25、初戦
『……ほざきやがったな、てめえ』
「ああ、ほざいたさ。雨が降っている程度で何もできなくなるやつなんざ、何も怖くないからな」
剣を構えなおして、ヒデカツは姿勢を落す。
剣での戦い方をわかっているわけではないが、格好くらいは付けておかなければならない。
『ふざけやがって……よほどここで死にたいらしいな……』
「でかいこと言う割には仕掛けてこないじゃないか。怖気付いたのか?」
挑発を重ねて、候補者の注意を自分にひきつける。
まずこの状況ですべきことは、ルーネを逃がすことだ。
勇ましい事を言っておいて情けないようにも思えるが、攻撃手段がない以上これが最善手だ。
「……オレが走ったら、すぐに逆方向に走るんだ。いいな?」
「で、でも、それでは旦那様が」
「オレはオレで何とかする。街の出口で合流しよう」
小声でそう指示を出しながら、ヒデカツは頭の中で作戦を組み立てる。具体性はないが、今はこれで精一杯だ。
目の前の候補者は、やはり攻撃手段がないのか、一向に仕掛けてこない。このまま退いてくれるのならいいのだが、そう上手くはいかないだろう。
「……そっちから来ないならこっちから行くぞ」
呼吸を落ち着かせて、ヒデカツは候補者に向かい合う。
屋根の上は足場が悪く、まともに戦えば簡単に滑り落ちてしまう。それこそ霧の体でもない限り戦うような場所ではない。
一方で候補者のほうもこの雨では毒ガスは効果が薄く、ヒデカツはおろかルーネに危害を加えるのも難しい。
『てめえ、なにか勘違いしてるみたいだな? 雨が降ってても――」
しかし、攻撃されない、という大前提はいとも容易く崩れ去ることになった。
『前方に脅威を確認』
「――っ、ルーネ!!」
声にしたがって、ヒデカツは屋根を蹴った。倒れこむようにしてルーネを抱えると、ヘリに向かって迷わずに跳ぶ。
見事な反応速度と判断。ヒデカツの戦闘経験の少なさを鑑みれば、天才的ともいえるものだった。
それでもほんの少しだけ、遅かった。
『――虫を潰すくらい簡単なんだよ!』
「……づっ!」
落ちていく背中を何かに切裂かれる。赤い血がこぼれて、驚愕に意識が凍りついた。
『骨の強度を強化。致命傷を回避』
「くっ! 無事か、ルーネ!」
「わ、私は無事です! で、でも、旦那様が!」
落下点は隣の建物の屋上だ。雨で滑って転びかけたものの背中以外に傷はない。
「……とにかく走るぞ!」
「は、はい!」
剣を鞘に戻すと、ルーネを抱えたままヒデカツは走り出す。傷はすでに治り始め、身体は十全に動いていた。
足元は滑るが、今のヒデカツの身体能力ならば屋根から屋根に飛び移ることもそう難しくはない。
『右方向から脅威を感知』
再びの攻撃にヒデカツは身を翻す。
屋根を足場にして跳躍は、猫のような敏捷さと身体のやわらかさがなければ不可能だった。
直後、屋根がはじけて、瓦礫が宙を舞う。攻撃の正体は分からないが、威力と精度は確実に上昇していた。
続けざまに、見えない脅威がヒデカツに襲い掛かる。前後左右に間隙はなく、その上、攻撃のタイムラグはわずか数秒だ。
「……くそっ!」
決して足を止めないようにしながら、ヒデカツは自分の迂闊さを罵る。
雨が降っていれば攻撃してこない。そんな安易な思い込みがこの事態を招いた。不利だろうと何だろうが喧嘩を売ることには変りはないが、せめてルーネを先に逃がしておくべきだった。
『左、および右方向から脅威を感知』
「こ、の!」
今度は左右から。進行方向を挟み込む攻撃を急制動をかけ、かわす。
舞い上がった水飛沫を見えない刃が二重に切裂いた。
さきほどまでのヒデカツならば当たっていた。戦いへの適応が進んだためか、身体の反応はより鋭くなっている。
だが、それでも限界はある。
これまでの数分間で町中の屋根を飛び回り、どうにか攻撃を回避してきたが、今度は回りこまれた。
もう逃げ場が無い。
『前方、および後方から脅威を感知』
「っ、伏せてろよ!」
二方向からの攻撃にヒデカツは回避は不可能だと判断する。ルーネをほうり捨てればまだ可能性はあったが、その選択肢はない。
ルーネに覆いかぶさったヒデカツに、二つの斬撃が襲い掛かる。
裂けたのは肩の肉と背中。鋭い痛みが走り、血は流れたが加護のおかげで致命傷は回避できた。
庇われたルーネは無傷だ。
『――は、はははははは! 本当に庇いやがった! バカなやつだぜ! お前だけならかわせたかもしれないってのによ!』
「……お前のほうこそ口のわりには大した攻撃じゃないな」
強がりを言いながら、ヒデカツは身体を起こす。周囲を眺めて、地形を確かめる。
いつまにか街の中心に来ていたらしく、死体の積み重ねられた広場と噴水が見える。
ここからならば噴水に飛び込めないことはないが、結局は追いつかれる。
逃げるなら、二人のうち一人。もう一人が足止めしなければ死ぬだけだ。
「いや……手はある」
