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26、話すべき事


「なんだ、おまえさんら戻ってきたのか。随分と物好きだな」


 店に戻った二人を店主はそう出迎えた。


 店内は強盗に荒らされたような状態で、床には割れた酒瓶が転がっている。無傷なのは何事もなかったかのように佇む店主と何が起こったか良く分かっていないフェリアだけだ。


「行くあてもないからな。迷惑だったか?」


「いんや、構わないさ。それより、何で嬢ちゃんはずぶ濡れなんだ? お前さんのほうもボロボロだしよ」


 重くなったローブを引きずるルーネを見て店主はそう尋ねる。ヒデカツは、「今から話す」とだけ答えて、席に腰掛けた。


 あの候補者との戦いのあと、二人は夜になってからこの酒場に戻ってきた。村人達に見つからないように動きつつ、あの候補者の気配を警戒しているといつの間にかそれだけの時間が経っていた。


「……悪いな、そのオレたちのために」


 店の中を改めてみてから、ヒデカツはそう陳謝する。


 なにかとががあるわけではないとはいえ、この酒場に二人が来なければこうなることはなかった。悪くはないが、責任はあるというのがヒデカツの考え方だった。


「あ? ああ、気にすんな。お前さんから貰った皮で充分補填できるし、誰も怪我してねえからな。何か呑むか? 生憎、安酒しかのこってねえが」


「……あー、なんか暖かいのを頼むよ。二人分」


 申し訳なさそうなヒデカツに対して、店主は身振りでなんともないと示してみせる。


 実際のところ、彼の人生経験の中ではこの程度の出来事はよくあることでしかなかった。


「あ、お姉ちゃんに、お兄さん、戻ってきたんだね……」


「他にいくところがなくてな。それより、フェリアちゃんは大丈夫? 大分騒がしかっただろ?」


「うん、おじちゃんが庇ってくれたから……街の人たちは怖かったけど……」


 フェリアの言葉に、ヒデカツは表情を曇らせ、見えないように拳を握る。


 さすがに同じ街の住人に手を出すほど愚かではなかったようだが、その様子だけでも子供を怯えさせるのには十分だった。


 街の十人を責めることはできない。悪いのは、街の人間を虐殺し、ここまでを彼らを追い詰めたあの候補者だ。


「……事態が落ち着くまではオレが預かることにしたんだ。なあ、フェリア?」


「うん、お父さんとお母さんが元気なるまではここにいていいっておじちゃんがいってくれたの。町の人は今は怖いし……」


「みんなが怖がってるからさ。なに、心配しなくてもすぐに全部良くなるさ」


 フェリアの頭を撫でると、店主は二人分のスープの皿をカウンターに並べる。

 ありあわせのようだが、雨に打たれていたヒデカツとルーネには充分魅力的なものに思えた。


「なあ、おっちゃん、さっきの話しの続きをしてもいいか?」


「聞いてやりてえとは思うが、今は忙しい。まずはスープでも飲んで落ち着きなって」


「……それもそうだな」


 さっそくヒデカツが本題を切り出そうとすると、店主はフェリアに視線を向けることで答える。


 フェリアはまだ両親の死を知らない。そんな彼女の前であの霧の話題を出すのは、現実を突きつけることに等しかった


「ほら、そっちの嬢ちゃんもさめないうちに食べな。いくら墓守の一族でもそんなんじゃ風邪引くぞ」


「……はい…………その、ありがとう……ございます……」


 俯きながらルーネは礼を述べる。途切れ途切れで微かではあるが、これが彼女なりの全力だった。


「……まずは着替えないとだな。そのあとで、話いいか?」


「は、はい、わ、私は大丈夫です」


 ヒデカツにいわれて、ルーネはスープを片手に階段を上がる。何しろずぶ濡れで動き回ったのだ。彼女にも休む時間が必要だった。


「私おねえちゃんと食べるね! お話したいし!」


「あ、待て、フェリアちゃん! ルーネは……」


「触っちゃダメなんでしょ? 大丈夫、ちゃんと分かってるから!」


 ヒデカツの言葉にフェリアは元気よく答えて、階段を上がっていく。店主が詳しく説明したらしく、彼女なりにルーネの事情を理解しているようだった。


「……雨、いつまで降るかな」


「いつもは一日二日、長くて三日だな。こうなりゃいっそ移動の始まる三月先まで降ってくれりゃあいいんだが」


 ヒデカツの独り言に片づけをしていた店主が答える。


 雨が降るうちはあの候補者は仕掛けてはこないだろう。

 あのかまいたちは脅威ではあったが、建物を破壊するほどの威力はない。精々窓を割る程度だ。


 それにあの様子では不利な状況で仕掛けてくるとは思えない。報復してくるにしても、自分に有利な状況を選ぶはずだ。


 猶予はどれだけ長くとも後二日。それまでに作戦を立てておかねばならない。


「……この街で人のいない場所か。東区のほうはもう誰も住んでないと思うぞ」


 店主に尋ねると、どこで戦うかという問題はすぐに解決した。


「……全員やられたのか」


「ああ、多分そうだ。昨日まではあそこが狩場になってたからな」


 彼の知る限り街の東側の区画は無人になっている。そこに住んでいた数百人は既に犠牲になっていた。


「……しかし、お前さん、妙な事を聞くんだな。このあたりでどこなら人がいないかなんて」


「ちょっとやらなきゃないけないことができたんでな」


