第16話 大正15年8~10月。大正15年11月、1
8月に入って、大河内正敏は理研での研究成果を自社で製品化して研究資金を確保する「科学主義工業」を実践するため理化学興業を設立した。これは史実よりちょうど1年早い設立である。
珍しく大河内所長の方から、原子爆弾についての詳しい資料が欲しいと言われたので、取り急ぎまとめて翌週に手渡しておいた。この時代ではまだ原子の構造がはっきり分かっていなかったはずなので、少し難しかったかもしれないが、大河内所長も工学博士、それも造兵学の博士なんだから兵器と名のつくものに興味があったのだろうし、それだけに理解も早いだろう。
原子爆弾とは直接関係はないが、アメリカの原爆を研究開発していたロスアラモスの位置とか、原爆実験の実験場所や日時なども資料に加えておいた。
理化学興業の化学繊維部門ではリケン66用の工場を新設し生産ラインを据えるわけだが、本格生産開始は来年(1927年)2月を見込んでいるそうだ。
サンプルを提供した織物会社から引き合いが相次いでいるそうなので、前途は明るい。
同時に、理化学研究所の名でナイロン(リケン66)の国内特許の出願も行っている。ナイロンについても陸海軍にプレゼンしている関係で、サルファ剤の時と同様に早期の特許登録が予想されている。
日本国内では神宮球場が完成した。21世紀の神宮球場(注1)はこれと同じもので改修しただけの物のようだ。そして東京放送局、大阪放送局、名古屋放送局の三つが統合されてみなさまのNHKが誕生した。視聴料ではなく聴取料はそれまで月額1円だったものが50銭に値下げされたそうだ。それと、ラジオ受信機には設置許可料として年額1円の税金がかかるのだそうだ。つまり、年額7円ほどのコストがかかる計算だ。7円を4000倍して現代価値に換算すると2万8千円だ。たかだかラジオ1波のくせにいやに高いんじゃないか!?
ゲルマニウム抽出の次の工程である金属ゲルマニウムの精製のため、8.5桁デジタル・マルチメーター(DMM)を理研に輸出?した。ゲルマニウムの抵抗を測定することで、半導体の純度を知ることができる装置ということで導入したものだ。抵抗値の測定は器材の温度と湿度に敏感だそうで、検査用の小部屋を作ってもらった。その部屋に一カ所、外に繋がる穴をあけてHEPAフィルター付き換気扇を取り付け、外から中に向けてきれいな空気を流しこむ。換気扇の排気口に俺と堀口で苦労して運んだスポットクーラーの吸気口を接続することで、室内の空気を清浄にし、温度と湿度を一定に保つ。小部屋の入り口前は狭い通路にして、現代から持ち込んだビニールシートを上から下までたれ下げたものを2段構えにして、決して同時に二つを開けないようにして部屋を出入りする。
また、部屋の隙間などにはシリコンシーラントを充填してしっかり塞いでいる。これでかなりのクリーンルームになったはずだ。HEPAフィルターの予備も用意しているし、HEPAフィルターや器材を扱うためちゃんと使い捨てニトリルゴム製使い捨て手袋も用意している。
消耗品はかなり在庫を積んではいるが、少なくなったら早めに教えてくれるように言っている。そして、プリンターだが、今までのプリンターと同じトナーが使える複合機を都合4台持ち込んだ。所長以下の主だった所員を集め、堀口を助手としてコピーとスキャンのデモをして見せた。俺が持ち込んだどこかの本の裏側にでも宣伝が書かれていたのか、知識としてはすでに持っていたようだが、実物を見て驚いてくれた。
ゲルマニウムをナインナインまで精製することはそう簡単ではないだろうが、ハンドブックに書かれていないノウハウも少しずつ貯まってきているだろうし、道は決して険しくない。はずだ。
同じく8月。イタリアのムッソリーニが独裁体制を強化し、地方自治の解体を強行したという。史実では自身への数度の暗殺未遂を利用して反対勢力の弾圧を進めていくことになる。暗殺未遂と言っているが、最初の1回以外は自作自演じゃないか?
