Side アレクサンドル
その日はいつもと変わらない休日だった。
午前中はマリーとダンスの練習を行い、昼食を共にして、午後からは書斎に籠もって仕事をしていた。
「ハァ……」
書類に目を通していた途中、なんだか集中力が途切れた感覚がして、私は持っていた書類から目を離すと一つ大きなタメ息を吐いた。
正直なところ、最近ますますマリーとの時間が減っていて少々気が滅入っている。
(マリーと出会う前は、仕事が忙しくなってもただ淡々とこなせていた筈なのにな……)
そんな事を考えているとまたもや口から大きなタメ息が零れたが、それでもやらなければならないと、眉間を指で揉んでから、私は再度目の前の書類に目を向けた。
「やはり、ここは過去の資料も見ないといけないか……」
以前にシュヴァリエ侯から手紙をもらった内容の通り、最近アナトールからの流民が増えていて、賊によるものと思われる事件も増え始めている。
もちろん私たちも対策をとっていて、それらが流れて来るルートや、事件が起きやすい地域などを調べて警備の人員を増やしたりはしているのだが、向こうも考えているのだろう、イタチごっこのような状況だった。
できれば、もっと情報がほしい。
(……図書室に行くか)
ずっと机に向かっていて、少々肩も凝ってきている。
気分転換も兼ねて、私は図書室に行くことにしたのだった。
*
図書室でアナトールに関する資料を見ていると、窓から差し込む陽の光を浴びながら、マリーがゆっくりとこちらへ歩いてくる事に気が付いた。
私と目が合うと、ふわりと彼女が微笑む。
その笑顔を見ただけで胸がじわりと温かくなり、先ほどまで感じていたモヤモヤも吹き飛ぶ気がした。
「やあ、マリー。本を探しに来たの?」
私がそう声をかけると、マリーは少し笑みを深めて頷いた。
「はい。これから寒くなりますので編み物をしようと思いまして、その本を探しに。……アレク様はお仕事用の?」
「ああ。アナトールの事を少しね……。それにしても、編み物か。いいね。余裕があったら私にも何か編んでくれる?」
マリーが私の事を考えながら時を過ごしてくれたら嬉しいと思い、そうお願いをしてみると快く受けてくれた。
(マリーは私のために何を作ってくれるだろうか。……本当に楽しみだ)
そう思っていると、彼女が遠慮がちに言葉をかけてきた。
「えっと、それでは、お邪魔してはいけませんから私は失礼します」
マリーを邪魔に思うことなど有り得ないことだが、彼女が私のことを思ってそう言ってくれてるのだと思い直せば、こちらから無理に引き留めることは出来なくて。
でも、それでもまだ名残惜しかった私は、マリーに向けて手を伸ばすと、ほんのり色付いた可愛らしい耳を撫ぜた。
「私もしばらく居るから、何かあったらすぐに呼ぶんだよ。」
私がそう言うと、マリーは口元に手を当てて楽しそうに「ふふふ。はい。ありがとうございます」と答える。
その様子がまた可愛くて、私はマリーの額に優しく口付けた。
*
「ふぅ……、こんなものか……」
色々と本を読み、資料として使えそうなものを何冊かピックアップした。
(後は部屋で目を通そう……)
そう思い、それらの本を脇に抱える。
(マリーはもう部屋に帰っただろうか?)
そして次に考えたのは愛しい女性の事で。
まだここに居るなら声を掛けてから部屋に戻ろうと、その姿を探した。
すると、カタリと近くで音がしたので覗いて見ると、マリーが踏み台に乗って本棚の上のほうにある本を取ろうとしているところだった。
(本を抱えたままあんな風に台の上で背伸びするなんて、危ないじゃないか)
そう思い、私が代わりに取ろうと近寄ったその瞬間。
「ひゃあぁ!」
マリーがバランスを崩して倒れそうになった。
咄嗟に自分が持っている本を投げ捨て、マリーを抱きとめる。
(イテッ)
マリーが取ろうとしていた本が落ちてきて、私の腕に当たって床に落ちた。
マリーを腕の中に抱えながら、危なかったとホッと一息ついていると、マリーがゆっくりと私のほうを振り仰ぎ、驚いた表情を見せた。
「……コラ。何かあったら直ぐに呼んでって言ったハズだろ?」
(まったく、私が近くにいるのに自分で何とかしようとするなんて……。もう少しで怪我をするところだったじゃないか)
そう思いながら彼女と見つめ合っていると、「痛っ」とマリーが小さく叫び、急に頭を抱えて苦しみだした。
彼女のその急な状態の変化に、慌てる。
「マリー? マリー?!」
名前を呼ぶが、頭を抱えて蹲るばかりで返事がない。
「マリー!! ……ッ、サラ!! サラはいるか!!?」
サラの名を呼ぶと、直ぐにサラが慌てた様子で駆け寄って来た。
「マリアンヌ様っ!!?」
「サラ! マリーの様子がおかしい! 頭を痛がっているし、直ぐにジルと医師を呼んでくれ!!」
「わかりました!!!」
サラが急いで図書室から出て行った。
「マリー! 頭が痛むのか?! ……マリー!!」
マリーの体を気遣いながら、名前を呼び続ける。
そしてそれは、私が一際大きく彼女の名前を呼んだその時だった。