「……その口ぶりからすると戦うほうを選んだみたいだな。あの例え話はただの例え話じゃなかったわけだ」


 言葉を濁したヒデカツの心中を店主は簡単に見抜く。


 ヒデカツは戦うことを選んだ。頭を悩ませているのはあくまで、どう戦うか、そして、勝つためには何が必要か、についてだ。


「相手はあの霧か。嬢ちゃんは意志があるって言ってたが……」


「……少し話したんだ。そいつと」


 秘密にしてもどうせ見抜かれると割り切って、ヒデカツはあらいざらい打ち明ける。

 ”選抜会”と”候補者”については伏せたままにしておいても、話したいことはいくらでもあった。


「……なるほど。どうにも騒がしいと思ったが、お前さんらが原因だったか」


「オレを疑わないのか? 自分で言うのもなんだが、あやしいと思うんだけど……」


「まあ、普通はそうなんだろうが……今更疑ってもしかたがないだろ?」


 ヒデカツの指摘を受けて、店主は苦笑を浮かべながら残っていた安酒の蓋を開ける。今更疑うのは野暮、というのは長年の経験がゆえの余裕だった。


「しかし、ロクでもねえ野郎なのは分かってたがそこまでとはな……」


「ああ。放っておけばこの街全体を実験場にすると思う。だから――」


「お前さんが戦うってわけか。なんというかまあ、勇気があるというか無謀というか……」


「それはいやというほど分かってるよ」


「まあ、そういう無謀さが大事なときもある。街の住人として言わせてもらえば、お前さんの男気は嬉しいしな」


 店主にはヒデカツの選択が眩しく思える。


 自分と関係のない人間の死に憤ることができるというのは、ある意味での才能だ。冒険者として生きてきた店主にしてみれば微笑ましくもあり、危うげにも思えた。


「……それに完全に勝ち目がないわけじゃないんだろう? お前さんだってそこまで馬鹿じゃあるまい」


「まあね」


「…………嬢ちゃんには話は通したのか? 一応、相棒パートナーみたいなもんだろう?」


「……それで悩んでるんだ」


 戦うと決めたことに後悔はない。

 けれど、今更ながら、他人ルーネを巻き込んでいいのかについてヒデカツは迷いを振り切れないでいるた


 この剣にしてもルーネからの借り物だ。

 何も言わずに使わせてくれといえばそのまま彼女は使わせてくれるだろうが、そうするのは用途が用途だけに不誠実に思えた。


「なんだ、まだ話してねえのか」


「具体的には……というか、それに彼女とは知り合ったばかりで……そんな……」


「女は男の何倍も勘がいいからな。浮気と一緒で隠し事は簡単にばれるぞ。早めに話しとけ」


 ヒデカツの今更な言い訳を無視して、店主が忠告する。


「……おまえさんの事情や嬢ちゃんの過去は俺には想像することしかできねえし、無闇に首を突っ込むつもりはないが……一つ、アドバイスしてもいいか?」


「頼むよ。一つと言わずにいくらでも」


 言葉を濁す店主にヒデカツは食い下がる。この状況をどうにかできる猫の手も借りたかった。


「……実を言うとな、大事なものを遠ざけるのはあまり賢い選択肢じゃないんだ。冒険者の中だとそれが常識みたいになってるがな」


「そういうもんなのか?」


「ああ、命懸けの仕事だからな。家族を巻き込む可能性は常にあるし、恨まれることも日常茶飯事だから安心なんてできねえ。だから、遠ざけるんだ」


 店主は賢い方法ではないというが、むしろヒデカツには正しいやり方に思える。情のある相手だからこそ遠くにおく、それも何かを守るための一つの方法だ。


「しかし、これがなかなか難しくてな。人間ってのはどれだけ決意してても迷うし悩む。それも親しい誰かのこととなれば尚更だ」


「それは……確かにそうだな……」


「そういう迷いや心配が刃を鈍らせることもある。大事なものを守ってるつもりが守ってる本人が死んじまうのさ」


 店主の語り口には実感がある。

 守るべきものを守っても自分が死んでは意味がない。店主はそのことを理屈ではなく経験として理解していた。


「身体や命を守るってのと、心を守るっていうのは似てるようで違うんだ。こいつはわかるな?」


「……まあ、理屈だけだが」


「どれだけ大事に思って遠ざけても、女房子供に分かるのはただ遠くで死んじまったってことだけだ。死体も帰ってこねえから哀しもうにもその実感さえ持てない」


 残されたものの痛み、それはヒデカツにとって盲点だった。


 巻き込む事を恐れて遠ざけたとしても、その結果として残されるものはどうやっても救えない。なにしろその場にいないのだ。手が届かないものは拾い上げようがない。


「……だから、ただ遠ざければいいってもんじゃない。相手の事を考えるなら尚更そうだ」


「……わかったよ。本人と話してみればいいんだろう」


「それが一番いい。嬢ちゃんを大事に思うなら嬢ちゃんの意志をきちんと聞いて、二人できちんと決めな」


 そう言いきると店主は景気づけにとグラスをヒデカツの前にドンとおく。杯を満たしているのは琥珀色の液体だ。


 選抜会に巻き込まれたのは不幸だが、ルーネといい、店主といい、人の運に恵まれている。


 その事を噛み締めながら、ヒデカツはグラスの中身を一気に飲み干した。



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