35、贈り物
その日の夜、アルディナの町の住民たちは皆怯えていた。
戸と窓を固く閉ざして部屋の隅で祈り続けるものもいれば、恐怖のあまり酒に逃げるものもいる。
事件の元凶が倒されたことを知らない人々は、そうやって夜を過ごしていた。
だが、一件だけ灯りをともしている店がある。街で唯一の酒場主人だけは、もう脅威は去ったのだと知っていた。
「……とりあえず死体はルーネの言うとおりに燃やしたよ。放置しておくのも目覚めが悪かったしな」
最後まで話し終えると、ヒデカツはコップの中身に口をつけるフリをする。今更未成年だからと遠慮するわけではないが、十数年物のブランデーは彼には少々早すぎた。
外では日も暮れ始めているというのに、やはり酒場にはほかの客はいない。街の住人たちは皆、東区での戦闘の跡を見物しに行っているのだ。
戦いの決着がついたのは昼前のこと。それからこの酒場に戻ってくるまでに時間がかかったのは、候補者の遺体をきちんと弔っていたからだ。
「つまり、お前さんらは街を救ったってわけか」
「……まあ、要約するとそうなるな」
「なら、もうちょっと明るい顔をしろ。嬢ちゃんといい、辛気臭いぞ」
ヒデカツをからかうようにして、店主は二人の戦いの成果をそうまとめてみせる。
けれど、賛辞を受けてもヒデカツはただ苦笑いを浮かべるだけだ。
傷は完治こそしているものの、ヒデカツの顔には疲れの色が浮かんでいる。肉体的な疲労は”加護”が打ち消してくれても精神的なものは時間を置く以外に解決策がない。
「……まあ、助けた街の連中があの態度じゃ嫌気がさすのもわかるがな」
「最初から感謝されるとは思ってないよ。状況だけ見ればオレたちは限りなく怪しいわけだし」
自嘲する声にはどこか諦めに似た響きがある。
最初から誰かに感謝して欲しいとは思っていなかったが、いまだに犯人扱いされていれば堪えるものもある。死闘を潜り抜け、初めての殺人を経験したあとでは尚更だ。
「…………悪いな」
「おっちゃんが謝ることじゃないさ。それより、謝るのはこっちだ。結局また世話になっちまったわけだし」
心底申し訳なさそうな店主に、ヒデカツはそう返す。ヒデカツとルーネを匿っている時点で、この店が危険に晒されているのは事実だ。
「それについては気にすんな。街の連中はますます怯えて家に引きこもってるしな。そうそう火を掛けてくるようなことはないだろ……多分」
「……あー、うん、そのときは弁償させてくれ」
「なに、フェリアの引き取り先が決まればあとはどうとでもなるさ」
気軽にそういうと、店主は手元のジョッキを一息に飲み干す。
表情も動きも、自然体そのもの。ヒデカツとルーネの事情に巻き込まれた事を彼は微塵も苦とは思っていないようだった。
その店主の態度は、ヒデカツにとっては尊敬に値するものであり、同時に後ろめたさを感じるものでもあった。
二人とて最初からまたこの店で世話になるつもりはなかった。
しかし、戦いに赴いたときには勝った後の事を何も考えていなかった。当然、砂漠越えのための水や食料も準備できていない。
ヒデカツには適応の加護があり、ルーネには直接生命力を吸収する能力があっても、それだけで長い旅路を乗り切ろうというのは流石に無理がある。
この店に寄ったのは当初の計画通り、水と食料を確保しておくためだ。
その役目を店主は快く引き受け、店の在庫を譲ってくれた。それがますます、ヒデカツとしては申し訳なかった。
「にしても、嬢ちゃんは随分と長い間降りてこねえな。そんなに荷物はなかったと思うんだが……」
まだ出発していないのはルーネの準備が完了していないからだ。
彼女はこの店に戻ってからはフェリアと共に二階に引きこもっている。ヒデカツが何をするのかと聞くと彼女は必要な儀式と答えたが、結局ヒデカツにはなんのことかよくわからなかった。
「なにかフェリアと話してるみたいだな……」
「あの二人に共通の話題なんてあるのか? いや、こう今更、疑うわけじゃないんだがよ」
階段まで行くと、二人の話し声が微かに聞こえる。声の調子からしてまじめな話をしているようだが、険悪な雰囲気はない。
