*
……コンコン。コンコン。
いつもの朝だ。
扉を叩く音で目を覚ます。
きっとメイドのアンナだろう。
「お嬢様、お目覚めのお時間にございます」
薄暗い寝室の中、ベッドの上で体を起こし、ドアに向けて声をかける。
「入ってちょうだい」
やはりアンナが扉を開け、一礼して入ってきた。
「おはよう、アンナ」
「おはようございます、マリアンヌお嬢様」
「……ねぇ、アンナ。私、昨日どうやって帰ってきたのかしら?」
朝の挨拶の後、ベッドから出ながら寝室のカーテンを開け始めたアンナに声をかける。
「どうやって……とは? 普通に、旦那様と奥様、坊ちゃまと一緒に馬車でお戻りになられましたよ。確かに、旦那様たちがお嬢様の様子を少し気にしておられましたが。お嬢様はいつも通りのご様子で、いつも通り湯浴みをされて、ご自分でベッドに入られてご就寝されましたよ」
「そう……」
「体調はいかがですか? ご気分が悪いとかはありませんか?」
アンナが、水差しからグラスに水を入れて渡してくれる。
一口飲めば、冷たすぎない程よい温度のミント水が喉を通って体に染み渡った。
「大丈夫よ。どこも悪くないわ」
「……そうでございますか。では、お着替えをお持ちいたします」
そう言ってアンナが衣装部屋に入っていったので、私もナイトガウンを脱ぎ、パジャマの前ボタンを外していく。
「……昨日、私、デビュタントだったのよね」
なんとなく、言葉がポロリと出た。
そこからじわじわと昨夜の事が思い出され、寝ぼけた脳が稼働し始める。
(……ああああぁ! やってしまいましたわ! いきなり初対面の殿方と2曲続けて踊ってしまうなんて! 最低でも2~3人の方と踊ってみようと思っていましたのにぃぃ! ……あ、でも、相手はあの大公閣下よ? お父様だって条件でいえばトップクラスとおっしゃっていたじゃない。むしろ願ってもない相手だわ! 大丈夫! ノープロブレム! 無問題よ! それにとても素敵な方だったじゃない! 女嫌いでもないとおっしゃっていたし。まぁ、たしかにパッと見は無表情で怖い印象だったけれど、話をしてみれば普通、いや、むしろ優しい方なのではないかしら?)
腰に回された手に感じた安心感や、閣下の美しいグレーの瞳を思い出す。
途端に、泣きたくなるほどの切ない気持ちになるのは何故なんだろうか。
(それにしても……どのようなおつもりなのかしら。閣下ならば、2曲続けて踊る意味をご存知ないはずないわよね。……2曲目は閣下から望まれたように感じたけれど。……本当に? ……あの方が私を……?)
考えただけで頬に熱が集まる。きっと顔だけでなく、耳も真っ赤だろう。
色々な感情が綯交ぜになり、私は思わず両手で耳を触って蹲った。
「お嬢様?! どうされました?!」
衣装部屋にいたアンナが私の様子に気付いて駆け寄ってきた。
「アンナぁ~!」
「ーーー……っ!!」
思わず涙目でアンナを見上げると、急に目を逸らされてしまった。……顔もどことなく赤い。気がする。
「……アンナ?」
その様子を不思議に思って呼びかけると、肩をガシッと掴まれ、キッと睨まれた。え、怒ってる?
「……お嬢様。そんな着替え途中のあられも無い姿でそんな顔をしてはいけません。そういう顔は、好きな男性の前だけでして下さいと前々から言っているでしょう。……まったく。……危うく今度こそ落ちそうになったではないですか。本当に私にソッチの趣味がなくて良かったです。」
「そういう顔? 落ちるって、どこに? ……え? え?」
……コンコン。
私が頭にたくさんのハテナを浮かべていると、不意に扉をノックする音が部屋に響いた。
「ハイ」
アンナが立ち上がり、「とりあえずこれを」と落ちていたナイトガウンを肩にかけてくれてから、扉を少し開けて外の人間に用件を聞く。
「お嬢様、旦那様が書斎でお待ちだそうです。準備をいたしましょう」
「……お父様が? 書斎で?」
(王家主催の舞踏会は疲れるから、次の日は1日サボ……じゃなかった、ゆっくり過ごそうって、この前おっしゃっていたのに……)
「……分かったわ。とりあえず、準備します」
アンナに手伝ってもらい手早く準備を済ませ、私は父の書斎へと向かった。
*
「お父様、マリアンヌですわ」
扉をノックした後少し顔を覗かせると、書斎に置いてあるソファに座り、少し難しい顔をして何かを読んでいた父がパッと顔を上げた。
手に持っているのは手紙のようだ。
「マリー、よく来た。……まぁ、座りなさい」
父に促され、テーブルを挟んで対面に座れば、私が来ることを伝えていたのだろう、メイドがすぐに紅茶を用意してくれた。
手紙をテーブルに置き、用意された紅茶を父が飲む。
私も口をつけて、父が話を始めるのを待った。
「ガルシア大公から手紙が届いた」
父が、紅茶からテーブルに置かれた手紙へと視線を移し、そう言った。
途端に、ドキン。と、心臓が大きく跳ねる。
「……はい」
(……なんの手紙かしら? 難しい顔をして読んでいらっしゃったようだけど……。ああ、やっぱりお断りのお手紙なのかしら。閣下は何かとても悩んでいるご様子だったし、あのダンスは……ただの気の迷いだったのよ……)
そう思うと何故か心が沈み涙が出そうになるが、それを必死に堪える。
「……昨日のダンスは間違いだったという謝罪のお手紙でしょうか」
「ん? 間違い? 何故そうなる?」
「だって、お父様、難しい顔で読んでらしたし……」
「え? あ、ああ、いやいや。すまない。ついにこの時が来てしまったと思ってね。こんなに早く娘を手放さないといけないなんて、寂しいなと思いながら読んでいただけだよ」
「……手放す? ……それって……」
(……まさか。本当に?)
「ああ。ガルシア大公閣下から、正式な婚約の申し込みが来た。……あの方はお前の夫として申し分ない男性だ。私が保証する。きっとお前を幸せにしてくれるだろう。……それに、あの大公と縁が繋げるなんて、わが侯爵家としても願ったり叶ったりだ。……ありがとう、マリアンヌ。感謝するぞ」
柔らかな笑顔を浮かべながら父はそこまで話すと、フッと息を吐き、すこし寂しげな表情となって私を見据えた。
「だから、マリアンヌ。ここからはシュヴァリエ侯爵家当主として命ずる。…………この婚約を、受けなさい」
(……嗚呼……)
この胸に広がる感情は、安堵か、歓喜か。
溢れそうになる涙に瞼で蓋をして、私はゆっくり頭を下げて礼をした。
「はい、お父様。……謹んでお受け致します」
そうして。
私とガルシア大公の婚約が正式に決まったのだった。




