第14話 大正15年7月、4
堀口と浦和に帰ってきたら、昼を過ぎていた。
ホームに降り立ったところで鼻をかみ、浦和駅を出てうなぎ屋に直行して暖簾をくぐった。
仲居さんに案内された部屋は座卓が真ん中に置かれた6畳くらいの部屋で、仲居さんが置いてくれた座布団に座った。
「堀口、うな重とビールでいいか?」
「はい」
「仲居さん、うな重二つと、ビールで。肴は何がある?」
「そうですねー、骨せんべいとか肝焼きはいかがです?」
「じゃあそれを貰おうか」
「かしこまりましたー!」
すぐに骨せんべいと肝焼き、それに小皿とガラスコップが瓶ビールと一緒に運ばれてきた。
「それじゃあ、堀口、今日はご苦労さんでした」そう言って堀口のコップのビールを注いでやった。お返しに堀口が俺のコップにビールを注いでくれたところで、
「「カンパイ!」」
骨せんべいをつまんでガリガリしてビールを一口。なかなかいけるじゃないか。
「肝焼きもおいしいけど、骨せんべいってビールに合いますね」
「だな」
すぐにビールがなくなったので、仲居さんを呼んでもう一本ビールを頼んだ。
「先輩、やっぱりここもチップありなんですか?」
「そうみたいだな」
「そういうのって、ちょっと面倒ですよね」
「戦前と戦後で日本人の気質が変わったのかもしれないな」
「わたしは今の日本というか戦後の日本の方がいいな」
「そういったところは、俺もそう思うけどね」
「それはそうと、ここってカード使えませんよね?」
「ちゃんと現金をそれなりに持ってるから大丈夫だ」
「わたしこっちのお金を1円も持ってないからちょっと心配です」
「そうだな。今のうちにある程度渡しておこう」
そう言って財布と小銭入れを取り出して全部で20円渡しておいた。
「これって、21世紀の価値でどれくらいなんですか?」
「これからインフレが進むからどんどん価値は下がるようだけど、今は4000を掛ければいいくらいだと俺は思っている」
「20円ということは8万円。こんなに貰っていいんですか?」
「こっちでは使うことがほとんどないから、だいぶ貯まってるんだ。堀口も嘱託になったから給料が出るはずだ」
「そうなんだ」
「嘱託といえども会社員だから給料出さないとな。理研だって会社は会社だし」
「給料出たら、この分お返しします」
「気にしないでいいから」
「じゃあ、遠慮なくいただいておきます」
「財布は別にしておいた方がいいぞ」
「分かりました。それで、これからどうするんですか?」
「最終目標は欧米と戦争しても負けない国を作ることだ。戦争で一番大切なことは結局は経済力に代表される国力ということは分かっているが、国力の底上げはそう簡単じゃないだろ?」
「それはそうでしょう」
「少なくとも技術で負けない土台を作ろうと思ってるんだ。近道はないけどそこは地道に。あとは電子機器だ。そして、その心臓部がトランジスターってわけだ。ということで、トランジスターを昭和15年くらいまでに量産して電子機器を作り、通信技術とかレーダーみたいな軍事技術で欧米を圧倒する」
「それでわたしは?」
「そうだな。荷物運びの他は、最初の仕事として満州の資源地図を作ってもらえればいいかな。俺が作った資源地図には大慶油田とあとは、非鉄、鉄鉱石と石炭、それにウランくらいしか載ってないから、もう少し詳しい地図を作ってくれればありがたい。タングステンとか、クロムとか、そういった希少金属がもしあれば文字通り貴重だからな」
「調べられるだけ調べてみます」
「頼んだ」
「明後日の月曜日はこっちというかあっちというか21世紀の日本は休日ですが、20世紀の日本は普通の日ですよね? 理研に出勤するんですか?」
「月曜行くとは言ってないから、いいだろう」
「分かりました」
この日も40分ほどでうな重が運ばれてきた。
割り箸を割って、うな重の蓋を取った堀口の第一声。
「うわー、おいしそうー」
こっちにまでいい匂いが漂ってくる。
「おいしそうじゃなくって、本当においしいから」
「いただきまーす。……。お・い・し・い」
「だろ?」
「はい!」
「土用の丑は来週の水曜だけどな。ちょっと前に調べたんだが、こっちでも来週の水曜だった」
「へー」
俺も割り箸を割って、お重の蓋を取り、箸を入れた。
うーん。旨い!