しかし、長話であることは事実だ。数時間も一体何を話しているのか、ヒデカツと店主には見当もつかなかった。
「……しゃあねえ、先に渡しちまうか」
「へ? どうしたんだ?」
「いいからついてきな。この奥だ」
数秒間階段で耳を澄ました後、店主はカウンターの奥にヒデカツを手招きする。
この店には二日間以上世話になっているが、一階の奥に赴くのはこれが初めてだ。
「……すごいな。これ、全部おっちゃんのなのか?」
「オレのだったり、死んだ仲間のだったり、まあ、いろいろだな。ほら、もうちょっとこっちだ。ここにしまってるはずだ」
店主の私室には、剣や槍の武具と盾、鎧も飾られていた。種類も豊富で手入れの行き届いた様子は、ちょっとした武器庫のようだった。
店主が漁っているのは部屋の端に置かれている道具箱だ。中身をひっくり返しているところからして、なかなか目当てのものが見つからないのだろう。
「よし! あったぞ! ちょいと埃まみれだが大丈夫だろう」
「えっと、ベルト? それにしちゃ変なものついてるけど……」
店主が箱の中から取り出したのは革でできたベルトのようなものだ。
「剣帯だよ。お前さんもいつまでも丸腰じゃ不便だろうと思ってな」
「な、なるほど、そう言われればそうだな」
手渡された剣帯は使い古されたものだが、だからこそ、頑丈さと作りの良さが感じられた。
よけいな装飾はされておらず、飾り気は一切ない。おそらくは高級品ではないのだろう。しかし、心を込めて作られた品ではあるのはヒデカツにも分かった。
「オレが冒険者になったときに親父からもらったもんでな。大分古くはなってるが……大きさもちょうどいいと思うぞ。腰に回してみろ」
「あ、ああ、でもいいのか? 思い出の品なんじゃ……」
「こうして埃被らせとくより誰かに使われたほうが親父も喜ぶさ。それに、この街の住人が一人くらいは礼をしないとな」
「……じゃあ、受け取っておくよ」
腰に巻きつけると剣帯はすぐに馴染んだ。店主の言葉通り、サイズには問題はない。むしろ、ヒデカツに合わせて誂えたようでさえあった。
ヒデカツにとってはまさしくサプライズだ。なかば諦めていたから、こうして本当に礼の品をもらうのは気恥ずかしい。
「本当はもっと鎧とか盾とか値打ちのあるものをやってもよかったんだが、こればかりは大きさがな」
「これで十分さ。むしろ、この中で何かもらうならこいつがいい」
周囲の品を眺めてから、ヒデカツはそう答える。男としては鎧や盾に心が動かなかったわけではないが、熊のような体格をした店主とヒデカツでは体格の差は明らか、持っていっても砂漠越えには邪魔にしかならない。
そういった意味で考えれば、この剣帯は最高の贈り物だ。これがあればいつまでも剣を片手に持ってなくてもすむし、店主の言葉通り格好もつく。
「それとこいつだ。これからこのロスパラディアで生きていくならお前さんも仕事を見つけないとな」
「……手紙? えーと、感謝の言葉を綴ったとかじゃないよな?」
次に店主が取り出したのは、一通の封をされた便箋。蜜蝋で閉じられているようだが、そこには奇妙な紋章が記されていた。
「そんな役に立たたねえもん渡さねえよ。ギルドへの紹介状だ」
「ギルド? えーと、何かの組合でいいんだよな?」
「そんなもんさ。もし、仕事が欲しくなったらギルドの受け付けにこいつを見せてくれ。まあ、多分、なんとかなるはずだ」
「……なにからなにまで助かるよ」
途端に自信をなくしたような店主に、ヒデカツは改めて礼を述べる。多少怪しくはあっても、これだけの事をしてもらって文句をいうようなヒデカツではない。
「ヒデカツ様! ヒデカツ様、どこにいらっしゃるのですか!?」
「……じゃあ、もう行くよ」
話しこんでいると、階段の方からルーネの声が聞こえてくる。彼女の準備ができたのならもう出発しなくてはならない。
「おう。またいつかな、坊主」
「ああ、おっちゃんも元気で!」
最後に握手を交わして、ヒデカツは背中を向けて歩き出す。先ほどまでとは違い、足取りは軽かった。
感謝されなくてもいいと覚悟はしていた。けれど、誰かが知ってくれている。ただそれだけでなにもかもが報われたようだった。