マリーが弾かれたように顔を上げたかと思ったら、私の顔を見るなりそのダークブラウンの瞳を大きく見開いて。
「……トモヤ、センパイ……?」
そう小さく呟いて、再びその瞳を閉じて気を失ったのだった。
*
「……ハァァ……」
いつもの騎士団の執務室。
書類にサインする手が止まり、大きなタメ息が出た。
「何だよ、大きなタメ息ついて。……お姫さんのことか?」
応接用のソファに座って資料を読んでいたオスカーが声を掛けて来た。
「……ああ」
「まだ目が覚めないって、……心配だな」
「……」
マリーが倒れてから2日が経った。
彼女はあれから高い熱を出し、目を覚ます事なく眠り続けている。
医師にも診てもらったが、どこかを怪我している様子もなく、これと言った病気の症状もなくて、ただ熱が出ているだけのようだと言われた。
「環境が変わった疲れが出たのかもしれませんな。お薬も飲ませましたし……しばらくすれば熱も下がり、目を覚まされるでしょう」と、そう言った後に医師は帰っていった。
彼女の事が心配で一昨日はあれからずっと側に居たが、正直なところ私に出来ることはほとんどなく。
「熱が下がって目を覚まされましたら必ずお知らせしますから!」とジルに説得されて、渋々、昨日と今日は仕事に出て来たところだ。
(ああ、心配だ……)
仕事の合間にふと彼女の苦しそうな様子を思い出しては心配で胸が苦しくなる。
もちろん熱があるのも心配だが、何より気掛かりなのは倒れる直前の彼女の様子だ。
急に頭を抱えて痛がりだしたかと思ったら、私の顔を見て驚いたように目を見開いたのだ。目が合っている筈なのに、その瞳は私を映していないような、私の奥に”誰か”を見ているような、そんな錯覚に陥った。
そして彼女が気を失う直前に呟いた言葉……。
(”トモヤセンパイ”……?)
確かに彼女はそう言った。
聞き慣れない言葉だが、彼女の声で紡がれたその言葉を思い出す度に頭がズキリと痛み、何かを急かすように心がザワめく。
何かを思い出しそうなのに思い出せない、そんなモヤモヤが胸に広がって……この感覚には覚えがあるなと思った。
そう。それはマリーと出会う前に感じていた、焦燥感。
脳裏に一瞬だけ浮かぶ”誰か”。
その”誰か”を、私の心はずっと求めていた。
やはり私は、”何か”を忘れているのだろうか。
やはり私は、”誰か”を忘れているのだろうか。
頭の中で思い出そうとする度に、壮絶な無力感が再び私の心を襲った。
(……やはり、私とマリーは過去に何かあったのか……?)
そんな事を考えていると、執務室の扉をノックする音がしてハッとする。
「……はい」
私が応えると、扉が開き騎士団の隊員の1人が入ってきた。
「失礼します。団長、今しがたお屋敷の方から手紙が届いたようです。お急ぎとの事でしたので、私がお持ち致しました」
隊員のその言葉を聞いた瞬間、私は弾かれたように立ち上がった。
「すまない、助かるよ。ありがとう」
そう言ってまだ扉の側にいた隊員に駆け寄り手紙を受け取ると、急いで手紙の内容を読み……私は安堵の息を吐いた。
「団長、大丈夫ですか?」
「あー、ああ。たぶん大丈夫だよ。心配すんな。ありがとうな。戻っていいぞ」
「は、はあ」
何も答えられないでいた私に代わってオスカーが答えると、隊員は一礼して部屋から出て行った。
「……で? 姫さん、熱下がったって?」
「あ、ああ……。熱も下がって、先ほど目も覚ましたそうだ。……良かった……」
「ハハハ。本当に姫さんを溺愛してるんだな。……涙目だぞ。」
オスカーにそう言われて慌てて目を擦った。
「今日は早く仕事終わらせて、早く帰らないとな。」
オスカーの言葉に笑顔で頷く。
「ああ! ……早くマリーの顔が見たい!」
「……。はぁーぁ、……俺もマジで彼女作ろ。てか、姫さんみたいな良い女どっかにいねーかなぁ……」
今日は何としてでも早く帰ろうとすぐに仕事モードMAXで机に戻ったので、オスカーが顔を手で覆って何か言っていたのには気付いたが内容までは聞こえなかった。
*
報告書の最後の一枚を手に取る。
これを読んでサインをすれば、とりあえず今日の仕事は終わりだ。
時計をポケットから取り出して時間を確認する。
外は既に真っ暗だが、集中して作業していた為かいつもよりかなり早い時間だった。
(マリーが気になって仕事がなかなか手に付かなかったかと思えば、マリーに会いたくていつもより集中して仕事したり……私も相当だな)
フッと一息吐いて、そんな事を思う。
(……まぁ、とりあえず後少しだ。早く終わらせてしまおう)
そう思い、書類に向き直ったその時。
ドンドンドンドン!!!
扉を激しく叩く音がしたかと思ったら、オスカーが急いだ様子で入ってきた。
「第二から助力要請だ。数が多いらしい。恐らく例のヤツらだろう。……今度こそ頭を捕まえるぞ」
「……チッ、こんな時に……っ!」
私はそう言うと、傍に立て掛けていた愛剣を掴み、オスカーと共に部屋から駆け出したのだった。




