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34、神々の座

無限に続く闇に数え切れない光がまばらに浮いていた。


 この空間には上もなければ下もなく、終わりがなければ始まりもない。事象の地平線の向こう側には既存の物理法則は存在していなかった。


 そんな混沌の宇宙で光を放っているのは星ではなく、上位存在を自称する神の如き者たち。空間の名は混沌宮アザトース、人ならざる神々の座す世界の外側だ。


 その中でも、一際強い光を放つのがかの女神、戦と支配を司るモリガンだ。


「――ああ、なんてこと」 


 瞼を開き、女神は艶やかな息を漏らす。腰掛けた玉座は血のように赤いルビーで形作られ、背もたれの上には彼女の化身である大カラスが羽を休めていた。


「本当、自分の人選びのセンスに惚れ惚れするわね」


 指先を伸ばしながら、モリガンは改めて自画自賛する。


 万能の存在である以上、才能の有無を競う意味はないが、実際こうして明暗が分かれると彼女の内に悦びが湧き上がっていた。

 ヒデカツが勝つのは分かっていた。関心があったのは結果ではなく、戦いに際しての彼の心の動きだ。


「迷いに迷っても戦いを選び、勝利してなお敗者を辱めない。人間は色々見てきたけど……ふふ、本当好みよ、ヒデカツ」


 命を奪ったことに苦悩するのはそう珍しいことではない。

 けれども、ヒデカツはそれを正当化しようとはしなかった。いかなる場合でも人殺しは悪だと認識した上で、彼はすべきこととしてそれを為した。


 どんな状況でもすべきことをする。女神はそれこそが、ヒデカツが持つ候補者としての最大の素質だと考えていた。


「……まずは一勝。あとで直接褒めてあげないとね」


 喜びを禁じたヒデカツに代わって、女神は勝利の美酒を味わう。


 ”選抜会”への参加は彼女にとってはこれが初めて。その上でお気に入りの候補者が勝利を収めたのだ、喜ばすにいられようものか。


 これまでの”選抜会”では候補者を見つけられず、観戦しているだけだった。それはそれで楽しくはあったが、実際に参加することに比べたら雲泥の差だ。

 

「……何の用かしら? ボレアス」


 その楽しみに水を差すものがいる。


 モリガンの眼前に姿を現したのはキトンを身にまとった髭面の男、周囲の空間には鋭い風が渦巻いていた。


「何の用だと? 君の候補者についての文句に決まっているだろうが!」


 風と気体を司る彼は怒鳴り声を上げながら、モリガンに詰め寄る。

 あらゆる物理法則を凌駕しながら、上位存在は感情を保持しているものが多い。人間とは基準は異なるものの、喜びもするし哀しみもする。そうである以上は、時にはこうして激怒することもある。