二人ともあっという間に完食してしまった。
結局5円払っておいた。
店を出て、二人で『田畑が残る田舎道』をゆっくり歩いて、浦和高等学校正門わきの穴から出たところで、スマホの番号を交換してから、その日は堀口と別れた。
翌日の日曜日(2027/7/18)。少し朝寝坊した後、朝の支度をしてから台所に立って、ハムエッグを作ってトーストで朝食を摂った。何か野菜くらいあったほうがいいと思うが、そう思って買っても、使わないまま冷蔵庫の野菜室の中でダメにしてしまうことが多いんだよなー。
食器を片付けてから洗濯機を回して、冷蔵庫の中の補充のため近くのスーパーに行った。そのあと、プリンター用のコピー用紙とトナーだけ金曜の夜に配達指定して注文しておいた。あとは独身男性の平均的休日を過ごした。こういった、市井の一民間人でも100年の時間があれば世界に干渉できるわけだから、少しばかり感動ものだ。
翌日の月曜は国民の休日のため、少しばかり落ち着いてこれからのことなどを考えて過ごした。
ただ、満州の資源を手にした日本の主敵はソ連となる。なぜなら満州の防衛は絶対だからだ。日本はどうしても緩衝地帯が必要になる。その時ドイツがソ連を攻めていれば、日本はそれを好機と捉えてソ連方向に打って出ることになるだろう。日本が俺の構想通り科学と技術で世界を凌駕した場合、戦闘力も爆増だ。二正面作戦を強いられるソ連は日独を跳ね返すことは不可能だろう。ソ連を下したドイツは対英戦に全力で当たれる。おそらく、イギリスもドイツによって落ちるだろう。来たる世界でのスーパーパワーは、日本、ドイツ、アメリカの3国ということになる。この場合、ドイツは戦勝によって力尽くで組み込んだ多数の民族を抱えている以上、最も統治コストが高い。つまり、国力が最も『伸びにくい』構造問題を抱えている。早晩瓦解する可能性が高い。残るのは日本とアメリカ。そのころには日米とも相手を破壊できる核を保有しているだろう。この構図ってどこかで聞いたような?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
石原莞爾は関東軍内の独自ルートから満鉄が北満州洲で石油試掘を進めているという情報を得ていた。しかも、その試掘については理研が絡んでいるという。満州を自立させ日本の後背地とするという彼の構想では産業は満鉄が担い、科学は理研が担うというものであった。もし十分な量の石油が満州で見つかれば、エネルギーという欠けていた最後のピースがぴったりはまることになる。
石原は、勝手に自分自身の三本の矢の一本と決めつけている理研の先端科学技術について情報を新たにしようと思い立ち、講義を受けたいと理研に連絡した。理研側ではもちろん対応しないわけにはいかなかったため、大河内所長自らが対応することにした。
陸大では業務以外で自動車の使用はできなかったが、ちゃんと業務として自動車使用を申請した石原は、月曜9時に理研の門前に車を乗り付け、門衛の案内で本館玄関前まで進んだ。
そこで待っていた幸田に案内されて本館内を応接室まで歩いていった。
応接室までの途中の通路で。
「さすがは理研ですな。電灯が白いとは。しかも明るい」
石原のこの言葉に幸田は多少驚いたが、適当な言葉が口からついて出た。
「いろいろ研究していますので」
「こういったものが陸大でも使えればいいんですが」
「いずれ市販されるでしょう」
いずれが100年後かもしれないが、少なくとも市販されることは確かだ。
応接室の前で、
「石原少佐殿、所長の大河内を呼んでまいりますので、しばらくお待ちください」
「了解です」
幸田が応接室の扉を閉めて駆けていき、石原は応接セットのソファーに腰を下ろした。
すぐに扉が開いて大河内所長が入室し、石原は立ち上がって敬礼した。
「現在陸大で教官を務めております石原少佐です。今日はよろしくお願いします」
「これはどうも。ここの所長の大河内です。どうぞお座りください」
石原が椅子に座ったところで、大河内がその向かいに座った。
「ここでの先端の研究についてお知りになりたいとか」
「はい。これからの軍は科学技術がなければ成り立ちません。そういった意味で、戦争に直接関係なさそうな科学技術もおろそかにせず、積極的に活用するため知識を得ておこうと思っています」
「立派な心掛けです。それでは、ここ最近の動きを説明する前に、理研の方向性を最初にお話ししましょう」
「はい」
「弱電技術がこれからの世界で主流になってくるものとわたしたちは考えているんですが、そのためには真空管がその主力になるだろう。という風にこれまで考えてきていました」
「わたしも真空管こそ弱電の主流と思っていましたが、そうではないということですか?」
「真空管の弱点ってなんだと思いますか?」
「まず、中が温まるまで時間がかかる。そして量産が難しい」
「あとは、小さくすることが難しい、衝撃に弱い、そして温まることにも関係しますが電気を多く使う」
「そうですね」
「真空管と同じ効果があるものの、そういった問題が生まれない物ができれば、理想ではありませんか?」
「ということは、そういったものができる?」
「いえ、将来の話ですが、それをわれわれは目指しています」
「なるほど」
「それで、五里霧中というわけでもないんですが、なんにせよそう簡単にできるわけはありません」
「それはそうでしょうな」