大河内所長から聞いたが、9月に入り、史実通りドイツの国際連盟加盟が正式承認されたそうだ。これでドイツは第一次世界大戦での敗戦国から、ヨーロッパの主要国として復帰できたということなのだろう。大河内所長も歴史年表の知識からドイツ、イタリアの動向に気を配っているのだろう。
そして10月。待望のオークションがニューヨークで開催されて、例のカルティエの『タッティ・フルッティ』が750万ドルで落札された。そして当日入金したとのメールを受け取った。
会社のトイレにこもりスマホで口座を確認したら、ちゃんと750万ドル入金されていた(注2)。これって税金どうなるんだろう? とにかく、来春には税理士を雇わないと。
その日。昼食時に堀口を誘って、社外に食事に出かけた。
行った先はエビだくさんのかき揚げが有名な蕎麦屋だ。
そこで、二人ともそれを頼んだ。
「何かいいことでもあったんですか? 向こうのことは行かないと分からないから、向こうのことじゃないとすると?」
「いいことがあったんだよ。以前話したカルティエの『タッティ・フルッティ』のオークションが昨日というかちょっと前に行われて落札された。いくらだったと思う?」
「確か予想落札価格が10億円とか言ってましたよね?」
「そうそう。650万ドルで10億円。それで、結果は750万ドルだった」
「すっごーい! って、750万ドルだと日本円だといくらになるんですか?」
「ざっと、11億6千万円。来年の春には税金で3割弱持っていかれるみたいだから、安心して使っていいのは7億円てところだ」
「すっごーい!」
「俺の額面生涯年収の2倍はあるわけだから、ある意味恐ろしいな」
「でも、もうそんなに買う物ってないですよね?」
「消耗品は購入続けないといけないけれど、これから先、億を超えるようなものはないだろうし、あってもそもそも運べないしな」
「ですよね」
「万が一、金が足りなくなるような出費があるなら、向こうに言えばまた何か用意してくれだろうからな」
「わたしも、向うでのお給料も貯まってきたことだし、こっちでプレミアムが付きそうなもので儲けることもできそうだし」
「儲けることは大事なことだが、こっちで何か買いたいものでもあるのか?」
「特にないんですよねー。強いて言えば老後に備える? とか」
「俺も、今の趣味で十分楽しんでいるから、他に何か欲しいものはないしな」
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そのころ理研では、ゲルマニウムの純度を上げるためのゾーンメルティング装置を製作していた。
ゾーンメルティングというのは、金属ゲルマニウムの一部を加熱して溶融し、その位置を超低速で一方方向に移動することで、不純物を溶融ゲルマニウム内に移動させるという方式である
少し純度が上がった固体ゲルマニウム |溶融∴ | 固体ゲルマニウム
少し純度が上がった固体ゲルマニウム |溶融∵:|固体ゲルマニウム
右に移動
・は不純物
ゾーンメルティング装置の主要部品は高周波誘導加熱器と加熱器を超低速で移動させる定速機構。誘導加熱器に付随して高周波発振機が必要となる。
理研では東京電気(東芝の前身の一つ)に高周波発振用大型真空管製造を依頼し、定速機構の製造を精工舎(現在のセイコー)に依頼して製作した。
高周波発振を行うため、ゾーンメルティング室は全面を金網で覆った小部屋で、排気ダクトを取り付けたスポットクーラーを設置し、その中央に装置が鎮座した形になっている。また、山田幸太郎の持ち込んだ電源装置では出力が足りなかったため、満鉄の電気機関車用の物と同じ大型鉛蓄電池に外部電源をつなげ、そこから取り出した直流電流を再度真空管を使って50ヘルツの交流に戻す。ただ、初期の精製段階では高周波加熱ではなく抵抗加熱で十分なので、蓄電池からの電力を交流に戻すことなく直流のまま使用する。
蓄電池方式になった理由は、無停電電源装置は容量を増やすために並列に使うことは簡単にはできないそうで、容量の大きな大型の無停電電源装置は軽い物でも100キロ以上あり、俺と堀口の力では持ち上がらないうえに、大きくて例の穴をくぐれそうになかったからだ。
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こちらは満州、黒竜江省。石油試掘現場。