 それそのものは何も珍しくはない。しかし、今回の場合は、理由が理由だ。


「候補者に与える”加護”は一つと決まっているはずだ! だというのに、君は――」


「――私は”加護”は一つしか与えてないわ。ルールを破るわけないでしょ」


 吐き捨てるようなうんざりした声でモリガンが答える。

 彼女はこの選抜会を心から楽しんでいる。そうしている以上は、決してルールを破ることはしない。万能であるからこそ、ゲームを楽しむならそういった制約を課すのは当然だ、


「ならば、あの現象はなんだ! 魂への直接干渉はあの時代の地球人には不可能なはずだ!」


「ちゃんと見てなかったの? 貴方の候補者を仕留めたのはあの剣の力よ。まあ、作戦を立てたのは私のヒデカツだけどね」


「ふざけるな! 上位存在われわれの助けなしに、人間に魂への干渉などできるわけがない!」


「はぁー……まったく……人を問い詰める前に少しは自分で調べなさいよ……」


 溜息を吐いて、モリガンは瞼を閉じる。


 せっかくの勝利にケチを付けられるのは非常に腹が立つが、それ以上に上位存在ともあろうものがわかりきったことにこんな感情をさらしているのが情けなくて仕方がなかった。

 人間であるヒデカツのほうが精神的な意味でははるかに成熟している。星々と同じ年月を生きてきながらこのざまでは、これ以上の成長など望めはしないだろう。


「あれは、私の候補者があの世界で手に入れた力よ。与える加護は一つと決まっているけど、現地で力をつけるのは禁止されていないわ」


「だが、直接干渉は禁止されている! あの力は上位存在のものだ!」


「ええ、そうよ。でも、私が与えたものじゃない。疑うなら、運営委員に確認したら? まあ、無駄だと思うけどね」


 低俗な怒りを見下して、モリガンはせせら笑う。


 ボレアスの魂胆はわかっている。不正だなんだとわめいていても、結局は自分の候補者が敗北したことに腹を立てているだけだ。取り合う必要はない。


「……覚えていろよ、貴様。必ずこの報いは受けさせてやる」


「すぐに忘れさせてもらうわ。私、忙しいの」


 酷薄な笑みを浮かべて、モリガンは片手でボレアスを追い払う。


 プライドを傷つけられた風の神は彼女のことを恨むだろうが、そんなことを気にするような戦いと愛の女神モリガンではない。選抜会の間は私闘は禁止されているし、仮に報復してきたとしても簡単に返り討ちにできる。


 それに、そもそも彼のような愚かな神にモリガンは興味がない。


 彼はなぜ自分の候補者が敗北したのかを理解していない。候補者に強力な加護を与えてさえすれば、選抜会を勝ち残ることができると考えていた。

 これはボレアスに限った話ではない、上位存在全体に共通する悪しき認識でもある。彼らは万能の力を持つがゆえに人間一人一人の個性を軽視している。それぞれの条件に合致さえすれば、あとのことは気に掛けてさえいない。


 実際、あの候補者は与えられた加護に適応できず、錯乱していた。肉体が気体として肥大化し拡散したために、自我までもが同じようになってしまったのだ。

 せっかくの加護もそれを使いこなせなければ意味がない。当たり前のように力をもった上位存在にはその認識が欠けているのだ。


「……馬鹿な奴ら、そんなんだからいつまでも勝てないのよ」


 だが、モリガンは違う。ヒデカツは二千年かけて唯一見初めた候補者だ。彼の性格や信念、過去、何もかもを吟味したうえでモリガンは彼を選んだ。

 その甲斐はあった。ヒデカツは候補者を撃破した。与えた”加護”の特性を思えば番狂わせ(ジャイアントキリング)といってもいいだろう。


 問題があるとすれば、その立役者が自分ではない誰かだったということだ。


「…………あの剣と泥棒娘、あそこまで役に立つなんてね」


 嫉妬に爪を噛みながら、モリガンは計算外の二つを脳裏に思い浮かべる。

 ティルヴィングとルーネ。あの砂漠でヒデカツが手に入れたそれらは、モリガンをして予想外のものだった。


 両方とも役に立つからと許容したが、あそこまでの効果を発揮するとは思ってもみなかった。

 認めがたいことではあるが、あの出会いがなければヒデカツの勝利はありえなかっただろう。


 だからこそ、その勝利の要因について考えなければならない。


「……でも、一体どこからあの力を」


 ボレアスの言葉にも一つだけ正しいことはあった。あの魔剣の力は上位存在に由来するものだ。


 触れただけで魂を汚染するほどの呪いを振りまくなど肉体を持つ存在には不可能だ。

 呪いを掛けたものは誰なのか。モリガンの知る限り、あの世界に直接干渉した上位存在はいない。ましてや、人間に殺されるようなものなど存在するはずがない。


「ま、勝ったんだし、あとで考えるとしましょう!」


 そこまで考えたところで、女神は気まぐれに思考を放り出す。今の彼女にとっては、剣の所以を突き止めることよりも想い人の行く末を見守るほうがはるかに重要だった。


 これまでの数億年がそうだったように、この混沌宮は何も変わらない。生も死も、ヒデカツの戦いもここでは娯楽の一つに過ぎなかった。


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