自分に言い聞かせるようにヒデカツは諦めを振り払う。まだやれることがあるなら諦めるには早すぎる。
『強がりいいやがって……そのボロボロの体で戦えるとでも思ってんのか?』
「まだ腕も足もついてるからな。そっちこそ、いい加減同じ攻撃ばかりで芸がないんじゃないか?」
再び剣を引き抜き、片手で構える。
効きはしないだろうが、掌に伝わる鋼の感触は迷いを断ち切ってくれた。
問題はタイミングだ。仕掛けると同時にルーネが逃げてくれなければ、意味がない。
「ルーネ、オレを信じてくれるな?」
「は、はい、もちろん……」
「……じゃあ、合図をしたら噴水に飛び込むんだ。いいな?」
「でも、それじゃ旦那様が……」
「信じろっていっただろ? 大丈夫だ、なんとかする」
それだけ言って、ヒデカツは覚悟を決める。ここまでくれば無茶でもなんでもやるしかない。
『いいぜ……実験だ。サイコロステーキにしても生きていられるか試してやる!』
「……そういうことか」
周囲で渦巻く風を前にして、ヒデカツは攻撃の正体を看破する。
かまいたち、真空波、あるいは旋風。
呼び方はさまざまあるものの、ようは風による斬撃だ。毒ガスよりも範囲や殺傷能力は低いものの、ヒデカツの加護をすり抜けてダメージを与えるだけの威力と速度はあった。
『虫けらは虫けららしく――!』
『前方に脅威を感知』
吼え声と共に、風が渦を巻く。特大の旋風が狙うのは、ヒデカツただ一人。
これまでとは威力が違う。いくら加護があるとはいっても正面から受ければ真っ二つにされてしまうだろう。
『――潰してやるよ!』
「今だ!」
風が放たれ、ヒデカツが突っ込む。それと同時にルーネは噴水に向かって、飛び降りた。
迫る死にヒデカツは剣を盾に自ら身をさらす。
風が切れるとは思っていないが、そのまま受け止めるよりはいい。最悪でも、即死さえ避ければ傷は治る。
これは賭けだ。ルーネさえ無事ならばこの戦いはヒデカツの勝ちだ。
「おおおおおお!」
気合と共に、刃を突き出す。一本の矢のような愚直さでヒデカツは死地へ踏み込んだ。
結果は見えている。
切っ先は風をすり抜け、ヒデカツの身体は旋風のミキサーにバラバラにされる。
そんな当たり前の現実を、剣は受け入れなかった。
『な、に――!」
激突の一瞬、ヒデカツの掌に伝わるのはあのワニと戦ったときにも感じた肉を裂く感触。
悲鳴を上げたのは、ヒデカツではなく攻撃したはずの候補者のほうだった。
刃の先には、何もない。
旋風に向かって剣を突き立てはしたものの、形のない風はただすり抜けていく。
本来ならそのはずだ。
柄を持つ手に肉を裂く感覚が伝わるなど絶対にありえない。
『あああああ!! 俺の手がアアアアアアアア!』
候補者の悲鳴は頭の中に良く響いた。
ヒデカツの目の前では空気の渦が荒れ狂い、周囲の屋根を無差別に壊している。
相手が傷を負ったことに相当以上に取り乱しているのは、考えなくてもわかった。
『いてえええええ!! どうして痛いんだ!? くそ! クソ! 糞!」
「っ、もう一撃!」
ようやく状況に追いついたヒデカツが、ふたたび剣を振るう。
今度は横薙ぎに一線。そのままでたらめにあたりを切りつけた。
時折反撃のように旋風が飛んでくるが、闇雲な攻撃ではヒデカツは止められない。
「この!」
振り下ろした切っ先が浅く肉を抉る。
これも致命傷には程遠いが、ダメージを与えられているのは確かだ。ならば、今やるしかない。ここを逃がせば、勝てるとはかぎらない。
『ふざけるな! クソ! クソ! クソが!』
頭の中の悲鳴は、すでに泣き声に変っている。よほど切られたのがこたえたらしく、候補者には少しの余裕もなかった。
ヒデカツも傷を負っているが、加護おかげで出血は止っている。
となれば、後は根競べだ。候補者がヒデカツの首を落とすのが先か、がむしゃらな刃が候補者の命に届くのが先か。
『テメエ殺す! 絶対に殺す! あの女もお前も殺してやる!』
「逃げる気か……!」
けれど、十数回きり結んだところで霞がかっていた視界が急に晴れ渡っていく。ヒデカツの気付いたとおり、候補者は逃げ去ろうとしていた。
ヒデカツは追おうとするが当然追いつけるはずもない。文字通り煙のように、候補者は姿を消した。
「……ちくしょう」
追いかけるのは無理だと理解して、ヒデカツはその場に座り込む。
ひざが笑って、指が震えている。人を傷付けるのも、人に傷付けられるのもこれが初めて。
できることなら、このまま泣いてしまいたいくらいに何もかもが恐ろしかった。
「マ、旦那様! ご無事ですか!? 旦那様!」
下から聞こえてくるルーネの声が、ヒデカツを正気に引き戻す。無事、噴水に落ちてびしょぬれになったようだが、声の様子からして怪我はしていないようだった。
自分もルーネも生きている。当たり前のことではあるが、今のヒデカツにはそれが何よりの報酬だった。