9月下旬。試掘深度が1000メートルを超えたところで、石油の兆候がはっきり表れた。
そこで、ケーシングその他の生産井移行のための資材を取り寄せるため、いったん掘削を停止した。ただ停止しただけではせっかく掘進した穴がつぶれるので、から回しは続けている。
油兆の報を電信で受けた満鉄では、特別列車を仕立て奉天に用意していた資材を至急送り出した。この際、関東軍の小隊が護衛についている。
資材の到着から試掘を再開し、10月中旬には深度が1100メートルに到達した。自噴には至っていなかったが、試掘用泥水には多量の原油が含まれるようになった。
そして11月15日。掘削ビットが何かを突き抜けた手ごたえのあと、泥水が逆流しはじめ、そのあとから真っ黒な原油が試掘井孔からとうとうと湧き出してきた。
「「バンザーイ!」」作業員たちの歓声に続いて、守備隊員たちからも歓声が上がった。
そして、現場から旅順にある関東軍司令部と大連にある満鉄本社に石油自噴の報が暗号文で無線連絡された。
作業場では直ちに生産井移行のための準備が始まった。
関東軍本部でも石油自噴の報に接し、参謀部では歓声が上がった。関東軍では暗号を組み、三宅坂の陸軍省に電報を送った。
陸軍大臣宇垣一成は陸軍省から首相官邸におもむき、若槻禮次郎首相に面会し、満州において石油を発見したことを報告した。
「満鉄の方からも報告があると思いますが、何分場所が北満州です」
「なるほど。少し困ったことですね」
「武器優遇をエサに張作霖とは試掘については不干渉の密約を結んではいますが、石油が本当に出たとなると何を言い出すか分かりません」
「うーん」
「総理。満州の石油は帝国100年の礎になりえるということをお忘れなきよう」
「承知しました。関東軍の増強を検討してください」
「すでに2個師団の増派を考えています」
この時点で宇垣は増派の具体的数字は持っていなかったが、2個師団を派遣すれば、現状一個師団弱の戦力が一気に3倍にまで膨れ上がる。今の奉天軍にもソ連にも3個師団を排除できる実力はないだろうということで上げた数字である。
「わかりました。それで進めてもらって結構です。大蔵省はわたしが説得します」
「よろしくお願いします」
満鉄東京支社にも満鉄本社から連絡が入り、主務官庁である内閣拓務局へ石油発見の第一報を入れた。そして後日正式な書類として提出することになる。
さらに、満鉄東京支社から、支社長が理研におもむき、大河内所長に満州での石油発見を告げた。
一方満鉄本社では直ちに試掘井を増やすことを決定し、資材と人員の手当てを始めた。また、関東軍でも現場の守備隊を増強する準備を始めた。
また、満鉄では現場から中東鉄道(旧東清鉄道、西の満洲里から北満の中心都市ハルビン(哈爾濱)を経て、東の綏芬河までを結ぶ。当時はソ連が所有し経営はソ連と奉天政府)まで鉄道を敷設する計画を練り始めた。もちろん中東鉄道は日本の権益外なので、今のところ工事はできない。つまり、その計画は将来の『もしも』に向けた布石なのだが、満鉄首脳部はその『もしも』のために具体的に動き始めている。
注1:神宮球場
むかし東京に出てきていた高校の同級生で集まって、神宮球場にヤクルト-広島戦を見にいったんですが、われわれの陣取った場所はバックスクリーン前の芝生。で、目の前にはセンターの若松選手。われわれはもちろんカープファンなので、若松選手に向かって「若松バカヤロー!」とかヤジってたんですが、目の前にサヨナラソロホームランを叩き込まれてしまいました。グーグルで調べたら1977年(昭和52年)6月12日の試合でした。(注)ってほどの話じゃなかったですね。
注2:
カルティエの『タッティ・フルッティ』ですが、第二次世界大戦時ロンドン支店がドイツの爆撃で破壊されている設定ですが、カルティエ・ロンドンの顧客台帳は、実際は戦災を免れて大切に保管されてるようです。このアーカイブは「誰がいつ何を買ったか」の完璧な記録なので、オークションなどでカルティエのヴィンテージ品が出品される際、この台帳と照合することで「本物である証明」が行われます。ちなみにカルティエ・ロンドンの店舗は一時期自由フランス軍のドゴール将軍の司令部だったようです。
追記:海外からの多額の送金はマネロンの疑いがあるので、出金等には制限が付くかもしれませんし、口座が凍結されるかもしれません。