「その研究を続けていくために、理研の収益基盤の強化を目指して、星製薬と連携して抗菌剤を開発しています」
「化膿性疾患や肺炎に効くすごい薬が開発されたと陸軍病院の知人から聞いています」
「ご存じでしたか。それで、その薬では治らない菌もあるのでそういった菌に効く薬を北里研究所と連携して開発しています」
「なんと!」
「さらに、一歩進んだ薬も北里研究所と連携して開発していますが、その薬は結核に効くはずです」
「それは本当ですか?」
「結核菌の培養に時間がかかっている関係で開発が遅れていますが、効果は確認しており、今はその効果を高めている段階です。それで十分な効果が得られれば量産工程に移ります」
「そういった技術は英米独で開発された技術の輸入では?」
「いえ。英米独で開発中かもしれませんが、わが国独自ですから、形ができれば国内特許を取ったうえで英米独でも特許を取ります」
「素晴らしい」
「薬品についてはそれくらいですが、化学部門では、合成ゴムの研究を進めています」
「ゴムの合成?」
「化学的に合成することで、熱に強い、油に強い、摩耗しにくい。そういったゴムができます」
「熱や油に強いということは、内燃機関!」
「はい。ガスケットなどの封止材です。機関を高温高圧にできますから同じ大きさでより大きな力を生むことができます」
「摩耗しにくいということはタイヤ!」
「そうです」
「なんと。それではまるで軍のための研究ではありませんか?」
「産軍一体です」
「なるほど。さすがは日本一の研究所です」
「まだ形にはなっていませんが、その方向で進めています」
「実に安心しました」
「あともう一点」
「なんでしょう?」
「機械の精度は効率に直結するものですが、精度を出すには機械の素材そのものが丈夫でなければなりません。また力のかかる部分は強靭であることが必須です」
「そうでしょうな」
「ということで、現在の鋼鉄を超える鋼鉄。いわば超鋼鉄を目指して鋼鉄冶金にも力を入れています。超鋼鉄があれば、クランクシャフトの強度が上がることで、ジーゼルエンジンの大型化が可能になります。そうすると陸軍なら大型戦車。海軍なら燃費の良い軍艦が作れます。超鋼鉄で潜水艦の外殻を作れば、潜航深度が飛躍的に増します」
「まさに、全方位ですな。頭が下がります」
「それで、最初に戻りますが、真空管に代わるものができた場合、小型かつ高性能の通信機が作れます。司令部からの指示が的確に前線に伝わり、また逆もしかりです」
「そうでしょうな」
「さらに電波を発して、その反射を拾うことで、相手を見つけることができるようになります。正確には相手までの距離と方向を測ることになります。つまり電波兵器です」
「電波は直進する以上、それほど遠くは探れないのではないですか? さらに、こちらが電波を発していれば相手から見ればより遠くから見つかるのではないですか?」
「地上とか海上とかなら地球は丸いので、相手からも見つかりません。しかし、ひとたび地平線や水平線から姿を現せば、たちどころに位置が判明しますが、相手方からは方向が分かるだけです。付け加えると、例えば航空機が夜間、こちらの基地に接近して来たとすればどうでしょう? そもそも、敵機はこちらの位置を最初から知っています」
「なるほど。目では見えないものの、電波を使えば相手が高空にいる以上かなり遠くから接近を知ることが可能で、こちらに対応の余裕ができる。さらに、その電波兵器を飛行機に載せればもっと遠くが探れる」
「そういうことも可能になるでしょう。もしこういった電波兵器を敵方が持っていてわが方が持っていなければ、どうなると思われます?」
「戦にならない」
「そういうことです」
「なるほど勉強になります」
「この電波兵器を極小にして砲弾に詰めたとします。それで、敵航空機との距離がある程度近づいたら信管を起爆させるとしましょう」
「直撃しなくても落とせる!」
「真空管を極限にまで小さくしても同じものが創れるかもしれませんが、砲弾として発射すれば間違いなく真空管は壊れてしまうでしょう。われわれが作ろうとしている新部品はそれを可能にします」
「恐ろしい話ですな」
「さらに敵機、ないしは敵艦との距離と方向が分かれば何ができるかというと、測距儀、方位盤が不要になり射撃盤が自動化できるということです。陸軍さんではあまり出番はないでしょうが、夜間、探照灯なしで敵艦を砲撃できるようになります」
「それこそ未来にできるであろう新兵器ですな」
「少佐。欧米だけが世の中の先端を行くわけではないということです」
「今日はお話をうかがえて本当によかった。それではお仕事の邪魔にならないうちに失礼します」
「またいつでもお越しください」
「はい」
大河内は山田がもたらしたハンドブックなどから得た知識を完全に自分のものにして、理研の方向性を定めていた。ただ、原子爆弾の可能性については話さなかった。
史実通りなら、石原が関東軍参謀として満州に赴くのはこれから2年後である。そして、5年後に満州事変が勃発する。いや、正確には石原らの手によって事変が『演出』されることになる。ただ、満州事変は単純に石原たちの独断独走であったかといえば、それはありえないだろう。なぜなら、軍隊は命令書がなければ弾丸の1発も自由にできないのだから。つまり政府の関与があったと考えるのが道理だろう。すべてが中央からの指示で、板垣、石原はヒール役を見事に演じきったんじゃないか?




