28、共に生きる、共に戦う
ヒデカツの問い掛けはひどく単純なものだ。
どんな人間にも欲はある。夢も野望も、将来の目標も言ってしまえばこの範疇だ。フェリアのような子供でさえ聞かれれば、そこぬけに明るい展望を喜んで答えるだろう。
「私が……どうしたいか……」
そんな簡単なことが、ルーネにはできない。
言葉を発しようとすると頭の中で混乱が起こる。
触れてほしかったり、言葉を交わしたかったり、単純な欲求はいくらでも思いつくが、行動の指針になるような大きな欲望はどうしても思いつかない。
これまでの人生で目的がなかったわけではない。問題は、その目的を果たしてしまっているということだ。
「私、私は…………」
「……ゆっくり話してくれていい。オレは待ってるから」
泣き出しそうなルーネを見て、ヒデカツがそう促す。ルーネが自己主張を苦手としていることはヒデカツも理解していた。
”いずれ貴方に触れても死なないものが現れる。それこそが貴方の運命となるもの”。それが、十八年前、ルーネの生まれた時に詠み上げられた予言の内容だ。
その予言だけを希望にして彼女は生きてきた。真面目に己が義務を果たし、石を投げつけられても決して退くことはなかった。
そうして、あきらめかけた時に予言は果たされた。人の温かさに触れたその時に、彼女の望みは叶ってしまったのだ。これ以上、どうしたいかと問われても思いつかない。
「……私は旦那様のおそばに置いていただければ、それで……」
「本当にそれだけでいいのか? オレといればずっとあんなのに襲われることになるんだぞ」
ようやく絞り出した答えに、ヒデカツはあえて確認を重ねる。
ルーネを疑っているわけではない。本当に命をかけるだけのことなのかと確かめているのだ。
「……私は」
死を恐れたことはないが、かといって、一緒に戦うのが望みであるとは即答はできない。
答えはある。おぼろげではあるが、確かに望みはあるのだ。しかし、それを言葉にするのがひどく難しい。
気恥ずかしいわけではない。
ヒデカツへの疑いがあるわけでもない。
ただ彼女の奥底にある人間そのものへの不信感が喉まででかかった言葉を押し留めていた。
自分の望みを口にして、それを退けられてしまったら。その可能性がルーネには恐ろしかった。
「……旦那様は、私に何をお望みなのですか? 昼間に申し上げた通り、私は旦那様がお望みなられるのならどんな死地にでも……」
「オレは言ったとおり、君を戦いに巻き込みたくない……」
ルーネの再びの問いにヒデカツは顔を伏せながら答える。どれだけ取り繕おうとしても奥底にある恐怖は隠しきれるものではない。
ルーネがヒデカツに対してそうしてきたように、ヒデカツもまたルーネに対して無理をしている。情けない姿を見せまいと強がっているのだ。
雨音が少しずつ小さくなっているのにヒデカツは気づいていた。
「……いや、できることなら、このまま逃げ出したい、っていうのが本音かな」
「……え?」
大きな溜息の後、罪を告白するようにヒデカツはそう呟いた。
強がりも嘘もない本心からの言葉だ。文字通り胸のうちをヒデカツはさらけ出していた。
「情けないだろう? あんだけ強がっておいて、手の震えが止らないんだ」
「いえ、あの……私……」
「……戦うのも初めてだし、命を懸けるのもこれが初めてなんだ。正直なところ怖くてたまらない」
戸惑うルーネにヒデカツは隠していた右手を見せる。小刻みに震える指先は彼の恐怖を雄弁に物語っていた。
「あの時は戦うべきだと思ったんだ。あいつが人を殺すのを許せないと思ったし、怒ってもいた。だってのに、オレは……」
自分の感じている恐怖そのものをヒデカツは嫌悪している。立ち向かうと決めたというのに、今更恐れている自分自身を彼は責めていた。
「幻滅しただろ? どんだけかっこつけてもオレは結局ただの――」
「――そんなことはありません!」
ヒデカツの口にしようとした言葉をルーネは明確に否定する。
ヒデカツ自身がどう思おうともルーネにとっては違う。望みを口にすることは難しくとも、それだけははっきりといえた。
「旦那様は、あの砂漠で迷わず私を助けてくださいました! 私の手を迷わず握ってもくださいましたし、街の十人が私に石を投げたときも庇ってくださいました!」
一気に言葉にしてしまうと顔に熱が戻ってくる。
ただ運命の相手だからというだけで言っているのではない。
どんなときでも彼は逃げることはしなかった。何もかもに戸惑い、恐れ、傷つきながらもここまで進んできた。
そのことはほかならぬルーネが一番良く分かっている。フェリアの治療を行った際、記憶を垣間見たのはヒデカツだけではなかったのだ。
誰かに助けてもらうのも、手を握ってもらうのも、庇ってもらうのも初めてだった。
ルーネに暖かいものをくれたのはヒデカツだけだ。
「昼間の戦いでもそうです! あなた様は私のために命を掛けてくださいました! 私にそんな事をしてくれたのはほかには産んでくれた母だけです!」
記憶を声に出すと、自然、瞳が潤んでくる。決して、楽しい思い出などではない。
だが、そこには確かな温かさと喜びがあった。今までの冷たい屍のような人生のすべてを集約してもヒデカツと過ごした数日間には及ぶべくもない。
形にならなかったものが像を象っていく。望んでいたことはひどく簡単で当たり前のものだ。
「――私、わかりました。自分がどうしたいか」
再びヒデカツの手を取って、ルーネは彼の瞳に向かい合う。
ヒデカツが黄金の瞳に魅入られたように、彼女もまた彼の瞳に心を奪われていた。
「一緒に戦います。旦那様と一緒に、命を懸けて。それが私の望みです」
決意と覚悟を込めてルーネはそう宣言する。ヒデカツがあの屋根の上でそうしたように彼女もまた戦う事を選んだのだ。
後悔もなければ、恐怖もない。運命へと辿り着いた今の彼女には、その運命を守ることが唯一無二の”やりたいこと”だった。




