27、どうしたいか
二人に居室としてあてがわれた部屋にルーネとフェリアはいた。
「……そうして、勇敢な若者は剣を手に悪魔を倒すため旅立ったのです」
扉越しに聞こえるのは、ある昔話だ。
若者が旅立ち、魔王を倒し、勇者になる。そんなありきたりのどこにでもあるような物語をルーネは誰かに語り聞かせていた。
大人になればただの作り物だと分かってしまうものだが、そこには確かに子供達のため愛と希望が確かに込められていた。どんなに暗い時でも、それだけは見失わないようにと。
すぐにでも中に入って、ルーネと話をすべきだというのにヒデカツは物語に聞き入ってしまっていた。
何も自分が勇者だと自惚れたわけではない。ただ忘れかけていたものが思い出していたのだ。
「……入るぞ。いいかな?」
「ど、どうぞ、旦那様」
話が終わるのを待って、ヒデカツは扉を開く。
「少し話があるんだが――」
そうして、ルーナの姿を見た瞬間、ヒデカツはまた言葉を失うことになった。
ルーネはベットに腰掛けて、窓から雨空を見上げていた。
ローブと眼帯を外して白い肌着に着替えている。布地はかなり薄いらしくともすれば何もかもが見えてしまいそうだ。
そんな格好をしているのに、下品さや淫らさは一切感じさせない。
深窓の麗人という言葉はきっと彼女のためにあるのではないかとさえ、ヒデカツには思えた。
「……な、なにしてたんだ?」
いつまでも見ているわけにもいかず、声を掛ける。
おもわず声が上擦ってしまったのは緊張だけが理由ではない。
「た、退屈だというので、少しお話をしていたんです。それで、そのまま……」
「眠っちまった、と。疲れてたんだろうな、そっとしといてやろう」
部屋にいたはずのフェリアはヒデカツのベットで眠り込んでいる。
ルーネの寝物語がよほど心地よかったのだろうか。寝顔には、憂いや悲しみは少しも見られなかった。
「……少し話しをしたいんだが、いいかな?」
「は、はい! こ、こちらにどうぞ!!」
ルーネが指し示したとおり、ヒデカツは彼女の隣にゆっくりと腰掛ける。
緊張がとけるどころか互いに距離が近づいたせいで心臓の高鳴りはより大きくなってしまっていた。
「あー……その……あれだ、昼間のことについて、話したいんだ……」
「は、はい……な、なんでしょうか……?」
しどろもどろになりながら、ヒデカツはそう切り出す。
全て打ち明けると決意してきたはずなのに、そんなものはこの数秒間で吹き飛んでしまっていた。
金色の瞳を覗きこんでいると、何もかもを忘れてしまいそうになる。
なんの力や魔術が働いているわけでもないのに、ヒデカツは視線を逸らすだけで一苦労だった。
「旦那様、その……どうかなさいましたか……?」
「あ、おう、な、なんでもない。それより……」
赤面した顔を隠しながら、ヒデカツは頭の中で自分を律する。
ルーネに見惚れている場合ではない。はやく本題に入らなければ。
「……屋根の上でオレが戦ってたやつは、この街を襲ってる張本人だ。っても、それはわかってるよな?」
「は、はい、それは……」
「……オレとやつは、その……知り合いみたいなもんなんだ。直接の面識があるわけじゃないんだが」
「……と申されると……?」
「色々事情があってな。まあ、少し付き合ってくれ」
覚悟を決めると、ヒデカツはゆっくりと話し始める。
隠し事はしない。
こんな事をしなくてもただ協力を求めるだけで彼女は力を貸してくれるだろう。
だが、なにもかもを打ち明けなければフェアにはならないとヒデカツは考えていた。
それに、一度話し始めてしまうと言葉が途切れることはなかった。
選抜会のこと、候補者のこと、そして、元いた世界のこと。誰かに打ち明けるだけで胸の重石は軽くなっていった。
