほど待つことなく汽車がホームに入ってきた。


 俺が立っていた近くに停まった客車の出入り口から数人が客車から降り、ほかの数名の客に続いて客車に乗り込んだ。車内は八分の乗客で通勤時間の割にそれほど混んではいなかった。座席は2人掛けの席が向かい合った作りで、俺は空いていた席に着いた。俺の隣はスーツを着た40がらみの勤め人風のおじさんで、帽子をかぶって煙草をふかしていた。向かいに座る二人は若い夫婦ものだった。席に着いたと思ったらすぐにホームのベルが鳴り、汽車は汽笛を上げてから動き始めた。

 特に会話のないまま、汽車が赤羽駅に到着したので、そこで汽車から降り、そこから山手線に乗り換えて池袋に到着した。さらに池袋で連絡橋を通って田端・上野方面の山手線に乗り換えた。赤羽からは汽車ではなく電車だった。


 駒込駅で電車を降り、駅を出たら都電が見えたが、理研までは電車に乗るほど遠くないはずなので、本駒込方向に歩いていくと、思った通りそれほど歩くことなく、それっぽい塀が現れ、その先に理化学研究所の門と建物群が見えてきた。





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― 新着の感想 ―
北浦和と言えば。ミュージカル座のあるところ。というか私が住んでたとこじゃん!美術館のとこですね。
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