「……つまり、旦那様はこの世界の人間ではない、ということでよろしいんでしょうか?」
「そういうことだな……疑わないのか? 正直、頭がおかしいと思われても仕方がないと思ってたんだが……」
すべてを話しきったところで、ヒデカツはルーネにそう問い返す。
一切の疑いを持たないルーネの反応は嬉しくもあるが、それ以上の疑問をヒデカツに抱かせた。
自分の来歴がどれだけ荒唐無稽なものかというのは把握しているつもりだ。仮にルーネと立場が逆だったのなら、正気を疑うだろう。
だというのに、彼女は欠片ほどの疑念も抱いてはいない。その理由をヒデカツは知りたかった。
「マ、旦那様を疑うなんてとても……それに、その――」
「その?」
「――私はこの手のぬくもりが嘘とは思えません。ゆえにお疑いはしません。ましてや、旦那様が私をたばかろうとするなどとはとても……」
覚悟を決めるように俯くと、ルーネはヒデカツの右手を取る。
両の手でしっかりと握り締めながら、その温度を抱きしめるように胸元に引き寄せた。
「あ、あの、お、おう……信じてくれて、ありがとう……」
「いいえ、お礼を申し上げるならばむしろ私のほうです……」
いつもとは違い、触れられているヒデカツのほうが言葉を詰まらせる。
ヒデカツからルーネに触れることはあっても、その逆はこれが初めて。ルーネに触れることには少しは慣れてきていても、触れられるのにはまったく耐性がなかった。
「旦那様がどこからいらっしゃったとしても旦那様は旦那様です。何があろうとも変らず」
「……そうだな。どうなってもオレはオレだ」
握られていた手をヒデカツはそっと離す。浮ついた感情はルーネの一言のおかげで心の奥底に沈んでいった。
「……けど、聞きたいことはほかにあるんだ。オレの事情を全部話したのも、そのためだ」
「は、はい、旦那様」
ヒデカツはルーネに正面から向かい合う。
本来ならば一人で戦うのが筋というもの。そこに誰かを巻き込むならば最低限の義理は果たさなければならない。
愚かだとしても、真正直に向かい合わなければ気がすまないのが彼という男の性だった。
「……オレはあいつと戦う。けど、君を巻き込みたくない。でも、この剣がないとオレは戦うこともできない。それでも、オレは――」
だが、言葉として吐き出すだけで歯の根が震える。拳を握り勇気を振り絞っても、恐怖は消えない。
「――オレは君を巻き込みたくない」
「……はい」
ヒデカツの言葉をルーネは静かに受け止めた。
見捨てられてしまうのではないかと危惧していた心は不思議なまでに落ち着いていた。
「だから、オレは君にはこの街を離れて欲しいと思ってる。君の助けがないと勝てないとしても、だ」
声と表情から伝わってくるのは、純粋な優しさと微かな恐怖心だ。
自身の死や敗北そのものではなく、自分が負けることで起こりうる結果に彼は怯えていた。
「……こんなことを話しておいて、こう聞くのは卑怯かもしれないが。それでも――」
そんなことはない、と否定したくとも言葉が出ない。こうしてただ優しくされるという事にさえ、ルーネは慣れていなかった。
それにヒデカツの語った彼の来歴をルーネはまだ完全には理解できていない。
彼がこの世界の生まれではなく、何か強大なものの思惑に巻き込まれているのだという事は分かる。そして、ヒデカツが戦わなければならないという事も。
それが実際にどれだけ険しい道のりなのかはルーネには見当も付かない。
けれど、遠ざけられるのも、ヒデカツから離れるのも嫌だ。十八年の人生で個人的な欲求を優先したことは一度もなかったが、今だけはそうしたくて堪らない。
「――君がどうしたいかを聞かせてくれ」
何をしたいのか。ヒデカツの問いたいのはそんな単純で、当たり前のことだ。
そんな当たり前に答えることが今のルーネには難しかった。




